【後編】 白は希望か絶望か
声の正体を探しながら歩いていると、遠くに白いものが見えた。
人の形をしている。白い生き物。小さい。子供かもしれない。
近づくにつれて、もっとはっきりと見えてくる。白くて小さな生き物がうずくまっている。
ここからだと、後ろ姿。三歳児くらいの大きさに見える。真っ白だ。上から下まで全身が白い。白い服を着てるんじゃなくて、体そのものが白いんだと思う。
人間、とは違うような気がする。
頭は人間に似ている。丸くて、白い髪の毛もある。だけど、背中。肩甲骨が大きすぎるように見えるのは気のせい? コブがあるのかな。病気? 手足がどうなってるかはよく見えない。でもたぶん、足がおかしい。
音をたてないようにゆっくり近づいて、立ち止まって様子を眺めた。距離は五十メートルぐらい。遮るものがないから、あっちからも丸見えだろう。だけど白い生き物はまったく気づくことなく、地面に向かって話しかけていた。
日本語じゃない。英語でもない。中国語でもフランス語でもないと思う。聞いたことがない音の連続。でも言葉だ。高い電子音みたいな声。そして大きい。猫が威嚇してるときみたいな音量でしゃべっている。
すこし場所を動いて斜め後ろから見てみた。
地面に穴があいている。白い生き物はその穴に向かって話しかけていた。
声はもうひとつ聞こえるのに姿が見えないなと思ったら、もうひとつの声は穴の中から聞こえてくるみたいだった。
穴は、ちょうど円形の草と同じくらいの大きさ。
白い生き物のそばに特大おせんべいみたいな土のかたまりがあった。土の下で草が押しつぶされているようにも見える。
草、と思って周囲を見渡す。触るとビリッとするあの草があっちこっちに生えている。
もしかしてこの草、下に穴があいてるの?
電気を持ってる草だし、土の中を空洞にしちゃうとか? 理屈はよくわかんないけど。でも土ごとひっくり返せば草に触らなくていいし、電気の痛みも関係ない。ってことなのかな。
白い生き物が動いた。穴の中に手を突っ込んでいる。再び手を出したときには、網の袋を持っていた。細長い袋で、中にはボールみたいなものがいくつか縦に並んで入っている。色といい大きさといい、バレーボールみたいに見えた。
もっとよく見ようと前屈みになったとき、白い生き物が振り向いた。
とっさに耳をふさぐ。
白い生き物が大きな声を出したから。叫び声だ。ものすごく甲高い声。うるさくてまともに聞いてられない。
叫び声を出し続けたまま、袋を放り出してこっちに向かってくる。走ってるんじゃなくて、跳んでる。やっぱり足が人間じゃない。カンガルーみたい。それでピョンピョン跳んで近づいてくる。速い。
ぞわわ、と全身に鳥肌が立った。怒ってるんだろうか。襲ってくるんだろうか。怖い、逃げたい、でもこの生き物は言葉をしゃべってたんだ!
