終:脆弱な繭

 確かにわたしを乗せた“コクーン”は多数の“クラウド”を撃破したけれど、それが自力で成し遂げた結果でないのは明らかだ。そもそもわたしには格闘戦の経験なんかこれっぽっちもなかったのだし。

 喩えるなら、わたしはある種の依代よりしろにされていたのだろう。この古ぼけた4つ脚の機体に潜んだ「何か」を迎え入れるための依代よりしろに。


 その正体は恐らく“コクーン”に搭載された神経系接続機構――、その使用者をサポートする機体操縦支援諸システム群だ。蓄積された行動履歴を学習し操縦サポートに反映させるそのシステム自体は、何も神経系接続機構の搭載機固有のものではなく、現行機にも汎用的に搭載されている。

 ただ、神経系接続機構を使用した場合では、機体システムと操縦者の意識が蜜のようにとろけあっているところへ、支援システムのサポートが差し伸べられる。優秀な先任者たちの残した膨大な情報を踏まえた確度の高い選択を推奨することで、あたかも霊的な「何か」が操縦に寄り添っているかのような、生温かな実感を与えていたのだろう。

 統合総軍作戦行動情報連携基盤マザー・シーとの接続も切られている中で、支援システムが何を参照したかは察しがつく。


 戦闘中に感じた気配――あれは恐らく、ホワイトリリー中尉の残影なのだ。


 そう考えると、ひとつの筋書きがつながる。センは、自身の敬愛する中尉の存在が抹消される事態を回避するため、統合総軍の解体待ちだった“コクーン”を持ち逃げし、あの手この手で偽装して匿っていたのではないか。

 わたしの告げ口によってその企みがいよいよ暴かれてしまうとわかった時、昔馴染みの戦友が命からがら逃げてきたのを渡りに船とばかりに、たった1機での殿軍という破滅的としか思えない行動に出た。

 それもこれも、亡き中尉への追憶と葬送、そして心中のための行動だったのだとしたら――。


 少し強引な推論なのかも。普段の気丈な彼女の印象からはかけ離れている気がする。センが、そんな個人的な感傷に突き動かされてしまうものだろうか。

 でも、納得できる気もするのだ。亡き上官への敬慕や後悔――そういう個人的で内向きな感情こそ、セン・アスカシアルという一見完璧なひとりの人間を裏側から支えていた支柱だったのではないか。歴戦をくぐり抜けてきた彼女が、気狂いもせず、な人間であり続けるための、大事な大事な拠り所だったのではないか。


 セン自身、吐き出したい想いがそこにあったのかもしれない。

 思い返せば、ホワイトリリー中尉の過去を語る時、彼女はぽつりと漏らしていた。


――でもある時、鹿がその言いつけを破った。

――“黒後家蜘蛛ブラック・ウィドゥ”はどうにか生還したけれど、深傷を負ったホワイトリリー中尉はその時亡くなりました。


 ねぇ、セン。

 あの“馬鹿なオペレーター”って、あなたのことでしょ。

 




 もちろん、それらはわたしの勝手な、野次馬じみた妄想だ。彼女はただ純粋にこの機体と神経系接続機構が戦力になると考えて遺そうとしただけかもしれない。それに、セン自身が“クラウド”に寄生されている可能性だってまだ白黒ついたわけじゃない。

 だけど、そんなことはもう、どうでもよかった。

 どうだっていいんだ、そんなことは。


 意識のないセンの顔を覗き込めば、血と汗と脂にまみれている。わたしの顔もきっとそう。汚れて、傷んで、くたくたに疲れ切ったお互いの顔。

 そのセンの顔全体を覆うように防護マスクの面体をあてがった。彼女の装着を終えたら、次はわたしの分も同様に。吸収缶越しの呼吸はくぐもりがちで快適とは言えないけれど、機外に出ればいつどこで“クラウド”微生体の高濃度地帯に突っ込むかもわからない。

