第二章:創作者と批評家

 1


 あの散々な自己紹介の後、光田は天水の部屋を訪ねた。

「おぅ、邪魔するでぇ」

「邪魔をするのなら帰ってくれたまえ」

「ほんなら帰るわ、邪魔したのぉ~ってなんでやねんなコラ!」

 妙な掛け合いの後、光田は天水の部屋に無理やり入った。

「いやぁ、どっこもかしこもゴシックゴシック。おまけに廊下と壁は真っ赤っか。こんな館にちょっとでも住んぢょったら発狂するぞ。ところで天水よ。本格ミステリについて面白い問答でもして見よか」

 するとその子供っぽい目を光田に向け、椅子をこちらに向けた。タバコを吸って良いかと答えるので許可すると、ベストの胸ポケットからハイライトを取り出し一本口にくわえた。

「それは――所謂、偽の手がかりなどの問題かね?」

「それもある」

「あるいは、解決において、別のトリックが使われた可能性を我々は判断出来ないという問題かね?」

「そいつも含まれるわな。まぁ、でもそれらはあくまでミステリの範疇内で言い出した、俺にとっちゃどーでも良い問題よ」

「君は一体何が言いたいのだい?」

「なぁ、天水……お前、自分が立っちょるその舞台が、ほんまに本格ミステリの論理で動いちょると思うちょるがか?」

「……何が……言いたい?」

「横溝正史の『八つ墓村』好きやろ」

「横溝なら断然『悪魔の手毬唄』だ。構成が凝っている」

「俺は『悪魔の寵児』やな。あれは最高のエロミス……ってええわ。『八つ墓村』の話や。あの中で八つ墓明神の祟り出てくるやろ」

 目の前にいる自称名探偵はいぶかしげな顔をした。こちらが何を言いたいのか探っているようだ。

「あぁ、八人の落ち武者を村の人間たちが財宝ほしさに殺してしまう。その後村人たちに祟りが降りかかるというアレだろう」

「おぅ、そこよ。何で金田一耕助きんだいちこうすけはアレがほんまもんの祟りやと思わんと思う? 簡単な話や。あれは本格ミステリの土台の上に、本格ミステリの論理に従って動いちょる話やからや」

「そうだな。怪奇、ホラー小説の論理ではなく、あくまで本格のプロットに乗って書かれている」

「ほうよぇ、でもなぁ、なんであれが本物ほんまもんの祟りの可能性を否定できるがや? 簡単な話やろ、金田一らぁは本格ミステリの登場人物やから否定できるがや。ええか? ここや。お前は名探偵やきにええがよ。例えば、密室殺人が起こって、トリックを暴き、不合理っちゅぅもんを合理に落とす。でも、お前の立っちゅぅ土台がなんで本格ミステリと断言出来る?」

 記号論理学の使途、天水もさすがに質問の意味が理解出来なかったらしい。光田のほうをじぃっと見ている。フィクションの自己言及は無限に矛盾を生み出し、『反則』は許されても『鉄則』にたどり着くのに無理があるという状況を作ってしまう。それを目の前の男は理解していないのだろう。光田は更にまくし立てる。

「ええか? お前がたっちゅぅ土台ジャンルで起こった密室殺人、もしかしら瞬間移動装置が存在するSFかもしれへん。壁を擦り抜ける幽霊が存在するホラーかもしれへん。妖精ちゃんたちが魔法を使うファンタジーかもしれへん。もしかしたらとんでも邪神がうようよしちょるクトゥルフ神話かもしれへんのやぞ?」

「もう一度聞くよ、光田君。君は……何が言いたい?」

「勘違いしちょらんか? お前は機械仕掛けの神やなんかと。自分おどれの体ぶった切ったら中は機械の体でしたーってなぁ。違うんや。お前も俺も……切ったら血が出る人間ながぞ? わかっちゅぅがか?」

「君は相当、ロマンチストなようだ」

 この男ならそういう返答してくるだろうという予測もあった。だからこう言い返してやる。

「いいや、こいつに限って言うちょったら、お前の方がロマンチストやな。この間、お前が東京行ったときに解き明かしたとかぬかす新興宗教の事件もほやろが。頬に青アザ作って帰ってきた事件や」

 というと、天水の顔が一瞬だけムッとしたが構わず続ける。

「人間が、ほんまにきちんとしたタイムテーブルで動いちょると思うがか? 今までお前が暴き出してきたと思ぅちょる真実なんてもんは、実は単なる思い込みで本当ほんまの事実は違うんかもしれんぞ。そうやろ、ほんなもん、ミステリの中のロマンでしか無いがやで。ほんでもって、ミステリの中のロマンちゅぅのは結局のところ、虚構のロマンやろが。ほれやったらまだまだ上にロマン積み重ねてもええやないかい。この世界自体が論理的に動いちゅぅ方がおかしいんがやぞ」

