-5- 光なる者たち

 再び薄鈍の地を踏み締めたのは、陽が完全に東の空へと登り切る頃。


 翼と術ではやはり術が勝るようだが、カノンの飛翔はヒト一人抱えても尚速かった。故に、此処から港までは術で四時間というそれと同等に見ても良いはず。

 一度風に乗れば、翼を煽る回数も数える程度であった。私ですら飛び続けられたのだから、休憩もそこそこに辿り着けるとは思うのだが。


「昔話でもしようか」


 飛行の最中は風の音が酷く、言葉交わせずにいたキッドが突然そう切り出す。大樹からはかなり離れた地面に腰を下ろし、荷から水筒を取り出していた。


「つっても、そう遠い昔でも無いな」


 私は立ち尽くしたまま、その言葉を背に大樹を見上げる。

 女の声は聞こえない。翼も消えた今や、あの透けた身に再び触れられねば干渉出来ぬのであろう。

 後はもう、解放とやらを彼が施すのみなのだが、セシリア達を待つのか、まだ気が乗らぬのか。


「俺が……そうだな、十七くらいの時までは、ばーちゃんと二人で住んでたんだよ。あの家」


 勝手に話し出すそれが早くも沈黙を挟む。どうやら、水を飲んでいるようであった。


「……で、ある晩、海が荒れに荒れてさ。次の日、色んなガラクタが打ち上げられる中に人も流れ着いたんだ」


 ……。


「そりゃもう酷い有り様でさ。絶対死体だと思ったけど、なんとか生きてたんだよな」


「それが、シェーラか」


 悪寒が走るように総毛立つ中、知らず口が動く。


「最初に、エルだかシェラだか自分で溢してて、それしか覚えてなかったから俺が勝手にそう呼んだんだ」


「……そうか……だから」


 腑に落ちぬ何かが、ずっと纏わり付いていたのだな。


「術で一気に治すと記憶が戻りにくいっつーリレ……精霊の忠告から自然治癒に任せたけど、治んのに三ヶ月は掛かったし、結局記憶も戻らなかったしで、仕方ねぇからうちで面倒見ることにしたんだ」


 まるで何処かで聞いた話であった。


 操られている訳でも無いというのに、徐々に身の感覚が無くなっていく。もはや、地を踏み締めているのかどうかすら。


 望まずとも、昔話とやらは続く。そちらを見る事は無いまま、私はただひたすらに大樹を眺めていた。


 何故だろうか。此処に立ってこうしていると、終わりが見えてしまうよ。リリス。






 曰く、彼女はもはや家族として馴染んでいた頃。月日は流れ、あの土地には珍しく、遠方アズの村から一人の若者が訪ねてきた。


 元々変人扱いの上に他者との関わりに消極的であったラバングース一家だが、好奇心旺盛なその若者と交流を重ねゆく内に、いつしか村とも打ち解ける。


 恐れられていた随一の魔物とやらが知らぬ間に消えていた事もあり、最初の若者以外の住人らも訪ねてくるようになった。……そう、いつかに放たれた、祖母の妙な口癖がこびり付いてしまう程には多くの者が。


 物珍しい魔道を扱う一家に村仕事の助力を請うたり、謝礼として物資や食料、金銭の遣り取りがあったりと、互いに良好な関係を築き上げていたのだが……ある日突然、祖母が消える。

 前触れなど一切無い。事故にしては余りにも不自然な失踪に、住人らは疑いを掛けた。家族であったはずの、シェーラに。


 彼女には魔が憑いていると誰かが言った。根拠があったのかどうかは分からない。

 キッドはそれを強く否定した。

 村への往来が最も頻繁であり、多大なる信頼を得ていた彼には、幸か不幸か疑いが掛からず、住人らは説得を試みた。魔に魅入られ、唯一の肉親を失い、囚われてしまった哀れな青年。そう見做され、二人を引き離すべく連日彼女にのみ襲撃が行われた。