 センの長い身体を肩に担ぎ、窮屈な座席をうごめいてどうにか中腰の姿勢まで立ち上がりながら、片手の指先でコンソールをなぞってハッチを開いた。

 薄暗いコクピットの中へ、傾いた夕陽がぱっと差し込んだ。次に“クラウド”微生体の溶け込む外気がわっと吹き込んだ。一瞬眩んだ目が落ち着きを取り戻した頃、防護マスクの面体越しに見えたのは、亡霊じみた枯れ木がどこまでも続く、色彩のない不気味な風景。

 どろどろの疲労感に溺れそうになる前に。歯を食いしばって、センの両足をずりずりと引きずるようにハッチから抜け出した。

 外に出て、機体の状況を確認してみれば、“コクーン”の4つ脚は全てぼろぼろ。装甲はほとんど剥がれ、わずかに残った最低限のフレームもべこべこに凹み、ひん曲がっている。よくもまぁここまで酷使したものだ。凸凹の激しい脚部を伝って降りていくには、腰を落として、踏み場をひとつひとつ足裏で探り、用心深くしないといけなかった。

 何とか転ばずに地面まで降りて、枯れた林の方へ進んでいく。息苦しくて汗が滲みながらも林の縁まで差し掛かったところで、初めて後ろを振り返った。


 そこにある“コクーン”の姿は、だらしなくへたり込み、どう見てもスクラップのシルエット。本体側面に微かにのぞく蝶のペイントだけが、在りし日をアピールする最後の意地のように見えた。

 元々、未亡人を揶揄して“黒後家蜘蛛ブラック・ウィドゥ”と呼ばれていた機体を、“コクーン”という名に変えたという。その真意は知るよしもない。

 ただ少なくとも、「繭」という言葉の本来の意味から言って――、を望もうとしなければ、思い浮かぶはずのない名前だと思うのだ。


 未来、か。

 きちんと考えたこともなかったな。

 そもそもそんな資格が自分にあるとも思っていなかった。文明社会は滅びかけ、これといってやりたいこともなければ、自分にできることもないのだから。

 先の戦闘ではっきりした通り、どうあがいてもわたし自身は無力なまま。狂気的な機動を披露した機体の内部で、お節介な天才軍師に頷くだけの気弱な王様のようだった。


 だけど今は、これまでとは状況が少し違う。わたし自身が無力かどうかは、あんまり重要なことじゃない。

 なぜなら、現にこうして『わたしは生きてる』。そして、『センも生きてる』。今はそれが答えで、それが全てだと思うのだ。

 わたしは“わたしが護りたいと思ったもの”を護ることができた。そして、誰もわたしたちを殺せやしなかった。わたしがどれだけ無力であろうとも、この結果は今さらどうとも揺るがない。

 だから、少しだけ胸を張ろうと思う。そしてこの誇らしい結果は、動けなくなるまで闘い抜き、抜け殻のように置き去りにされようとするあの機影なくしては、絶対に掴み得ないことだった。


 ありがとう、“コクーン”。

 そして、ホワイトリリー中尉。

 わたしたちを護ってくれて。背中を押してくれて。共に闘ってくれて。

 最敬礼――もちろん、センの分まで。


 それを終えると、わたしは再び林を向いて、歩みを進めた。





 デイヴィス担当官が回収に向かわせると言っていた、あの地点まではひとまず歩こう。所定の時間には間に合うかもしれない。けれど正直、回収される望みは薄いだろう。アーヴィクス基地が壊滅した以上、この辺りは既に“クラウド”の出没圏になっているはず。ミイラ取りがミイラになるぐらいなら、 G.G.ストライク社会社はわたしたちのことなんか冷静に見捨てるだろうから。


