第5話 佛野徹子(2)

 最初は、偶然だった。


 ちょうど、その日、朝帰りで。


 ……「ボランティア」で、デートの経験がない男の子に付き合ってあげて。

 その日のデートでの良かったところ、ダメだったところを「今後のために」教えてあげて。

 女の子を大事にして、良い恋愛してね、とお別れしてきた……


 で、デート衣装のまんま朝早くの道で家路についていると


 小さな女の子が道路に居たんだ。……5歳くらい? 

 最初、虐待かと思ったんだけど……


 服も汚れてないし、泣いてもいない。

 ただ、何か探してる。

 裸足。ついでに、パジャマ姿。


 ……これって。


 話に聞いたことがある。

 小さな子って、家で一人で放置すると、親を探しに家を脱出することがある、って。


 じゃあ、保護しないと危なくない? 

 車、まだ朝早いから少ないけどさ。

 それでもたまに走ってるわけで。


 交通ルールの概念も怪しそうな子、外で一人でウロウロさせたらダメなのでは……? 


 アタシはすぐ行動を起こして、話しかけた。


「どうしたの?」


 女の子、知らない人に話しかけられてビックリしてた。

 警戒してる。


 ……だよね。


 このくらいの子はそんなもんだよ。


 しかたないので、奥の手を使うことにした。


 アタシは、女の子を抱き上げて、抱きしめた。


 ……牝豚の遺伝子で、唯一良かったのは、アタシの見た目が良いことだ。

 アタシはスタイルで劣等感を感じたことは無かった。


 ……だからといって、牝豚に感謝したことは一回も無いけどね。

 あんな牝豚の娘に生まれたくなかった。できることなら。


 おっぱいの柔らかさは、男女共通で気持ちいいはず。

 予想通り、女の子、最初ビックリしてたけど、しばらくすると大人しくなった。


 下ろして、もっかい聞いた。


「どうしたの?」


「……ママを探してる。起きたら居なくなってた」


 やっぱり。


「お名前は? どこから来たの?」


「やまもとすみこ……。あっちから」


 すみこちゃんか……で、おや? 


 すみこちゃんが指差した方向。

 それは、アタシのマンションの方角だった。




 自宅マンションに連れてきた。

 やっぱりそうだったみたい。


 この子、アタシと同じマンションの住人なんだ。


 何号室か知りたかったけど、さすがに無理なんで、エントランスで待つことにした。

 多分、今、親が探してるか、これから失踪に気づいて探しに行くはず。


 そのときにどのみちこのエントランスを通るだろうから、そのときに引き渡そう。


 学校の時間が気になったけど、この子の安全の方が大事だし。

 最悪仮病使って休もうと考えていた。


 二人して、タイル壁にもたれかかって立っている。

 すると、隣のすみこちゃんが


「おねえちゃん、じょしこうせい?」


「そーだよ?」


 すみこちゃんが聞いてきたので、素直に答えてあげた。

 誤魔化す理由もないし。


「がっこう、いかなくていいの?」


「すみこちゃんをママに引き渡してからね」


 こんな小さな子をほっぽり出して登校できるほど、アタシは冷血じゃないんで。


 しかし、勉強が遅れるとテストが気にはなる。

 ……最悪、相方に泣きついて教えてもらうって手があるんだけど。

 相方、学校の成績、トップクラスだから。


 ……でもなぁ。


 潜伏先の学校を選ぶとき「勉強厳しいと思うが、ついていけるのか?」って相方に言われたことがあるから。

 色々引っかかる。


 やっぱついていけてないじゃん、って思われたら悔しい。


 それがあったから、今まで勉強は必死でやってきたのに。

 ここでそれが崩れるのは辛いなんてもんじゃない。


 その辺はこだわりたいよね。

 アタシ、牝豚の子だけどさ。


 ほれみたことか、みたいなこと言われんの、ムカつく! 


 一応さ、相方、アタシの後輩にあたるはずなんだよね。

 アタシがファルスハーツに入ったの、10歳のときで。

 相方は中学2年生だから、14歳のとき? 

 4年先輩なんだよ? 


 それが何で、今はあいつがアタシの上に居る感じになってんの!? 


