第31節 -開かれた門-
12月27日 午前10時前。フロリアンはマリアに指定された場所を訪れていた。そこはとあるホテルである。
エルジェーベト公園のすぐ傍、デアーク・フェレンツ通りに面したそのホテルに入り、指定されたレストランへと向かう。
「ここのはずなんだけど。」
フロリアンは呟きながら辺りをきょろきょろと見回した。
すると後ろから初老の男性が話し掛けて来た。
「失礼、君がフロリアン・ヘンネフェルト君で間違いないかな?」
フロリアンはとても穏やかに話し掛けてくる声の主の方へ振り返りとっさに返事をする。
「はい。友人に言われて来たんです。ここで二人の人物に会って欲しいと。」
目の前にはゆったりとした服に身を包んだ気品のある初老の男性と、背の高い軍人風の強面の男性が立っていた。
「友人か。そうか、人違いでなくて良かった。」
マリアの言っていた二人とはこの二人の事なのだろうか。
「申し遅れてすまない。我々はこういう者だ。」
男性に差し出された身分証明書を見てフロリアンは狼狽えた。先程からどこかで見たような人物だと感じていたが、その既視感の正体が今はっきりとわかった。
先日まで開催されていた国際連盟主催の特別総会で演説をしていたあの人物だ。
巨大な国際機関である世界特殊事象研究機構を束ねる人物。レオナルド・ヴァレンティーノ総監が今自分の目の前にいる。その横に立つ人物は同じく機構の重役らしい。
「そう身構えないでくれ給え。ある人物の紹介でね。我々は純粋に君と話が出来ればと思ってここに来たのだよ。」レオナルドは笑顔で言う。
「失礼しました。その、こうして有名な人々に会うのは慣れて無くて。」
「謝る事はない。会えて嬉しく思う。」
フロリアンはレオナルドに差し出された手を握り握手を交わす。
「それと、私の隣にいる男性はフランクリン・ゼファートという。機構では将官にあたる司監を務めてもらっている。」
「ヘンネフェルト君、どうぞ宜しく。」表情一つ変えることなくフランクリンは言った。
「よろしくお願いします。」フロリアンはフランクリンとも握手を交わした。
「さて、外で立ち話というわけにもいかない。一緒にお茶でもいかがかな?」
「はい、ご一緒させてください。」
「結構。宜しい。それでは行こうか。」
レオナルドは穏やかな表情で言うとレストランへと入った。フランクリンもその後に続き、フロリアンも続いた。
三人はレストランの空いている席を選んで座る。窓際の外の風景がよく見える席だ。
「代金は我々が持つから好きなものを頼むと良い。飲み物と、せっかくだから軽食も選び給え。遠慮する事は無い。」
レオナルドはフロリアンへメニューを差し出して言った。フロリアンはコーヒーだけを頼むつもりでいたがサンドイッチも一緒に頼むことにした。
「では我々も同じものを頼むことにしよう。ここのサンドイッチはとても美味しいからね。」
そう言うとレオナルドはスタッフを呼びオーダーをした。
「さて、私は先程ある人物の紹介でここに来たと言ったが、それは君の言う友人と同じ人物の事だ。正直驚いたよ。君は余程彼女に気に入られたらしい。」
「色々あって、その…」フロリアンは答えに窮した。その様子を見たレオナルドはフロリアンを制止しながら話を続けた。
「君達の間にあった事は話さなくて構わない。何があったかを聞くなどという無粋な真似はしないよ。それは君達の胸の中にだけしまっておくべきものだ。」
レオナルドの対応を見たフロリアンは、彼の度量の大きさを垣間見た気がした。
「正直、僕も驚いています。数日間共にいて、只者では無いと思う節もありましたが、まさか彼女が貴方がたのような凄い人物と知り合いだなんて。」
フロリアンの様子から、当然の事ではあるがマリアとアザミは今回の会合前に自分達に関する細かい話は彼に一切していないのだとレオナルドは悟った。
「我々も彼女達とは色々あってね。ここでは良き友人とだけ言っておこう。」
そこまで話し終えた時、スタッフがコーヒーとサンドイッチを運んできた。レオナルドがスタッフに軽く礼を言う。
「さぁ、遠慮なく。」レオナルドは笑顔でフロリアンへ言った。
