第7話 わがまま娘の旅路

 その後のスイープトウショウは徐々に気難しい側面を見せるようになっていく。



 特に語り草となっているのは2005年の天皇賞(秋)で、この時スイープトウショウは本馬場入場の時間になり騎手の池添謙一を背に乗せた瞬間からその場を全く動こうとしなくなってしまった。池添騎手がうながそうが係員が引っ張ろうが全く動こうとしないため、やむを得ず池添騎手を降ろして係員がスタート地点まで引っ張っていくという異例の処置が取られている(レースでは五着)。


 歳を重ねるごとにこの気難しさはエスカレートしていき、引退直前の2007年には夏に厩舎で暴れて右脚を怪我して、出走する予定であった宝塚記念を回避せざるを得なかった。

 さらに怪我が治ってからは秋の京都大賞典きょうとだいしょうてんで復帰する予定であったのが、スイープトウショウが調教を拒否するようになってしまい、まともな調教が出来ない状態でレースに出走させられないとして調教師が登録を取り消す騒ぎとなってしまった。



 こんなちぐはぐな状態ではあったものの、まともにレースに持ち込みさえすれば素晴らしい実力を発揮したのもまた事実であり、現役時代に掲示板を外すほどの大敗というのは実は三回しか経験していない。

 一般的に気性の難しい馬というのはあまり戦績が安定しないもので、実際スイープトウショウにもそういうところは見られているが、それでいてあまり大敗というものを経験していないというのは、ひとえにスイープトウショウに備わった実力の賜物たまものであったといえる。



 スイープトウショウはくだんの調教拒否騒動の後、二戦を挟んで引退した。宝塚記念以降も騒動は起こしつつもコンスタントに勝ち星を重ねていたスイープトウショウは、牧場の期待を一身に集めて繁殖はんしょく入りをしたものの、未だに自身に匹敵する、あるいは超える産駒を誕生させることが出来ていない。


 そうこうしているうちに結局トウショウ牧場は長引く不況の波にこうし切ることができず2015年に閉鎖されてしまう。現在スイープトウショウは国内最大のサラブレッド生産牧場であるノーザンファームに引き取られ、2020年の現在も現役の繁殖牝馬として活動を続けている。


 繁殖牝馬の役割とはその血を後世へとつなぐことであり、それは活躍馬を送り出すこととは必ずしもイコールではない。活躍できずとも自身の血をつないでくれる娘たちがいれば、いつかその娘たちの子どもたち、あるいはそのまた子どもたちが大仕事をやってくれる可能性も出てくるものである。


 既に繁殖牝馬としては高齢に達しているスイープトウショウもあるいはこのまま自身を上回る産駒を出せずにその仕事を終えてしまうかもしれないが、既に彼女の娘たちは競走馬としての使命を終え、繁殖牝馬として自分の子孫を残すべくそれぞれに奮闘ふんとうしている。そうした彼女の子どもたち、孫たちが彼女自身の血をつなげ、いつの日か血統表のその中にスイープトウショウという名前を見ることが出来る日が来ることを楽しみに待ちたいものである。


(了)

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時代を先駆けた女帝~わがまま娘の挑戦~ 緋那真意 @firry

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