 たまーに、引っかかる。

 いや、別に悔しいわけじゃないんだけどね。


 別に口ばかりの奴じゃないし。

 アタシのこと、仲間として敬ってくれてるし。

 面倒見いいから、頼れるし。


 アタシが普通の人間だったら、多分惚れてたと思うんだけど、生憎実際のアタシは恋愛というものに拭えない嫌悪感があるから。

 そういう気持ちになること、おそらく一生無いんだろうな。


「ありがとうおねえちゃん」


 すみこちゃんの言葉で、相方のことを考える思考が中断された。


「どういたしまして」


 笑いかけてあげながら、すみこちゃんの親御さんを待つ。


 しばらくすると。


「……なんでおねえちゃんの髪は黄色なの?」


 いきなり、すみこちゃんがそんなことを言ってきた。


 おや? いきなりそんなことを聞いちゃう? 

 小さい子、容赦ないなぁ。


 多分、純粋に気になったから聞いてるだけなんだろうけど。

 大人だったらそんなこと聞けないよ。

 相手、気を悪くして怒り出すんじゃないかと思うもんね。


「染めてるから」


 嘘を言う必要感じなかったから、言ってあげた。

 ウチの高校、頭髪の色に関する校則が無いんだよね。

 それはつまり、頭髪の色なんて校則で指定しなきゃならんような、常識のない生徒はウチには入れないはずだ、って信頼感あってのことなんだろうけど。


 アタシ、それを破っちゃってます。

 ……そういう人間で居た方が、人が避けてくれてちょうどいいかな、って思ったからそうしたんだけど。

 髪が痛むはずだから、正直ちょっと考えてるところはある。

 でも、今更止めるのはなぁ。


「すごい」


「すごくないよ。すみこちゃんは真似しちゃだめだからね」


 おっとお? 

 小さい子に悪影響あるのはまずいな。

 アタシは慌てて釘を刺した。

 アタシなんかの影響を受けちゃったら、親御さんに謝らないといけなくなるから。


「なんで?」


「髪の毛染めるのは身体にすごーく悪いの。おねえちゃんは一身上の都合で、やむなくやってるだけだから」


「いっしんじょうのつごうって?」


「おねえちゃんだけの理由ってこと」


 ……なんだか、ちょっと楽しくなってきた。

 妹って、居たらこんな感じなのかな? 

 もしくは、娘とか。


 そんなことをふと考えたら。


(このガキ! 育ててやってる恩も忘れて私のあの人を誘惑するとか!!)


(アンタみたいな粗チンのゴミより、あの人の方が何倍もときめいて楽しいの。徹子はこっちで預かるから、養育費だけ払ってくれればそれでいいから。じゃあね)


 ……頭を過る牝豚の記憶。


 アタシは牝豚がヒリ出した子だからね。

 そんなの、望んじゃいけないか。


 ……もし望んで、同じことになったらもう、死んでも死にきれないし。

 これが、アタシが恋愛に嫌悪感持ってる理由。


 アタシは恋をしてはいけない人間。

 豚が産んだ子だからね。


「いっしんじょうのつごうかー」


 意味、理解できてるのかな? 

 ……ああ、でも。

 よくよく考えると、この子、どの部屋か分かんないけど、部屋を脱出して、エントランスまで歩いてきて、外に脱走したんだよね? 

 結構、クリアしないといけない問題ある気がするし、相当頭良いんじゃない? 

