第4章 Scelus <罪>
気が付けばそこは孤り漆黒の海だった。常日頃、魔界に降り
*****
見上げると微かな光が暗雲から漏れている。魔界と天界を繋ぐ扉が開いた。純白の神々しく美しい大きな翼が空に広げられた。
光に
『Excia!』
私がいくら叫ぼうと声は届かなかった。彼は私に気が付かない。
痛みは罪の証。私が何をしたというのだろうか。背中を燃える様な痛みが走る。それでも気が付いて欲しい。海面に体を上げ叫ぶ。
『Excia 』
「アモー」
彼がより海面近くを飛ぶ。彼を魔界に引き摺り込む絶好の機と、
どうにか他の
だから。
光は降臨した。私の体に。他の悪魔と同じ様に。焼け焦げる様な痛みよりもずっと先に絶望という痛みが全身を疾った。それでも、それでも私は彼に、私の愛する人にてを伸ばした。数多の命を奪ってきた大きな爪の付いた手を。愛する人を前にして伸ばせずにはいられなかった。
アモー何処にいるんだ、そう引切り無しに叫ばれていた音が鼓動と共に消えた。
舞い散る紅。
それはかつて彼が悪戯で私に投げた美しい薔薇の花びらが舞う光景と似ていた。漆黒の海は血潮で染まる。指先から滴る鉄の香り。それから恐ろしい悲鳴が聞こえた。醜く汚い
叫んでいるのは自分だった、そう気付かされるまでの刹那、私は私では無くなっていた。それはまさに
希望は絶望を与えた。
彼の愛した嬌声とは程遠い、唇から溢れる届かぬ叫び。こんなにも胸が張り裂けそうなのに涙が出なかった。
私は悪魔だった。悲鳴に溺れ意識が遠のいて行く。
私は目を覚ますと彼のキュビキュルムの上に居た。悪夢だ、そう思って待ち続けてもエクスシア様が帰ってくることは無かった。夜とも朝とも呼べぬ曖昧な空の中私の中に戻ってきたものは「絶望」ただ一つだった。こんな場所でどう生きろというのだろう。貴方のいないこの城で。私は悪魔に堕とされたのではなく天使に墜とされたのだ。絶望と苦しみが交差する。こんな想いが心に巣食いながらどう生きろというの。そっと純白の柱に手をかけた。恐ろしい程、不愉快に冷たかった。絶望が背中に爪を立てていく。
手を伸ばさなければ…。
拳を静かに握りしめる。この手の爪が彼を引き裂いたわけではない。彼を殺したのは私ではない。そう思おうとしても、脳裏にこびりついた感覚があるはずの無い爪の先に走る。
何を信じればいい。
何を想って生きていけばいい。
この冷たい城の中で、静寂の中で。明けない夜をいつまで待っていれば…。もう愛おしそうに私の髪に触れる手の感覚も、なにがそんなに嬉しいのかと聞きたくなる程幸せそうに私を見つめる緑の瞳も、息が出来なくなる程に甘く押しつけられる熱い唇の感覚も、もう二度と感じる事はない。
*****
かつて葡萄の宮と称された能ノ宮はすっかり荒れ果てていた。金銀に輝く葡萄の木は全て枯れ果てた。葡萄の姫君と共に。天使として彼女が与えられていた精が葡萄だった。だからこそここまで美しく月を問はず実っていたものを、彼女は追想に溺れ、奥の間から一度も姿すら現さなかった。
*****
ただひたすらに過ぎて行く時は痛みを加速させていった。時に飲み込まれて行く。彼の鏡台に腰をかけた。物憂げな自分を眺める。もう一度だけでも逢いたい、ただそれだけだった。いつか帰ってくるのではという期待で罪悪感を包み、彼の愛の囁きに酔い今でも帰ってくると信じた私だけを置き去りに時は過ぎる。感じていた筈の幸せも未来も砂の様に指の隙間から零れ落ちていく。貴方はもう居ない、彼の気配を探す度それだけを感じた。鏡から目を逸らす。現実なんてもういい。徐に引き出しに手をかけた。小さな花型の容器があった。何故か興味を惹かれ閉じていた花びらを開けた。留め具を外すと弾ける様に広がった花の中心には指輪が刺さっていた。そっと薬指にはめた。乾いていた瞳から感情が溢れ出てきた。現実に引いた境界線が消えていく。そらした視線を鏡に戻す。そこにはただ美しさも何も無い私が映っていた。彼が愛してくれた私など居なかった。久しぶりに外に出る。
空の青さを忘れていた。光が目の奥に染みて胸が痛んだ。誰か助けてほしい。逃げることも泣くことすら出来ない程残酷に、どこまでも続くこんな想いで、こんな為に、生きているんじゃない。
何かを求めて扉を押した。
闇が漏れる…。
今に染まるために。
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