第五章:邪神と詭弁家


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 時が止まった。食堂ホールにいる全員が、止まったまま膠着こうちゃくしている。鈍色にびいろの音も無い世界。その中で、真理と十文字だけが動ける。真理が止まっている天水を指さし囁く。

「ある意味、この男は天才よね」

 十文字豪太の方は、黒くみにくい顔になり羽と触手が生え、服の中でこんもりと盛り上がっている。真理の方は白魚のままだ。十文字が答える。その声はもはや人間の声では無い、重く暗い、深海から聞こえてくるようなどもり声だ。

「そうじゃな、あるはずもない鏡の密室トリックを創り上げたのじゃからな。しかしに適っているのは……確かじゃ。だが、何が名探偵を呼びたかったからだ。動機が唐突過ぎるわ、馬鹿馬鹿しい。これがこの男が好きなミステリとかいう書物だと、書いた作者に石を投げてやるわ! 黒井は確かにが殺した。殺し首を切った。あの忌々しい陰陽十傑共が生き残りの一人、黒井鉄也。本名を確か、かん――」

 くぐもったその声は、姿形も相まって、もはや人の形をしていない。

「昨日の夜、このホールで、天水の話を聞いている時分に、我は触手を一本服の裏で切った。それは増殖し、小さな儂に成りて、あの密室の鉄格子窓から侵入し、胸を刺し首を切っただけの事じゃ。あそこでこの場、館内におる「気」が一つ減った。トイレに行くといって、本当に儂の分身が。それだけの事を、この男は現実のトリックとして解いて見せてしもうた。動機は簡単だ、皆既日食の直前、我々魔神まがみは人を殺し『有罪』というかてを自身らに課さねば成らぬ。しかし捕まってはいかぬ。それが因果というものじゃ。何が不可能犯罪だ。首を切ったのも完全なる他殺に見せかけるためなのにのぉ」

 邪神として長く生き続けた、ナイアルラトホテップの正体を現している。二人、否、二匹の妖魔は更に声を荒げる。特に十文字は鏡が取り外されていた可能性が引っ掛かっているらしい。

「あのトイレの大鏡は何年も取り外しはしていなかったはずだ。現に先ほどコヤツ――天水のした推理ではあの鏡がトリックに使われ、しかもごく最近、取り外された形跡があったらしい。どういう事じゃ?」

 真理もそこが引っ掛かっていた。後は笛田が言っていた、幽霊の存在。半透明の首と体が分かれている人。そんな物がいれば、自分たちの能力で分かるはずだ。我々は人間から発せられる「気」――気配を察知出来るのだから。入れ替わりなどあり得ない。先ほど夫が言ったようにあの時、この場に置き「気」は確かに一人減ったのだから。

 我々の知らないところで、別の何か分からぬ力が働いているのか? まさか陰陽十傑の生き残りが一人では無く、他にもスパイとして紛れ込んでいたのでは? 否、と首を振る。いや、全員殺したはずだ。少し前の新聞に、高知の某所で十人分のむくろが見つかったと書いてあった。

「どうするの? このまま貴方が犯人にされれば、明日の皆既日食中、この魔神館という、私たちの力が一番高まる特殊な場、裏から世界を牛耳る計画は諦めざるを得なくなるわよ。折角、人を他殺に見せかけ殺し、『有罪』の証明をしたというのに」

 目は妖しく光っているが、美しい姿のままで、真理は十文字に問う。

「そうだな、転生するしかあるまいに。長い長い道のりだが、この名探偵と名乗るやからが壊した。計画を……全て潰されてしまった。くっ、何という事じゃ! 皆既日食の日、この館、この場に置いて力を使うには、人を喰らう必要があった。それには脳を最初に喰らう。知能が高い人間をつどわしたつもりが……呼ぶんじゃなかった、こんな奴」

「また平安の時代からやり直すの? 貴方が無有法螺土ないあるうほらふふと呼ばれていたあの時代から」

「仕方あるまいに……」

 真理は永劫を生き続けてきた邪神として、嫌になっていた。すっかり化物の正体を現し着ていた服を破った十文字が言う。では行くぞ。十文字と真理は一気に自らの、舌を噛み切った。


 * *


 時はさかのぼり――平安の時代。

 歴史とは強者きょうしゃべんである。だが歴史には表立ったいくさと、裏にある誰も知らぬ、あるいは誰も見ようとはせぬ戦もある。表舞台にて、役者が様々な演舞を舞うように、その裏側でおのが命を賭け舞台を創り上げた立役者たちがいた――。