「論理とは現実に存在するものだ。今、君が挙げたのは、あくまで虚構のナンセンスな世界観だ」

「ナンセンスやからこそ、ナンセンスな問題やないかい。ほいたら、お前の言う『現実』ってなんや? 結局ミステリやろが。こいつはな、ミステリやなく、SF、ホラー、大衆文学としての問題であり、在り方でもある。虚構の現実は一つや無いがと。もっと言うならば、推理装置の役は名探偵しか出来んけんどもな……、収束装置の役は誰でも出来るもんながやで」

「名探偵という存在はSFやホラーの文脈上では、なんの存在価値も無いという事かね?」

「ほやな。何の価値も無い。単なる詭弁家。現実的な立居地をただただ想像する妄想家って言い換えても良いわ」

「君はつくづく創作者クリエイターだな」

「お前はつくづく批評家アナリストやのぉ」

 光田の様な創作者は批評家にとって鬼門だろう。柄谷行人つかたにこうじんの名言『批評家は頭よくなくちゃいけない。頭いい以外にどうやって作者に勝てるんだ』から分かるように、創作者が頭いいと批評家の立つ瀬が無いのだから。


 2


 天水の部屋を出た光田は、次に隣の村瀬愛の部屋を訪ねた。

「おぅ、邪魔するでぇ」

「えっ、えっ、じゃ、邪魔って? 光田さん、私の何を邪魔するんですか?」

「……いや、何でもない。今のは忘れてくださいな」

 ボケを期待したのだが裏切られた。愛はポカンとしている。

「ところで自己紹介の時は名乗らんかったけんども、アンタ、あの有名声優さんやろ? 愛ぽんさん。それがどういう繋がりで十文字さんに招かれたがやろと思ってね」

「あっ、気づいてたんですか。有名かどうかは分かりませんけど、そうなんです。実は私が出演したアニメ『謎解け!フェル子さん』のプロデューサーさんが十文字さんの会社なんです。それで十文字さんが私の声を気に入ってくれて、招かれる運びになったんですよぉ」

 そのアニメは光田も知っていた。確か原作は密壺みつつぼしるすけとかいうふざけた名前の作家で、某小説投稿サイトにて、ネット媒体で発表した作品だ。映像化絶対に不可能、と言われていたその作品を京都の有名なアニメーション会社が、二〇一〇年に映像化。瞬く間に人気作となり、今でも根強いファンがいるほどだ。原案は本格ミステリの大御所、ジョン・ディクスン・カーのフェル博士シリーズだ。

「な、なるほどなぁ、まぁ、あのアニメは俺も見よったが……いや、じゃあサインでも貰おうかな」

 そういうと光田は自己紹介の時、名刺を作ったプリント用紙を取り出し、予め借りておいたマジックペンを取り出した。

「いいですよ~。観ててくれていたんですねー。私も主演デビュー作だけあって、役作りに苦労したのですよぉ。あっ、でも原案のジョン・なんと・カーさんの小説は読みにくくて途中で読むのやめちゃいましたけど!」

 光田の頭の中でビキビキと理性が崩壊しそうになるのが分かった、がここはずっと年下の小娘だ、老害ぶるのは止めようとなんとか静止した。

「でも光田さんてゲームクリエイターなんですね、すごいなぁ。私もいつか光田さんの会社から発売されるゲームに声を当ててみたいですね!」

 そういうとサインを書いて渡してきた。崩れているが、可愛らしい丸文字がそこに書かれていた。それをもらい光田は早々と愛の部屋を後にした。

 ドアを閉め、改めて愛と真理の美人像は対になっていると気づいた。愛が二十二歳で、真理が二十一歳。たった一歳さであり真理の方が年下だというのに、何年も生き続けた様な貫禄がある。下手をすれば光田や天水よりも年上の、達観性を持っているようだ。深紅の通路でそんな事を考えてしまう。


 3


 名探偵の事件講義と夕食にはまだ時間がある、と思った光田が次に訪ねたのは、笛田の部屋だった。

「邪魔するでぇ」ドアを開きお決まりの台詞をいうと、

「き、君、なんだね。ノックくらいしてくれ!」

 なんとそこでは笛田が全裸になっていた。

「うぉぉぉぉおぉぉお!」

「うわぁぁああああぁ!」

 二人が同時に叫び、光田は慌ててドアを閉めた。

「す、すみません!」

 吐き気を催しそうになる。酷いものを見てしまった。五十代のおっさんの全裸ほど悪趣味なものはない。

「もういいよ」と部屋の中から聞こえたので、今度こそドアを開き入っていく。そこには、セーターを着た笛田の姿があった。

「いやぁ~すいませんねぇ。民俗学の先生! ちょっと聞いちょこうと思う事がありまして」

「い、いや、次からは気を付けてくれたら良いが」

 と顔を真っ赤にして言う。光田は部屋に案内され、椅子に座る。どうやら笛田はシャワーを浴びていたらしい。体から暖かい湯気が出ていた。

「先生は十文字さんとは、どの様なお付き合いなんですか?」

「あぁ、実を言うと十文字真理さんは私の教え子でね。宮森沙流ぐもりさながれという『阿波怪談譚』を書いた作家の研究をしていているんだ。その縁で十文字豪太さんとも仲良くさしてもらっているのだよ。歳の差夫婦だが、実に仲が良い」

