09 拝謁マスター
「入るがいい。」
中から言葉は偉そうだが、それほど強さを感じない低い声が聞こえた。人を突き放すような刺々しい圧がありながら、どこか震えているような声だ。会社のお手洗いで聞いた声と同じだと、今更気付いた。あの時は混乱していたから、気にしていなかった。
私は白い陶器のドアノブを回し、中を覗き見た。中は暗く、明かりもない。一つだけカーテンが開けられている窓が、とても明るく見えた。
部屋に入ると、カンテラがぼんやりと薄緑色に光り出した。ヒカリゴケのように、とナツキさんが言っていた意味が分かった。これを集めて置いたら、さぞ幻想的な光景が見れるだろう。
扉を閉めると、急に静かになって、緊張が増した。胸の辺りがぞわぞわとして落ち着かない。自分の一挙一動を監視されているかのようで、肌の表面がぴりぴりとする。
ルルゥさんはカーテンの開いた窓際にいた。窓の側に置かれた椅子に足を組んで座っている。相変わらず、顔は隠されている。机を挟んで向かい側にもう一つ椅子があった。
彼は何故顔を隠すのだろう。
「座れ。」
と、ルルゥさんは言った。やはり、どことなく覇気のない声だった。
「失礼します。」
就活の時の面接を思い出して、緊張を通り越して気持ち悪くなってきた。カンテラを足元に置いた際のカシャンと鳴る音も気になる程だ。
前を見た。ルルゥさんは窓を見ている。布は顔の前面だけを隠し、布に通された黒い紐が後ろで結ばれている。黒い生地には緑と金の糸で一部刺繍がされている。十字の上に斜めにした十字を重ねた物が幾つかあって、それは夜空を表していた。
布の隙間から白い肌が見えている。耳は尖っていない。束ねられた黒髪は前に垂れていて、長さは胸元辺りまである。服はシンプルな白のカラーシャツに、黒のパンツで、全体的にオーバーサイズでゆったりとしていた。
「あの。」
「君を帰すことは出来ない。だが、君を連れて来た理由なら話すことが出来る。それにしても、出来ればもう少し時間が経って、馴染んでからの方が好都合だが。」
「今、教えてください。」
「……いいだろう。」
微かに彼が笑った気がした。だが、陽気な意味ではなさそうだった。
「まず、この館について話さなければならない。」
ルルゥさんはまた窓を見た。釣られて見ると、月が目に入った。すぐに見ているのは月ではなく、空を切り取る窓そのものだと気付いた。
「建てられたのは1000年程前のこと。君のいた日本では、そう、平安時代と言ったか。増築や火事で、今までに三回ほど大掛かりな建て直しを経て、今の形になっている。何度も建て直しが行われた理由は、この館の持つ性質にある。」
「性質?」
「この館には魂、自我があり、そして夢を見ている。現実世界と重なってはいるが、根付いてはいない。だから、この館に滞在する間は誰もが、微睡みの中にいるように、夢の中にいるように、世界と隔絶し、決して終わりに到達しない。つまり、この館は延命装置なのさ。」
「それ、は。」
それはどういうことなんだろう。理解が追いつかない。
現実に根付いてない館は、現実に存在しないということではないのか。そもそも、夢を見ている館ってなんだろう。館って建物じゃなくて、人の名前だったりするのか。いや、さっき建てられたと言ってたから、やっぱり建物の館なんだろう。延命装置というと、終末期医療……は延命措置をせずに緩和ケアをするようなことだったから違う。言葉の雰囲気だけが似ている。そもそも、此処は病院ではなさそうだし、バリアフリーも勿論ない。
そういう考え方では理解出来ない。何か身近なものに例えよう。
空に浮かぶ気球にずっと乗っているようなイメージだろうか。地上で何かがあっても届かない代わりに、気球の中で起きていることも、地上の人は知る由もない。燃料が尽きるまで、ずっと空を漂い続ける。そして、それに乗る人は、パラシュートを広げるまで、地上と違うゆったりとした時間の中を過ごす。
現実のそれと違うのは、そのゆったりした時間が、恐らくいつまでも終わらない永遠の時間であるということ、そして、空中ではなく夢の中を浮かんでいるということだろう。
「僕の話を理解しているか?」
「取り敢えず、此処に居たら死なないってことですか?」
「まあ、そうだな。」
少し呆れたようにルルゥさんは言った。意味の分からないことを矢継ぎ早に話された上にその態度で、腹が立って来たが腹の底に沈める。教えて欲しいと言ったのは私だ。分かり易くと言い忘れたのも私だ。
「その性質故に、避けられない終わりを引き伸ばそうとする者達の手によって、長い間、奪い合いがされていた。しかし、500年程前に、ある事件が起きた。」
「事件?」
「この館の核である、館の魂が行方不明になったんだ。」
「迷子とか?」
「そんな程度の話ではない。」
ルルゥさんはわざとらしく、はぁと溜め息を吐いた。私は流石に苛々として、自分の理解力を棚上げにして眉を顰めた。すると彼は少し勝ち誇ったように、ふっと鼻で笑った。
「何なんですか。」
「何がだ?」
「今の。ふんって、鼻で笑って。」
「君が変な顔をするから笑っただけだ。」
「してませんよ、失礼な。」
「先に無礼を働いたのは君の方だ。」
「いつの話ですか?」
「話を戻すぞ。」
すぐに思い付く無礼は窓から脱走したことだが、あれは無礼と言えば無礼だが、無礼以上のインパクトがあるので違う気がする。それよりも、一番最初に会った時に、親切に差し出して来た手を無視したことの方が明らかに無礼だった。もしこれだとしたら、この人は凄く根に持つタイプの人だ。
「行方不明になった館の魂は、元々鏡の中に秘められていた。後々に分かったことだが、その鏡さえあれば、館は形を変えても性質を維持出来た。それを利用して、鏡を移動させることで争いを回避したこともあった。」
館の魂なのに、館じゃなくて鏡の中に住んでいたのか。それはもう、館じゃなくて鏡の魂なのではないか。いや、館全体に性質を与えるなら、館の魂と呼んでもいいのか。
「君が通って来た鏡だよ。」
「あの鏡は重要アイテムだったんですね。」
「最も重要だ。しかし、魂は抜け出した。」
ルルゥさんが頬杖をして、溜め息をついた。今度は当て付けではなく、本当に疲れているように見えた。もしかしたら、体調がまだ戻りきっていなかったのに、話をしているのかも知れない。
服の上からもその体の細さが分かる。あらわになった手首は骨と皮で出来ていて、長い手指は骨格標本のようにゴツゴツとしている。体調云々ではなく、何か病気でもあるのだろうか。
「その事実が露見すると、館の、と言うよりは鏡の奪い合いは終わった。価値がなくなったんだ。最後の住人達は焦ったよ。延ばせると思った寿命が急に終わることになったのだから。だから、代わりの魂を鏡に入れることにしたんだ。」
「そんなことが出来るんですか?なら、何でもいいじゃありませんか。」
「まさか。別の魂を入れた所でその場凌ぎでしかない。もって100年。長くても200年程だ。元の性質にも届かない。永続的な延命ではなく、それは少しばかり時の流れを遅くする程度だった。だから、僕達は館の魂を探していた。」
ルルゥさんは頬杖をやめて、姿勢を直し、私を真っ直ぐと見た。黒い布で伏せられた表情は窺い知ることは出来ない。
しかし、怖いくらいに彼の目が私を捉えていた。
「そのことと、私が此処に連れて来られたのは関係ありますか。」
「勿論。君こそが抜け出した館の魂なのだから。」
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