 ここから語るは――遥か昔、まだ人々の裏に隠れ、あやかしなる者や、鬼たちが跳梁跋扈ちょうりょうばっこしていた平安の時代。遥か南島、土佐国にて語る話。

 何処どことも知らぬ地、ある寒村で赤子あかごが二匹生まれた。全身が黒くみにくい赤子だ。忌子いみごと呼ばれたその赤子たちは、気味悪く、人々の誰にも育てられるでも無かった。だが、三月みつきで成長し、肆月よつきで成人と変わらぬ体になっていた。

 男と女のその元忌子は、「かかかかか――」と笑うと、村からいつの間にか消えていた。平安の時の、ある一風景であった。


 * *


  武士が政治を動かすようになり数十年の時が流れた――鎌倉の時代。

「かかかかか――」

無有ないある様方、ありがとうございます。全て、貴方様のご助言の賜物でございます」

 商人、職人、盗賊、乞食。都には様々な人々が住んでいた。その中心部に建てられた異様な御殿。壁は全て黒く塗りつぶされ、ところどころに異形の石像がまつられている。

「良いものよ。この世は全て、我ら魔神に任せよ。朝廷もそう望んでいるのだろう?」

 この時代の十文字豪太は朝廷に取り入り謎のおさと成りて、一つ国を掌握していた。源頼朝みなもとのよりともを首長とする鎌倉幕府は、治承、寿永の乱で勝利して平氏政権を打倒し、その過程で守護、地頭補任権を獲得し、朝廷――これ即ち、公家政権と並びうる政権へと成長していた。だがその裏側で十文字が手を回していたとは歴史には表れていない。

 人たちも十文字の正体を知らず、朝廷に立ち入った一人として尊敬の念を送られているのだ。

 一方、この時代に十文字と対で転生していた真理はどうだったのか。豪族、北条時政の娘、政子として、頼朝の懐にまんまと忍び込んでいたのだ。その美貌を武器にして。

 頼朝の最期は謎に包まれていた。建久九年末、相模川に架けた橋の落成供養の帰途で落馬した後に体調を崩し、翌年の一月には亡くなったとされているが、裏で政子として入った表舞台に立っていた、真理によって毒草を少しづつ盛られていたらしい。最後は十文字豪太が見せた義経よしつねの幻影を見て倒れた。決して歴史の表舞台には出ない、直接の死因がこれであった。


 * *


 都では、農民たちが高い年貢に困り果て、土一揆どいっきを起こした――室町の時代。

 無有こと、十文字豪太、真理夫妻は、農民をけしかけていた。幕府の土台は少しずつ崩れ落ち、都の所々で質屋や金貸しが襲われ、家に火が放たれている。

 その火を高見櫓から「かかかかか――」と十文字豪太は見ながら笑っていた。

「農民を操れたのは良かったわね、面白いは実に愉快よ」

「うむ、彼奴等は火薬を持ち、自ら幕府に突っ込んでいく、人肉爆弾じんにくばくだんじゃ」

 十文字の目が怪しく光っていた、人を狂わせるこの力、京都の室町に幕府が置かれてはいたが、十文字夫妻は幕府に対なす存在として、ここでは生きていた。

 何人もの人を操り、一四六七年に発生し、一四七七年までの約十一年間にわたって継続した内乱、『応仁の乱』の影に邪神二匹がうごめいていたというのは、歴史の表舞台には出ていない。


 * *


 国を支配していた大名は、家来を従え互いに領地を奪わんとせなんだ――戦国の時代。

 西暦一五〇七年、細川政元が暗殺された事に譚を発する、永正の錯乱が起こった。もちろん、暗殺を企てたのは十文字豪太、真理夫妻であった。

 そこから、管領細川氏の家督継承を巡る内訌である。背景には京兆家を支えてきた内衆などの畿内の勢力と政元の養子の一人細川澄元を擁する阿波の三好氏などとの対立があり、これに将軍足利義澄に対抗して、復権を目指していた前将軍足利義稙の動きも絡んでいた。

 複雑な情勢の中、十文字豪太は「かかかかか――」と笑っていた。

 政元の暗殺から一年後には、畿内勢が支持する別の養子、細川高国が家督に就き足利義稙が将軍に返り咲いたが、これに逐われた足利義澄、細川澄元、三好氏の勢力も巻き返しを図り、畿内において長期にわたって抗争が繰り返された。

 真理はここで人間共の抗争は実に醜く愉快なものだと思った。



 * *


 外来人げらいじんが南蛮船に乗ってやってきた――安土、江戸初期の時代。

 徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策、宗教政策に深く関与した謎の僧、天海として十文字はまたもや幕府に使えていた。

