第6話 山本香澄(1)

 私……山本香澄が、彼……山本啓一と出会ったのは、養護施設で。

 年齢でいえば、幼稚園児くらいのときだったと思う。


 よく一緒に遊んで、ませてた私はそのとき、彼と結婚の約束をして、彼の頬にキスをした思い出がある。

(当の彼も、高校の時に本当のファーストキッスをしたときに覚えてくれてて、嬉しかった)


 両親のことは覚えていない。

 何でも、二人とも学者だったらしいとは聞いているが。


 小学生に上がってからも、彼とは仲良しで、クラスで冷やかされても、変わらなかった。

 あまりにも照れずに居るものだから、そのうち公認の仲になってしまった。


 中学に上がり、性の目覚めが起きて、彼を本当の意味で男性として意識するようになって。

 私たちは恋人になった。


 この頃から、彼との間に学力差を感じることが多くなった。

 私は成績が上位クラスで、彼は中間上位くらい。

 このままでは、高校、同じところに行けないと思い、私がレベルを落とすべきかと悩んだら


「僕が香澄ちゃんと同じレベルの高校に行ければ問題ないんだろ」って言って


 必死で頑張ってくれて、高校一年の春、本当に合格してしまった。

 このときの感激は忘れられない。


 そして高校生になり。

 やっぱり仲は変わらなかったが。


 あるとき、彼が酷い喧嘩をした。


 暴力的なこととは無縁な人だったから、驚いた。


 何でそんなことをしたのかと問い詰めても、話してくれない。


「私にも言えないようなことなの? 何で言ってくれないの?」とやや非難するように言ったら


「……香澄ちゃんとの仲はどうなの? もうヤったの? あいつって気持ちいい? ……なんて言われて、許せなかったんだ」


 ものすごく不愉快そうに、そう言ってくれて。

 ……当時、彼とはキスしかしておらず、肉体関係は無かったんだけど。

 彼なりに、私を大事に思ってくれていたから、そうしてくれてたんだと思う。


 ……香澄ちゃんを玩具かなにかのように言われたのがどうしても許せなかったんだ、と彼は続けてくれた。


 それに感激した私は、そのときに彼を強く抱きしめて


「そんなの気にすること無いよ。怒ってくれなくてもいいんだからね……嬉しかったけど」


「でもさ、もう二度と同じ理由で喧嘩しないために……」


 耳元で、囁いた。


「今度……しちゃおうよ。ホントにしちゃってたら、別に腹、立たないと思うし」


 このときの反応、可愛くて。

 今思うと、後で迷わず彼との結婚を決めたのは、このときの記憶のせいかもしれない。


 私は安全日というやつを全力で調べて計算し、その上で、彼にはなるべくいいゴムを用意してもらって、鉄壁の防御で事に臨んだ。

 やたらあっけなく終わってしまい、双方拍子抜けしてしまったのが印象的だった。


 大学も同じところを選んだ。

 学部は違っていたけれど。

 私は理系で、彼は文系。

 講義は別々だったけど、サークルは同じところを選んだ。


 その後、大学を卒業したとき。


 私は院に進んだが、彼はそのまま卒業し、就職した。


 そのときに、入籍した。


「私が院を出たら、一緒に住もうね」


 人生ではじめて離れることになったから、それでも彼との絆を維持するために。

 そういう思いがあったと思う。


 彼の就職先近辺で就職しよう。

 そう、心に決めていた。


 そして2年後、私は院を修了し、運良く彼の就職先近辺で、かなり大きな化学メーカーに就職することが出来た。

 最初は研究員として雇用されていたのだけれど、就職2年後に、私は彼の子供を身籠ってしまい。

 産休を貰い、27歳で長女の澄子を産んだ。


 女の子か……


 彼の子供を産めて嬉しかったけど、本当は男の子の方が良かったんじゃないか? 彼、がっかりしてるんじゃないかな。

 そう思ったから、産後、病院で彼に


「あなたにそっくりの男の子を産んであげられなくてごめんね」


 って言ったら


「何言ってんの。僕の子供を産んでくれただけで嬉しいよ。ご苦労様」


 って言ってくれて。

 やっぱりこの人と結婚して良かったんだ、って確信した。


 職場復帰してしばらくした後。

 辞令が出て、私は営業部に回された。


 入社2年目で、いきなり子供を作ったから、研究員としては使いづらいと思われちゃったか……


 アチャー、とは思ったけど。別に悲壮感は無かった。

 家は変わらず彼と住めたし、技術職としての経験が、営業に活かせるはずだと前向きに考えた。


 幸い、私は営業でもそこそこ活躍出来て、働くことが出来た。

 お客さんにも名前を憶えてもらえたし、ウチの製品の採用もそれなりに取ることが出来た。


 特に不安の無い生活。

 仮に何か起きても、彼と、啓一と一緒に頑張れば乗り越えていける。

 そう思っていた。


 澄子もすくすく成長し、ハイハイから高這いになり、摑まり立ち、と成長するさま。

 言葉を覚えて話し出す様を彼と一緒に見守って


「僕らの両親ができなかったことを、一緒にやっていこうね」


 そう彼に言われて、頷いた。


 本当に、幸せだった。

 そして澄子が5歳になったとき。


 私の所属する営業部の上司が変わった。

 前の上司が定年になったからだ。


 新しい上司は、外から引き抜かれてきたという話で。

 前の上司よりずっと若かった。


 第一印象は、男っぽい人だな、ってことで。

 背もだいぶ高く、私の夫の啓一より高かったと思う。


「山本香澄さんだっけ……前の人からの引継ぎで聞いてる。結婚してるの?」


「……はい?」


 私の薬指の指輪を見て、その新しい上司……根鳥常史はそう言ってきた。

 後から考えると、明らかに変なことを言ってたと思うが、そのときの私は気づかなかった。


 ここで、この男に警戒心を持っておけば、私の家族の運命は変わっていたのだろうか? 




