「空に走る」~ある日うちのネコが源氏物語の主人公になったんだけど
杉浦ヒナタ
第1話 ノブナガ、雨ごいをする
「むふ。むふふ♡」
あたしは真剣な表情で、その学術図書を読み
「おい蘭丸。顔がにやけて、変な声が出ておるぞ」
隣で寝ていたうちの飼いネコ、ノブナガが大きなあくびをしながら言った。
「はだかの男どうしが絡み合うその漫画の、どこが学術的なのじゃ」
このノブナガは、いつからか中の人が異世界の織田信長と繋がっていて、あたしの事を森蘭丸だと思っている。そして、うちの近くの
「だがこの時期、ネコも互いに距離をとらなくてはいかんからのう。当分、戦さどころではないのじゃ」
そこで、ノブナガはふっ、と寂しげに笑った。
「このわしも過去の総集編にすがって生きるようでは、落ちぶれたものよ」
まてノブナガ。それは某国営放送の麒麟がやって来る話だ。そこは総集編じゃなく、過去の栄光、とかにしておいて。お願いだから。
それに、この本は違うのだ。BLはBLでも、そんじょそこらのBLとはBLが違うのだ。
「何度BLと言えば気がすむのだ、愚か者め」
「これはねノブナガ。かの有名な、
「まさに、いかがわしい題名じゃのう」
光源氏と
「あれ。どうしたの、ノブナガ」
ノブナガが目を閉じ、天井を仰いでいる。頬に、涙が伝ってるし。
「お、おい。ノブナガ?」
「実はな、蘭丸」
だから、あたしは森蘭丸ではない。
「わしは以前、源氏物語のなかにもおったのだ」
言ってる意味が分からないぞ。
☆
「わしの双子の弟は当時、光源氏と呼ばれるイケメンであった」
突然ノブナガの口からイケメンなんて単語が出てくると、ちょっと違和感を覚えるのが本当のところだが。
「わし、
ほう、双子の兄弟での三角関係か。むかしの野球ラブコメみたいだが。
「それで南ちゃん、いやその女性って?」
「左大臣家の娘、葵の上というのだ。これがまた心根の
いつものようにノブナガは背を丸め、股間を舐めている。
「だが、最後はココの違いであろう。ついにわしのものになったのだ」
え、と。それってまさか。
「いやーーーっ、この強姦魔!」
ココって、いま舐めてる、そこでしょ。
「よく聞かぬか。ココではない。心、つまり誠実さじゃと言ったのだ」
「そ、そうか。それは申し訳ない」
だが、ノブナガと誠実さって、まったく相いれない要素みたいな気がするが。
「なんじゃ。失礼なことを考えておる顔だのう」
意外と鋭いな、ノブナガ。
「わしと葵の上は結ばれて、連日、愛欲に溺れる日々を過ごしておったのだが」
うむ。そういった露骨な話を、経験のないあたしにされても困るけれど。
「ある日、それは突然終わりを告げたのだ」
「なんで」
ふうっ、とノブナガはため息をついた。
「わしの弟の光源氏というやつは、イケメンの例にもれず、女たらしでのう」
「あくまでも個人の感想だよねっ!」
「あちこちに女をつくっては怨みを買っておったのだ」
ああ、それはこの『あざときゆめみし』にも描いてあるな。ただし、ここでは相手は女じゃなく、男だけれど。
「しかも幼児誘拐はするわ、騙して廃墟に連れ込んだ女が不審死を遂げた事まであるのだからな」
極悪人だな、光源氏。
「そして、ある月の無い夜。わしは刺されたのだ」
「なんでノブナガが」
「わしらは双子だと言ったであろう。後ろから見たら良く似ておったのだ」
「それはそうか」
「だが、ちゃんと前から見ておれば光源氏ではないと分かったはずなのに」
そうかな。あたしは
「なに。わしはちと脂性での。弟が光源氏と呼ばれたように、わしはテカる源氏と呼ばれたものだ」
