波長があう

狼子 由

波長があう

 よく、波長があうとか、気が合うとか馬があうとかね、言うでしょう。

 実を言えば、僕と彼も、そうやって出会ったのでございます。


 彼と知り合ったのは、となり同士になった居酒屋の煤けたカウンターでした。

 彼が電話の待ち受けにしていたホラー映画について、僕が声をかけたのが始まりで。


 客観的に言えば、彼はどうにもぱっとしないタイプの男でした。

 いえ、僕も人のことは言えないのです。さして自分の見た目が優れているとは思っておりません。

 ですが、そう……例えば、髪を整えるとか髭をあたるとか、服の裾をズボンの中にきちっと入れるとかね、そういう点では僕の方がいくぶんマシだったと思います。彼は、そういうことにさえ無頓着な人でしたから。


 仕事は何をしていたのでしょうね、詳しく聞いたことはありませんでしたが。

 ただ、最近はずっと怖い話を研究しているのだと言っていました。怪談・奇談・都市伝説や恐怖神話――怖いものならなんでもござれなのだそうです。


 僕もそういう話は好きでしたから。

 そういうところがなんとなく「合った」のでしょうね。

 連絡先を交換し、同じその居酒屋で、時々飲むようになりました。


 彼はいつもくたびれたポロシャツと穴の開きそうなチノパンで。寝ぐせだらけの髪に、無精ひげ、そして鼈甲のような濃い蜂蜜色の縁のついた眼鏡をかけておりました。


 夕方に店で待ち合わせ、夜通し語り合うのですが、話題はいつもそんな話ばかりでしたよ。

 何せ、話に熱が入るのは、彼が怪談について語っているときだけなのですから。


 もちろん怪談・奇談の研究と言っても、僕も彼も体系的に何か学問を修めた訳ではありません。

 大学の先生方の言う民俗学やら歴史学でも勉強しておれば、また違った深まりが出てきたのでしょうかね。ですが、あいにく僕らにはそういう知識はなかったのです。

 ですから、僕と彼がやっておったのは、たいていお互いが聞いた怪談を披露し、感想を言い合うばかりの話でした。


 ここが怖いだとか、こういうのは嘘くさいだとか、こうすると死人に会えるらしい、あそこに行くと祟りがあるらしい、そんな話。

 ああ、幽霊とは本当はどんな存在なのだろうということについても、よく話しておりました。


 男二人でつまらない話をしてるって?

 ええ、そうでしょう。あなたのような方には、そういう風に思われるでしょうね。


 いいえ、よろしいんですよ。

 僕や、彼のような人間の気持ちは、あなたにはおわかりにならないでしょう。

 そう……波長があわないのです、きっと。




 夜が深まってまいりますと、杯も重なってきます。

 十分に酔った頃、彼はいつも同じ話をしておりました。

 若い頃に、女に無体を働いたことがあったそうで。その女がね、彼を恨んで夜中に出てくるのだと。

 部屋の窓越しにね、じっと彼を見詰めてくるのだそうです。


 死んでなお生者を脅かすとは何事かと、彼は叱り付けてやったそうですが。

 聞く耳などないのが死人の悲しさ。何度声を荒げても、また次の夜にはふいと出てくるのだそうです。


 それが嫌で、ああしていつも飲み歩いていたのだとか。

 どうにかあの女を地獄へ追い返す方法はないものかと、よく店の主人にも絡んでおりました。


 訊かれたところで、誰にも答えようなどありはしませんでした。

 それでも、僕が来てからは少々落ち着いたようでして、主人にはちょくちょくと感謝の言葉とともに一杯奢ってもらったりもしましたよ。

 本人は明言いたしませんでしたが、怪奇について、研究という名の収集を始めたのも、それが理由のようでした。




 そんな毎日は、ある日突然幕を降ろした訳でございます。

 最後に会ったのは、そうちょうど今宵のような夏の夜。

 じわりと蒸し暑い、いつもの居酒屋でのことでした。


 店の中には常連ばかり。どいつもこいつもひからびたじじいで、冷酒をちびちびと舐めております。

 つけっぱなしのテレビの他は、外から飛び込んできた甲虫が裸の電球にめがけて飛ぶ、ばちん、という音だけが時折響いて。


「……幽霊というものは、デジタル製品と相性が悪いと言うだろう。あんた、ありゃ、なぜだと思う?」


 なぜでしょう。あなたはわかりますか?

