第9章 indicure <裁き>

力を手放し人間となった彼女達は抵抗するすべなど無かった。

キリシタン達が今行っているのは、恐ろしい悪魔と反逆者を十字架に縛り付けることではなかった。そして悪を裁いていると言われるようなものでも無かった。それはただの「暴虐」。

二人が架けられると、曇天から強い光が差した。その光は何よりも強く温かい。この世の花園と呼ばれる天界の扉が開かれたのだ。

対に建てられた二人の間に熱い光が宿る。

「熾天使様直々とはこれまた光栄だね。」

憎まれ口を叩く彼女を鼻で笑いセラフィムは近づいた。

血は炎には勝てない。悪魔も天使も神には勝てぬのだ。

「民よ。これが真の姿ぞ。」

熾天使のみが神により与えられし六枚の翼は力強く羽ばたいている。そして彼のみが纏う炎を彼女に愛撫するかのように擦り付ける。

黄金色の炎が一瞬にして彼女を包み込む。炎が走ると同時に彼女は醜い悪魔へと姿を変えた。

血は解約されたのだ。

灼熱の炎に包まれた彼女の呻吟だけが時を動かした。アモーの叫び声は誰の耳にも届かない。

「やめて」

泣き叫ぶアモーに背を向けセラフィムは絶対に振り返ろうとはしなかった。

炎は彼女の全身を包み込んだ。十字架に彼女を縛り付けていた縄が焼け千切れ、悪魔セイレーンと姿を変えた彼女が地面へ落ちた。


*****


空気に触れた背中の傷が痛んだ。もしこの背中に翼があったらどれほど良いものか。ヤツは私なんかよりも悪魔だ。でも、それでも、ヤツが天使で私が悪魔だ。アモーが何かを泣き叫んでいた。私にはもう言葉の意味が分からない。意味がわからなくったって別にいい。どうせセラフィムは下界ではアモーを焼かないだろう、私の姿だけを人間共に晒し民の恐怖心を煽る。卑怯な奴だ。いや、神が因業なのだ。よりどころ厭世えんせいにつけいる闇だ。

守ってやりたくても、地上じゃ息すらできない。背中が痛くて立ち上がらない。

弱い。弱い。弱い。

何もしてやれない。

アモーを見ると心が揺れる。悪魔ってのは冷然程が美徳だ。それなのに彼女に触れると調子が狂う。

心も体も私が思ってるより私は弱かった。

鱗が這う焼けただれた足で地面を踏みつけた。かつて能天使を引き裂いた爪をセラフィムに向ける。群がる民の恐怖心が伝わってくる。

知っている。私は醜い。

『負けない』

「何か思い違いをしているようだな。これは誅戮ちゅうりくだ。勝ちも負けも無い。殺される、ただそれだけだ。」

『神は随分と功利的なんだね。』

悪魔の私の声が届くのは熾天使だけ。最悪だ。

「さぁ、この世の花園に再び行ける事を喜べ」

息が…苦しい。

『花園だって?この世の淵叢えんそうは空の上なんかじゃ無い、ここだ。あそこは花で飾られた、ただの泥黎ないりだよ。』

そう、アモーは闇に咲く蓮だ。ひじりに咲く徒花あだばなだ。

意識が遠のいて行く。まだアモーは叫んでいた。やめてくれ。私の為に泣かないでくれ。

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