 命を脅かす存在を野放しにしておけぬという思いもあったのであろう。それとも、今後も有益となる彼を是が非でも手離す事を惜しみ、躍起になったのか。


 そうして幾日かが過ぎ、先に音を上げたのはシェーラ。自身を守り、疲弊していくキッドを見兼ね……あの家に黒い染みを残す事となった。


 全てが最悪な形となり、絶望と共に激昂した彼は、先日商人女に責め立てられた暴挙に出る。幼少から培った技を、あろう事か村に放ったのだ。

 もはや、全てを焼き尽くす意図で。


 けれど、逃げ惑う住人を目の当たりにして怖気付いてしまい、自身の手では無く精霊に消火を命じて逃げた。


 被害がどの程度であったのかは確認していない。死者が出たのかすら分からないが、小火ぼやでは済まされぬ程の炎を撒き散らした覚えはあるという。

 混乱収まらぬ内に、彼は家を、砂の地を捨てた。

 それが、一年と少し前の話。


 昔話と呼ぶには相応しくない程、最近の事であった。



「転々としまくって、最終的に流れ着いたのは昔住んでた土地だったよ。何となく訪ねてみたら空き家になってたな。……別に不思議でも何でもなかったけど」


 大抵の日々を火の地で過ごし、緑の地と往来しながら、困窮せぬ程度に稼いで適当に生きていたと、その口が語った。……あの日まで、とも。


 その目に、例の光景はどう映ったのであろうか。絶望のほむらを二度も目の当たりにして。境遇は違えど、恐らくは自身と重なるものがあったはずだ。


「どんな理由があったにせよ、村に火を放った俺は町の人間と同じだ。その事実を安易にお前と共有しようとしてたのは……悪かったよ」


 どちらにも加担出来なかった彼。どちらの行動も理解出来た彼。故に目も背けず、彼らの死を焼き付けた。

 自身の手から生み出される力が他者にどう作用するか。故郷の者達にどのような影響を及ぼしてしまったのか。今一度認識する為に。

 そしてそのしょくざいを、生き残った王女を救う事で求めた。


「お前を咎める資格など、私には無い。そもそもあの商人男の発言からして、お前の炎はヒトを焼いておらぬと見受けるが」


 久しく発した自身の声は、思いの外静かなもの。

 ようやっとそちらへ振り向き、けれど視線は合わせぬままに、僅か顔を俯けた。


「昔話は終わりか?」


「え?……うん、まあ……」


「そうか。ならば今一度問おう、キッドよ。……否、お前はやはり、知らなかったのだな」


 再三流し尽くした涙にて、視界が歪む。

 思えば長く旅路を共にして、一度たりとて例の質問を彼の前で口にした事は無かった。


「紅蓮の衣服を纏った、赤髪の女性を見た事はないか」


「……え?」


 一度でも。

 一度でも口にしていれば。

 私と彼は、此処までどう歩んできたのだろうか。

 私の拠り所は、何となっていただろうか。


「歳は当時なら十九。背丈はそこらの男と並ぶ程には高く、それでいて華奢な体格であった」


 荒れ狂う波に飲まれた彼女と、嵐の翌日に流れ着いた人間。

 城に戻らなかった王女と、記憶の一切を失い、故郷へ帰る術をも失くしたその人。


「名をビアンカ。……ビアンカ=シェル=マイア=ダルシュアンという」