「はぁーなるほど、阿波怪談やからこの徳島にも研究に来ちょると。フィールドワークちゅぅやつですな」

 すると、笛田は顔をゆがめた。何かあるなと光田は直感した。

「いや、まぁ、そうなのだが……。この宮森沙流という作家はね、どうも実在したかどうか分からない……つまりそのなんていうのかな。柳田國男やなぎたくにおや、折口信夫おりくちしのぶとはまた違うタイプの……。その地方に伝わる化物の話を書いていてね。『阿波怪談譚』はそこが中心になっているのだが……魔神という平安時代から存在する一種の祟り神の様なものに筆を費やしている節があるのだよ」

「魔神ちゅぅと、この館の名前と同じ……」

「そうだ、だから関係があるのかなと夫妻に問いただして見たのだが、今はまだ知らない方が良いと言われてね」

 笛田は本当に知らないらしい。

 ――しかし『今は』か……。まぁ、頭の片隅にでもおいちょくか。魔神。

 と光田は思い、笛田にもう一度謝罪と礼を言い部屋を後にした。



 もう一人くらい会う時間はあるだろうと、光田は睨んだ。しかしこの真っ赤な絨毯と壁紙はどうにかならないものだろうか。笛田の隣の部屋、キイハンター……では無かった、黒井の部屋も訪ねてみようと、ドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。仕方ないと思い返し、食堂ホールに一番近い、江戸賀の部屋を訪ねてみる事にした。

 黒井の部屋はホールから丁度見える隅に当っている。廊下が曲がり、通路を歩いていると目がチカチカしてきた。やはり本格ミステリの住人に自分は向いていないな、と思う。そうこうしているうちに、江戸賀の部屋の前に来た。

 ――確かあの太ったおっさん、関西人やったなぁ。

 オホンと、一咳いっせきつくと、

「邪魔するでぇ」とドアを開けた。

「邪魔すんねやったら帰って~」

「おぅ、邪魔したのぉ」

 と光田はドアを閉めた。一秒、二秒……心の中でカウントダウンをする。ちょうど十秒。

「いや、ほんまに帰ってどうすんねんなっ!」

 キレの良いツッコミが部屋の中から聞こえた。ニヤニヤ笑いながら、光田はもう一度ドアを開けて中に入った。

「いやいや、すみません。さっきちょっと土地勘の違いと、ジェネレーションギャップを痛感させられたもんですから、江戸賀さんありがとうございます」

「ええがな、よぉ喋る兄ちゃん。確か光田君やったな。君面白い方言使うなぁ、関西弁と土佐弁混ざり合って。それで何の用?」

「いやぁ、雑誌の編集者さんの珍しい話でも聞こうと思って。ところで、江戸賀さんはなんで十文字さんに招かれたがですか?」

 そう問うと江戸賀は三重顎に手をあてて、

「簡単な話やがな。十文字さんのビジネス本をうちの出版社から出したんや。それが中々どうして売れ行きがぉてなぁ」

「あっ、なるほど」

「しかし君も運転手で、正月を目の前にして散々な目にあっとるなぁ。明日、嵐らしいで、こりゃぁ、明後日の正月の皆既日食も見えるかどうかわからんわな」

 そういえば元旦に皆既日食があるとか、ニュースで言っていたのを光田は思い出した。日本中が騒いでいる理由はそれか。

「まぁ、あんま興味無いですけんどもね」

「そうか? 十文字夫妻は結構、正月の日食に興味津々みたいやけどな。さっきトイレいった時、あの二人の寝室の前通ったんやけど、妖力がどうのやなんかボソボソ聞こえたで」

「妖力ですか……はぁ、まぁ、あざまっす」

 ――妖力、妖力ねぇ。まぁこれも覚えちょくか。

 光田は江戸賀の部屋を出ると、トイレが横にあるのに気が付いた。まさかトイレまで赤一色では、という不安は外れ、大鏡が壁に付けられている豪華なトイレであった。

 ――ここからは廊下が真っすぐ。食堂ホールまで一直線か。

 部屋の配置を考えていると、そのホールから、真理の声が聞こえた。どうやら夕食が出来たようだ。

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