「上手くいっておる。全ては時代を裏から操り、時を止める事の出来る、魔神ならではぞ」

 一方の真理は男に扮し、徳川家重と名乗っていた。これが後に伝えられる、謎の将軍、家重女性説の発端となろうとは思ってもいなかったらしい。

 幕府を表と裏から操る二匹の邪神は見事な連携で次々と、人を惑わし、世の中を混乱に陥れた。

 ある時、美濃の国で生まれた青年の瞳を十文字はじぃっと見つめた。そして、「彼奴きゃつを打て」と命じると、その青年は虚ろな瞳で虚空を見上げ、「はい」と返事をした。

 この青年が後に明智光秀あけちみつひでという名であると、真理が知る事になるのは、十文字が既に次の新時代を裏から征服しようとしている時であった。


 * *


 寛容で広い世の中がいつまでも続くようにしてほしいと願いを込められた――寛永の時代。

 日本がこの時代。十文字豪太、真理夫妻は外来人の舟に乗り、フランスに渡っていた。ここで、真理はブランヴィリエ侯爵こうしゃくアントワーヌ・ゴブランに嫁ぐ事にした。人の歴史とは実に愉快なものよと、後に歴史に名を残す、連続毒殺犯ド・ブランヴィリエ侯爵夫人として生きていたのである。

 愛人――と名乗った十文字豪太と共謀し、遺産目当てに父親を毒殺するため、慈善病院に熱心に通いつめた。しかしこれにもちゃんとした意味があったのだ。ベッドの上の病人相手に毒の効果を試すという、恐るべき人体実験を繰り返していた。父親に少しずつ毒を盛って殺害したのは、鎌倉時代、源頼朝を殺した時に覚えたやり方であった。

 だが十文字夫妻はこの時代、一つミスを犯す。二匹はフランス警察にマークされ、国外に脱出してヨーロッパ各地を転々とし、最後に修道院に身を潜めた。そこでひっそりと生活しながら告白録を執筆したが、刑事におびき寄せられて外に出た所を逮捕された。がしかし、ここでも二匹の魔神は知恵を働かし、人を操り身代わりを立てた。身代わりになった女は、当時名も無く、二匹が食料としてとって置いた女だった。

 女は火刑法廷で拷問され、死刑を宣告され、即刻斬首される運びとなったのだが、その様子をこっそりと見ていた、十文字と真理は「かかかかかか――」と妖しい笑いを見せただけであった。


 * *


 聖人南面して天下を聴く――慶応の時代。

 西暦一八六七年十二月十日。京都は、河原町通蛸薬師下の近江屋井口新助邸に、京都見廻組が押し掛けた時には、坂本龍馬、中岡慎太郎、山田藤吉の三名は既にこと切れていた。特に坂本と中岡の顔は、恐ろしい化物でも見たかのような形相をしめしていた。

 見廻り組の連中は我らより先に、坂本含む三名を殺した人間がいるが、これは決して表に出してはいかぬと思い、刀傷を死体の各所につけた。

 そうこれも十文字豪太、真理の仕業であった。まず近江屋の窓に十文字が妖魔の姿で現れる。坂本と中岡は刀を出そうとしたが、その悪しき目の魔力に自らを失った。次に真理が堂々と玄関から入り、山田を同じ悪しき闇の力で襲う。

 龍馬暗殺の影に隠れた事実、それこそが二匹が人間共かくも面白けりと、暗躍した結果であった。


 * *


 大正桜に浪漫の嵐――大正の時代。

 西暦一九二三年に発生した、関東大震災。この未曾有の大災害に帝都東京は甚大な損害を受ける事となった。だがこの一見、自然災害に見える地震。地下にて、十文字豪太、真理夫妻が夫婦喧嘩をした後という事が事実であろうとは、人々の知らぬところであった。

 原因は真理がとって置いた餌の人間を、十文字が喰った事によって起こった。真理は初めて本気で、他の邪神と闘っていることに気付いた。

 陰陽十傑などの人間では無い、本気の悪しき力は、地下変動を起こす。

 後は巨大な揺れとなり、その上の都市を直撃したのだ。

 そう、これこそが関東大震災の事実なのである。


 * *


 高度成長が巡るしく発達した――昭和の時代。

 ここまで来ると、十文字夫妻にとっては、人間を掌握する術など容易い事になっていた。暇つぶしの意味も兼ねて、十文字豪太はある青年に目をつけ、声を欠けた。

「金が欲しくはないか?」

 怪しい光を帯びる十文字の目を見て、青年は、「欲しいです」とか細い声で答えた。

 西暦一九六八年十二月十日、冬の帳、東京都府中市でその事件は起こった。現金輸送車に積まれた、東京芝浦電気とうきょうしばうらでんき府中工場ふちゅうこうじょう従業員のボーナス約三億円が、白バイまで用意した、偽の白バイ隊員に奪われたという事件である。