 ある日、啓一が今日飲み会があるから電車で会社に行く、車で駅まで送ってくれないかと言ってきたので。

 送ることにしたのだけれど。


 澄子がまだ寝てて。

 車に乗せて一緒に行くことも考えたが、そうすると絶対起きるはずだから、起こすのも可哀想かな、車で行けば往復30分ちょいだし、多分寝てる間に完了するでしょ。

 そういう見立てを立てて澄子を寝かせたまま車で啓一を駅まで送ったら。


 帰ってきたら、家の、マンションの部屋の玄関ドアの鍵が開いてた。

 あれ? 締め忘れた? と思って、部屋に入ったら……


 娘が居なくなってた。


 血の気が引いた。

 背筋が凍った。


 ……誘拐? 


 だが、部屋には荒らされた跡が無い。

 土足で誰かが上がり込んだ跡が無かった。


 ……まさか!! 


 ベランダの鍵を調べた。


 ひとつも、開いていなかった。


 そこから、ひとつの仮説を立てた。

 娘は、この部屋を脱走したのだ。


 起きたら誰も居なかったから。

 私たちを探して。


 おそらく、玄関から。


 ……じゃあ、今どこに居るの? 


 最悪の想像が頭を過る。


 フラフラと外を歩いて、交通ルールも理解できてないものだから、そのまま車に轢かれる。

 階段から転落し、死亡する。

 変質者に見つけられ、攫われる……。


 私は飛び出していた。

 スマホも持たずに。


 一回家に入ったときに、置いていたのだ。


 結果的に、このミスが良かったんだけども。


 マンション内部と、その周辺をくまなく捜索して、階段周辺を特に念入りに調べた。


 子供の足だから、そんなに遠くまで行ってないはず……! 


 探して、探して、探して……


 見つからない。


 頭を抱え、泣きそうになった。

 大切な、大切な、私と啓一の宝物なのに。


 なんで、車に一緒に乗せてあげなかったのか。


 希望的観測で、この事態を予想しなかった私の甘さを後悔した。


 時間が気になったので腕時計を見た。


 ……出勤時刻が迫っている。


 スマホ……家に置き忘れた。


 連絡だけは、入れないと。職場に。

 社会人の常識だもの。


 事態がいくら深刻でも、連絡だけは入れるのが常識。


 青くなったまま、私は、その社会人の常識を果たそうと思い、マンションに戻って……


 居た。


「ママ!!」


「あっ! 澄子!」


 なんか金髪の女の子と、一緒にエントランスに居た。


 小さい手足を必死で動かして、澄子が駆け寄ってくる。私は抱き上げた。深い安堵と共に。


「良かった! どこに行ってたの!?」


「ママこそどこに!?」


「パパを駅まで送ってたの! 留守番してて欲しかったのに……でも、ママが悪いのよね。あなたが寝てる間にいけるだろうなんて、勝手に判断しちゃったんだから……!」


 目に涙が滲んだ。

 良かった……何かあったら、どうしようかと思った……! 


 最悪、もう娘を抱けないかもしれない。

 そう考えていたから、安堵感がすごかった。


 そこに、金髪の女の子がこう言ってきた。


「外で偶然澄子ちゃんを発見してここに連れてきたんです。じゃ、アタシはこれで」


 良く見ると、ものすごく綺麗な子だった。

 スタイルが抜群によく、顔も相当可愛い。

 目の大きさなんて、アイドル顔負けだ。


 金髪なので一瞬ギョッとしたが、全体の雰囲気からあまり怖い雰囲気は感じず。

 むしろ、朗らかな、優しい雰囲気を出していた。


 年齢は、高校生? 

 ただ、今は制服を着ていなかった。

 上は白いブラウス、下は水色のスカート。そしてブルーのサンダル。

 どうみても、デートに行った帰りみたいな。

 そんな衣装だった。


 ……ひょっとして、学校の準備もしないで澄子のために、ここで待っていてくれたの? 


 私は、確信した。

 この子、絶対良い子だ。


 ありがとう……本当にありがとう……澄子を見つけてくれて……


 彼女は腕時計を見て、立ち去ろうとした。

 これから着替えて、学校に行くのね。

 ……間に合うのかしら? 


 でも、ゴメン! 

 もうちょっとだけ、待って! 


「ありがとう! あなた、このマンションの人よね?」


 この時間帯にエントランスに居るってことは、そういうことの可能性が高いから。

 何故って、このマンション、オートロックだから。


 出るのは自動ドアで出られるけど、入るには内部の住人の許可か、電子キーが要る。

 そういうシステムになってる。


 そして、彼女は言った。


 外で偶然澄子を見つけた、って。

 こんな早朝に、電子キーなしでここに外から入るのはまず無理。


 だったらここの住人以外ありえない。

 名前と部屋を聞いておかないと! 


「名前を教えて! あと何号室? お礼、後でしたいから!」


「……201号室の佛野徹子って言います」


「……え?」


 私は耳を疑った。


「じゃあ、お隣さん?」


 私たちの家は、202号室。


 ……隣に住んでる子だった。


 よく、自分の隣人も良く知らない都会の闇とかいうけれど。

 私たち一家もその例に漏れなかったらしい。恥ずかしい限り。


 お隣さんに、こんな綺麗な子が住んでいたなんて。


 ……それが。

 私と徹子ちゃん……長く付き合うことになる、年の離れた友人? との出会いだった。

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