穴の中からもうひとり、白い生き物が顔を出した。そしてやっぱり叫び声をあげて跳んで近づいてくる。
窓ガラスをひっかいたみたいな声だ。すごく嫌。うるさい。やめてほしい。
足に力が入らなくなった。膝が震えてる。リコが倒れたときも震えた。でもあのときよりはマシだって感じる。
それでも立っていられなくて、砂地に片膝と片手をついた。
とたんに叫び声がやんだ。
白い二人は近くまで来たけど、同じ位置で立ち止まった。手が届く距離じゃない。でもきっとあの足ならあと一回ジャンプするだけで目の前に着地する。そんな距離で止まって、様子を窺うようにこっちを見ている。
大きな二つの目。瞳は灰色っぽい白。ほぼ白だ。鼻と口は人間に似ている。耳がどうなってるのかはわからない。たぶん髪の毛で隠れてる。
こんな生き物が恐竜の時代にいたなんて知らない。じゃあ未来の進化した人間? これが? 怖いし変だし、もうほんとわけわかんない。
だけど、やっと会えた。
「……たすけてください」
声が小さい。もう一度。
「たすけてください。困ってるんです。喉が渇いて死にそうなの」
日本語、通じるのかな。言葉はわからなくても気持ちを込めて話せばきっと通じる。
「おねがい……」
助けてくれるなら人間じゃなくてもいい。
言葉がわからなくても、リコは飼い猫と会話してたよ。リコが名前を呼んだら振り向いたし、返事もしてた。かまってほしいんだとか、おなかすいてるんだとか、機嫌がいいとか悪いとか、言葉の違う動物の気持ちをリコは代弁してくれた。
ああ、でも、出会ったばっかりでそこまでは読み取ってくれないか。こっちだってむこうの言葉がわからない。さっぱりわからなかった。
白い生き物はお互いに顔を見合わせて小声で話している。しばらくしてから振り向いて、何かを言った。同じ発音を一回、二回、三回と繰り返している。
どうやら話しかけてくれているらしいことはわかった。でも、何て言ってるんだろう。こういうときに言うことって、たとえば自分の名前?
耳を傾けた。同じ言葉しか言っていないから、だんだん聴き取れるようになる。
「アーシャン? アーシアン?」
聞き返すと、二人はまた相談するようにヒソヒソ話してから、さっきより短い言葉を放った。
「「アース」」
アース?
聞いたことある言葉。英語? 大地、地球。――地球?
「アースって言ったの? 地球のこと?」
二人は声をそろえて長くしゃべった。英語だと思って聴いてみる。聴き取れたのは、「アーシアン」「アース」「ゴーホーム」の三つ。二人はこの三つの単語を繰り返しているようだった。
アースが地球で、アーシアンは、もしかして地球人って意味?
ゴーホームはゴーとホーム。家に、帰る?
「地球に帰れって言ってるの?」
待って待って。どういうこと。
めまいがしてきた。おでこを押さえてうつむく。
ここは地球じゃないっていうこと? だから重力が小さくて、恐竜みたいな鳥がいて、虹色の木があるってことなの?
それで、地球人はここに来たことがある。
でも、追い出された?
じゃあここ、どこよ。
帰れって言ってる? 帰れるなら帰りたいよ。帰らせてよ。
それともあれかな。殺されるのかな。
え、地球人が地球以外の星に来た? それっていつの話? まだ月までしか行ったことないんじゃなかったっけ。じゃあここは月? 月ってこんなところ? いや違うでしょ、だって――ここが月なら宇宙服なしで呼吸できるわけない。
「未来ってこと……? 未来で、しかも地球じゃないどっかよその知らない星に迷い込んだってこと?」
なにその壮大すぎる遠距離移動。
どうしろっていうの。
どうしてこんな目に遭うの。家に帰るだけだったはずなのに。
コツン、という音がした。
顔を上げると、白い二人はいつの間にか穴のそばまで戻っている。何かを叩きつけていた。網の袋に入ってたボールだ。ボールとボール。地面に置いたボールをひとりが手で支えて、もうひとりがそれにボールをぶつけている。
三回ぐらいで地面に置いているほうのボールが割れた。見間違いじゃなければ、割れた瞬間に中から液体がこぼれた。
割れたボールをひとつずつ両手に持って、二人がこっちにやって来る。ピョンピョン跳んで近づいてくる。ボールに液体が入っているかどうかはわからない。すくなくとも着地で飛び散った様子はない。
二人はさっき立ち止まった場所を越えて、目の前まで来た。何かをしゃべっている。英語ではないと思う。
ボールからいい匂いがした。ボール、いや、果物だ。割れ方がいびつで、白い果肉が高く飛び出している部分がある。逆にくぼみができている部分もあって、透明な果汁が溜まっていた。
ぐいっと顔の前に差し出された。
反射的に顎を引いて距離を取る。白い果物を持つ真っ白な手は、形だけは人間と同じに見えた。でも体のわりには大きくて、だいぶ肉厚で頑丈そうだ。
目が合った。大きな目。白い瞳。体は小さいけど顔にあどけなさはないから大人かもしれない。表情が読みにくい。何かを言っている。真似しろって言われても真似できない発音。果物を押し付けてくる。甘い香りがする。
カラカラに渇いた喉が反応した。鼻にくっつきそうだったし、受け取った。
皮はザラザラしている。バナナと何かが混ざったような匂い。果肉は梨のようにみずみずしく見える。
電気草の実、なのかな。ビリッとしないで普通に持っていられる。そして、すごくおいしそうだ。
食べたい。
食べたいけど、何か変だ。どうしてこれを渡してきたんだろう。食べていいって? 地球に帰れって言ってたんじゃなかった? 急に態度を変えたのはなぜ?