 日本犯罪史において最も有名な劇場型犯罪として、新聞やニュースでも大きく取り上げられた。とある倉庫で十文字夫妻はそのニュースを見ていた。面白おかしくて、しょうがない。人間かくも愚かなり。

「かかかかか――」

 十文字が笑っていると、目の光を失った白バイ隊員の格好をした青年が、巨大なバックを持って、二匹のいる倉庫にやってきた。

「我らが教えた通りにやったら、上手くいったじゃろう? かかかか――」

「はい……」

 青年の声には覇気が無い。光を失った虚ろな瞳をしている。

「では我らの飯となりて、喰われてくれるな?」十文字が問うと、

「はい、何なりと」と答え、後には血生臭いグシャリグシャリという音が倉庫内に響き渡っただけであった。


 * *


 そして、西暦一九八九年、新時代という将来への期待感や雰囲気を人々が抱いていた――平成の時代初期。

 ブラウン管の向こう側で、小渕恵三おぶちけいぞう内閣官房長官ないかくかんぼうちょうかんが『平成』という文字を掲げた瞬間、十文字夫妻は顔を見合わせニタァリと微笑んだ。二巡目の世界線。

「やっとここまで追いついたのね。私たちが転生して」

 真理は干渉深く、十文字豪太の方を向き呟いた。

「うむ、長かった。だが一度やってきた、この邪神生じゃしんせい。二度目なので簡単じゃ。企業を立ち上げても、金はたんまりここにあるんじゃからのぉ」

 十文字はバックを見て笑っているが、真理は笑えない。

 ――この世界線なら、失敗は許されない。絶対にね。

 今度こそ上手く『有罪』の証明を勝ち取り、誰にもバレずに事件を闇に葬らなければならない。その後は世界は我らの物だ。他の旧支配者たちを蘇らせ、この世を混沌の渦に巻き込んでやる。

 八十年代、九十年代、ゼロ年代、二匹の邪神たちにとって、これらの年数時間は実に早かった。そしていよいよ――、西暦二〇一〇年代。

「全てがここから先、二〇一二年一月一日、皆既日食の日。高知と徳島の県境にある、魔神館という場。そこでの立ち回りが必要になってくるわ」

 一巡目の世界にいた自分たちよりは、転生した今の自分たちの方が、よっぽど知恵と経験は積んでいる。人間掌握など簡単だ。全てが巧く行く。今度こそ。

「うむ、人間一人が、我らの計画を潰せるものか。全ての合理的可能性を排除した、不可能犯罪計画。それこそが他殺であり『有罪』の証明なのだ」

「それで例の日、執事の辺見は雇ってあるわ。その他の餌、江戸賀、笛田、村瀬……黒井も関係を結び招いた。あとはあの男――天水周一郎は招くの?」

 真理は少々不安になりながら夫に聞く。当の十文字はニタァリと笑い、即決した

「うむ、招く」

「大丈夫……なのよね」

「一巡目、あの推理の動機――儂が彼奴への挑戦状と言ったあの動機。あれが悔しくて仕方が無かった」

 口は笑っているが、目には憤怒の光が宿っている。

「彼奴は儂にこう言ったんじゃぞ。『名探偵を試したかった……からでは無いですか?』とな……。では試してみようではないか。彼奴が、『名探偵』という存在が世界に敗北するところを……」

 その日の会話はそれで終わった。

 そして、二巡目の二〇一一年十二月二十九日。辺見が運転するベンツで、その『場』である、魔神館へと一足先に向かう十文字夫妻の姿があった。東京から日本列島を下り関西方面へ。明石海峡大橋と鳴門大橋を渡り四国へと入る。高知と徳島の県境から、冬木立の中、曲がりくねった道を山の上へと上っていく道を横目で見ながら、真理は思う。

 ――馬鹿馬鹿しい。羽を生やせる事の出来る、本当の私たちの姿なら、一時間もせずして着くのに。やはり人間というのはなんて愚かな生き物なのかしら。しかしこの文明も世界もあと少しで終わるのよ。

 この天気が明日には嵐に変わり、その影響で崖が崩れるなど。真理は体感で遥か遠き、あの一巡目の日を思い浮かべフッと笑みを浮かべた。

 魔神館は一巡目の時と同じく、そこに聳え立っていた。駐車場にベンツを止めさせる。日付が変わり十二月三十日、午前十時。客人がぞろぞろと到着した。執事の辺見が食堂ホールへ案内する。編集者の江戸賀淳、民俗学者で真理の大学教師でもある笛田敦、夫が資金を出しているアニメーション声優の村瀬愛。まぁ良い。この三人は前菜にしてやろう。真理が胸中で嫌な笑いをしているところへ、玄関のドアを叩く音が聞こえた。

 ドンドンドン!

