第3話 佛野徹子(1)

★★★(とあるシングルマザー)


 痛い……痛い……痛い……


 肩が痛い。

 腿が痛い。


 息ができないほど痛い。

 声が出ない。


 動けない。

 うつ伏せの姿勢から、動けない。

 涙と涎が漏れる。

 止められない。痛みが酷くて。



 そして。


 私は殺される。


 ……この、目の前の少女に。



 いきなりだった。


 仕事が終わって、家に帰って。

 鍵を開けて部屋に入って電気をつけたら、すぐ後ろに居た。


 幽霊かと思った。


 姿見で自分を見たとき、スーツ姿の自分のすぐ後ろに居たから。


 黒いセーラー服に身を包んだ、黒いヘルメットみたいなものを被った少女が。

 すごくスタイルが良い子だった。

 胸が下品にならないレベルで大きくて、腰はもう、折れそうなくらい細い。

 お尻は反対に大きくて。

 学生時代の私なら「男好きの淫乱女」って噂を流してたと思う。

 嫉妬して。


 スカートから見える、太腿のラインも、とても扇情的。

 ヘルメットは目を隠していて、顔は半分見えないけど。

 口元と鼻筋で、おそらく美人なんだろうなと想像できた。


 でも、いきなり居たから、当然言った。


「誰アンタ!!?」


 彼女は答えなかった。


 代わりに、激痛が走った。


 立てなくなって、崩れ落ちた。

 うつ伏せになって、倒れる。


 ……何故か、肩と腿の骨が砕かれていた。


 そうとしか思えなかった。

 腕と足がまともに動かなくなっていたから。

 激しい痛みとともに。


「はい、ちょっと待ってね。オバサン」


 すごく落ち着いていて、まるで待ち合わせの約束時間に遅れそうだから、ちょっと待ってて、みたいなノリでそう言ってきた。


「今、アタシの相方が、オバサンの息子を投身自殺に追い込んでるから、それまでそこで待ってて」


 業務連絡。

 そんな感じで。


 でも、その内容は普通じゃなかった

 激痛で声も出せないと思っていたけど、思わず言っていた。


「……ちょっと待って……何でよ……?」


 息子は私の宝だった。

 ろくな稼ぎも無いくせに、浮気した挙句離婚を迫ってきた最低夫と別れて、女手ひとつで育ててきた私の宝物。

 シングルマザーの子だからと、肩身の狭い思いをしないように、私はがむしゃらに仕事を頑張り、息子に通常レベル以上の生活を与えてきた。


 でも。


 中学に上がった頃から何故か息子はグレはじめ、言うことを聞かなくなってきた。


 何故なのか分からなくて、一時期、私は逃げた。


 高校に上がった後。

 息子のクラスで自殺者が出た。ビルから飛び降りたらしい。


 遺書に、息子の名前が書きこまれていたらしく、息子は窮地に追い込まれた。

 特に、自殺した子の母親が「私の息子を返して!!」って泣きながら息子に食って掛かってきていた。


 その母親は、私の大嫌いな専業主婦だった。


 だから、私は言ってやった「息子の冗談を真に受けて、勝手に死んだアンタのバカ息子が悪いんでしょ。ウチの子は全く悪くないわ」


 その言葉で、息子は感激してくれた。

 自分は母ちゃんに愛されてないんだと思ってた。でも違ったんだな、って。


 そっか。この子がグレたのは、私の愛が伝わっていなかったからなのか。

 それが分かったのだ。


 これから。私たち親子はこれからなのに……


「お客さんからの依頼。オバサンに、私が味わった苦痛を与えてあげて、って」


 ……あの専業主婦、殺し屋に依頼したの!? 

 彼女の言葉で私は瞬時に理解した。


 ……なんて奴なの……!? 


 酷い……めちゃくちゃじゃない……!! 


