04 一睡出来なくても朝は来る




 外から鍵を閉める音は聞こえなかった。


 彼女が去った後、試しにドアノブを捻ってみると、それは普通に開いた。出るのは流石に度胸がないのでやめた。


 その後、部屋にある窓を見た。いつの間にか夜になっていたようで、暗くて見えないが、真っ暗なら逆に海か何かかも知れないと思った。取り敢えず、付近に人家はなさそうだ。窓の鍵を外し、観音開きに開けると、涼しい夜の空気が入って来た。ひんやりとした風に微かに磯の匂いがある。海が近くにあるのは確実のようだ。窓の下を見ると崖になっており、ここから脱出は難しそうだった。


 次に、私はクローゼットを開いた。何着か衣装が入っており、どれも新品のようでノリがついてぴっちりしている物が多いが、ゆったりとした寝巻きもあった。デザインはシンプルだが、どこか古い物のように感じた。その服達を上から軽くパンパンと叩いていく。何か引っかかるものはない。下着類は下に置かれた箱の中だろう。


 下に置かれた箱は三つあった。一番大きな箱は引き出しが二つ付いており、中には思った通り下着類が仕舞われていた。残りの小さな箱は二つともアクセサリーが入っており、金のチェーンに小さなダイヤがついた上品なネックレスと、真珠のネックレスとイヤリングのセットだった。箱に細工がされていないかも見るが、特になさそうだ。


 クローゼット下段の引き出しを開けると、靴が入っていた。シンプルな黒のパンプスと黒のオペラシューズだ。上品な作りで、絶対高いに違いないと思った。


 靴も中まで確認し、ついでに引き出しの裏に何かないかと見るが、やはりない。


 そうして、部屋の隅々まで、隠しカメラや盗聴器の類がないかを探した。そんな物を探したことなどないから確証はないが、機械らしい物はなかった。


 手や足を拘束されたり、監視されるのは嫌だが、ここまで自由だと逆に不安になってくる。なんなら、金品も普通に置かれている。


 私はベッドの横の床に直に座り、もう一度、思い出そうとした。


 会社の昼休みに、お手洗いに行って目薬を差そうとした。そうしたら、鏡が黒くなり、中から手が出て来て、私の腕を掴んだ。そして、鏡の中に私を引き摺り込んで、謎の洋館へ出て来た。そこで謎の顔出しNGの男と出会ったが、すぐにどこかへ行ってしまった。その後、ナツキさんがやってきて、この部屋まで案内してくれた。


 服のポケットを漁ると、ハンカチと目薬、朝買ったコンビニのレシートが入っていた。


 毎朝、仕事前に買うお茶とお菓子だ。読み辛い半角で書かれた商品名が、こんなにも恋しく思う時が来るとは思わなかった。


 思わず、涙は出かけたが寸止め出来た。鼻水は少し出てしまったので、ベッドのサイドテーブルに置かれたティッシュを使わせて貰った。柔らかい、セレブかな。


 横にある、汚い物を入れづらい綺麗な屑籠に使用済みのティッシュを捨てる。そう言えば、旅館に泊まりに行った時も、部屋にある綺麗なゴミ箱にそのまま入れるのを躊躇って、来る途中で買った物の入ってたビニールとかに捨てていた。結局、それをゴミ箱に入れていた。


 家のゴミ箱は蓋のついてる物をわざわざ買ったのに、いちいち開けて入れるのが面倒臭くなって、夏以外は蓋を取って使っている。夏は虫がわくのが怖いのと、暑さのせいで臭いも増すので、蓋は欠かせない。そういえば、一度ゴミを出しそびれて、夏場に生ゴミを保管したことがあった。ワンルームだったから、口を固く締めても、臭いが漏れて来るような気がして、落ち着かなかった。


 こうして、最期に思い出すのがゴミの話題だらけなのが、私の人生だったんだろうか。


 もしかしたら、殺されてしまうかも知れない。ご主人様とやらは、どうにも何を話してるのか分からないし、ナツキさんは当然あっちの味方だし、私は一人ぼっちでよく分からないまま、悪趣味な死に方をするのかも知れない。


 そう思うと、急に実感が湧いてきて、今度こそ本当に涙が出て来た。怖くて堪らない。何も分からないこの状況が恐ろしい。


 鼻をすすりながら、久しぶりに泣きじゃくると、何か溜まっていたのか次々に顔の至る所から汁が出て来る。メイクが崩れると咄嗟に気になったが、今はどうでもいいと棚上げにした。


「うう、もうやだあ。」


 熊の様に唸りながら、暫く泣いていた。


 死への恐怖が膨れ上がる。暗く冷たいその手が自分に触れようとしていることに怯える。家族に会いたい。実家のココア(7)は元気だろうか。会社に仕事を残して来たから、絶対赤城さんが舌打ちしてる。友達にも会いたい、今なら喧嘩別れした相手にでも会いたい。何でもいいから、自分に所縁のあるものが欲しい。支えて欲しい。逃して欲しい。


 どれだけ泣いていたろう。人間の体の七割は水分らしいが、多分その時の私は六割か五割くらいまで減っていただろう。屑籠の底にはティッシュの山が出来上がっていた。ウォータプルーフマスカラは滲んで取れていた。開けた窓からはちゅんちゅんと鳥の声が聞こえてきた。


 顔を上げると、いつの間にか白んだ空の日差しが部屋に差し込んでいる。


 私は此処から逃げようと心に決めた。



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