 仮に生きて帰れたら、と妄想を走らせる中で、ひとつだけ気掛かりなことに行き当たった。

――センは、わたしのことを恨むだろうか。

 肩に寄る彼女の重みが、積まれた本が崩れるようにずしりと音を立てた気がした。

 命を懸けてでも護りたいものが、わたしとセンにそれぞれあったとして。わたしは護ることができたけれど、センは違った。それほど大切なものが失われてしまった後で、「さぁ生きろ」と背中を蹴られ、「君にはまだ前途があるのだから」と耳元で囁かれることの残酷な無責任さを、わたしは想像できるつもりだった。

 どうして助けたのか。何となくの回答しかできないわたしなら、センは納得しないだろう。


――だけど。

 頭を振って、居着きかける不安を払う。

――きっと、これでよかったんだよ、セン。

 勝利や尊厳を死化粧のように求めることはきっと間違ってる。あなたがここで自殺のように死ぬことで、護られる尊厳なんか、どこにもないよ。

 なぜかって? その答えはとても簡単で、とても残酷なこと。


 わたしたちは、生きなきゃいけないんだよ。


 例えここから先、崩壊する文明の瓦礫に埋もれようとも。

 冷え切った手脚が痛み、心が叫ぼうとも。

 人間というばかばかしい生き物に何度失望しようとも。

 それでも、それでも、それでも――わたしたちは、生きなきゃいけないんだよ。


 見上げれば、無数の枯れた枝の向こうに千の星が瞬く夜空がせり上がり、溢れていく河のように、わたしたちの行くてを舐め尽くしていく。

 あんな世界の果てまでたったひとり、抱えた過去を糧にして、塵のような星の灯りを希望だと信じ込みながら、歯を食いしばって生きていく――そんなやり方もあるだろう。わたしの場合、それは16歳の時に噛み締めた無力感だったし、センの場合は恐らくホワイトリリー中尉の喪失という経験だった。悲しいけれど、わたしたちは“クラウド”とは違う――それぞれの身体も、脳みそも、引きずる過去の全ても、そこに根を下ろしたひとつひとつの感情も共有することは叶わない。

 だけど、あなたとならどんな任務もこなせる――そう感じたあの安心感を支えに、この闇夜のような世界をわずかな距離でも飛べるなら、それはどんなに前向きで心強いことだろうと思うのだ。

 お互いの過去を共有することはできなくとも、お互いの未来を共有することならできるはず。そうするために、もしもわたしの片羽根だけでも役に立つのなら、センに使って欲しかった。

 だって、そうじゃなきゃ――。

 呑み込まれそうな夜の中へ、わたしは数滴の涙を捧げて呟いた。

 こんな世界で生きるということは、あまりにも冷たくて、痛くて、孤独なことじゃないか。



――“遺言”として、あなたは言った。

 煙草なんかじゃなくて、もっと正しいことに憧れてほしい、と。

 それならもう、とっくに見つけているよ。

 わたしが煙草なんかよりも憧れているのは、あなたのことなんだから。


 正しくないなんて、絶対に言わせない。



◇◇◇



 搬送先の医療施設の病床で、わたしとセンは静穏に囲まれていた。

 同じ病室の隣同士のベッド、リノリウムの匂い、真っさらな病衣に身を包んで、透き通るほど漂白された空間。何もかもあのコクピットとは違う。広くて快適で清浄な空間。


 ぐっすりの睡眠から起床したわたしに2時間遅れてセンが目覚めた。信じられない、ここはどこ、と言いたげな顔をするので、順を追って説明するのはわたしの役目だった。

 センが気絶した後の戦闘の経過から話し始めて、“コクーン”を放棄してしまったことの謝罪、内部告発した時の率直な胸の内まで打ち明けた。それから、“コクーン”とホワイトリリー中尉とセンの関係性についての推測も。

 うまく伝わったかはわからない。

 何も言わず、ひとしきり聞き届けたセンは、わたしのベッドとは反対側の窓の外に目を向けた。

「……すみません」

 かすれた小声で、「今は何も考えられないです」と言った。当然の反応だと思った。


 会話はしばらく途絶えた。

 ただセンの回答を待つだけの時間は、戦術機動機甲T.M.Aに乗る時とは違った緊張感を覚えるものだった。今のわたしにまとう装甲はなく、スラスターも火器もない。センの回答がどんなものでも、自分の心ひとつで受け止めなければいけない。