「でね、相方が仕事終わったら動画を送ってくれるから、オバサンはそれを鑑賞して、その後に息子さんと同じところに送ってあげるから」


 待っててね、と事も無げに告げてきた。

 つまり、殺すということ。


 私も、息子も……! 


「やめて……いくらでもお金出すから……せめて息子だけでも……」


「ごめーん。アタシたち、プロなの。そういうお願いは聞けないんだなぁ」


 私が必死で頼んでも。

 へらへらした感じで、まるで嫌みもない言い方なのに。

 彼女はそういう恐ろしい返事をした。


 ピピピッ! 


 電子音。


 それが、彼女のヘルメットから鳴った音だと気づいたとき。

 私は絶望に包まれた。


「あ、きたきた」


 彼女はヘルメットに手をあてて、続ける。


「あやと~? 終わった?」


 心底楽しそうだった。


「ハイハイ~! こっちはやっとくから、明日、またいつものファミレスでね。じゃあ、お疲れ様」


 ピッ、という音がした。


「終わったって。じゃあ、見せてあげるね。オバサンの息子さんの、最期の姿」


 さと……し? 


 私は息子の名前を呼んでいた。


 彼女は、部屋の明かりを消した。

 暗くなる。


 シュボ。


 そこに光。

 壁をスクリーンにして、動画が投影される。

 彼女の被ってるヘルメットに、プロジェクタの機能でもあるんだろう。


 ああああああ……!!!! 


 動画を見て、私は慟哭した。



★★★(佛野徹子)



(へぇ、いい声で泣くじゃん)


 金髪の少年が、黒いヘルメットの少年……相方の下村文人に手裏剣と刀で脅されながら、ビルから飛び降りて自殺するさまを、金髪少年の母親であるオバサンと一緒に見ながら、アタシはそう思った。


