第32節 -新たなる始まり-

 それから一ヶ月後。ドイツへと帰国したフロリアンは自らの意思で世界特殊事象研究機構へ志願、最終選考である総監レオナルドとの面談を経て正式に機構の一員となっていた。

 その報せは当然、後日マリアの元にも届く事になる。


 西暦2032年2月某日。

 人知れず存在する国際連盟の第6部門、機密保安局の局長室でマリアはアザミからフロリアンの機構入りの報告を受けていた。

 静かな部屋の中、お気に入りの椅子に深く腰掛けてゆったりと座るマリアにアザミは言う。

「先程、彼の入構手続きが正式に完了したと機構側から報告がありました。」

「それは重畳。彼から機構入りを決めた話は聞いていたけれど、やはり正式に決まるまで気になっていたからね。彼の決断と、そしてレオにも感謝をしなければならない。慣れるまでは大変だろうけれど、きっと彼なら大丈夫だろう。」いつものように笑顔を浮かべながらマリアは返事をした。

 ハンガリーからスイスへと帰国したあの日の夜、マリアの元にフロリアンから直接電話で機構へ志願するという連絡があったのだ。

 今度こそメッセージではなく、直接電話で連絡してきてくれたことにマリアは喜んだ。そして彼の話を聞いて、彼の今後の道行きに幸福があるように祈った。立場とは関係なく、ただの一人の女性として。

 彼が電話の最後で自分に尋ねかけて、結局は尋ねる事も無くやめた話があったが、それはおそらく自分達がどういった人物なのかについて尋ねるつもりだったのだろう。

 マリアは内心でいつか話をしなければならない時が来ると思いつつ、敢えて彼が尋ねなかった事について自分からは触れなかった。

 電話の最後は『さようなら』ではなく、『またね』とだけ言った。マリアはその時の事を思い出して口元を緩める。


 次に目下の所、気になっているもうひとつの案件についてアザミに確認をした。

「ところでアザミ、例の機密文書館への入館申請の件だけど、ヴァチカンから…いや、彼女から返事はあったかい?」

「音沙汰ありません。長期戦を覚悟した方がよろしいかと。」

「だろうね。まぁ良い。私達にとっては今月でも十年でも二十年でも大差の有る事ではない。気長に待つとしよう。」予想通りのアザミの返事に苦笑気味にマリアは答えた。

 ただし、それほど長い年月が経ってしまうと別の問題が発生してしまうのではあるが。


 マリアは深く息を吐きだしながら、机の上で一番よく見える位置に飾った写真立てに視線を向ける。

「また君に会える日を楽しみにしているよ。」

 とても穏やかな表情をして微笑みながらマリアは呟いた。その視線の先には、あの日ハンガリーの地で『彼』と『子犬』と共に撮影した写真が飾られていた。


                 * * *


 機構への入構を果たしたフロリアンは、セントラルでの生活を始めるべくシングル区画の割り当てられた部屋への引越作業を丁度終わらせたところだった。とはいえ、必要最低限のものを持参しただけなのでとても引越と呼べるようなものではなかったが。

「一通りは片付けも終わったかな。あとは…」

 フロリアンは荷物の中から一つの写真立てを取り出すと、部屋の中のよく見える位置にそれを置いた。

「これで良し。」

 そして写真を見つめながら言う。

「これから頑張るから、応援していて欲しい。僕はあの日の事を忘れないよ。いつか、また君に会えた時に成長した姿を見せられるようにするから。」

 フロリアンはそう言うと、配属辞令を受けに行くために部屋を後にした。

 先ほどまで彼が見つめていた視線の先にある写真立てには美しい笑顔をした『彼女』と『子犬』と共に撮影した写真が飾られていた。


                  *


 世界特殊事象研究機構 大西洋方面司令 セントラル1 -マルクト- 作戦会議室にて

 会議室にはフロリアンと五人の男性が集まっていた。内二人はレオナルド・ヴァレンティーノ総監とフランクリン・ゼファート司監である。

 総監と司監が前に立ち、その横にフロリアンが立つ。三人の前には機構内にある調査チームの一つであるマークת(タヴ)のメンバーである三人が立っていた。

 総監がまずマークתの三人へ彼の紹介をする。

「さて、まずは君達マークתに新しく配属するメンバーを紹介する。フロリアン・ヘンネフェルト三等隊員だ。つい先日セントラルに来たばかりで不慣れな事も多いだろう。助けてやってくれ給え。」

