-6- 燐光おちる時

 セシリア達に事情を説明して暫く。

 先程までは穏やかな気候であった岩の地が、陽光を真上に置いては風吹き荒ぶ熱地と化していた。

 例の大樹の下には涼しそうな木陰が出来ているが、誰も其処に立ち入ろうとはしない。


 此処は墓なのだと、キッドは言った。

 何にも侵されず、ひたすらに海を、遠く五大陸を見渡せる場所なのだと。木の精霊に誓いを立て、墓標として大樹を生んだのだと。


 彼が此処に封じたのは、大陸の吸血鬼でも、呪われた王女でも無い。……悲運の末に果てた、最愛のヒトであった。


「……ダメだよ。ちゃんと還してあげなきゃ」


 魔力で生んだものにはそれが干渉し続ける。きっと良くない事だと、根拠は無いらしいがセシリアはそう溢した。


「お祖母様も、解放してあげなさいって言ってたでしょ」


「……そしたら、砂地から出て行けともな」


 彼女に話せばどうなるか。

 かつて幻滅では済まされないと危惧していたキッドであったが、栗色の眼は多少の陰りを見せども、ただ唇を引き結んでは優しく頷くばかりであった。


「仕方ないよ。あたしだって、所構わず火を放つ人が近くに居るのなんてヤだもん」


 けれどやはり、静かな怒りで以て非難はされていた。

 その罪だけは決して忘れないでと、涙滲む視線の先で言い放ち……彼女にしては珍しく彼をその胸に抱き止め、宥めるように頭を撫でていた。


 話してくれてありがとう、とも。


「それに、貴方自身を守るためだよ」


 深く息を吐き、天に向かっては大きく腕を伸ばす。まるで陽の光を掴むように掌を開いたり閉じたりと解し、緩やかに立ち上がった。

 そして、同じく目前に座り込むキッドの側へ屈み、両の頬を柔らかくつねり上げる。


「暗い顔ばかりで、表情筋固まったんじゃない?」

「ほぁ」

「砂の地どころか五大陸をも飛び出す事を、セシィさんは提案します」


 ……ああ、この娘はまた。


「みんなで一緒に行こうね。……嫌とは言わせないから」


 悪戯を企てる子供のように笑んだ後、つねるままの頬を無理矢理笑顔の形に作り上げる。

 向かう私の顔にも、久しい笑みが浮かんだ。


「やはり敵わぬな。キッドよ」

「……ほうだな。いへぇ」

「あと、預けたモノは返してね」


 腑抜けた声に次いで、セシリアは親指だけで口端を上げ、何を思うたか人差し指で目尻を下げている。


「ふふっ、変な顔!」


 そして、唐突に噴き出し、同時に隣のカノンも釣られて笑み溢した所で離れ、熱風煽る翡翠色のマントを翻す。視線の先には大樹があった。


「解放したら、どうなるの?」


 声音を落とし、亜麻色重なる横顔だけがこちらを見る。


「……体を媒体に生やしたから、ただ木が消えて何も残らねぇかな」


 それに応えるよう、同じく立ち上がり、緩やかに大樹へと歩み始めるキッド。自身の荷から、かつて投げて寄越されたギルヴァイス家の印を取り出し、セシリアへと手渡していた。


「魂まで留めてしまってたなら……どうだろ、ラヴェストが連れてってくれんじゃね?」


「木精ちゃんかぁ。どんな子だろ」

「四精霊と違って、あんまり喋らねぇヤツだよ」


 私とカノンは腰を上げぬまま、それを見守る。

 この地へ降り立ち、彼は恐らく……初めて幹へと近付くのだ。

 手を伸ばすその様に、一人密かに身構える。それが真に姉上とするならば、無論私も寄り添い、触れたい。けれど、そうしてしまえば相対するのは、異なる存在であったのだ。


「よおシェーラ、久しぶり。まだこんな…… 立派に残ってると思わなかったよ。ラヴェストが気を回してくれたかな」


 ……。

 隣のカノンをちらと見る。何処かに視線を向けるでもなく、ただ大樹を眺めているようであった。


「悪いな。実は、枯れて無くなるならそれでも良かったんだ。もう来る勇気も無かったし」


 僅か俯き、幹にこつりと額を当てる。彼が触れる分には何も起こらぬのか、風に煽られ、葉の擦れ合う音と崖下の波音だけが響き渡る。


「つーかお前、王女だって? あんなに木登り上手い王女って何だよ。信じらんねぇわ。……つって、妹も末恐ろしい蹴りとか拳とかぶちかましてくるんだけど、どういう教育受けたらそうなるんだ?」