 ――来た。メインディッシュが到着した様だ。

 エラが張ったソフトモヒカンの小男を連れて、ギリシア彫刻風の顔、黒いトレンチコートを着た『』の登場である。

 後は時間を待つばかりだ。屋根裏に鼠でもいるのか、ドタバタと上が五月蠅い。まぁそんな事はどうでも良い。気ばかりを焦らすな。真理は十文字の方を見る。

 夕食の料理を振る舞い、談話がそれぞれの客の間で始まった。十文字はこの世界線ではトイレを我慢している様だ。当たり前か、一巡目ではそれが仇となった。とその時、真理には分かった。この場、魔神館の中にいる人間の「気」が一つ減った。殺したのだ。夫が体の一部を切り離し、増殖した『それ』は、鉄格子の窓の隙間から侵入し刃となりて殺した。 

 ――いいわ。後は不可能犯罪を演出するだけ。

 今頃は夫の分身が、首を切り分け、どこかへ持っていっている頃だろう。深夜、十文字夫妻の部屋で、真理は夫に聞いてみた。

「貴方、完璧な殺人だったわ。ところでどこを切り離して増殖させたの?」

「なぁに、左の人差し指少しで、小さな儂の分身は作れるわ」

 ――なるほど。完璧な不可能犯罪だ。

 真理は体感年数の呪縛からやっと解放されたと思った。ところで天井裏の鼠がまだいるのか、ドタバタと走っている。

 次の日、十二月三十一日の朝食時、執事の辺見が慌てて、食堂ホールに入ってくるのも計算づくであった。

 かくして起こった密室殺人、辺見が持ってきた鉈で天水が密室を破る。中には明らかに他殺と思われる、首無し死体。ベッドの上にはゴミ袋が一枚。一巡目と確かに違う点が多数ある。トイレの大鏡、自分たちのアリバイ。全ては完璧だ。

 時計を確認する。午後十八時ジャスト。

「さて、皆さん」

 食堂ホールにいる全員に聞き取れる声で、『名探偵』天水周一郎は喋り始める。そう、始まったのだ。

 ――今度は大丈夫。トイレの大鏡もネジが外されていない事が、確認出来ている。あの錯覚トリックは使えないわ。いつでも挑戦してきて良いのよ、名探偵さん。

 が、真理には一つ気がかりな事があった。天水の助手という、光田という小男の事である。先ほどからこちらを見て、ずっとニヤニヤと笑っている。駄目だ、今は天水の推理に気を張らねばと無視する。

「あの首無し死体は、黒井さんの死体では無いという結論に行きつきました。そう単純なだったのですよ」

「なっ!」

 その言葉を天水が紡いだ瞬間、ホールにいた全員に緊張が走った。特に十文字夫妻、真理は訳が分からなかった。

 ――馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な!

 目の前の男は何を言っているのか。

「ではあの死体は誰の死体なのでしょう、簡単な事です。十文字豪太さん――我々を招待してくださった社長の死体です」

「ほういうたかて、名探偵さん。入れ替わるいうても、推理小説みたいに簡単にはいかんやろ。いつかこの館が開放されたら、警察が入ってきて、指紋鑑定どころか、DNA鑑定とかもあるんやから」

 江戸賀が良い線を突いている。

「僕は首が切られた瞬間に入れ替わったなどと、一言も言っていませんよ、江戸賀さん。そう、最初から入れ替わっていたのですよ、そうでしょう? だって、僕らはのですからね。そうでしょう、そこにいる十文字さん」

 なんという事だ。今まで歴史の裏側ばかりで動いてきた、自分たちを真理は恥じた。確かに夫は社長として一般人の前に顔出すという事は無かったのだ。人間共を惑わし悪しき力で、表に出るのを禁じてきたのである。そして、天水は人差し指を一本、夫の方に向けると決定的な一言を口にした。