「頂きます。」フロリアンは返事をしてコーヒーを一口飲む。
レオナルドもコーヒーを一口飲み、そして話を再開した。
「実の所、三日ほど前に君と彼女が一緒にいるところを我々は既に見ている。外の空気を吸いにエルジェーベト公園へ行き、ベンチに座っていたら突然彼女がやってきたものだから驚いた。偶然というのは恐ろしい。世界というのは広いように思えて、存外に狭いもののようだ。」
その時フロリアンは初めてあの時マリアが話していた二人組の男性が、今自分の目の前にいる二人である事に気付いた。
「あの時ベンチに座っていらっしゃった…」
「そうだ。彼女とは他愛ない世間話をしただけではあるが、見慣れない人物を連れている事がその時から気にはなっていた。彼女と一緒にいるなんてどんな人物なのだろうとね。」レオナルドは穏やかな笑顔で語った。続けてフランクリンがフロリアンに話を始める。
「ヘンネフェルト君、君の話は彼女からある程度は聞き及んでいる。何でも、世界を旅して回っていたとか。」
「はい。自分の知らないものを知る為に旅をしてきました。」
「ほぉ、それはとても興味深いな。」フロリアンの答えにレオナルドが興味を示した。
あの日の朝、マリアと初めて出会い朝食をとっていた時に、彼女が見せた反応と全く同じ反応を彼が見せた事がフロリアンにとっては印象的だった。
「もし差し支えなければ、君が見てきたものを私達にも教えてもらえないだろうか。」フランクリンが言う。
「はい。構いません。」フロリアンは笑顔で返事をすると、自身のこれまでの旅の事やこの地で考えたことを出来る限り話した。
その話をレオナルドとフランクリンはじっくりと聞いた。時に質問を交え、時に共感を示しながら、彼が見て来たものや感じたものを出来る限り全て。
そして一通り話し終えた時、レオナルドはフロリアンに言った。
「話してくれてありがとう。君はとても良い旅をしてきたようだね。」
その言葉は初めて彼女達に会った時に言われた言葉と全く同じであった。レオナルドは話を続ける。
「そして答えを見つけた。なるほど。なぜ彼女が君を私達に推薦してきたのかよく理解できた。」
「推薦ですか?」
「あぁ。良い人物がいるから話してみてほしいとな。どうだろう?もしその気があるのであれば、我々のところに来てみないかね?君のその願いは我々機構が求めるものと同じ理念でもある。それに君の直感、君の洞察力、君の経験。今しがた見せてもらったそれらの個性を我々は高く評価している。」
総監からの直々の誘いに対し、再度言葉に窮したフロリアンの様子を見てレオナルドは言った。
「もちろん、すぐに結論を出してほしいとは言わない。一度祖国へ戻り、両親とも話をしてみるといい。これを君に託す。その気になったら期日までにその書類を記載して送ってくれれば良い。試験として簡単な面談はさせてもらうが、我々は門を開いて君を待つとしよう。」
「ありがとうございます。」レオナルドの差し出した書類を受け取りフロリアンは礼を言う。
「何を選ぶも君の自由だ。何を掴もうとするのも。後悔だけはしないように、答えを決めると良い。」フランクリンもフロリアンへ言葉を掛けた。
「はい。」フロリアンは力強く返事をする。
「実に有意義な時間だった。君と話が出来たことを嬉しく思うよ。」レオナルドはそう言うと席を立ちあがった。
フランクリンとフロリアンも続けて立ち上がりレストランを出た。
「では、我々はここで失礼する。」
「ありがとうございました。」
レオナルドは軽く手で挨拶をするとフランクリンと共にホテルの上階へと立ち去った。フロリアンは手渡された書類を抱え、自身の宿泊するホテルへと戻る事にした。
* * *
「ゼファート司監。君は彼をどう見たかね?」自室へ戻る途中にレオナルドはつい先ほどの会合を振り返りながらフランクリンへ質問をした。
「とても素直で良い感性をもった青年だと思いました。」
「私も同感だ。若さとは素晴らしい。私には少々眩しすぎるほどだ。なるほど、彼女がわざわざ自分から推薦してきた理由はよく分かった。彼女直々の推薦がある以上、試験は最後のひとつだけで構わないだろう。それ以外の身辺調査などは我々が実施するよりよほど完璧に完了していると見て良い。後は彼がどういう選択をするのか非常に楽しみだ。」