 僕には見当もつきませんでしたよ。

 彼の答えはどうにも突飛で――いえ、はい。正直に言えば、アルコール依存症になりかけておったのでしょう。常人には思いもよらぬことを時々口にしておりましたから。


 前提として、彼と僕の、心霊写真や恐怖のビデオに関する見解は一致しておりました。つまり、あれらのほとんどは偽物だろう、という見解です。


 学はありませんが、まあ、仕組みを聞けば理解はできます。光の加減やフィルムの性質で説明のつくものから、最近はあからさまに加工だろうというものまで、まあ手を変え品を変え色々と出てきますね。

 偶然に波長があえばカメラにも映るのだと……馬鹿馬鹿しい。

 僕にだってわかります、どれもこれも偽物ばかりだ。


 話が逸れましたか。デジタル製品と相性の悪い理由でしたね。

 僕の答えを聞いた彼は、少しばかり興奮した様子で口ごもりながら答えました。


「デジタルってのはな、デジタルというのはだ、あれはつまりオンオフなのさ。オンとオフ、電波という波の動きがあるかどうかだ」

「そういうものですか」

「ああ、そうだ。そしてなあ、あんた、波には干渉というものがあるのを知っているだろう?」


 彼が言うには、こういうことです。

 デジタル製品は電波の波によって信号を伝えている。波というものは、大きさや周期がまったく同じ波と合わされば信号を強め、逆の大きさの波にぶつかれば弱め合う性質をもっている、と。


 夜も更け、店の中からは少しずつひとけが減りつつありました。

 彼は眼鏡を外し、目を擦りながらぼそぼそと話します。


「こういうのを、波長の干渉と言うらしい。強まったり、弱まったりな」

「そうなのですか」

「そうだ。そうして、おれはこう仮説を述べる。デジタルと幽霊の相性が悪いのは、弱め合っているから――つまり、波長が逆だからだ」


 なるほど、僕には科学的なあれやこれやは分かりませんが、説明を聞けば、彼の言いたいことは分かりました。

 逆の波長は打ち消し合うもの。幽霊とデジタル製品の波長は打ち消し合う。よって、幽霊はデジタル製品と逆の波長をもっている、と。


「どうだ。おれの仮定が……仮説が正しいならば、幽霊退治も難しかぁないぞ。この仮説が正しいとしたら、つまりデジタル製品の波をぶつけてやれば、それで例の幽霊もいちころってことだ」


 ええ、ええ。僕にだってわかりますよ。

 そんな仮説でいいのなら、誰だってなんでも言えます。

 仮説というものは実際、証明されて初めてその正しさが分かるものでございますから。


 ですから、僕もまあ彼の話を一笑に付しまして、その日はそこで切り上げた訳です。夜も更けておりましたのでね、店じまいの邪魔をする訳にはいかんでしょう。




 彼から連絡がありましたのは、一週間後のことでした。

 間の悪いことに僕は偶然、手洗いに立っておりまして、その隙に電話があったらしいのです。留守番電話に伝言が入っていましたが、それがまあなんとも聞き取りにくい声で。台風の夜のようなごうごうというノイズだらけの中に、ぼそぼそと彼が吹き込んでいるのです。


