現代百物語 第41話 落とし物Ⅱ
河野章
現代百物語 第41話 落とし物Ⅱ
『今度の休みに──』と藤崎柊輔に誘われれば、『怖くないなら行きます』と答えるのが谷本新也(アラヤ)の常になりつつあった。
例え藤崎の取材旅行に着いていかないとしても、新也は日常生活でさえ怪奇現象に出会うのだ。場所を変えたところで会うものは会う。これはもう厳然たる事実だった。出会う場所が変わるだけだ。
なので、とんでもなく嫌な予感がするところ、事前に聞いて首筋が寒くなるような話の所以外には、最近は駄々をこねずに同行することにしていた。
「今回は多分、なにもないぞ。怪談や民間伝承じゃなく、都市伝説の類だからな」
藤崎は何故か得意満面だ。聞けば、場所も近く日帰りだという。
二つ返事で新也は同行することに決めた。
場所は都内の住宅街の一角。時刻は昼間で、太陽も眩しい──暑い。湿気も酷く風もない、夏の到来を感じさせる梅雨の合間の晴れ間だった。
汗をポケットから出したハンカチで拭うと、新也は先を行く藤崎に声をかけた。
「最近は下火になってるんじゃないんですかね。その、都市伝説とかも」
「以前のような盛り上がりはないみたいだなぁ……残念ながら」
けど、事故物件とかは流行ってるからどうだろう、と藤崎は独り言のように付け加える。その他人事のような物言いに何か悪い予感がして、新也は藤崎へと追いついて肩を引き止める。
「って今回の。もしかして事故物件とかじゃないですよね!?」
「違う違う。ちょっと不思議な家? って程度だよ。そこでは何も実際の事件は起こってない」
「凄く、嫌な予感がするんですけど」
「まぁまぁ、行ってのお楽しみってことで」
話す内に、その家へと着いた。
家は白い塗装の板張りの洋風の家だった。西洋風の出窓、窓の桟の色は緑だ。ノスタルジックでありながら、そんなに古くは見えない総二階家。
駐車場はなく、家を囲う煉瓦塀の内をそっと覗くとバラだろうか、狭い前庭には植栽が綺麗に整えられていた。
「……で、ここで何が出るんですか」
「手、だそうだ」
鉄製の門扉に手をかけて藤崎が振り返る。
「手?」
「そう。ここはもともと、高齢女性が長らく一人で住んでいたそうなんだ。彼女が亡くなってからは、その姪っ子さんがここを管理されてるんだけど──」
「死人が出てるじゃないですか!」
「そりゃどこの家だって死人は出るだろう。そのお婆さんもただの自然死だよ、病院で亡くなったそうだ。ただその後に遺品整理に入った人達が次々に白い手を見てる」
「その白い手が、何かする……とか?」
「いや、単に家の中を這い回っているらし……こら、逃げるな」
「十分怖いじゃないですか、逃げますよ」
藤崎に首根っをネコのように新也は捕まえられて引き戻される。
「手ぐらい良いだろう? せっかく姪御さんから鍵を借りてきたんだ。ちょっと覗いて、何も起こらなかったら帰ろう」
「……ほんの少しだけですからね。何か見かけたら帰りますよ」
「見たら教えてくれ」
藤崎が朗らかに笑い、門をくぐって、二人は鍵を開けて家の中へ入った。
家の中は整理されて、家具も小物も殆どが運び出されたか、ダンボールに収められている状態だった。埃っぽさもなく、整頓されている。
ただ人がいなくなった家特有の湿っぽさ、薄暗さが廊下の隅や階段の下など、そこかしこにあった。
「前の住人も、丁寧に暮らしていたんだろうな……」
藤崎がふいに言った。確かにそう感じられる雰囲気だった。年季の入った廊下にも傷は少なく、居間と廊下を区切る摺りガラスも取り替えられた様子はない。明かりをつけなくとも室内は庭からの光で明るく、穏やかな景色だ。
しかし新也はぞくぞくとした首筋の震えを覚えていた。
足元がひんやりと冷えていく。その冷えはまとわりつくように脛を上がって太ももにしがみつく。足から力が抜けるようだった。
新也は先を行こうとする藤崎に、玄関先から声をかけた。
「藤崎さ……ここ、いますよ」
「見えるのか?」
「いや、まだ見えませんけど……俺、ここで待ってます」
「分かった。無理するな?」
藤崎は何も気にならないらしく、そのまま廊下をどんどんと進む。突き当りの台所だろうか、部屋に入ってその姿が見えなくなった。
そしてすぐに戻ってきて、今度は廊下途中の階段を上る。動きも軽快だ。藤崎の姿が完全に新也からは見えなくなったその時だった。
ギシリ、と廊下の奥から音がした。先程藤崎がいた台所だ。
「──……っ!」
声は出なかった。
白く、細い……女の手だ。ずるりと廊下へとそれは這い出してきた。真っ白な指先、細い手首に尖った肘、そしてその後の二の腕が異様に長い。
指が昆虫のように蠢いて、廊下や壁を這い回る。何かを探すようにゆっくりと移動を繰り返しながらこちらへ近づいてくる。
肩や身体はなかった。白蛇を連想させる長い手が、ずるずるとこちらへ這い寄って、白い腹を見せるようにのたうつ。
手は、震える新也の前へと来ると蛇のように鎌首を……手首を擡げた。ゆら、ゆら、と手招きのように新也を誘う。身体を近づけろと言っているようだった。
「何……?」
怖かったが、半場強制的にじりじりと足が前へと進む。手は新也の脛を這い、股を素通りして、ジーンズのポケットへ何かを無理やり押し込んだ。
そこで、ひんやりとした空気が不意に消えた。ズルっと、手が台所の方から引っ張られるように消えていく。指が最後のあがきで台所の扉の端を掴んだが、とうとうバタンと閉じられてしまった。
「どうした? 新也」
その音にか、藤崎が二階から降りてきて、真っ青な顔の新也の顔を覗き込む。
「先輩……とにかく、出ましょう」
「あ、ああ。分かった」
何もなかったぞ、と背を押されて新也は何とかその家の門を出ることが出来た。
何があったのかという藤崎に新也は今起こったことを話した。
「で? そのポケットには?」
「何か……薄い、カードのようなものが入っている感触がします」
「出してみろよ」
「う……」
本当は触れるのも怖かった。けれど、これを身につけて帰るのも嫌だ。新也はそっとポケットの中に指を触れた。少し柔らかい、クレジットカードのような手触りだ。何となく安心して、引き出す。藤崎の前にばっと見せると、呆れたような声がした。
「俺の、カードケース?」
「先輩の?」
それは確かに藤崎のカードケースらしかった。手渡すと、表裏を返す返すして確かめている。
「確かに俺のだ。けどなんで……」
「どこに入れてたんですか?」
「普通に、尻ポケットの中だよ」
「……落とし物、を届けてくれた?」
新也は不思議な面持ちで首を傾げた。すると、珍しく引きつった面持ちで藤崎が家を振り返った。
「いや、カードケースは、中に免許証を入れて尻ポケットに入れてたんだよ。それが……ない。その白い手は俺からカードケース盗んで、免許証だけ抜き取ったんだ」
「え、それって……」
「第二ラウンド開始──もう一回、今度は免許証を取りに戻って来いってことじゃないか?」
苦々しく藤崎は笑う。
「どうせ俺には見えねんだ。新也、お前には付き合ってもらうぞ。このままじゃ帰れない」
「そんなっ……!」
新也は悲鳴を上げそうになる。そんな新也を無視して、藤崎は新也を引きずるようにして家へと戻っていった。
【END】
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