 別人だなんて、考えられなかった。


「ダルシュアンの第一王女であり、私の姉だ。だが、先代王妃を色濃く受け継ぐその面影は、私とはことごとく似ていない」


 そのおもをよく知るであろう元宮廷魔道士の祖母も、目の不自由にて気取る事叶わなかった。引退後は城に顔を出さぬが故に、その存在すら耳にした程度であろう。


「なに……言ってんだよ、いきなり」


 知ってか知らずか、彼は明らかに震う声でそれだけを絞り出す。


「四年ほど前の航海の日、嵐の夜にて海へ投げ出され、消息を絶った。宮廷魔道士の力を以てしても、行方は掴めぬままだ」


 頼りであった波動とやらは、記憶喪失により劇的に変化していた。目視は困難である辺境に、彼女は流れ着いていた。

 どうして誰も結び付けなかったのか。一般的な知識に非ずとて、過ぎる位はあったはずだ。

 それとも、その存在を城から離せるならと、思惑でも働いたのか。


「本来なら、そのまま命を落としたと考えるのが妥当であろうな。だが、述べた特徴に当て嵌まるものがあるならば、可能性は決して低くは無いはずだ」

「……」


 祖母とは違い、見えている彼にも私達が姉妹だとは分からなかった。……先に述べた通り、似ていない。セシリアにすら言及された事であり、城でも散々言われてきた事だ。

 先代王妃の若かりし頃か、第一王女そのものを知らねば、あの辺境でそれらは繋がらぬ。


 そうして様々なものが重なり、彼女はあの地へ留められる事となったのであろう。


「そうだな。昔話とやらに補足でもしようか」


 先程まで饒舌であったその口からは、言葉が失われてしまったらしい。それを追い立てるでも無く、私は緩りと自身の掌を見つめた。


「吸血族が長きに渡り、その欲を抑え続ける事など不可能だ。ヒトで無くとも血を流す生体全てを喰らう。例えば、魔物も」


 いつの間にか消えていたというそれ。どのような脅威であったのかは知り得ぬが、彼女の身体能力は私と互角かそれ以上。

 剣技を得手としておられたが、武器など持たねども血に飢えた鬼と成り果てていれば、鋼の爪となる。


「だが魔物など、決して代わりには成り得ぬ。そうして肥大した欲は確実にヒトへと向かう。理性など無い。故に、身近な者が犠牲となる」

「……めろ」


 視界の端に捉えていた手が、徐に拳を握る。一瞥すると、俯けた口元が強く引き結ばれているように見えた。


「飢えていれば、老いも若きも容赦無い。骨を残して全てを取り込む」


「やめろつってんだよ!」


「ならば否定しろ! 痕跡は皆無であったと言えるのか! 少なからず返り血を浴びたはずの彼女の衣服はどうした! 祖母が従えていたらしい精霊は何故何も語らぬのだ!」


 在りし日の彼女は、恐ろしい程に機転が利いていた。記憶が無くとも全てを隠す程の冷静さを持ち合わせていたというのなら、私はただ頷く。


 姉上は、そういう人であった。


「そんなの、俺だって……」


 戸惑い滲むその眼と同じ揺らめきで、かつて祖母の霊に問い掛けていた事があった。誰にやられたのかと。……キッドよ、お前も本当はそう思うていたのであろう?