 夫の顔が、ゆっくりとこちらを向く。どことなく壊れた、からくり仕掛けの人形を想像する動きだ。が、何とか持ち直した。天水の方を再び振り返ると、

「そ、そこまで言うなら物的証拠はあるのだろうね、天水さん!」

 ――そうだ、いいわよ。言い返してやれ。どうせブラフに決まっている。

 真理は胸中で祈ったがそれは、天水の次の一言でガラガラと崩れ落ちた。

「指紋があるでは無いですか。幸い犯人は首を消失させただけであり、死体の手首は切り取られていない」

 ――馬鹿め、指紋など……。

 と想像し、真理は夫の決定的なミスを思い出してしまった。あの時、黒井を殺害するため、昨日寝る前に、夫は自らの体のどの部分を切り離したと言っていた。

 ――左の人差し指……あ……。

 かくして犯人が指摘され、証拠も出て、事件は無事解決となった。


 が、その時、十文字豪太の目が怪しく光った。


 2


 時が止まった。場にいる全員が、止まったまま固まっている。灰色で、無音の空間。その中で、真理と十文字だけが慌てふためいていた。

「なんでやねんなっ! なんでこいつはまた、現実的な解決をしとるねんなっ! 合理的着地とかいらんねんっ!」

 もはや自分のキャラも忘れたのか、十文字豪太は方言で怒鳴った。禿げた頭には大量の汗をかいている。

「落ち着いて貴方、大丈夫よ」

「何が大丈夫やねんな! わ、わ、わ、儂が最初っから、黒井と入れ替わっとるやとぉ。そんなトリック、アホも休み休み言え!」

「でも……理には適っているわ。貴方も左手の人差し指の指紋があの部屋から出ると終わりでしょう」

 この感覚はなんだ? 分からない。世界という全てがこの名探偵という存在を肯定し、中心軸として周っているのか? 合理的決着を望んでいるのか? 回答を見出そうとしても、真理には分からない。

「あぁ~あ、こうなったら転生やな、転生しかないわ!」

 もはや自暴自棄じぼうじきになっている、十文字が叫ぶ。またもや、やり直しなのか。『有罪』の烙印で、この場、この時に置いて、邪神の力を高める事は出来ないのか。

「せーのでいくで、真理。絶対自分だけ舌噛むの遅れたとか言わんといてな! あの、小学校の時の長距離マラソンで、一緒にゴールしよなって約束しといて、学校のグラウンド入った途端ビューンって飛ばすアレとか、儂、苦手やからほんま止めてな。一緒にまた、平安時代から、邪神生、おくろな!」

 真理の目の前で、方言丸出しで慌てふためく、魔神の姿を少し信じられなくなってきた自分がいる。

 ――またあの時代から、やり直しか……。

「早よせなっ! せーのっ」

 十文字と真理は一気に自らの、舌を噛み切った。

 

 * *


 時は遡り、平安の時代――。

 歴史とは強者きょうしゃべんである。





(略)






 * *

 

 西暦二〇一一年一二月三十日――平成の時代。

 徳島と高知の県境、山奥にある魔神館。真理たちにとっては三巡目の世界線。今度こそ大丈夫だ。あの名探偵も助手の男も、この世界線では招待はしていない。『有罪』の確定は完璧に決まり、黒井は死んだ、首を切断されて。「気」も感じない。魔神館内にはちゃんと人数分いる。その後は世界を転覆さす計画が出来ている。

「しっかし、けったいな殺され方しとるな。むごいむごいわ~~」

 客の一人の江戸賀が関西弁で喋って、首無し死体に手を合わせている。素人ながら、今の内に事件を見分するなり捜査するなり、何なりすれば良い。どうせここに集められた連中全員、我々夫婦の腹の中に入るのだから。真理はペロリと舌を出し唇を舐めた。

「首の切断面が斜めに切られているのは、何か意味があるのでしょうか?」

 指で顔を覆い隠しながら、笛田が震え声で問う。

 ――意味など無いわ。ただたんに夫が切り離した自分の一部が増殖し、小さなもう一人が手を刃に変えて切っただけよ……。

 自分が笑いそうになっているのに気づき、手で口を押えた。『名探偵』不在の殺人事件。完璧な不可能犯罪にして、自分たちだけが『有罪』となりうる、完璧な計画。最初からこうすれば良かったと、体感年数千年と生きてきた真理は思った。

 執事の辺見によって、破られたドアの方を見る。村瀬愛は、死体など見たくもないという風に突っ立っている。

 その時である。

 ドンドンドンドン! 

 魔神館の入り口の方でドアを叩く音が聞こえた。

 ――!?

 夫の十文字豪太と顔を見合わせた。壊されたドアから廊下へ出る。真っ赤な通路を曲がり、玄関へ。音は更になる。

 ドンドンドンドン! 