くわっくわっ、と笑っているが。どうなんだろう、それ。
「わしは、残してきた葵の上が気がかりでならぬ。きっとこの千年間、わしの事を思って淋しく過ごしてきたのだろう。不可抗力とはいえ、可哀そうなことをした」
うーむ、あたしは考え込んだ。これを言っていいのだろうか。源氏物語では、葵の上は結局、光源氏と……。
「そこで、わしはこの思いを込めた手紙を書こうと思う」
手紙? まあ、書きたければ。でもノブナガ、あんたネコだけど。
「そこでじゃ、蘭丸。お主をわしの
祐筆って秘書みたいな人だよね。そうか、あたしが代書するってことか。
「じゃ、ちょっとパソコンで
「愚か者め。手紙は筆で書くものだ」
えー、面倒くさい。あからさまに顔をしかめたら、連続ネコパンチをくらった。
「わかったよ、もう。……ねえお母さん、筆ペンどこ」
「よし、では言うぞ。『拝啓、葵の上さま。暑さのおりいかがお過ごしでしょうか。落ち込んだりもするけれど、わたしは元気で…』おい、ちゃんと書け」
せかさないで。筆ペンって最近は年賀状でも使わないんだから。
「字が汚い、もっと丁寧に書かぬか。おい、それは漢字が違うぞ」
「えーい、うるさい」
あたしはノブナガを捕まえると、前足の裏に筆ペンのインクを塗り付けた。
「これで十分でしょ!!」
ぺた、と便箋のまんなかに足形を押す。
「まあ、よしとするか」
意外とノブナガも気に入った様子だ。
☆
「では、これを庭で燃やすのだ」
「そうか、煙にして天へ届かせるんだね」
あたしたちは庭に出て、大きめのお皿の上にその手紙を置いた。
「思いが届くといいね、ノブナガ」
「……」
ノブナガは無言だった。
「どうしたの、ノブナガ?」
切ない表情でノブナガはあたしを見上げた。
「のう蘭丸、わしらは庭に何をしに来たのだったかのう」
忘れてるじゃないか。……そうだ、こいつネコだった。
「わ、忘れてなどおらぬわ。あるじを愚弄すると、貴様の頭蓋骨に金箔を貼って、わしのエサ皿にしてくれるぞ!」
ここまでは、まあ、お約束だ。
「じゃあ、燃やすよ」
やがて手紙が燃え尽き、煙だけが立ち昇っていく。
「届いたかな、葵の上さまのところに」
「うむ。言い伝えによれば、もし想い人のところへ届いたなら、雨が降るというのだがな」
あたしは空を見上げた。
雲ひとつない、すっごい良い天気だった。
……これは降らないかもしれない。とても言えないけど。でも、それはノブナガも分かっていたらしい。
「しかたあるまい。のう、教えてくれ蘭丸。葵の上は弟の妻になったのであろう」
知ってたのか。葵の上と光源氏が結婚するってこと。そうして物語は破局へと走っていくのだ。
「うん。でもどうして分かったの」
ノブナガは丸くなって、しっぽを齧り始めた。
「言ったであろう、我らは双子だと。まあ、わしは他人のそら似ではなく、双子のそら似と言われたものだがな」
やはり、それだけ光源氏の存在は圧倒的だったんだ。
「だから、心の中では知っておったのだ。葵の上は光源氏の妻になると」
そうか、双子だから……。
あたしは少し涙ぐんだ。ノブナガ、お前。
「まあ、これが『そら似は知る(空に走る)』ということだな!」
かかか、とノブナガは爆笑する。
「ぜんぶ台無しだろ、ノブナガ!」
その時、ざばー、とバケツをひっくり返したような雨が庭に降り注いだ。
「いやいや。葵の上が元気になったようで、重畳々々」
慌てて家の中に駆け込んでいく。
ほんと、ノブナガって懲りないやつだ。
―― おわり
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