 お互い無言のまま夜になり、眠り、朝になって目を覚ますと、隣のベッドにセンの姿はなかった。少しびっくりして看護師に行方を訊くと、散歩に出かけたそうだ。

 それでわたしも病室を抜け出した。病棟内をぶらぶら散策する内に人通りのない通路を見つけて、強い陽射しが差し込む大きな窓辺に佇むことにした。


 窓の外を見下ろすと、水と緑に溢れた中庭が見えていた。病棟に四方を囲まれたスペースの中で、この3階の高さまで元気いっぱいに枝を伸ばした5、6本の広葉樹が傘みたいに木陰を作っている。その根元には美しい生垣と芝生、そして赤い小魚の泳ぐため池が広がっていて、患者やその家族、休憩中の医療スタッフがそれぞれの時間を潰していた。

 青々とした自然はわたしたちに安らぎを与えてくれる。その効用自体は今でも大事にされている。それでも、濃緑の森林が居住区域の外側に広がっていた場合、“クラウド”の滞留リスクの温床と見なされて、枯らされ焼かれる対象になってしまう。人間の都合で求められたり枯らされたり、植物たちもいい迷惑だろう。

 でも、中庭の草木たちは、この場所でただ一心不乱に生きているように見えた。しばしば人間たちがそうするように、傲慢な管理者に一撃を喰らわせようともしないし、この世界に絶望したりふて腐れたりして自ら枯れてしまうこともない。あの草木たちにとっては生きることそのものが闘いなのだ。闘うために生きようと考えがちなわたしたちとは違う。

 強くて、きれいだ。無性にそう感じてしまった。



 センを担いで回収ポイントに向かったあの後、ふたつの“誤算”が起こった。

 ひとつめの誤算は、ああ見えて作戦室のデイヴィス担当官はきちんと義理堅い人物だったということ。

 息を切らせて所定の回収ポイントに到着したわたしたちを出迎えたのは、うずくまるように着陸していたG.G.ストライク社所有の大型輸送機だった。ちゃんと約束通りに手配されていたのだ。外装にペイントされた稲妻型の社章があんなに輝いて見えたのはいつぶりだったろう。

 搭乗した機内。やっとマスクを外せた解放感に喜びつつ、交信のつながった本社のデイヴィス担当官に礼を述べると、『……お礼だなんて珍しい。こちらはいつも通りに仕事をしたまでですよ……』と食えない調子で彼は答えた。

『……まったく、オペレーターという手合いはどいつもこいつも自己完結が過ぎる。――いいですか、操縦するのはそちらでも、闘っているのはお互い様です。いい歳して家出娘みたいな真似は2度とするんじゃありませんよ……』

 抑揚のない呆れた口調とは裏腹に、どこかほっとする温かみのある言葉だった。ほんの少しだけでも心配されていたのだろうか。


 ふたつめの誤算は、わたしの告発がどうやら有耶無耶にされそうだということ。

 デイヴィス担当官から小耳に挟んだところによれば、ダン・イツキによるデータ改ざんの形跡が見られた機体は、“コクーン”の他にも実は複数あったらしい。ただ、偶然にもその多くが今回の闘いで破壊、あるいは“クラウド”の勢力圏に放棄されてしまい、実機調査が困難になったという。

 それを受けた G.G.ストライク社会社はと言えば、「だったら仕方ないね」とまるでやる気がない様子とのこと。誰もこんな猫の手も借りたい時に探偵ごっこなんかしたくないのだろう。それとも、これ以上ダン爺ひとりを悪者にできない、やましい事情があるのかもしれない。

 複雑な心境だけど、いずれにしても、センが今すぐ独房にぶち込まれることはなくなった。逆に、わたしの方こそ身の振り方を心配しないといけなくなるかもしれない。

 