 出てはいけない。出れば、我々の『有罪』証明計画に、また支障をきたす何かの異変が起こる。何者かが入り口ドアの向こう側にいる。真理の頭の中で、警鐘が鳴り響いている。

「あら、どうしたんすか? 奥さん、こんな時で何やけど……。誰か来たみたいですよ」

 江戸賀が背後から、真理に声をかけた。一瞬だけビクリとする。

「いいのです、出なくて。出なくて良いのです。逆に出ちゃ駄目です! 辺見、鍵を閉めて来てちょうだい!」

 慌てて執事に命令する。

「いやいや、もしかしたら遭難者かもしれんよ。この冬の時期、こんな山奥で」

 笛田が後を続けた。

「いいのです、お願いだから!」

 真理が江戸賀と笛田を止めようと振り向いたその時である。入口のドアが勢いよく開いた。転生する前、大昔に何度も聞いた覚えのある声が、三巡目のこの世界線でも聞こえてきた。

「邪魔するでぇ! 邪魔すんねやったら帰って~。はいよ~って何でやねんなっ! いやぁ~~どうもどうも! ちょぃ~~っと遭難してしまいましてねぇ。ふらふらになりながら山ん中、迷っちょったら明かりが見えたもんで。ちょいと、上がらせてもらえませんかね」と言いながら、ずかずかと上がり込んでくる小男の姿に、真理はひるんだ。エラが張ったホームベースの様な顔立ち、ソフトモヒカンの髪型。ハイネックとジーパン。

 ――光田寿!

 そしてその後ろにいるのは……黒いトレンチコートを着た、ギリシア彫刻風の長身の男。

「光田君、いきなり失礼では無いかね? すみません、我々は高知から旅行に来た者ですが道に迷ってしまって――あ、僕は……」

 ――言うなその先は。その手に持っている紙切れを出すな!

「こういう者です」

 差し出された名刺にはこう印字されていた。


『本格論理研究所 名探偵 天水周一郎』。


 ――あっ、んだわ。

 真理はその場で意識を失った。江戸賀と辺見の声が遠くで聞こえたのを覚えている。目を開けたのは約二時間半後、十文字夫妻の寝室のベッドの上であった。

「嫌な、とても嫌な夢を見た気がするわ」

 が、それは夢では無いと分かったのは夫の十文字が、汗をかきながら部屋をうろつき回っている姿を見てからである。

「また、彼奴やわぁ! もう三巡目じゃぞ! 招待もしていないのに……何やこの年の瀬にハイキングて! 山の中で迷うて! この世界線でも儂らの邪魔をするゆうんか!」

 夫は禿げた頭を摩りながら、方言で声を張り上げ、今にも妖魔の姿になりそうなほど怒っていた。忙しなく、寝室の中を歩き回っている。

「この場だ! そして皆既日食の時だ! 場と時が揃っているのに、何故、名探偵というあの男はよりにもよって、ここの場に、この時間に集まってくるんや!」

 とその時、寝室のドアを叩く音が聞こえた。二匹の邪神たちは一瞬ビクリとなる。

「あの、旦那様、奥様も大丈夫でしょうか?」

 辺見の声だ。少し安心する。が、次の言葉を聞いた瞬間、真理の頭は真っ白になった。

「あの、山で遭難されていた、高知のほうから来られている、旅行者の天水様という方が、こちらで起こった黒井様の殺人事件の犯人が……その、分かったと言っております。お二人共、ただちに食堂ホールへ集まってほしい――という事でした。どうなさいましょうか?」

「……」

「……」

 二匹は顔を見合わせた。そして壊れたからくり人形の様に寝室のドアを開け廊下に出た。額の汗を拭う。食堂ホールへと続く通路を歩く。

 ――大丈夫よ、ハッタリに決まっているわ。今度こそ、この人知の及ばぬ力を秘めた殺人を合理的に証明出来るものですか! 物的証拠も無い。これで夫に嫌疑けんぎがかかる用なら、夫の会社の全ての力、財力、法律を使って『名探偵』という存在を潰してやる!

