第26話(最終話) 希望

 最後の贖罪に、カボチャを蜜で煮たデザート、カバク・タトゥルス。上には砕いたナッツがかかる。一見すると普通の煮物のようだが、口に入れた途端の甘さに意表を衝かれた。

 トルコではカボチャは、御菜おかずであるより断然スイーツの食材として認知されている。一方、メロンは時に御菜になる。瓜科の果実は野菜と果物の境界線上にあるのか、国が変われば時にその位置を変えるようだ。



 日本人の常識を覆す甘さのカボチャでみそぎを済ませ、二人に感謝の辞を述べ席を立った。出発予定時刻まで間もない。

 荷物検査場で別れを告げると旦那さんは善良そのものの顔で見送ってくれた。アイテンさんは、仕事の内容を旦那さんには話していない。夫婦間といえども秘密はあるものだ。今朝私が人を殺したことを彼は知らないし、今後も永久に知ることはないだろう。




 空路一時間でイスタンブル空港に着いた。

 空港内に日本人の姿は疎らだ。代わりに中国人らしき集団と幾度もすれ違った。自信に満ちた表情と会話。これが国と民族の勢いと云うものか。


 かつて高度経済成長期やバブル経済期の日本人は国際社会で嫌われ揶揄される対象だったが、今やその地位を中国人に譲った感がある。これを肯定的・否定的のいずれに捉えるかは、見方次第だろう。



 好き嫌いで云えば、トルコ人は世界有数の親日派だ。これは多分に物語的な要因があって、明治時代に和歌山県沖で座礁したトルコ軍艦エルトゥールル号の海難事故の際に当地の住民が行った献身的な救助活動が、いまだにトルコ人の間で記憶されている為だ。

 その約百年後、トルコ人はイラン・イラク戦争の際にふるい恩に報いた。

 イランに取り残された二百人余りの日本人を、救援機を手配できない日本の政府・航空会社に代わって救出したのは、トルコの救援機だった。

 本来搭乗する筈だったトルコ人たちは、「今こそ恩を返すのだ」と日本人に座席を譲って、自らは戦火の陸路をりトルコへ向け避難敢行したのだと云う。




 やがて成田行きの便が飛び立った。灯りの消えた機内でエフェスを飲みながら思う。

 トルコ人の文化や考え方は、日本人とは異なる点も多い。それでも、人として通じ合える何かが、確かに在る。

 何より、真心籠めた交流には未来を拓く力がある。これは相手がトルコ人の場合に限らない。


 小さな希望を見た思いで、眠りに就いた。


 疲れも厭世も罪もこの世の喜びも、あらゆる感情が欠片かけらになって深い海の底に沈殿するような、心地よい眠り。



(了)

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世界の車窓から殺し屋日記 トルコ編 久里 琳 @KRN4

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