 何分経っただろう、足の疲れを感じてきた頃だった。

「中庭、きれいですよね」

 馴染んだ声で話し掛けられた。

 そちらを見れば、通路のすぐ先にセンが立っている。病衣をまとったその長身はほんの少し猫背気味で、肩もすとんと落ちていて見えた。

「身体は大丈夫なの?」

「何のこれしき」

 センは微笑んで肩をすくめた。わたしの目の前までゆっくり歩いてきて、窓辺に肘をかける。そのまま、味わうように眺めている。


 お互いに、本当の想いを話し合わないといけないことはわかっていた。幸いそれをするにはいい日和だ。

 意を決して、わたしの方から訊ねた。

「――わたしのこと、恨んでる?」

 こちらを一瞥したセンの顔に困惑が浮かんでいた。「……ごめん、訊き方を変える。“コクーン”と一緒に死ぬつもりだったの?」

 そう訊き直して、センはやっと問い掛けの意味を理解した様子だった。その口元の微笑は保たれたまま、再び中庭を見遣った。

「自分でもよくわかりません。……いえ、途中からよくわからなくなりました」

 その横顔が透き通った陽射しに当てられて、センの迷いがいっそうくっきりと見える。「ご推察の通り、あたしが“コクーン”を護りたかった理由は、ホワイトリリー中尉でした。久しぶりに神経系接続機構を使ってみて、やっぱり今でも中尉がすぐ近くにいるように感じられた。あの感覚を失いたくはなかったんです。いくら禁止された兵装だとしても。そして、錯覚だとしても」

「大切な人だったんだね」

「……そうですね」

 センは惜しむように目を閉じた。「こう言うと語弊があるかな。でも、一言で言って、好きだったんですよ。中尉のこと」

「そう……」

 どうしてだろう。そう聞くと、胸がきゅっとした。『語弊』の意味を考えてしまう自分を悟られないように目線を逸らした。

「だから、今は途方に暮れてます。“コクーン”が壊れちゃったなら、あたしこれからどうしようかな、って」

 重苦しい空気にしないためにセンは気遣っているようだった。けれどその形ばかりの空虚な微笑みは、泣いているのとほとんど違わない。「……ごめんなさい、女々しくて。相棒失格ですよね」

「そんなことないよ……」

 わたしが精一杯返した呟きにも、センは首を小さく横に振る。

「――この際だから白状しますとね、“コクーン”を失う時が来ればあたしも一緒に、ってずっと思っていたんです。カルハさんが告発したことも根に持ってはいませんよ。どうせずーっと隠し通せることではないし、ばれたらその時はその時、もうこんな世界に未練もないか、って」

「そうだったの……」

 今まで全然気づかなかった。ガレージでは誰よりも感情豊かに見えていたのに。そんな、生きることそのものに、ずっと失望していただなんて。「ごめんなさい。わたし、いろいろと無神経だったのかもしれない」

「カルハさんが謝ることじゃないですよ。そもそも全部あたしが悪いんですから」

 その目がかげり、声が弱くなる。「……“コクーン”のことも、中途半端に打ち明けてしまったせいで、カルハさんが思い詰めることになったんですね。全てを打ち明けるのは怖かった。かと言って、黙って墓場まで持っていく辛さと孤独にも耐え切れなかった。どうもあたしは、そんなに強くはなれなかったみたいです」

