終章

夢想 – fantasy –

 おれと後藤は生の松原へ帰る前に商いの町へ寄り道をした。

 ここ博多は、とにかく派手であり、ひとびとが色めき立っている。面白おかしい商人の町だ。なんでも揃う。

 そんな中、道の角にあるうどん屋に入っておれたちはようやく腰を落ち着けた。


「あら、あんたがた、えらいくたびれとーね。怪我しとうごたぁ」


 注文を取ろうと寄ってきたおばちゃんが目を丸くしておれたちに言う。確かに、あの激闘のすぐあとである。おれの背広はジャケットが消えているし、帽子もとうの昔に消え失せた。いつ失くしたかも覚えていない。シャツの袖はほつれてしまい、裾も汚れが目立つ。なにより、ヴェストは派手に破れていた。

 あーあ、こりゃあもう補整をしたところで継ぎ接ぎだらけの不格好なもんに成り果てちまう。

 後藤に至っては、上から着ていた外套がいとうが破れているだけであり、その下にある学生服はきちんと整えられている。頭はボサボサで、顔には切り傷があるけれど、こちらのボロ加減とは雲泥うんでいの差である。


「えーっと、うどん二つとかしわ飯ね」


「俺もかしわ飯」


 後藤が慌てて割り込んで言う。おばちゃんは「はいはい」と優しげに笑って大将に声をかけた。


「うどん二つとかしわ二つー」


「あいよー!」


 威勢のいい太い声が店の中を駆け巡り、むわんと美味そうな出汁の熱気が店内に立ち上った。

 おれたちは互いに黙ったままだった。おれは腕を組んで外の様子を眺めており、後藤は黙想していて会話になるはずもない。会話の糸口がなく、そもそも会話する気がなく、各々がこれまでの軌跡を思い起こすだけである。

 ジャジャッと素早く湯切りされるうどん麺の音が小気味よく、そうこうしているうちに二杯のうどんが出来上がる。


「はいよ、うどんとかしわ」


 妙に明るげなおばちゃんが一度に皿や丼を抱えてテーブルに置いた。

 おれたちは同時に手を合わせ、同時に箸をつかんでうどんにまっしぐら。ズルズルと太くやわっこい麺を飲むようにして食べる。

 後藤のほうは、やはり猫舌のようで念入りに「フゥフゥ」と冷まして食べていた。おれは行儀が悪いので、麺を吸い上げては汁を飛ばす。その汁が指に当たったにも関わらず、後藤は文句ひとつも言いやしなかった。


「……美味いかー?」


 おもむろに訊いてみる。

 すると、後藤は「ん」と小さく唸った。

 そうして、おれたちはもうなにも交わすことなくただひたすらにうどんを食べた。熱すぎる出汁の味はほとんど覚えていない。ただ、かしわ飯はどの店もどうせ美味いから、鶏肉に染みこんだ甘辛い醬油しょうゆを喉で感じていた。

 そうして飯を食っていると、自分がいま生きているのだと急激に実感した。

 生きて、生き抜いて、だから飯を食っているのだと気がつくと、なぜだか視界がぼやけた。慌てて天井を見上げる。

 犠牲の上に立って生きているだけに過ぎない。おれが生きていることにより、誰かから恨まれることになるかもしれない。でも、いまは。いまだけはそんなことも忘れていたかった。

 ほうっと息を吐くと、ほのかにいりこ出汁の匂いが立つ。


「一色」


 突然、後藤が口をきいた。彼はまだ汁を飲んでおらず、チビチビとうどんを食べている。


「おまえ、これからどうするんだ」


「そんなことを坊ちゃんに訊かれるとは思わんかったよ」


 意外な言葉にビビってしまい、涙も引っ込んでしまう。おれは肩が震えるくらい笑った。笑うと、さらに面白くなる。急に笑い出したおれに、後藤は怪訝に眉をひそめた。


「どうするもなにも、どうもせんよ。あの女は消えたし、おまえも復讐ができた。霊能者を脅かす奴は……まぁ、まだ片付いとらんかもしれんが、一旦はお開きにしようぜ。今後のことはそれからでもよかろーや」