『……波長が、あった……』


 そんな言葉だけが聞き取れまして。

 すぐに折り返したのですが、彼は電話に出ませんでした。

 今かけてきたばかりなのにどうしたのかと思いはしたのですが、まあ、そもそもの用件もはっきり聞いておりませんし。

 用があればまたかけてくるだろうと、その時はそう考えて忘れてしまいました。


 あの時、すぐに彼の元へ向かえば、また違ったのでしょうか。

 あの留守電が、僕の聞いた最後の声になってしまいました。


 ええ、そうです。翌日、彼は死体で発見されました。

 部屋を出てすぐの川に浮かんでいたそうです。


 彼はどうやら、僕しか友人がいなかったようで、通話履歴に残っていた僕の元へ連絡がかかってきたという訳です。

 親子ほど年は離れておりましたが、確かに僕は最後に会話した相手でしたから。

 同じ店で酒を飲むだけの関係であったにせよ、他に誰も連絡がとれないと言われればそれは行かざるを得ませんでしょう。


 酔った彼を送っていくこともしばしばありましたので、合鍵もあずかっておりました。

 かつては奥さんも子どももいたような話を聞いたのですが、彼の浮気だとかなんだかが理由で、とうの昔に離縁して行き来はなかったようですね。

 ええ、まあ……波長があわなかったのでしょうねぇ。たとえ浮気があっても、また仲が戻る夫婦もありましょうから。


 こうなってしまっては仕方ありません。僕は警察の求めで、主のいない彼の部屋へ入りました。

 部屋には、片付けるべき物なんて何もなかったです。それはまあ、つつましい生活をしていたようでして。

 ただ一つ、部屋の真ん中にぽつんと古いラジオが置かれておりました。

 ラジオの波長を幽霊にあてて、それで退治してやろうとしたのですかね。




 ……気にされているようですから、僕の拙い推論をひとつ、お伝えしましょうか。

 さかさまの波をぶつける、と彼は言っておりましたが、それは本当にさかさまなのでしょうかね。


 いえね、ほら。波ってものは、結局はどれもこれも同じ形でしょう?

 幽霊の波長、というものがあるのだとすれば、そのさかさまの波というのは、ただ単に拍子が真逆の、だけど本当は同じ形をした波なのではないですか。


 だとすれば、彼は、もしかするとその波に殺されたのかもしれませんねぇ。

 だって、ちょっとばかし出だしがずれたら、波は打ち消しあわず、むしろ強まるというのでしょう。


 彼はそのことを知っておりましたよ。だって、波が強まるというのを教えてくれたのも彼でしたから。

 分かっていて試したのなら、まあ、賭けのようなものだったのかもしれません。

 あうかあわぬか、どっちに転んでも、どうせちょっとの違いでございますから。




 ええ、ええ。構いませんよ。

 僕が間違っていると思われるなら、それでも。

 僕自身もう、惜しむようなものもありゃしないのです。


 ところで、僕の家族の話をまだしておりませんでしたね。

 実は僕の両親もまあ、離婚しておりまして。なぜって、母親の方の不貞が原因なのでございます。


 不貞――父はそう言って母を責めましたが、実のところ事故のようなものでございます。父が仕事で留守にしておる間に、近所に住む頭のおかしい男に犯されたというだけの話です。

 あんたとは波長があう、そう言っておったそうですよ、その男は。泣いて許しを乞う母を組み伏せて、波長があうとは、まったくねぇ。


 僕は隣の部屋におりました。

 泣いて暴れる母親と、母を殴る男とをね、じっと黙って見詰めて。


 結果として、母は僕と二人で家を追い出され、以来貧しい暮らしをしておりました。僕も高校を出てすぐに働き始めたのですが、それが家計の足しに多少なったところで、母には人生のこの先が見えてしまったのでしょうね。

 つい先のことでしたよ。もう疲れたと書き残して、首を吊ったのは。


 ぎいこぎいこと、ぼろ屋の梁が軋む音を、今も忘れることなんかありゃしません。

 何度もなんども繰り返し揺れる、波のような音でございました。




 ふいに入った居酒屋で、その男と再会した僕の気持ち、あなたにゃおわかりになりませんでしょうねぇ。

 いえ、その方がよろしいのですよ。

 僕の波長なんてものは、まともなものじゃございません。


 ふふふ、はい。昔から、母によく似ていると言われておりました。

 窓越しくらいの距離をおけば、こうして髪を下ろせば、同じ顔のように見えてしまうかもしれませんね。


 ラジオというのはね、周波数さえ合わせてやれば、こちらの送った電波を受け取ることもしてくれるのです。

 生前の母が夜中にすすり泣く声なんてもの、こうも長いこととっておいて、結局は良かったと思っておるのです。


 ほらね、まともじゃありませんでしょう。

 ですから、そんな僕と波長のあう彼の方も、とうの昔におかしくなっておりましたのでしょう。

 これは、ただそれだけのお話でございます。


 どうぞ、あなた。お忘れくださいませ。

 いつか何かの拍子に、僕のようなものと、ふっと波長があったりすれば、ことでございますから。

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