「フロリアン・ヘンネフェルト三等隊員であります。どうかよろしくお願いします。」

 フロリアンが挨拶をすると体格の良い、いかにも隊のまとめ役と言うべき男性から順に挨拶と共に握手をしていく。

「マークתの隊長をしているブライアン・ジョシュア大尉だ。よろしく頼む。」

「姫埜 玲那斗 少尉。よろしく。」

「ルーカス・アメルハウザー三等准尉だ。よろしくな。」

 各々が挨拶を交わし、フロリアンがマークתのメンバーの列に加わり並ぶとフランクリンが改めて辞令を言い渡す。

「フロリアン・ヘンネフェルト三等隊員を本日付でマークתの調査メンバーに加える。以後、行動を共にするように。」

「はっ!」

 その言葉に従いマークתのメンバー全員が敬礼をし返事をした。

「アメルハウザー准尉。彼はドイツ出身だ。言葉のコミュニケーションは君が一番取りやすいだろうから色々とサポートしてあげなさい。」

「承知しました。」

 レオナルドの言葉にルーカスが返事をする。そしてレオナルドとフランクリンは会議室を後にした。


「分からない事があったら何でも聞いてくれ。俺だけじゃなく、隊長や玲那斗にもな。」

「ありがとうございます。」笑顔で声を掛けてくれたルーカスにフロリアンは礼を言う。

 その様子をブライアンと玲那斗も笑顔で見守り、新しく隊に加わった仲間を歓迎した。


                 * * *


 配属辞令への立ち合いを終え、総監執務室へと戻ったレオナルドが椅子に腰掛けた丁度その時、電話の呼び出し音が鳴った。

 番号は非通知。特殊暗号回線からの通信ではあるが、そんな回線を利用して電話をしてくる相手など限られたものだ。今の所、心当たりは一人しかいない。レオナルドは電話を取る。

「私だ。」

『やぁ、レオ。元気そうで何よりだ。』

 予想通りの相手。電話の主はマリアだった。元々それ以外に心当たりは無かったのではあるが。

「マリー。ブダペストで話した時以来になるか。そちらも元気そうで何よりだ。それで、用件は何かね?例の事件に関する調査報告は国連へ回したはずだが。」

『相変わらず素っ気ない。何度もそういう態度をされるとさすがの私も少しは傷付く。もう少し優しくしてくれても良いと思うのだけれど?』

 マリアのその言葉とは裏腹に、彼女自身は微塵も傷付いている様子は無いとレオナルドは感じていた。むしろいつものこのやり取りを楽しんでいる節がある。続けてマリアが言う。

『例の資料には目を通したよ。こちらでも調べさせた結果、奴が身に着けていたあの装備に関する情報漏洩、及び機密持ち出しについては我々国連内部からでも無く、各国家政府や軍に関連した話でも無く、全く別のある裏組織が関与している疑いが濃厚になった。まぁ、その話は今度こちらから資料にして送るから目を通してほしい。それはそれとして、今日の話は別件だよ。』資料の話から別件の話に移った途端にマリアの声のトーンが変化した。とても機嫌が良さそうだ。

「別件?また厄介な話を押し付ける気ではないのかね?」長年の経験上、彼女から連絡がある時というのは大抵ろくでもない事の前触れだ。レオナルドは警戒の色を浮かべた。

 しかし、今回はどうやら本当に見当外れらしい。マリアは笑いながら言う。

『あはは!私を自然災害か何かだと思っているのかい?君達にとって、それはそれで間違いではないだろうけどね。でも “今日は” 厄介事の話ではない。ただ感謝の言葉を伝える為に電話したんだよ。』

