第三章:隠者と論者


「あぁ~鬱や。どうせこんなゴシック満載の館に住んぢょる奴らや。飯もフランス料理とかそんなんやがないかねぇ。俺は白飯と味噌汁でええがやけど」

「まぁ、山の麓の唯一の町、宍喰町のスーパーで売っている総菜などは出ないだろうね。二時間以上かかるのだから」

 光田の愚痴に天水が答えた。新年まであと二日という時に何故その様なものを食べなければならないのか。生粋の日本人の光田には分からなかった。夕食は最初の食堂ホールで行われることになっていた。そして天水への依頼、事件譚講義もそこで聞くことになっている。

 魔神館に到着した時に、執事の辺見に案内された通りに、廊下を歩いていく。食堂ホールが見えてきた。先ほど光田が通った部屋の配置を頭に置いておく。ホールには既に全員が集まっていた。

「いやぁ~どうもどうも、また遅れちょったようですんません」

 二人が席に着くと、料理が運ばれてきた。が、光田の予想に反して、そこには豚の生姜焼き、サバの味噌煮、ホウレン草のおひたし、そして白飯と、豆腐とニラのみそ汁という定食屋のコースの様なものが並んでいた。

「皆、意外な顔をしておられますなぁ。うちの妻の料理、中々いけますぞ」

 十文字豪太がニヤニヤしながら言った。

「へぇ、自分はなんや妙な肉とか食わされると思うちょったがですけどね。普通の総菜なんですね」

 光田が言うと、十文字は再び笑いながら、

「いや、下の町のスーパーで買い打めをしておくのじゃよ。魚や肉類は冷凍室で冷やしています。半額物がお得でね。野菜はこの館の中庭で作ったものなので新鮮で美味しいですぞ」

 と意外と庶民的な事をいう十文字に、その場にいる全員が笑った。

 ――なかなか現実も捨てちょるもんやないな。

 と妙にこれまた庶民的な事を考えた。豚の生姜焼きを一口食べてみる。生姜の風味と醤油、みりん、料理酒の合わせ調味料が豚肉と混ざり合い、べらぼうに美味かった。鼻にツンとくる香りがある。なんだ、このピリカラ具合は。光田は考えてみたが答えが見つからず、訪ねる。

「なんかピリっとしてますねぇ。隠し味ですか?」

「えぇ、練ガラシを少し混ぜてありますの」

 真理が返答する。なるほど、この辛みは練ガラシのうま味か。美味い。次はサバの味噌煮をほじくりながら、身だけを巧く骨から外し口の中に入れる。味噌特融の辛みと、砂糖の甘み、そして――なんだこれは、少しの酸味と香りがある。真理が説明する。

「その味噌は、すだちを混ぜた特製の味噌ですの。アクセントが良いでしょう?」

 確かに美味い。白飯が進む。すだちとは徳島県らしい名産品だ。その様な事を思いながら、その場に集まっている全員の姿を見てみる。一番太っている江戸賀は白飯を何杯もお替りしている。相変わらず服のセンスが悪い愛は、満腹になったのか「ふぅ~」と言いながら体を仰いでいる。民俗学者の笛田は食べ終えたのか、ほうじ茶を啜っている。最後、先ほど部屋を留守にしていた、黒井はその鋭い眼光を何故か、十文字夫妻に向けていた。と、真理が指に絆創膏ばんそうこうを貼っているのが見えた。

「真理さん、その指はどうしました?」

 どうやら天水も気づいたらしい。観察眼だけは良いようだ。

「あぁ、ちょっとさっき料理中に包丁で……」

「はっはっは、料理の腕は確かじゃが修行をもう少し積み重ねなければならんの」

 十文字が笑いながら後を引き取ると、再び場が笑いの渦に包まれた。

 ――ふむ、ケガ、ケガねぇ……。

 光田がその様な事を思いながら、夕食を食べ終えた。

「あぁー満腹じゃぁ~~」

「うむ、中々美味しい料理だった」

 と天水も箸を置いた。

「では天水さんの事件譚、聞かせてもらいましょうか。まだ八時過ぎです。時間はたっぷりありますので」

 十文字が言うと天水はスクッと立った。

「分かりました。では先月、僕が解決に導いた、埼玉県は奥多摩の寒村で起こった旧家の……」

「あぁ~ストップストップ!」

 と、天水の話を光田が遮った。

「すんませんがねぇ、十文字さん、俺はこいつの話は何度も聞かされちょるがです。車の運転で疲れたんでそろそろ部屋に戻って休ませてもらえませんかね」

「おぉ、それは失礼しました。では光田さんは部屋に戻られるという事で、おい、辺見、光田さんを部屋へ」

「いやいや、執事さんもええがです。一人で休みますけん」

「そうかね、明日の天気は悪いようなので、くれぐれも窓などは開けないよう」

 かくして、光田は部屋へ戻りドアを閉めた。軽くシャワーを浴び、体をふくと、暖房の効いた部屋でそのままベッドに横になった。



 2


 目ヤニがつきぼぉっとした目を開ける。どれほど眠っただろうか? 枕元に置いていた自身の携帯電話ガラケーで時間を確認する。朝八時過ぎ。

「ふぅ……」と光田は体を起こした。昨日は色々あり、ドッと疲れた。持ってきていた荷物の中からノートパソコンを取り出した。外は早朝だが、曇天どんてんの空で、ほの暗い。