「機構に来てくれるでしょうか。彼のようなタイプは確かに我々にとっては歓迎すべき人材です。」
「必ず来る。私はそう信じているよ。それに、彼女もそう見込んだ上でこの会合をセッティングしたのだろう。私の見立てだがね、彼は彼女の意思を拒むことは無い。」フランクリンの疑問にレオナルドは自信に満ちた表情で答えた。
* * *
ホテルへと戻ったフロリアンは手渡された書類を眺めた。
「世界特殊事象研究機構…か。」
その名は学校の授業でもよく聞く名称だった。
多発する自然災害や地球全体規模の気候変動への対処、特別に調査が必要とみなされる事象などに対処する為に設立された国際機関。
【World Abnormal Phenomenon Research Organization】
通称W-APRO(ワープロ)とも呼ばれている。
各大洋上にある巨大なメガフロートを本拠として活動する彼らの名を知らないものはおそらくいない。
その組織のトップに立つ総監から直々に手渡された機構の採用試験へ申請する為に必要な書類。しかもその内容は、4次まで存在する選考の内3次までを免除し、最終面談を責任者である総監と行うというものである。
これは夢ではないのか思えた。
自身の胸に抑えきれない程の高揚感が押し寄せてくる。
確かに、自身の考えている理想や夢を叶える為には世界中を見回しても機構へ就職するのが一番であり、理想でもあるだろう。反対に、それ以外に自身の望みを全て叶えられる場所はおそらく存在しない。
そこに至る道筋が目の前に提示された以上、もはや選択の余地など無いように感じられる。
贅沢な悩みではあるが、唯一気がかりに感じたことと言えば、あまりにも話がうまく進みすぎている事だろうか。
この話を本当に受け入れて良いのかどうか、実感が何も湧かなった。
そもそも、マリアが彼らと直接の面識がある事にも驚いたが、こうなると気になるのはやはり彼女達の事である。一体どういう人物なのだろう。
先の会合の場で直接聞くことも出来たが、それを聞いて答えてくれるような相手でも無ければ、聞くこと自体が無粋な行為のように思えた為避けた。
フロリアンはデバイスを手に取ってマリアへ連絡を入れようかと思ったが、一度冷静になる為に、ひとまず全ての考えを頭の中から外す事にした。
「夢…ではないよな。」
そう呟いたフロリアンは何もない天井を見上げて物思いに耽った。
* * *
一方その頃、マリアとアザミは国際空港にて、スイスのジュネーヴ行きのプライベートジェットに搭乗して離陸を待っているところであった。
レオナルドから彼と会合の場を持ち、機構への採用試験への登録手続きに必要な書類を渡した旨の報告は既に受けていた。
アザミは彼に何も言わずにこの地を離れようと決めたマリアにもう一度だけ尋ねた。
「マリー。くどいようですが、彼には本当に何も言わずに帰国して良いのですか?」
「あぁ、大丈夫だよ。相変わらず君は心配性だ。昨日も言っただろう?私達はこれで永遠の別れになるわけではないと。」
マリアはとても落ち着いた様子でそう言った。その目に迷いの色は見えない。
「それに、レオと彼は実際に今日会合の場を持ったのだから彼の機構入りは既定路線となった。私達が夜、ジュネーヴへ到着した頃にフロリアンから何らかの報せがあるかもしれないね。」
「その結末が視えると?」
「相変わらずさっぱりだ。彼の事に関してはただの勘だよ。勘。希望的観測。いや、そうであったら私が嬉しいというだけの話に過ぎないのかもしれない。女の勘とでも言おうか。」
「予言の花と呼ばれる貴女らしからぬ言葉ですね。でも、悪くありません。」
「その物言いも君らしくない言葉だ。そういうのも、そうだね。悪くない。」
アザミとマリアはお互いの顔を見合わせて笑い合う。
そして二人を乗せたプライベートジェットはリスト・フェレンツ国際空港からジュネーヴに向けて飛び立った。
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