 この時点で、あの牝豚どもよりは幾分かマシだよね。


 あの牝豚なら、こうはいかないよ。

 ちょっとだけ、アタシは今回のマトに好感を持った。


 まぁ、好感があろうとなかろうと、結果は変わらないんだけどさ。だって、仕事だもの。


 アタシ、佛野徹子はファルスハーツ「闇の虎」セル所属の殺し屋なんだけど。

 今日のマトは、ちょっと不完全燃焼です。


 もっと、救いようのないクズだと、燃えるんだけどな。

 最初の気持ちを思い出して。


 このマトは、そこまでいかないよね。

 結構、やったことはえげつないんだけどさ。


 自分の息子が他人の子供を自殺に追い込んで、それを謝るどころかバカ呼ばわり。

 死者を冒涜して、結果アタシらに依頼されてしまうという運命になった。


 ウチのセルリーダー「先生」に見いだされるような、理不尽に対する憎悪を産まなきゃ、こうならなかったのに。

 馬鹿だよね~。


 ま、今更しょうがないんだけど。


 動画は、相方がビルの下を覗き込み、下で血だまりの中倒れている少年の姿を最後に終わっていた。


 動画の再生を切り、部屋が再び暗くなる。


「はい。お待たせ。じゃあ、送ってあげるね。向こうで息子さんとよろしくやるんだよ?」


 アタシは、右手を掲げた。

 アタシの右手が輝く。


 部屋が明るくなっていく。


 アタシのシンドロームのひとつ……光を操るシンドローム「エンジェルハィロゥ」の力で、右手をレーザーでコーティングしているのだ。

 これがアタシのコードネーム「シャイニングハンド」の由来。


 アタシがもうひとつのシンドローム……速さを司る「ハヌマーン」の超高速でぶっ叩き、肩と太腿の骨を砕いたせいで、うつ伏せで寝たまま動けなくなってるオバサンに近づく。


 アタシが片膝をついて、腕を振り上げた。そのとき。


「恨んでやる! 呪ってやる! 地獄に堕ちろ!」


 オバサンは、鬼気迫る形相で首を捩じり、粉砕骨折の痛みなど忘れたようにアタシをうつ伏せの姿勢で見上げ、睨みつけてきた。

 呪詛の言葉を吐きながら。


 ……立派だね。牝豚よりも。

 牝豚は、最期の瞬間まで命乞いしたよ。


 ……実の娘のアタシの足を舐めながらね。


「……安心して」


 アタシは腕を振り下ろした。

 アタシのレーザーコーティングされた右手は、オバサンの背中の皮膚を突き破り、体内に侵入する。

 そしてハヌマーンの速度で、オバサンの体内の背骨を掴んだ。

 ここでレーザーを切り、力の限り―――


「アタシらも、いずれ行くから。そのときはヨロシクね」


 ゴキッ……! 


 背骨を引っこ抜いて、外した。

 アタシは、マトをやるときは大体このやり方で殺っている。


 牝豚を始末したときのこと。

 最初の気持ちが思い出せるから。


 引き抜いた背骨を、アタシは投げ捨て、言った。


「じゃあね。オバサン。また会う日まで」


 背骨を引きちぎられて目を見開いたまま絶命したオバサンをそのままに。

 右手に付着した血液を、再び発動させたレーザーで灼き飛ばして。


 アタシは部屋を立ち去った。




 次の日の打ち上げで。


「あやとー」


 昨日の仕事のモヤモヤで、アタシがファミレステーブルで突っ伏していると。


「どした?」


 向かいの席に座っている、アタシと同じ緑色のブレザー姿の男子生徒……アタシの相方・下村文人が気をつかってくれた。

 まぁ、本を読みながらだけど。


 ……どうせ、また武具の資料本だとか、拷問の歴史本なんかを読んでるんだろうな……。

 カバーつけてるから内容分からないけどさ。


 文人は仕事熱心で、しょっちゅう仕事に役立ちそうな本を読んでる。

 意識高いよねー。

 仕事のクオリティ上げて、お客さんの満足度を高めたいから。

 その一言で、辞典くらいありそうな分厚い本でも平気で読んじゃう。


 アタシはそんなのできないから、そこはホント尊敬してるんだよね。


 ……多分、アタシがぶっ壊れた人間じゃなければ、文人の事好きになってたんだろうなってたまーに思う。


 基本的に、彼とは気が合うし。

 面倒見いいし。


 あと、見た目も悪くない。


 彼、元々警察官僚の息子だったらしく。

 小さい時から父親に剣道と古流武術を仕込まれてて。

 体型しっかりしてるし。


 顔つきも精悍な感じで、鷲みたいな鋭い目つき。

 女子連中で気に入ってる子、多いみたい。

(まぁ、あくまで聞こえてくる、だけどね。アタシ女子には嫌われてるし。直接は聞いてないよ)