 軽口を叩きながら、幹を撫でる。その内容にふと息が漏れるも、口端が上がるには至らなかった。


「確かに最初は……何となく波動が似てると思ったから追ったよ……でも、それ以外似てなさすぎだろ。気付かねぇよ」


 …………。


 ああ、そう、……そうだったのか。


 ならば、やはり……私達の出会いは、最初から……。


「俺、行ってもいいかな。ファルトと、みんなと」


 ぐ、と拳を握る。

 今こそ全てを終えて、此処からまた旅立つのだと、そう思える状況だというのに、心に澱むのは……。


「こういう時こそ返事が欲しいのにな。カノン、何も見えねぇんだろ?」

「うん。いない」


 声掛けられ、緩りと立ち上がって辺りを見回すカノン。

 釣られ、ようやっと私も腰を上げ、陽光に目を細めながら大樹を見上げた。


「留めてるからじゃない? 解放したら、フワッと出てきそう」

「はは、そうかもな」


 小さく笑い、彼は大樹から一歩退く。

 深緑を見上げつつ、印を象るように手元が揺らめいていた。


「あんまし良くない状況なら……早いトコどうにかしようか。カノンにも見えないまま消えるかも知んねぇけど……。つーか、もし出てきても怒んなよ? 知ってて手ぇ出したワケじゃねぇから」


 後半、小声でそう言い、これまで聞いた事も無いような穏やかな速度で、術を紡ぎ始める。


「……」


 始まってしまった。……否、遂に終わるのか。


 それは恐らく、成し遂げなければならない。姉様の為……何より、キッドの為に。

 捨て置いて大陸へ渡ろうとも、それはずっと付き纏うだろう。此処がある限り、彼は呪われたままなのだ。


 だから、止めてはいけない。この先の可能性を口に出してはいけない。


 女の悲願が成就されると、気付かれてはならない。


「レリィワーズ」


 悲運の連鎖。次こそは私の番だと……知られては……。


 ――……ィィィィィィン


 解呪の術が放たれると共に、彼が触れている幹からびゃくろくの光がなぞるように大樹へと広がり行く。そして、落葉の如くひらりと光落ちたかと思えば、全ての葉が続くように落ち、最後には幹ごと光の粒と成り、掻き消えてしまう。


 そうして思うよりも呆気無く、沈黙が降りる。

 鮮やかな緑の一切が消えた岩の地は、青天の空の下にて、その名に相応しき薄鈍一色と成り果てていた。


「あ……」


 波の音と共に、隣で小さく声が上がる。視線を移せば、カノンの表情が強張っていた。


 それを静かに認めて、私は僅か視線を落とす。

 溜息すら漏れてしまいそうな唇、それを強く引き結んでは緩やかに面を上げ、前方の二人を見据えた。


「私達の出会いは確かに、連鎖の内に組み込まれていたものなのかも知れない」


「え?」


 唐突に声を張るこちらへ、二人が同時に振り向く。

 思えば僅かな期間であったけれど、とても長い年月を共に連れ添ってくれたような気さえする。

 感謝の言葉だけではもう、言い表すに足りぬほど。


「それでも……いえ、ならば」


 ありがとう。私を生かしてくれて。

 ヒトとして、愛してくれて。


「あの日、貴方が降り立ってくれたのは、姉様が……シェーラが引き合わせてくれたものだと、私はそう信じるよ。キッド」


 視界滲む中、笑顔は乗せられただろうか。

 愛しきその表情を読み取る前に、カノンが悲痛な叫びと共に立ちはだかっていた。


「おまえっ……なんで……!」


 その背の陰に在りながらも、まるで突風に煽られるかのように、身がよろめく。

 転倒は免れたものの、踏み張る足に自身の感覚は無かった。


 訝しみながら、セシリアが駆け寄ってくる。過ぎ去る風を追うようにして、カノンがこちらへと振り向く。


 ……ありがとう。

 本当に短い間だったけれど、愛している。

 この意識消えてしまおうとも、ずっと、変わらず。


 陽光の熱すら感じ得なくなる頃、彼らの陰で揺れ動く、褐色のマント。

 それを見届ければ、目を閉じるような静かな闇に覆われ、私は……――



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Catastrophe《カタストロフィ》 薄荷羽亭 @peppermint-paty

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