 まったく、とんだ迷惑だ――とセンを責める資格がわたしにあるとしても、そんな気にはなれなかった。逸らしたままの目線がまだ合わせられない。

 今までわたしは彼女のどこを見ていたのだろう。短い期間とは言え、一番そばにいたはずなのに。


「……でも、さっき言ったよね? “コクーン”と死にたかったのか、“よくわからなくなった”って」

 そう訊くと、センはやわいだ視線でわたしを見つめた。ずっと外れていた互いの目線、そこで再び交じわって、一致する。

「……“未練、そういやひとつだけあるな”って、あの土壇場で気づいたんです」

 未練。

「――それは、カルハさんのこと」

 そう呟くと、センはすっと息を吸い込んだ。想いを少し、堪えようとするように。「盛大に玉砕してやろうって決意していましたよ、闘う寸前までは。でも、ちょうどジンクスの話をした時かな。カルハさんは昔のあたしにとても似てるって気づいたんです。そこから自問自答が止まらなかった。“あたし何してるんだろう、この子を護らないとだめでしょ”――って」

 そこで、乾いた苦笑を挟んで。

「でも、あの時は、あそこで引き返す踏ん切りがつきませんでした。カルハさんを逃がすこともせず、ずるずるとわがままを押し通してしまった。……ホワイトリリー中尉も、最期はあんな心境だったんですかね。勝手に取り残されたあたしは、たまったものじゃなかったのに」

「わたしは、その……センを置いて逃げるつもりはなかったよ」

「本当に申し訳ありませんでした」

 もう微笑を取り繕うのは諦めて、センの面持ちはカーテンを引いたみたいに沈痛なものに変わる。「どうかしていました。全部あたしの甘えと弱さが招いたことです。カルハさんを巻き込んで、道連れにしようとしたんです。どんな罰も、謗りも、受け止めます」

 まさか謝られることになるとは思っていなかった。どう答えていいかわからないし、受け取り方もわからない。罰すると言ったって、そんなむなしいことをして何になるのかもわからない。


「……似てるかな、わたしが」

 敢えて答えずに、窓の外の中庭の方へ目先を戻したわたしを見て、センも窓の外に目を向けた。

 窓ガラスにかすかに反射するわたしとセンの顔。似ているところを少しでも探そうとした。でも、目鼻口の数が同じことぐらいしか共通点はないと思う。「――光栄だけど、全然違うよ」

「ホワイトリリー中尉とあたしの関係は、ちょうどあたしとカルハさんのようだったんです」

「センとわたしじゃ役者が違う」

「それを言うなら中尉とあたしだって」

 ひと息だけ、センはふふっと笑った。「――違う点があるとすれば、こういう闘いで中尉は亡くなったけれど、あたしは生きてるってこと。あたしは助けられなかったけど、カルハさんは成し遂げたってこと。そういう意味では、全然違いますね」

「……やめてよ」

 ため息。素直には受け取れない。買い被りにも程がある。「わたしの力だけじゃ生還することはできなかった。きっとホワイトリリー中尉がセンを助けてくれたんだよ」

 そう言うと、センの目が少し細まり、疑うように眉をひそめた。

「どうしてそう思われるのですか?」

 わたしはあの瞬間を説明する。神経系接続機構の起動に手間取り、敵が目前まで迫る中、センだけでも助けて、と願った途端に動き始めた“コクーン”の挙動。


 じっくりと聞き終えたセンは、「……それは違いますよ。中尉じゃない」と力を込めて言った。いつもコクピットで助言してくれる時のように迷いがなかった。

「“コクーン”の支援システムが役に立ってくれたとしても、機体そのものが勝手に動くなんてことはありえません。操縦者の意思がない限り」

「でも……あの時の“コクーン”は、」

「――認めてください」

 目をぱちくりさせるわたしを刺すように見つめて、センは断言した。「あたしを助けてくれたんです。

 それは励ましとも感謝とも言えない、少し異なる響きを感じる一言だった。

 すると、センの瞳がみるみる潤み出す。滲んで、溢れてこようとするものをかき消すように、まぶたを閉じて、震えそうな声で、呟いた。

「中尉は――もう、どこにもいないんですから」


 ああ、そうか。彼女の真意にようやく気づく。

 責任の所在――それを明確にするための投げかけなんだ。

 センを助けた責任、言い換えればセンがくたばるのを拒んだ責任。それは今、いったいどこにあるのか。誰の胸にあるのか。中尉の遺物がその支えになったとしても、彼女を助けたいと望み、行動したのは誰なのか。