 髪の毛もしっかり櫛入れて、セットしてるし。

 隙が無い人なんだよね。

 アタシみたいな女と仲良くしてるってことを除けば。


 彼との出会いは、ファルスハーツチルドレンの養成所で。

 彼、中学2年の時に事件を起こして、表の世界に居られなくなって、ファルスハーツに入ったんだ。

 で、私のパートナーに選ばれてしまった。


 ……ファルスハーツとしては。

 彼の才能に期待を寄せてはいたけど。


 もし、ものにならなかった場合は、アタシに殺させ、アタシの殺し屋としての位階を一つ上に上げる生贄にしようとしてたみたい。

 一緒に共同生活した相手を、命じられれば平気で殺せる殺人鬼に。

 そうならなくて、ホント良かったよ。


 こんな世界の住人だけど、友達は居ないより居た方がいいもんね。


「昨日の仕事さ、ちょっと刺さっちゃってさ」


 アタシが愚痴ると。


「刃物が?」


「違うよ」


 刃物が刺さったくらいでこんな状態になるわけないじゃん。

 そんなバカなことを、彼は真顔で言うんだよね。

 狙ってるのか、天然なのか良くわかんないんだけど。


 仕事の内容で引っかかったときは、彼との会話が本当にありがたいんだ。

 色々整理して、折り合いつけられるし。


 そうして、やいのやいのと彼と実の無い会話をしてたら。

 だいぶ気分が落ち着いてきた。


 そして、彼が気を利かせて、アタシの分の飲み物も取りに行ってくれるのを見送った後。


「……あなた、佛野徹子さんよね?」


 このファミレスに入店してきたアタシと同じ制服着た女子が。

 アタシの方につかつかと歩いてきて。そんなことを言ってきた。


「そうだけど?」


 そう答えると、いきなり


「私の彼に手を出すのやめてもらえる!?」


 何言ってんの? って思った。

 アタシは絶対そんなことしないのに。


 ……この後、折角消えたモヤモヤ以上に、ムカムカする結末になったんだよね。

 あぁ、ホント、ムカつく。




 あぁもう、イライラする! 

 誰が他人の相手盗るかっての!! 


 そんな真似すれば、あの豚どもと一緒じゃない! 


 文人と別れた後も、アタシはまだファミレスの不愉快な出来事を引き摺っていた。

 あの子、今度会ったら、殺すのは行き過ぎにしても、殴るくらいはしてやろうか? 

 アタシはかなり本気でそう思っていた。


 ……うっかりエフェクト使わなきゃいいけどね。


 アタシはスーパーで、今日の夕食の材料を買いに来てたんだけど。

 食材を見ながら、思った。


 これはもう、やるしかないのかなと。


 業務スーパーなんだけど、安い肉に混じって


 フォアグラだとか。


 霜降りの和牛様だとか。


 そういう高級食材も並んでる。


 ……今日はもう。行っちゃおうかな? 

 普段は買わないんだけどね。


 美味しすぎるものは食べ過ぎちゃうかもしれないし。

 美容にも不安があるのが多いから。


 どれも高い。

 和牛様に至っては、200g前後で5000円くらいする。


 まぁ、お金はあるし、他に使い道も無いから、躊躇する理由にはなんないんだけどさ。


 アタシは薄笑いを浮かべて、和牛様に手を伸ばそうとした。

 そのときだった。


「あら、徹子ちゃん」


 背中から、知った声が掛けられたんだ。

 振り返る。やっぱり。


「山本さん。こんにちは」


 そこには、スーツ姿の、スラっとした綺麗系の美人が居た。

 長い髪とアーモンド形の目が魅力的。


 この人はアタシの住んでるマンションの隣の部屋に住んでる、共働き夫婦の奥さん、山本香澄さん。

 娘の澄子ちゃんと一緒だった。


「今、帰りですか?」


「うん。そう。これから晩御飯の材料を買って帰ろうかと思って。徹子ちゃんも?」


「はい。まぁ、大したもの買いませんけどね。学生ですから」


 ……和牛様の選択肢が、消えてしまった。

 この人たち、本当に癒されるよね。


 こういうの、理想の家庭ってやつなんだろうな。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん」


 澄子ちゃんが、アタシの服を引っ張ってきた。


「澄子ね、もうすぐ6歳になるんだよ」


「へぇ、じゃあ、来年から小学校かな?」


「うん!」


 可愛いな。

 香澄さんによく似た女の子。娘の澄子ちゃん。


 服も髪の毛も、しっかり手入れされていて。

 多分香澄さんが気を入れてるんだろう。愛されてる証拠だよね。


 きっと、将来は美人になるんだろうな……。


「来週誕生日なのよね。この子。……ランドセル代、お金かかるわ~」


 苦笑い、って感じで香澄さん。

 本当は嬉しくて仕方ないんだろうけど。


 ……あぁ、ホントいいや。

 イライラ、消えちゃった。


 こういう人たちが幸せになってくれたら、アタシは嬉しい。

 どうせ、最後は野垂れ死んで、地獄に堕ちる身のアタシだけどさ。

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