第10章 Pequiescat In Pace
悪魔と天使が血の契約を結んだ処刑法は「水時計」と決まっていた。
相変わらず熾神殿は美しくかった。
まさに楽園。神がこの世に描いた絵画の世界だった。この世で最も美しい場。
純白の石で造られた円形会議場。その中央には水時計が置かれていた。美しいカーブを描く透き通ったガラス。その周りに建てられた細工の施された純金の支柱。天界にあるものは全て至極に美しい。……。美しいとされている。
下に溜まる水の中には醜い悪魔が鎖で繋がれていた。悪魔の力では決して壊せぬ水時計。
上には美しい天使が釣られていた。
足と手につけられた鎖を引っ張りもがく二人。その音だけが響く。
7人の天使達が席に着く。それぞれの階級の色のヒマティオンを羽織り汚物を見るかのような目で水時計を見る。アモーは力天使と権天使の間の空席を見つめた。アモーの目から零れ落ちた涙がガラスを伝い悪魔の元へと落ちた。
ぴちゃん。
そんな微かな音は鎖の絡む音に飲み込まれた。
「この者達は神の定めた階級を独断により破り、血の契約を結び階級を平均し人間になった。よって神への背信行為と見做し処刑を行う。」
美しい貝紫のヒマティオンを纏う熾天使が言い終えると同時に指を鳴らした。
水時計は地から離れ、空中で半回転をした。悪魔は宙吊りになり、天使は底へ打ち付けられた。そして追い討ちをかけるように水が降り注ぐ。
二人は泣いていた。お互いを見つめ、手を伸ばし、泣いていた。でもその涙は水に溶け誰にも届かない。お互いにさえも。
濡れ、重くなった翼に力を込め羽ばたいた。手首に食い込んだ枷が残酷に肌を切る。それでもお構いなしにオリフィスの向こうに手を伸ばす。あと少しの距離を鎖が許さなかった。
あと少し。
それは恐ろしく残酷な距離だった。
あと少し。
それは交わる筈のない天使と悪魔の距離。
*****
底に沈んで行く天使は美しかった。それはまさに神の創造物だった。
栗色の髪が水に広がる。陶器のような白い肌はより光り輝いている。水時計のガラスはダイヤのようで、天井のスタンドグラスを通って七色に輝く光の粒が降り注ぐ。
時が止まったような音ひとつない静かな空間が天界に広がった。
その沈黙を破るように熾天使が指をパチンと鳴らす。
水時計が黄金の光の粒となって散った。それは幻想的で目を奪われる光景だった。まさにこの世の淵叢。神のみが創ることを許された空間。
ドサっと鈍い音と共に悪魔と天使が落ちた。
物を言わぬアモーの涙から悲しみが空間に広がる。
悪魔が体をずらし天使に覆いかぶさるように倒れた。天使の頭を胸に抱き、セラフィムに向かって叫んだ。
『二度も愛する女を殺した気持ちはどうだ。』
熾天使の貫くような冷たい視線が悪魔を貫く。
彼は静かにこう言った。
「これにて罪人の処刑を終了とする」
7人の天使が静かに席を立つ。セラフィムは真っ先に席を立ち会議場を立ち去ろうとした。それに他の天使達も続く。
『貴様!!!』
悪魔は最期の力を振り絞り叫ぶ。
セラフィムが振り返らずに足を止めた。他の天使は一礼をして先に会議場を出て行く。
セラフィムはゆっくりと振り返り、重なり倒れている二人を見つめた。
その時悪魔の胸の中で天使は甘い泡となり弾けていった。
神によって創られた創造物は泡となって消える。かつて能天使も海に泡となって散ったように。
悪魔は絶叫した。それは恐ろしい声だった。
「私は罪を裁いただけだ。神のご意志により。」
その声色に悪魔は目を見開く。
セラフィムは静かに去っていった。悪魔の目に6枚の大きな翼が映る。
何者にも染まらぬ白い羽は…。
何者かに染まりたいようなそんな純白だった。
例えその翼が白でなくとも彼の翼の色を白と定義する。
悪魔はそっと目を閉じた。指先に残る天使の温かさを噛み締めて。
この世で最も美しい金色の光と共に泡が散り、会議場から人の暖かさが消えた。
醜い悪魔が一度だけ美しくなれる瞬間。神の創造物である証。
それはまるで
神は絶対だ。
会議場を出た熾天使は空に伸びる神通柱を見上げ静かに呟いた。その声は誰にも届かない。誰も彼の涙に気付く由もなかった。
『Pequiescat in pace』(安らかに眠れ)
=FINIS=
傲れる花園 古川暁 @Akatuku
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