 腕時計を確認する。午後十八時ジャスト。一巡目、二巡目の世界線と同じ時刻。

 ホールに入ると、全員が揃っていた。十文字と真理の二人を見ると、天水はニコリと笑った。横にいる光田は天水とは違う、ニタリとした笑いをこちらに向けたのが真理には気になった。二匹の邪神は正体を隠し、人型の姿のままソファに座った。心臓が張り裂けそうだ。

「さて、皆さん」

 天水が全員を見返し言う。真理は頭が痛くなってきていた。何千年という、巨大な体感年月の中で、この一言にがんじがらめにされている気がする。

「事件の概要、全ては辺見さん、その他の関係者の方々の口から聞きました。この館に突如として現れた、密室内での首無し死体。それを今から僕が解き明かして見せましょう」

 出来っこ無い。大丈夫だと真理は心の中で唱えた。

「ここで僕が述べる密室は、首無し死体と直結していると言う事です。つまり密室である事イコール首無し死体が出来た状況になる、と定義してもらっても構いません」

 ――何が言いたの? 回りくどい言い方しないで早く仰いなさいな!

「僕があの死体で特に注目したのは、首の切断面でした。横では無く、斜めに切られていた」

 そこは先に、この三巡目の世界線の、笛田が指摘していたところでもある。天水はすぅっと一息吸い込むとその言葉を口にした。

。そうこの館自体が、巨大ギロチンの殺人装置だったのです!」

 天水はその言葉を、そこで切った。光田が横から問う。

「ギロチンてお前……。ほいたらまるで、この館そのものが凶器やった言うちょるようなもんがやぞ」

「まさにその通りだよ光田君。密室の謎もこれで解決出来る、最初から密室なんて存在しなかったのさ。この物理トリック装置を使えば、にも納得がいくものだ。後は消えた頭部の行方だが、おそらくギロチンの刃に血でくっ付き回収されたのだろう。屋根裏を探ると出てくるかもしれない」

 ――ば、馬鹿めが。お馬鹿さん!

 額に汗をかきながらも、真理はホッとしていた。そして口が次第に、ほくそ笑むのを我慢した。天水が推理を続ける。

「そう、館自体が斜めにズレたのです。黒井氏の首の切断面が斜めになっていたのはその様な理由があったからに他なりません」

「んなアホな!」「あり得ない!」「ちょっとぉ、名探偵さ~~ん」とその場にいる全員が、天水を集中攻撃している。

 ――そうだ! そんな巨大な殺人装置、この魔神館に仕掛けられているか! 何より、魔神館の存在は、夫の企業『DAGON』社長の別荘宅という頃から知っている、社長夫人という身分なのよ。三巡目の世界線にしてとうとう推理を外したわね、名、否、探偵さん。

 ほっとした真理は、夫の十文字豪太の方を見た、がそこには汗を拭いまくっている、真っ青な顔の夫の姿があった。

 ――まさか!?。

 天水の謎解きはまだ続く。

「そう、この館の巨大ギロチン装置を設計時に提案した人物、この魔神館の持ち主……」

 ここできびすを返し、人差し指を突き立てた。我が夫に。


 ため息を吐きながら、十文字豪太の目が怪しく光った。


 3 


 夫が一応、時を止めてみたらしい。場にいる全員が、止まった。固まっている。灰色だ。音も無い。そんな世界。その中で、真理は十文字に問う。

「貴方……まさか……」

「いゃ~~……昭和のあの時代、ちょっとした、からくり趣味が高じてたんやぁ~~……」

 ――オゥ! ジーザス!!

 その時、真理は初めて神に祈った。自身が邪神だという事も忘れて。

 止まった時間の中で夫は、その禿げ頭にかいた大量の汗を拭きながら、弁明する。

「いやいやいやいや、ちょっと待ってくれや、お前。まさか、まさかやで。この館を建築した当初、リチャード・ドナーと、ドン・テイラー言う、『有罪』になって仲間になった魔神がおったんや。そいつらこの世界線では、映画監督になったんやけど、儂の事を自伝として映画に撮りたい言うけん許可したんね。ほいて出来たんが、一九七八年に封切られた『オーメン2/ダミアン』いう映画や。次々人間共が変死していくのを見て、これや! 思ってね。そこで、当時のからくり趣味と相まって……」

「したのね! 館をギロチン装置に改造したのね!」

 もはや真理は自分の形相が見れない。きっと憤怒と悔しさに駆られている事だろう。なんという事だ。

「え、ええやん!」

 ――あ、ふんぞり返りやがった、我が夫!

「あのギロチン装置の刃、もう使ぉてないけん既に錆びとるもんやしぃ、人の首ちょん切る威力も無いねん! 天井裏の歯車もホコリだらけや。だから大丈夫やと思てん! 今度こそ、三巡目こそは大丈夫やと思てん!」

 もはやそこには、歴史を裏から操り、人間共の人生を狂わせてきた、知の邪神の姿は微塵も感じられなかった。ほぼ涙目になった十文字豪太に、憐憫れんびんの表情を真理は浮かべていた事だろう。

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