「感謝だって?何の話か分かるように話してくれないか。」思い当たる節が無く、レオナルドは聞き返した。

『先程から用件を言う前に人の話を遮っているのは君の方だろう?全く。他でもない、彼の事についてだ。今日が辞令の日だと小耳に挟んだものでね。』

「彼から直接聞いたのかね。」

『まぁ、そんなところだ。けれど安心し給えよ。彼は君達の機密を決して私達に漏らす事は無いだろう。それは私が保証する。それよりレオ、彼を君の所に受け入れてくれた事に礼を言う。』

「さて、その件については君から礼を言われる事では無いと思うのだが。彼は素晴らしい青年だよ。当然、君の言うように情報漏洩をするような人間ではないと私も心から信じているし疑ってなどいない。良い人材を紹介してくれた事に対しては私から君に礼を言うべきだろうに。」

『私がそう言いたいからそう伝えただけだよ。これは別に立場というもので話をしているわけではない。私個人として君に礼を言っているんだ。』

「国際連盟の署名付き推薦状を持ち出しておいて良く言う。半分は受け入れろという圧力だと思ったのだが。」

『それだけ君達にとっても彼は財産になり得る逸材だと思ったからこそ、そういうアプローチの仕方にしたんだよ。私からの連絡を自然災害だと認知している君達が、万一にも話を蹴る可能性を鑑みて、職権乱用だと言われようとも、不干渉の原則破りの圧力だと文句を言われようと、そうする方が良いと思ったからね。まぁ、今回は私の私情が混ざっている事は否定しない。素直に認めよう。私の “大事な人” だと言っただろう?』

 自身の皮肉に、マリアはいつもであれば同じような皮肉を返してくるのが常だが、この時の彼女の言葉はごく一部の言い回しを除けばそういったものではなく、純粋な気持ちと誠実さから来ているものだとレオナルドは感じ取った。

「ハンガリーにいる間、君と彼との間で何があったかは知らないが、随分と気に入っているようじゃないか。君が見ず知らずだった赤の他人にそこまで深く肩入れするとは珍しい。いや、私の知る限りでは初めてではないかな。」

『そう言う所を見ると、彼は私達の事についてはほとんど君やフランクには話さなかったようだね。』

「話しの流れで必要な事しか彼は話さなかったからな。君のおかげで答えが見つかったという話以外は何も。我々に対して君達がどういう人物なのかという事も聞かなかった。本当は彼が一番聞きたかった事だろうに。あらゆる可能性を瞬時に判断して対応できる非常に誠実な人間だ。」

『私達の事については機構に入った以上、いずれ知る時が来るかもしれないけれどね。可能性の話ではあるけれど。』

「君はそれを理解した上で彼を推薦したのだろう。…良かったのかね?君の立場を彼が知る時が来たら、今と同じようには接する事は出来なくなるかもしれないが。」

 レオナルドの言葉にマリアは一瞬黙り込んだ。その後、いつもの調子で返事をする。

『その時はその時だ。何、彼は筋金入りのお人好しだ。私の立場を知ったところで、私に対する態度を変えるなどという事はしないだろうさ。とにかく、伝えたい事は伝えたからね。そうだ、今度頼み事が出来た時は私が直接そちらに伺うとしよう。』

「その時が来ない事を祈ろうか。」間髪入れずにレオナルドは答えた。

『傷付くなぁ。私とは会いたくないというのかい?』冗談めかしてマリアは返事をする。

「そうではない。プライベートであれば話は別だが、君もわざわざ私用でここを尋ねたりはしないだろう。厄介事の持ち込みは遠慮願いたい。」

『君達にしか頼めない事があるんだよ。』

「分かった。その時は相談に乗る程度であれば考慮しよう。引き受けるかどうかは別の話だ。社会見学であればいつでも来給え。そういう事なら美味しいコーヒーをご馳走する程度の事はしようじゃないか。」