 いや、行動を起こした理由は幼いんだけどさ。


 じゃあ、ふんわりと言わんとしていることは伝わってたりして。

 だったらいいんだけどな。


 そうしていると


 自動ドアが開いて


 何だか青くなってるスーツ姿の綺麗な女性が、外からエントランスに入ってきた。


 途端にすみこちゃんの顔が明るくなる。


「ママ!!」


「あっ! 澄子!」


 駆け寄ってきた澄子ちゃんを、女性がホッとした表情で抱き上げた。


「良かった! どこに行ってたの!?」


「ママこそどこに!?」


「パパを駅まで送ってたの! 留守番してて欲しかったのに……でも、ママが悪いのよね。あなたが寝てる間にいけるだろうなんて、勝手に判断しちゃったんだから……!」


 あぁ、相当心配したんだろうな。

 家に帰ってみたら、鍵が開いてて、娘が居ない。


 そりゃ、驚くよ。


 で、必死で外を探したのかな。

 スーツ姿だから、専業主婦じゃないよね。

 外で働いてる奥さんだ。


 時間無いだろうに、それでも必死で探したんだね……。


 こんな人がお母さんなんて、澄子ちゃん幸せだよね。

 羨ましいよ。


「外で偶然澄子ちゃんを発見してここに連れてきたんです。じゃ、アタシはこれで」


 一応挨拶だけしておいた。

 後で要らない疑いかけられると困るから。


 時間は……うん。まだギリ間に合うかな。

 急いで支度しなきゃ。


 腕時計を見て、立ち去ろうとすると。


「ありがとう! あなた、このマンションの人よね?」


 オートロックで、外から入るには電子キーが必要なマンションだから、エントランス内にこの時間帯に居たということは、そういうことだろう。

 そう判断したんだろうね。


「名前を教えて! あと何号室? お礼、後でしたいから!」


「……201号室の佛野徹子って言います」


「……え?」


 澄子ちゃんのお母さんは、驚いたようだった。


「じゃあ、お隣さん?」


 ……澄子ちゃんの家は、アタシのお隣だったらしく。

 どうも202号室。

 現代社会の都会の闇なのかね。

 隣の人の家族構成も知らなかったなんて。


 兎に角、こうしてアタシと澄子ちゃんのお母さん……山本香澄さんとの交流がはじまったんだ。




 最初、菓子折りを持ってきてくれた。

 ゼリーの詰め合わせだったかな。

 それを、澄子ちゃんを見つけた日の夕方に、インターホンが鳴って、出てみたら渡された。


「あまり高くないから申し訳ないけど。ありがとうね」


 香澄さん、そう言ってくれたんだ。

 こういうの、はじめてだったから、嬉しくて。


「ちょっと待っててください」


 台所に行って、ちょうど大量に作っていたおでんをタッパーに入れて渡した。

 アタシとしては一番美味しいと思っている、鶏肉と、大根と、じゃがいもをチョイスして。


「作り置き用に大量に作ったやつですけど、良かったら」


 香澄さん、私が自炊していることに驚いて、やたら褒めてくれたよ。

 しっかりしてるのね、偉いわ、って。


 そして、その週の金曜日の夕方。

 また、インターホンが鳴った。


 香澄さんだった。


 出てみると。

 すまなさそうな顔で。


「ゴメン、ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど……」


 何でしょう? 


 ……聞くと、前にお返しであげたおでん。

 やたらと旦那さんに好評で、作り方を知りたい、って言われたらしい。

 で、本来は僕が聞きに行くのがスジなんだろうけど、30過ぎのオッサンが女子高生に料理を習いに行くなんて通報案件だから、悪いけど、聞きに行ってくれない? 


