幼少期の十年間をパリで暮らした紘一は家族の帰国でいきなり日本の中学校に投げ込まれる。帰国子女として身も心もズタズタに傷つけられる紘一の心と叫びはリアル過ぎて、これはフィクション小説なんだと言い聞かせないと読み進められない程の迫力がある。
辛い物語であるからこそ、読めば物語の最後に紘一に沢山の拍手とエールを送りたくなると思う。
一つだけあげるならば、紘一は日本では心も体もあんなに傷つけられたのに、ある人に言われたことを大切に、ある事を一生懸命に勉強し続けている事。別の地で暮らしながらも祖国を思う気持ちは、日本で生まれ育ってぬくぬくと暮らしている私達よりもずっと強いものだと感じます。
親の都合で帰国子女。生まれ持った性的指向。
自分の意志ではどうにもならないことが理由で、紘一は酷く貶められる。何も悪いことをしていないのに。誰にも迷惑をかけていないのに。
剥き出しの自意識に狡猾な残酷さを身につけはじめた子供たちは、自分達との僅かな差異を目敏く嗅ぎつけ、彼を異分子と見做した。多数派であることを振りかざし、暴力に酔いしれ、自分の立ち位置に安堵する。
彼らは馬鹿な臆病者だ。だからこそ、大人がしっかりと見守り、指導するべきだろう。
なのに紘一は、大人の無理解にもまた、苦しめられる。教師は綺麗事ばかり。親ですら本当の自分を見てくれない。守るどころか、理解する努力さえしてくれない。
紘一の血を吐くような心の叫びが、痛い。
胸が潰れそうなほど辛いお話です。(辛すぎて、私は一時離脱しました)
でも、紘一君は自分の力で幸せを掴みます。
全てを読み終え、ホッと胸を撫で下ろしたあとで、自分に何ができるのかを改めて考えさせられました。
多くの人に読んでもらいたい作品です。
主人公の抱える問題は非常に解決困難で、周囲の了承も得にくいもの。かなり本文は極端な描写がありますけれど、そこに、その感情に、嘘はないと思います。理解が高い国、低い国があります。日本はものすごく、驚くほど低い。そこで希望を見つけたのだから、一応は良しとせねばならないのかもしれません。時代が経過し、偏見が少なくなれば、また違う道も模索できると考えます。
そして、この作品を読んでもっとも言いたいことは、『イジメをする奴はゴミだ』ということ。容姿、性格、行動、その他、どんな理由があってもイジメはしてはいけません。イジメるくらいなら関わらなければ良いのです。イジメを受ける側もそう望んでいるはず。日本人は全員中流家庭の先進国民だとすりこまれていますが、その実、蛮族です。もっとその事実と向き合わなければいけないと思います。
とても教訓を得ることのできる素敵な作品でした。
主人公は9年フランスで暮らし、親の都合で日本の中学校に編入してきた帰国子女。
個人的な話だが私は所謂ハーフなので、ときどき人にきかれる。「子ども時代にそれが理由でいじめにあったか?」と。
これに答えるのは難しい。
ある意味ではもちろんノーだし、ある意味ではイエスだ。
はじめましての相手からは様々な質問が飛び交う。見た目からして外国人のハーフにとって、それは「おまえは日本人か? 外国人か?」という確認作業であったことに、大人になった今は気づく。
見た目は違えど、中身は日本人ならば、仲良くしてやろう。そう明言はされずとも、ちゃんと感じ取れるのだ。だから必死で「心は完全に日本人です」と言い続ける。そうすれば、受け入れは楽になる。
この物語の主人公は、まったくちがう。
見た目も国籍も日本人。
けれど考え方、受け取り方、感覚はどうしても日本になじめない。当たり前だ。生まれ育ちはフランスだもの。彼はフランス人なのだ。まちがいなく。
けれども日本に来たからには、尋問に付き合わねばならない。そしてうっかりまちがえた答えを返したせいで、宣告される。
「おまえはガイジンだ」と。
もう日本人と外国人を切り分けることさえやめてほしいと思う気持ちもあるのだけれど、とにかく読んでほしい。
つらいけれど、ラストはきちんと心温まるように構成されているから、どうか安心してこの物語を知ってほしい。
きっと気づきや発見があるはずだから。