#10
玲が家に着いた頃には、日は十分に昇りきっていた。
玲は疲れ果てた様子で引き戸を開けた。音を忍ばせ廊下を歩き、二階にある自室へ行こうとする。そのとき障子越しに呼び止められた。
「玲かね? ちょっとおいで」
玲はあきらめた様に肩を落として、障子を引いた。部屋の中では老婆が落ち着いた様子で座っていた。
「ずいぶんと帰りがおそかったね。あんまりおばあちゃんを心配させるもんじゃないよ?」
「……ごめんなさい」
おばあちゃんは指で座卓の対面を示した。玲はしぶしぶとおばあちゃんの前に座った。
「さて……前は交通事故の男性の方だったかね……そのまえは恋敗れた女性の怨霊だったかな……。はてさて、今度はとんでもない悪霊に憑かれているかと思ったよ。お連れではないようだね」
「……」
玲はおそるおそるおばあちゃんの表情を伺う。淡々として穏やかな様子であるが言葉に棘がある。玲はそれが嵐の前触れであることを知っている。
「玲には前も言ったかね? お亡くなりになった方の未練を聞きとげてやるのが私たちの仕事だと。時として御霊の方々はこちらの力量を試すようなことをおっしゃるが、私たちにできることは、その言葉に振り回されず、御霊の方々を正しい道へ導く事なのだと」
「……分かってます」
おばあちゃんは卓上の陶器の煙草入れから一本とると、マッチを擦り火を点す。
「さて……玲は昨晩はどこへ行っていたのかね?」
「…………ごめんなさい」
おばあちゃんはため息をつく。
「まったく……玲はしょうが無い子だ。常世の神様から話は伺ったよ。おばあちゃんは本当に心臓が止まるかと思った」
「……」
まったくとおばあちゃんは繰り返すと、また煙草を吹かす。玲は俯いて話を聞いているしかなかった。
「常世の神様に、危なっかしい孫の事を相談したのだけどね、お前に守護の方が付くことになったよ」
「……えっ?」
すぱーんと障子が開け放たれる。驚いて玲がそちらを見ると、彼女が立っていた。
彼女は、ぱぱーんと自分の口でファンファーレを鳴らしながら、くるりと回った。
「ここで地縛霊から守護霊に二階級特進した私の登場です! 見てみて玲ちゃん? おばあちゃんから巫女装束もらったんだよ? 似合う? かっこいい? 玲ちゃんみたいでしょ」
緋袴姿の彼女は祝詞をぶつぶつと唱え、無闇に御幣をふった。おばあちゃんはやれやれというような目で見て、未だ硬直状態が解けない玲に話しかける。
「なんというかの、玲ちゃんの所に帰るんだと聞き分けがなくて、向こう側でも処置に困っていたのだと。そこで相談した結果、おまえの守護になってもらう事になった」
「…………」
「玲ちゃーん? まだ固まってるの? 私だよ?」
彼女は玲の頬を指でぷにぷにとつつく。玲は唖然としたまま見つめていた。
やがて硬直が解けた玲は、彼女が持っていた御幣を奪い取ると、そのまま押し倒した。
「……どれだけ人に迷惑を掛ければ気が済むんですか!? この悪霊! わたしが三途の川の渡し守に直接、引き渡してやる!!」
「痛い! 痛いよ玲ちゃん! マウントポジションは卑怯だよ!?」
馬乗りになったまま玲は、彼女を御幣でばしばしと叩く。振り返るとおばあちゃんに問う。
「おばあちゃん! 家にこんな悪霊置いておくにはいかないでしょう!?」
「いやの、ちょうど盆は書入れ時で、私一人ではそろそろ辛かったから人手が増えるのはありがたい」
「そんな……だいたいこの家は狭くて部屋なんてないじゃない!?」
「おまえの部屋で良かろう。結構スペースは開いてるんじゃないか?」
「つまり、玲ちゃんの寝顔襲いたい放題…………じゅるり……」
「あなたは黙っていてください!」
「名前が無いままだと面倒だね。生前の名を取って、あなたは根神真輝と名乗りなさい」
「はい! おばあちゃん、ありがとうございます!」
「おばあちゃん!」
玲は、もう!とすねたように二人に背を向けた。
彼女は玲にめちゃくちゃにされた髪を整えると、玲の背中に語りかけた。
「待ちきれなくて来ちゃった! 大好きだよ玲ちゃん!」
玲はそっぽを向いたまま答える。
「わたしもだよ……お姉ちゃん」
ナナシノユウレイ 椎野樹 @yuki_2021
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