 投げやりに言うと、彼は「フン」と鼻息を飛ばした。


「そうやってのらりくらりと生きてくんだろうな。おまえ、こんなことがあっても、ひとつも変わらんのだな」


「だって、世の中はおれがらんでも、勝手に平気なツラして回っていくやんか。だったらさ、面白く生きてやろうぜ。誰かを恨んだり羨んだり嫉妬に狂ったら、そりゃもう面白くねぇっちゃもん」


 景気付けにもう一発「あはは!」と豪快に笑い飛ばしてやる。店内におれの大声ががなり響き、後藤はおろか店員までも耳を塞いだ。失敬。


「とにかくさ、おまえもちっとは楽に生きてみろよ。あ、笑かしならいつでも来ちゃるけど」


「いや、来るな。絶対に来るな」


 その答えはいつになく素早い。

 すると、場が整わないうちに店の戸がガラリと開いた。


「おー! やっぱここにった! どうもどうも、打ち上げですかー? いいっすねー、オレも混ぜてくださいよー」


 未来人の登場である。


「貴様!」


 よみがえる恨みを抱いて、おれはすかさずテーブルを叩いた。この野郎、あのときはよくも天狗と一緒に逃げやがったな!


「おい、恨みはせんと誓ったんじゃないのか」


 後藤が苦々しげに冷やかし、未来人は口をミミズのようにうねらせて両手をあげているしで、おれは不服にも椅子に座り直した。


「なんの用やい」


 ぶっきらぼうに訊くと、未来人はおれの横に座って言った。


「なんの用って、そりゃあアフターフォローですよ。あのときはああして逃げた方が正解だった。後藤さんなら気づいてくれると思っとったし、オレがいる方がかえって悪いと思いまして」


「いけしゃあしゃあと言いよって」


「まぁまぁまぁ。欺きの封は解いてなかったんだし、これで恨みっこなしで……すいませーん、うどんひとつくださーい!」


「言っとくが、おまえにはびた一文奢らんからな!」


 その宣言に、未来人は心底悲しげに顔を伏せた。そんな彼の前に、後藤が二銭をスッと差し出す。


「この前は勝手に帰って済まなかった」


 その詫びなのか、なんなのか。不気味な後藤の優しさに、未来人はたちまち元気になった。ほんっと、面白くない。

 腕を組んで拗ねていると、後藤がうどんを噛みながら静かに切り出した。


「それで、未来人の。あんたはなんの目的で、この時代に来た?」


「へ?」


 未来人もとい清水原は低い背もたれに仰け反った。驚きを隠せないのか、体を強張らせている。しかし、なにかを把握したようで「えへ」と奇妙に笑う。その笑いはぎこちなく、誤魔化しを含んでいた。


「えーっと、どうしてそんなことを訊くんですか? つーか、なんでオレの名前を知っとーとやろ……そもそもオレはあの天狗にさらわれて」


「さらわれたのは本当だろうが、そのついでになにかを仕遂しとげようとしたんじゃないか? あくまでもついでに」


「それは、神さまに頼んだことの、あれか?」


 思い当たるものを口にするが、清水原も後藤も無視するので黙るしかない。どうやら見当違いらしい。

 後藤は汁をごくごく飲んだ。おれも清水原もその様子を静かに見守る。やがて、彼は丼からチラリと目だけを覗かせた。

 その心眼に射抜かれたかのごとく、清水原はフッと諦めたように笑った。背もたれに全身を預けて天井を見上げる。


「やべぇ。やっぱ先人ってのは敬うべきだよなー。ほんと怖ぇぇわ……はい、そーです。当たりです。さすが後藤さん! 敵いません!」


 清水原は帽子を触り、さらに目元を隠すようにして笑う。


「そうっすよ。まぁ、さすがに、この時代を変えるのは無理でしたけどね。だって、オレも一応は歴史勉強してるんで、ほら、この国の行く末だとか、そういうの知ってるんですよ。じゃあ、オレが変えられるんじゃねーかって。その力があるわけで。しかも、神さまの力は健在だし、普通に使えるし」


「でも、やらなかった」


「ですね。ちょっと荷が重いです。それに……」


 わずかに彼は口ごもる。天井にもたげていた首をガクンと落とし、彼はテーブルに肘をついた。そして、頭を抱えるようにしてボソッとつぶやく。


「そんなことをしても、きっと、オレの時代はなんも変わらんだろうし、オレの過去も変わらん。未来も。だから、あんたらのことだけでも助けてやろっかなって、思ったわけです」


