もうひと切れ
尾八原ジュージ
もうひと切れ
それは3年前の、暑い夏の日のことだった。
東京に住んでいる兄が、大きなスイカを持って帰省してきた。
「これ、黄色いやつ」
「あら、ありがと」
「お盆だから」
母は「お仏壇にあげよ」と言って、いそいそと立ち上がった。黄色いスイカと言えば、我が家では亡くなった父の大好物と決まっている。
「咲、大学どうだ?」
兄は母にスイカを渡すと、私の向かいにテーブルを挟んで座った。
「楽しいよ」
「いいなぁ、学生時代」
とりとめのない話をしていると、しばらくして母が戻ってきた。両手に持ったお盆の上には、切ったスイカをたくさん載せた大皿と、銘々の取り皿が載っている。
「お父さんにひと切れあげてきたよ」
「わー、きれい」
「嬉しくてすぐ切っちゃったけど、冷やした方がよかったわね」
「これでも旨いから、いいよ」
ひさびさのスイカはみずみずしくて甘かった。母と私のふたり暮らしだと、スイカはなかなか買うことがない。
「これ、おいしい」
「お父さんも喜ぶわね」
「お兄ちゃん、東京から持ってきたの?」
「まさか。そこの八百屋で買った」
「スーパーのよりおいしいわ」
「もうひと切れくれんか」
「はーい。あれ?」
目の前にあった大皿を母と兄、どちらかの前に押しやろうとして、私ははっとした。ふたりもポカンとしている。
私たちは互いの驚いた顔を見つめあった。
「……もうひと切れくれんかって言ったの、お兄ちゃん?」
「俺じゃないよ」
「あっ!」
母が大声をあげて、大皿の上を見た。
並んだ黄色いスイカの中で、一番大きなひと切れのてっぺんがなくなっていた。すきっ歯だった父の、特徴的な歯形がついていた。
しばしの沈黙の後、母が笑いだした。
「ひと切れじゃ足りなかったわね」
そう言って自分の取り皿にいくつかスイカを載せると、いそいそと仏間に歩いていった。
もうひと切れ 尾八原ジュージ @zi-yon
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