「魔に憑かれていると示されたそうだが、恐らくはお前が見落としている様を誰かが目撃した可能性が高い」


 過ごした日々の全てを聞いた訳では無い。けれど、あるはずなのだ。些細でも奇妙な行動が。

 鬼だから。ヒトでは無いから。


 己自身が、魔だから。


「村人からの襲撃、疲弊するお前を見兼ねて……違う、そうではない。そんなものでは……」


 言い淀み、遂には嗚咽が漏れる。

 きっとどこかで分かっていた。もはや、アーシュレインと姉上を繋げてしまう方が自然だ。先に生を受けた彼女こそ、何かを色濃く受け継いだに違いない。

 それでも、見て見ぬ振りをしてしまった。そうやって遣り過ごして、少しでも共にある事を選んだのだ。……私も、キッドも。


「姉様はお前を喰らいたくて仕方無かったんだ……ヒトの味を思い出した、その日から……」


 あの家で聞いた彼女の最期に、再び思い馳せる。

 伏して動けぬ人間を前に、我慢の限界はとうに超えた鬼の身が詰め寄るなど、想像に容易い。


「祖母と同じ目に合わせてしまうくらいならと、その衝動ごと自らを絶ったんだ……」


 何とか耐え抜き、遂に自身の胸をナイフで突いた。

 それでも、動けてしまう。生命が極限に近付く程に、糧を欲する。

 だから首も切った。多く血を流せば早い段階で動けなくなるはずだと、腹も刺した。

 まだ足りない。もう一度、もう一度と。


「う……っく」


 やはり、想像たるに痛ましく、凄惨で……鬼として最も醜い最期。


「どうして……」


 一家は何としてでも、彼女の素性を突き止めるべきだった。

 捜索の兵らは術に頼らず、自らの足であの地へ赴くべきだった。


 海に落ちて絶える方がまだ良かっただなんて、あんまりだ。


「どうして!……ねえ、キッド!」


 座り込んだままのそれの目の前へと立ち、胸倉を掴んで立たせる。


「私は生きているのに! 貴方のお陰で生きてこられたのに!」


 困惑なのか悲観なのか、はたまた自嘲なのか。

 よく分からない表情を浮かべながら、それでも彼は私を見ていた。


「同じ男と在って、どうして姉様だけが!」


 揺さ振るそれを嫌ったのか、腕が掴まれる。……そう。その力こそが全ての確信なのだ。


 鬼の力を凌ぐ者。姉上以外に知り得る中で二人在った。一人は、祖である母上。もう一人は目の前の男……では無い。母と契りを交わした父上だ。


 ヒトと鬼、力混じらせ共有する。今の私に僅か術が理解出来るように。


 私の力を凌ぐ者。父と母と時には姉と、この男。

 何の事は無い。自身の知り得る理由で、彼は元より鬼の身を凌駕する事が出来ていたのだ。


 姉上を、吸血鬼を恋人としていたその時から。


「お前には……仲間が居たからだろ」


 伏せてしまった顔を上げ、その色を見る。

 ただ寂し気な笑顔だけが、張り付いていた。


「守ってやれなくて、ごめん」

「……」


 その言葉と表情のどこかに、彼女の面影を見た気がした。

 守る事が出来なかった……それでも、姉上はキッドを守った。

 渇きに冒され続け、その中ですら最後に謝罪と礼を置き、鬼では無くヒトとして。


 恐らく、僅かな時でも幸せであったに違い無いのだ。

 血で生きる身を忘れ、彼の妙な料理で満たされる日々。狭小であろうとも波の音に包まれ、木の匂い漂う浴室で身を清められる平穏。

 決して絶望の淵で絶えた訳では無い。……そうでしょう? 姉様。


「また、平手打ちかな」


 いい加減、輪郭すらあやふやになっていた視界のその向こう。急降下で以て空を割く、翡翠色と淡黄のなり姿かたちが見えた。


「フューウィング!」


 地に激突するかという瞬間に叫び、一旦空中に留まってはすぐさまこちらへと駆けてくる。その後ろで空色の翼を煽りながら、地に降り立つ青年も見えていた。


「何してるのよばかぁぁぁ!」


 唱える様とは打って変わり、情け無く上擦りながら側面より飛び付かれる。まるで束縛の術のように腕が回され、身動き取れぬ有り様となった。


「セ、シリア……」

「世界は広いんだから、狭い視野で悟ったつもりになんないでよもぉぉぉ!」


 よく分からぬ理屈を述べ、締めるように力込められる。けれど、すぐに離れてはキッドへと向き直り、言葉浴びせるべく大口を開いていた。


 が、拳を握り、突然腹に向かって強く突き出す。


「ふぐっ……」

「でっかい図体で小っさく悩んでんじゃないわよばかぁ!」


 結局は怒鳴って私をも引き、二人共に抱き締めるように背に腕が回る。息をついて再びその名を呟くと、背後からも同じように腕が回されていた。


「ルーナ、良かった。無事だった」


 二人に挟み込まれ、セシリアの嗚咽するような呻きが暫し響く。


「ごめんな……セシィ」


 キッドは一言、小さく溢しては彼女の頭を撫で、私も亜麻色の髪を影に肩へ目を伏せ、震うその背を緩やかに撫で下ろした。


 ダルシュアンを離れ、この男と出会った私と姉上。けれど、違えた結果を生み続ける光なる彼ら。仲間という存在。

 それが、我が旅路にどれほどの影響を与えてきた事か。果てなき柔和な香りと共に、強く感じていた。


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