 やたら悲観的に言う彼の声は、如実に未来の不安を案じていた。


「後藤さんってば、意地悪いですよ。オレの未来とか過去とか見えたくせに、干渉すらさせてくれねーんだもん。だったら、諦めるしかない」


 清水原は「ふー」と長く息を吐いた。そんな彼に、おれはこそこそと不躾ぶしつけに訊いてみる。


「おまえの時代、未来はどうなるんだ?」


「それ、聞いてどうすんですか? てか、聞きますか? やめたほうがいいっすよ」


 それは未来を変えかねないからか、それとも、未来があまりにも不安定でどうしようもなく大変困難なのか。


「いや、まぁ、別にいいんですよ。それはそれで面白くやれてますし、明らかにテクノロジーは進歩してます。未来はまだまだ明るいですよ。豆球くらいには」


 なかなか辛辣に言うものの、まぁそう言ってくれるなら安心だ。

 少々冷えた空間に、湯切りの音が掻い潜ってくる。すると、清水原は手をポンと合わせて笑った。


「やっぱ博多のうどんは格別ですねぇ。これがないと生きてけない」


「はいよ、うどん上がり!」


 おばちゃんが威勢良くテーブルに丼を置く。清水原は合わせた手をそのままに「いただきます!」と言った。そして、ガツガツとありつく。熱々の出汁なのに、熱さを感じないのだろうか。舌が火傷やけどするぞ。

 そんな恐れも知らぬといった具合に、彼は夢中でうどんを食べた。


「美味いか?」


 なんとなく訊いてみる。


「美味いっす。やっぱ、労働の後の飯はいいですね! 空腹は最高の調味料って言いますし、素朴すぎて味が薄い」


 最後の方はほとんど愚痴である。

 おれは呆れて笑った。後藤はかしわ飯を優雅に食っている。そして、清水原よりも先にたいらげると、彼は椅子から立ち上がった。

 それがあまりに急だったので、おれも慌てて立ち上がる。


「さっさと未来に帰れよ。そっちのひとたちが心配しているようだから」


 後藤は去り際に、清水原へ声をかけた。その声に、清水原は丼をかき込みながら片手を振る。

 それを最後に、おれたちは店から出て行った。


「あいつ、大丈夫かいな」


 心配になって言ってみる。

 すると、後藤は「はぁ?」と心底馬鹿にしたかのように呆れた。


「んなもん、あいつに任せろよ」


 まぁ、それはそうだろうが。あんな弱腰の未来人を見ては、行く末が不安にもなるものだ。

 願わくば、彼らの世に幸多からん事を。

 盛大な願いを空に送ると、かすかに風が髪をさらった。だめだ。柄にもなく難しい事を考えてしまう。まぁ、夢くらい大きく見たってバチは当たらんだろう。

 すると、後藤が鼻で笑いながら言った。


「それよりも、あんたはあんたの心配をするべきだ」


「別におまえに言われんでも大丈夫なんですけど。なんですか、おまえはおれの小姑か? 弟か? 母親か? それとも兄貴か?」


 ふざけて言ってやると、後藤はすぐさま冷徹な眼でおれを睨みつけた。そんな、ゴミ虫を見るような目をせんでもいいやんか。怖い。あぁ、ほんと面白くない。

 あんまり冷ややかなので、おれはすごすごと気が小さくなってしまった。


「……じゃあ、まずは帰りますか」


 場を和ませるために言ったのだが、後藤は不機嫌たっぷりに鼻息で抗議した。


「言われんでもそのつもりだ」


「あ、そうだ。坊ちゃん、電車賃ちょーだいよ。おれ、さっきので金がすっからかんで。なぁなぁ、どうせ同じとこに帰るけん、よかろー? なぁなぁなぁ」


「黙れ。ついてくんな」


 ほら、まったく素直じゃない。本当に可愛くない。やっぱり、こいつは鼻持ちならん――ただの有象無象のひとりである。


【完】

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大正霊能科学奇談〜我ら、玄洋に眠る有象無象なり〜 小谷杏子 @kyoko

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