残酷な時代と運命に翻弄されながらも誇りを失わなかった男装の麗人



川島芳子。歴史の授業で名前だけは聞いたことがある人も多いだろう。

実をいえば投稿者もそれほど詳しくなく、『男装の麗人』というキャッチコピーを一人歩きさせて無知にもかっこいいなあとしか思っていなかった人間である。実際、現存している写真は凜々しくかっこいいのだが、彼女の生涯については朧なままおりよくこちらの作品に出会えた。

彼女は実在の人物であり本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくらけんし)。中国・清朝の正真正銘の王女である。ラストエンペラー・愛新覺羅溥儀(ふぎ)と同一族で幼い頃に日本人の養父に引き取られた。

生まれた祖国と育った異国で運命に翻弄されながら愛する祖国の復興を願い、自分を売り込み立ち回って奔走した芳子を外野はまつり上げ、または中傷した。彼女は王女として、女性としての自分と同時に男性像までをも取り込み、権力者に利用され、また利用し時代の荒波を泳いでいったのである。

当時は昭和。現在よりももっと男女の格差というものは大きかっただろうし、戦時中で政局は当たり前のごとく男が動かすもの。(投稿者は特にこの観点から拝読した)。しかも没落したとはいえ王女となれば駒として、道具として見られて当然の風潮のなか、髪を切り軍服をまとい男たちと対等であろうとした、最期まで自分の信念を曲げず誇りを失わなかった芳子の姿は文を読んだだけでも鮮烈で、処刑されたあとも生存説が囁かれるほどになったのも納得できる生き方だった。


しかしやはり「家あれども帰り得ず 涙あれども語り得ず」という孤独な彼女の本心を表した辞世の句はせつない。運命の分岐で、ほんの少し誰かか彼女に優しかったら。手を差し伸べてくれたなら。養父が父として行動してくれたのなら。と思わずにはいられなかった。