02 お呼ばれファーストコンタクト
誰かも分からない腕に掴まれ、鏡の中に引き摺り込まれた私は、何かふわりとしたものに包まれた後、床に優しく置かれた。
咄嗟に閉じていた目を開けると、そこは、何かの儀式の間のようだった。足元には魔法陣のような、円や外国の文字か記号に見える物が、白く荒い恐らくチョークで書かれていた。灯りが円に沿って並べられた蝋燭しかないため薄暗く、部屋の端の方まで見えないが、あまり広い部屋ではなさそうだった。
「怪我はないか。」
突然、耳元で声を掛けられ、吃驚してそちらを見ると、そこにいたのは、顔を黒い布で隠した、恐らく男性だった。そして、私と手を繋いでいた。
慌てて離すと、彼は繋いでいた手を見た後、私へ顔を向けた。
「怪我はしてないか。」
「してないです。あの、どちら様ですか。此処は何処なんですか。」
「僕の名前はルルゥ。此処は僕の家だ。」
「どうやって此処に連れて来たんですか。」
「鏡を使った転移魔術だ。君があのタイミングで鏡に映るかは賭けだったが、どうやら僕は運が良かったらしい。」
「よく分からないですけど、仕事があるので帰りたいんですが。」
「それは駄目だ。」
ルルゥと名乗る男は立ち上がると、こちらに手を差し出して来た。白く細いが骨張っている手だった。私はそれを無視して、自力で立ち上がった。行き先を失った腕を彼は少し見つめてから、そっと腰の横まで下げた。
「な、何が目的ですか。元の場所に帰して下さい。」
「それを許可することは出来ない。此処では人の世の決まりごとは通用しない。」
「どういうことですか。何で私が。」
「君だからだ。僕は君に会うのを500年待っていた。兎も角、君はもうあそこには戻れない。此処で生きていくしかないと思って欲しい。」
そこまで言うと、彼はカツカツと靴を鳴らしながら、こちらに背中を向けて扉の方へ向かった。彼の羽織っている魔法使いみたいな黒いローブを見ると、生地の表面に黒い糸で刺繍がされているのがちらっと見えた。顔を隠す布にも、花の刺繍がされていた。ああ言うのはお高いだろうな、と何となく思った。
正直、色々なことが一度に起きていて、頭がパンクしていたのだ。クールダウンさせるために、くだらないことを考える必要があった。
部屋の扉を開けたルルゥという人は、部屋の外にいる誰かと話しているようだ。会話の内容までは聞き取れないが、背を向けてる今が逃げ出すチャンスかも知れない。
会社に返せと強く言いたいが、相手の得体の知れなさが怖い。何をされるか分からないので、怒らせるようなことはしたくない。穏便に話し合いか、二度と顔を合わせない形で解決したい。
後ろを振り返ると、大きな姿見が置かれていた。とてもシンプルな作りで、縁のない鏡面とそれを支える金属の土台のみで出来ている。それは先程見た物と違い、黒く濁っておらず、私の姿を左右対称で映している。指先でつついてみても、思った通りの硬い感触しか返って来なかった。
周りを見ても窓らしきものもない。通りで部屋の空気がこもっている。
その姿見以外周りには物らしい物はなく、改めてこれを通って来たのかと考えると頭が痛くなって来た。人間は鏡を通り抜けることは出来ない。だが、そうと考えなければ現状の説明がつかない。
そもそも此処は何処なんだろう。
「僕の家」は回答じゃない。
実は何か薬を飲まされて、眠らされた所を拐われたとかならギリギリ現実にありそうだ。だが、身代金目的だか性犯罪なのか目的は分からないが、こんな黒魔術を前面に押し出した部屋で、手足も拘束せずに放置するのは、何が目的か全然分からない。
危害を加える気がないのか。ならば、身代金が狙いか。しかし、それなら尚更、何故一般庶民の私を選ぶんだろう。
もしかして、生贄とか。
「ナオ様。」
「うわっ、はい。」
「驚かせて申し訳ありません。私はナツキと申します。この屋敷の召使いをしています。」
ナツキと名乗ったその人は、裾の長い古い時代のデザインのメイド服を着て、髪を上の方でお団子にまとめていた。年は、20歳位だろうか。可愛らしい顔つきをしていて、人懐っこい笑みを浮かべている。
「ご主人様から言いつけられました。これからはナオ様のお世話をするようにと。」
「お世話?」
「はい。お食事から身嗜み、身の回りのことは全てナツキにお任せください。それでは、まずナオ様のお部屋にご案内致しますので、私について来てくださいませ。」
「ええ、あ、はい。」
勢いに押されて、私は返事をした。彼女の後ろについて歩く。歩く度に、会社用のサンダルがパカパカと情けない音を鳴らした。彼女の足元からはコツコツと、規則正しい踵の音が聞こえ、私は一人恥ずかしくなった。
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