割ったもう一方の果物はまだ白い生き物が持っている。注目されるのを待っていたように、果物を口に持っていって、果肉にかじりついた。
こうやって食べるんだよと教えてくれているように思ったのは、合ってるだろうか。
助けてくれって言ったのは自分だ。水が飲みたかった。通じたとは思わないけど、伝わったのかもしれない。だからこれをくれた。
本当に?
リコが食べたあれもおいしそうだった。実際おいしかったらしい。でも食べちゃだめなやつだった。
たとえばこの二人にとっては安全でも、地球人の自分には危険ってこと、あってもおかしくないよね。
だってあの毒リンゴ、木に生ってるあれを何かが食べた形跡があった。虹色ヘビか、別の何かが食べたんだ。
リコやわたしには毒だけど、それ以外の生き物にとってはそうじゃないんだとしたら?
地球の食べ物じゃないんだし。この二人とじゃ体だって違うし。
そうだよ、人間は平気だけど猫は食べちゃだめっていうことあったでしょ。この場合はこっちが猫だ。食べて大丈夫なものが限定されてる。地球人が食べたら死ぬと知っていて、あえて食べさせようとしてるのかもしれない。
考えすぎかな。
毒じゃないかもしれない。助かるかもしれない。食べてみないとわからない。
喉が渇いてる。カラッカラだ。この果汁を飲み干したい。今すぐ。だるいしフラフラしてるし、もう歩きたくない。これを食べたい。
でも、リコ。
これが毒なら、毒だとしても、食べても食べなくても、どっちにしろ、だから。
――限界だ。
口をつけた。
果汁を流し込む。梨みたいな味がした。梨より癖が強いし、ぬるいのが残念だけど、おいしくてたまらない。
口の端からこぼれても気にせず飲んだ。果汁をすべて飲み干したら、果肉。シャリシャリした食感。渋味も感じるけど、もういいや。食べる。食べ尽くす。
これで死ぬなら仕方ない。
死ななかったら喜ぼう。
いや、喜んでいいのかな。死ぬほうが楽なのかな。わかんない。正解も不正解も表と裏だ。ほんのちょっとの判断、選択でひっくり返ってよかったりだめだったりするんだ。
この星に来たのだってそういうことだ。
意味なんかない。正解じゃなかったけど、不正解でもないかもしれない。わかんない。友達は死んだ。帰りたい。帰してあげたい。生きたい。
真っ白な手で渡された真っ白な果物は水分たっぷりで甘くて渋くておいしかった。
おいしくて嬉しいって気持ちと、それを伝えたい相手がもう会えない友達や家族だっていうことと、消えない怖さと、いろんなことが体の内側を満たしていた。
夕暮れ色の空と、空を写し取ったような赤い砂の大地。じっとこっちを見つめている白い生き物。
毒かもしれない果実はおいしくて、ただ、ただ、涙が止まらなかった。
夕暮れ星の死ぬかもしれない果実 晴見 紘衣 @ha-rumi
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