『ふふ。頼りにしてるよ。』

 そう言うとマリアは通信を切った。


 レオナルドは大きな溜息をつく。彼女が今その話をするという事は、そう遠くない未来にその時が来る事を示唆しているからだ。

「我々は便利屋ではないのだがね…」

 レオナルドは一言呟くと、苦笑しながらお気に入りのコーヒーを淹れる為に席を立ちあがった。


                 * * *


 国際連盟 -セクション6- 機密保安局 局長室にて。

 レオナルドとの通信を終えたマリアは上機嫌であった。その様子を見たアザミが声を掛ける。

「彼らへの頼み事、例の島の件ですか?」

 アザミが言うのは大西洋上に浮かぶとある島の事である。

 長い歴史上、ある時代を境として誰一人到達した事の無い人跡未踏の島。その島、及び周辺海域は数々の怪奇現象や異常現象を引き起こし事故が多発する為、現在国際条約によって立入禁止特別区域として指定されている。

 アザミの問い掛けにマリアは笑顔で返事をした。

「もちろん。あれは人智を越えた神秘が満ちた場所。どれだけ科学が発展しようとも、今のあの島へは上陸する事はおろか、近付く事も観測する事すら叶わないだろうね。衛星から映し出されている姿すら虚像に過ぎない。実際に観測する事、上陸する事、それが叶うのは…」

「彼ら…いえ、もっと正確に言えば『彼』だけでしょうか。」

「そう。姫埜玲那斗少尉には是が非でもあの島に行ってもらわなければならない。世界の未来の為に。」

 アザミはその島の事でかねてから気になっていた事をマリアに尋ねてみた。

「マリー、貴女でもあの島に近付く事は叶わないのでしょうか?」

「そうだね。 “私なら” 出来るかもしれない。けれど、それも彼女が私の事を覚えていてくれたらの話だよ。それよりも彼女の求めるものを素直に贈ってあげるべきだと思う。千年前に言えなかった文句を言いに行くのはその後だ。あれは情熱や執念、妄執といった類のものを越えて、もはや部外者にとっては呪いのようなものと言って良い。」


 マリアは “自身の事は忘れているかもしれない” とあっけらかんと言って見せたが、“当事者” である以上はそのように簡単に割り切れるような話ではないとアザミは考えていた。

「その贈り物を届ける為には、まず彼らが動かざるを得なくなるような状況を作らなければならない。レオを納得させるだけの証明が必要なのさ。その手始めとして機密文書館の資料が必要になるのだけれど。」

「ヴァチカンにいる彼女の気分次第と言ったところでしょうか。」

「はぁ…ハンガリーで【ざまぁみろ】と言ったのが聞こえてしまったかな?他に機嫌を損ねた要素はないはずだからね。」大きな溜息をつきながらマリアは言う。

「口は災いの元です。」彼女の言葉にアザミが笑いながら返事をした。

「私は気持ちに正直なだけだよ。嘘を言ったわけでもない。」マリアも笑いながら返事をした。しかし、その後は自嘲気味に言葉を続けた。

「ただ、ロザリアにとっては私という存在そのものが、もしかすると許せないのかもしれない。不老不死などという存在は彼女が信仰する神に対する冒涜そのものだろうからね。」

 そしてマリアは再び深く吸った息を吐きだしながら椅子の背もたれにその身を預けるようにした。

 机の上に飾った写真立てに視線を向け、そこに写る子犬を見据えて言う。

「それでも私は私の理想を諦めるわけにはいかない。神が許さなくても、神に仕える者が許さなくても、私は私が目指す世界を必ず実現して見せる。」

「いいえ。 “貴女の神” はそれを望んでいますよ。」

「違いない。」アザミの言葉にマリアは不敵な笑みを浮かべた。

 美しく輝く赤い瞳に深い暗闇を湛えながら彼女は続ける。

「 “微睡みに沈みゆく者にとって、刻の流れは永久に等しく同じである。” 私の理想を実現する為に、まずは止まったままの君の時計の針を動かす事にしよう。最高の贈り物をしてあげようじゃないか。千年に渡る刻の中で君が求めてやまなかったものを “私が” 君に贈ってあげよう。君と再会した時に、どんな表情で私を見る事になるのかとても楽しみにしているよ?イベリス。」


-了-(【予言の花】へ続く)

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Re:Maria - 天使と悪魔 - リマリア @limaria_novel

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