 そう言われたとか。


「で、私が習得して、それを旦那に教えたいんだけど、ダメかな?」


 ちょっと困ったように笑いながらそう言った。


 ……アタシは嬉しかったな。

 自分の料理で他人が喜ぶのは気持ちいいから。


 だからアタシはこう応えたよ。


「じゃあ山本さん、明日時間あります?」


「え?」


「実際に、作って見せますから」


 香澄さん、レシピを教えてもらえれば十分だと思ってたみたい。

 まさか実演までしてもらえるなんて、それは想像して無かったらしい。


 まぁアタシ、基本暇なこと多いからね。たまの仕事と、ボランティア以外、基本予定ないし。

 人の役に立てるなら、そっち優先するよ。そりゃ。


 で、次の日。


「よろしくお願いします。先生」


 トレーナーにジーパン、そこにエプロンつけて、香澄さんがやってきた。

 手にはメモとスマホを持っている。


 これでおでんの秘密を押さえようという気らしい。


「そんなに畏まらなくていいですよ~」


 アタシもエプロンつけて笑いながら鍋を出すと。


「え? ちょっと待って、鍋、それなの?」


 いきなり驚かれた。

 ホームセンターで格安で買える、キャンプで使うような大鍋だったからだ。


「はい?」


「ええ、マジなの? その鍋で、あの味が出るの? ……ウチ、鍋にはお金かけてるつもりだったんだけど……」


 ショックを受けられた。


 聞くと、香澄さんの家は数万円するような特殊な鍋を使ってるらしく。

 この鍋であの味を出したと知り、まるで無駄にお金をかけてしまった気分になったと言われた。


 ……う~ん。

 そういう鍋、別に味だけの問題じゃなくて、調理時間の短縮だとか、ガス代の節約だとか。

 そういう副次効果あるから、全くの無駄では無いと思うんだけどな。


 この鍋は確かに安いけど、調理にはその分時間かけるわけで。


 だから無駄じゃないと思いますけど、と伝えると


「……ようは、私たちが鍋を使いこなせてないってことね」


 さらにショックを受けられた。


 で、おでんを作りながら、待ち時間が出来ると会話して過ごした。


 聞くと、香澄さんご夫婦は孤児院の出で、二人とも親が幼い時にお亡くなりになってて。双方天涯孤独の身の上で。

 孤児院で出会い、仲良くなって、将来結婚しようとそのとき約束し、大人になって本当に結婚したらしい。


 話しているときは楽しそうで、絵にかいたような仲良し夫婦なんだな、ってのを肌で感じた。


「旦那に選ぶなら、慣れてるのが一番ね。まぁ、あの人としか付き合ってないから分かんないんだけどさ」


 照れた感じで言う香澄さんが、アタシは可愛いと感じた。


 ……ホント、こういう人がアタシの母さんだったら良かったのに。


 こうして。

 アタシはこの隣の一家が好きになっていった。

 アタシの人生がろくでもない分、この人たちに幸せになって欲しかったんだ。



 ……だけど……。



 ある日、香澄さん一家が住んでる部屋のドアに、忌中札が貼られていた。

 この家で、死人が出た。その証だ。


 アタシの中の時間が一瞬停止した。

 気が付いたら、インターホンを押しまくってた。


 ドアを叩きながら。


「山本さん!! 山本さん!!」


 しばらくすると、香澄さんが出てきた。

 真っ黒い洋服を……喪服を着た。


「あ……徹子ちゃん……」


 アタシの顔を見ると、香澄さんは泣きだした。


「……ごめんね。ちょっとオバサン、今余裕が無いんだ……」


「……上がっていいですか?」


 何があった、とは聞かなかった。

 最悪の予想が出来ていたし、それを口にして、香澄さんをさらに苦しめるのは嫌だったから。


 うん。と言ってくれたので、アタシは香澄さんの家に上がり込んだ。


 はじめて入る他人の家。


 奥の座敷に、祭壇が設けてあり。


 遺影がふたつと、骨壺がふたつ。

 遺影の片方は、澄子ちゃんの写真だった。そしてもう片方は、会ったことはなかったけど、多分香澄さんの旦那さんの写真。優しそうな、穏やかな男性だったよ。

 澄子ちゃんの遺影と骨壺に。赤いランドセルが供えられていた。


 ……そういえば一週間前、もうすぐ小学校に上がるって話、してたっけ……


 それが、なんでこうなるの? 


 固まっていたアタシの背中に、香澄さんが話し出した。


「……駅前の横断歩道でね。いきなり、暴走したトラックが突っ込んできて……」


「保育園に澄子を迎えに行ってきた旦那と、澄子が巻き込まれて、二人とも死んじゃった……」


「即死で、死体の状況があまりにも酷かったから、直葬してもらって、今ここに居るの……」


「どうしようオバサン……ひとりになっちゃったよぉ……!」


 慟哭する香澄さん。


 ……酷い。酷すぎる。


 こんなのってあるの? 

 何で、こんな幸せな一家が、こんな目に遭わなきゃいけないの? 


 そのとき。


『恨んでやる! 呪ってやる! 地獄に堕ちろ!』


 この前の仕事。

 あのとき、仕置にかけたマトのオバサンの最期の言葉が脳裏に蘇った。


 アタシ……のせい? 

 アタシが呪われたから、この人たちに、呪いが飛んだの? 


 何故か、そう思えてならなかった。


 ……なんでよ。

 ……ストレートに、この牝豚の子の汚れた命を取りなよ。


 なんで、この人たちの命を取るわけ? 

 関係ないじゃんか。


 呪いにしたって……やり方が酷すぎるよ……!! 


 気が付くと、アタシも畳に手をついて、涙をポロポロと流していた。


『お姉ちゃん、お姉ちゃん』


『澄子ね、もうすぐ6歳になるんだよ』


 頭の中で、澄子ちゃんの言葉が駆け巡っていた……。

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