 そういうことならば。背筋を伸ばして、わたしは答える。

「――そうだね」と。

 そう認めることがわたしの責任だった。


 そして、ふと気づく。

 

 とすると、わたしが死を覚悟したあの瞬間の機体の挙動は、つまり――。



 それを口にする前に、センはくるりと背を向けて、一歩ずつわたしの前から離れていった。

 わたしたちの会話はここで終わろうとしている。このまま別れてしまえば、一時の交錯を終えて、お互いの歩むべき人生の軌道へと戻ってしまう。これまでずっとそうだったのと全く同じように。


 火花が散るように、わたしの魂が叫んだ。

――待って! わたしの話はまだ終わっていない!


 だってセンは、最後まで「助けてくれてありがとう」とは口にしなかった。わたしが助けたということを、そして自分が助かってしまったという現実を、彼女はきっとそういうこととして受け止めている。

 だったら、わたしが伝えなくちゃいけなかった。

 センが助かったことは、決して無意味じゃないってことを。本当は、ただそれだけで認められて、尊厳が護られて、祝福されるべきなんだということを。それを心から望んでいる人間が、少なくともひとり、ここにいるということを。


 病衣に包まれたその背中が一歩ずつ遠のいていくから、わたしは足を踏み出していた。この身体にスラスターはついていない。でも、羽ばたくように軽やかに。

 胸に詰まる澱みを抱えたまま、閉ざされた病室へとひとり帰っていこうとする彼女にほんの数歩で追いつき、その片手を強く握った。

 振り返ったセンの目の端は煌めいていた。

 どうか泣かないで――って、わたしが言える顔じゃないか。

 わたしは口にする。

「あなたが生きていて、よかった」

 飛びつくように抱き締めた。

「あなたが助けてくれて、よかった」

 打ち身が痛んでも構わない。センが戸惑っていても構わない。

「あなたは、ひとりじゃない」

 涙の混ざった不器用な声で、強く、強く、抱き締めた。


 窓からは目が眩むほどの陽射しが溢れて、深緑の枝葉が寄り添うように揺れている。抱き締めたその身体から、柔らかな温もりを受け取る。まるでこの世のどこにもないような、甘い夢のようにできすぎた舞台。

 わたしにはわかってる。

 きっと世界はこのまま何も変わらない。人類はお互いの不信をごまかしながらぎこちなく団結を取り繕い、それを嘲笑うように“クラウド”は拡大し続ける。その激動の中のどこかで必ず、わたしもセンもくたばる時が来る。今回の奇跡的な闘いと生還劇でさえ、そこまでの時間がほんのわずかに狂ったぐらいの、気まぐれな神様の悪戯に過ぎないんだ。


 でも今だけは、このひと掴みの陽だまりに騙されていたかった。この幸福に似せた脆弱な幻影に、繭のようにくるまれていたかった。

 そして、ここから羽ばたこうよ。茫漠とした絶望の世界を、羽虫のように小さな羽根で、動けなくなるその瞬間まで。

 無力なわたしはきっとこれからもセンにすがるだろうけど、一緒に羽ばたけるから。センが堕ちようとしても、決して見捨てたりはしないから。


 わたしたちは“クラウド”のようにはつながれない、どこまでいっても孤独でか弱い、情けない生き物だ。

 だから、こんなにも単純なひと言でさえ、こんなにも拙いやり方でしか伝えられない。


――だけど、伝わるでしょう?


「わたしは――センと、生きていきたいんだよ」


 センの腕が、しばらく宙を彷徨った後で、わたしの背中にそっと回される。そして、わたしと同じように、堪えきれない嗚咽が聞こえてきた時。


 わたしたちはようやく、つながれたんだ。

 ほんのかすかに。

 だけど、確かに。





―了―

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フラジャイル・コクーン 文長こすと @rokakkaku

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