「さぁ~てと」と言うと、パソコンを起動。USBメモリを刺し、中身を見てニヤリと笑う。これだけを確認して、光田は歯磨きと髭剃りを終え、ボクサーパンツ、長袖ハイネックとジーパンに着替えると、ドアを開け廊下に出た。

 昨日、乾燥していた魔神館の中は朝の空気で更に乾いていた。暖房が廊下にも効いているのか、余計にそう感じる。

「大晦日ねぇ、全然ほんな雰囲気ちゃうものなぁ~、なんで俺がこんなところで年こさなあかんねん、ほんま――」

 独り言をつい口にした光田の声は、別の声でかき消された。

「あっ、光田さん! おはようございます!」

 愛だった。声優という職業をしているせいか、朝から声が高い。

「はい、おはようさんおはようさん。ところで、愛ぽんも今起きたとこなが? 中々どうして早起きやね」

「それがぁ、私昨日全然寝れなかったのですよ。どうしても部屋の飾りが気になって。後、朝方だと雷も五月蠅かったし~」

「あぁ、君もそうなんやね。俺なんど、この真っ赤な廊下、壁、見よるだけで目がチカチカするわ。しかし妙な館や。夏場の梅雨時とか、洗濯もん掛けにくいやろなー」

 やはりここでも現実主義が勝ってしまう。現実にもロジックはある、しかしそれは虚構の様に見えない。美しいものでも無い。自分は創作者であると同時に創作論者でもあると光田は改めて思い直した。愛と喋りながら廊下を少し歩いたところで、執事の辺見が現れた。

「村瀬様、光田様、朝食の準備が出来ております」

 そういうと、昨日と同じ食堂ホールに通された。ホールに入ると、天水、十文字夫妻、江戸賀、笛田の姿が既にあった。今日の朝食はアジの開きに、なめこと豆腐の味噌汁、キュウリとワカメの酢の物だ。

「光田君、いつまで寝ているのかね。遅刻だよ」

「うっさいぼけぇ、アレ? 丹波哲郎……じゃなかった。黒井さんは?」

「まだのようじゃ。朝食の時間は昨日伝えておる。辺見が早朝からドアをノックしているのだがのぉ」

 十文字豪太が答える。自分は関係無いと、味噌汁の中のなめこのぬめりを口の中で楽しんでいた時だ。辺見がホールに戻ってきた。顔色が青ざめている。プラスドライバーがネジを閉める時のように、クイックイッと体を寄せながら、少しその高い鼻をつまんで。

「どうした辺見よ」

「はぁ、十文字様、どうやら黒井様の部屋の様子がおかしいのです。中から妙なにおいが……」

 天水がここで口を挟んだ。

「臭い……ですか?」

「えぇ、こう、頭が痛くなるような、生臭い、血の香りのような」

「中は見られたのですか?」

「いえ、それが鍵がかかっておりまして……」

 辺見が額をさすりさすりと言う。これはもしかして、この展開は。光田は片目を瞑り、しかめっ面をした。

「僕らも、行ってみましょう」

 かくして全員で黒井の部屋まで行く事となった。食堂ホールを出て、赤い絨毯が敷かれた廊下を曲がり、黒井の部屋前まで付くと、暖房のせいか、先ほど、辺見が言っていた臭いが更にきつくなっている。

「ねぇねぇ、黒井さん大丈夫なの? 中で何かあったとかじゃないよね?」

 怯えながら愛が言うのを、「あの人も昨日、光田君が寝るー言うて名探偵さんの講義聞かんと、すぐ部屋に戻った一人やけんな。もしかしたら強盗にでもあっとるんちゃうか?」と江戸賀が後を続けた。

「えぇー冗談やめてくださいよ! 強盗殺人とか無いわよねぇ! 怖い」

 愛の声を無視して、天水は辺見に向かい言い放つ。

「やはり鍵がかかっている。辺見さん、この部屋の合い鍵は無いのかね?」

「そ、それがこの館の客室の鍵はお客様方が持っている、一本だけでありまして」

 瞬間、何故か光田はその場にいる全員を客観的に観察してみた。天水は冷静だ。江戸賀と愛は殺人だと騒いでいる。笛田はガクガクと震え声も出ない状況になっている。辺見はどこかへ走って行った。十文字豪太は口をへの字型に丸めている。その妻、真理は……一瞬、ほんの一瞬だが口元が笑っているようにも見えた。

 ――どう出るんかなーー……。

 その様な考え事をしていると、

「密室か……」

 天水が呟いた。とその時「これを!」と辺見が何かを手にして戻ってきた。なただ。巨大な鉈を手にしている。先が少しだけびてはいるが、力任せに振り下ろすと、十分鍵のかかったドアを壊せるようなものだ。

「倉庫にあったものです。昔はまだこの館にも暖炉がありまして、これはその薪割りに使用していたものです!」

 かくして、天水はその鉈を手に渡されると、「黒井さん、ドアを開けますよ!」と言い返答が無いのを確認して、ドアの鍵目掛けて振り下ろした。

 ガシッ!

 一度目で、鍵の金属板が少しだけだが、壊れた。二振り目。

 ガシッ!

 ドアの木目が見えた。

 ――これは三度目で決めんとがやろな~。何度もガシガシやるのはミステリ的にもいかんもんなぁ。

 光田がそう思っているうちに三度、四度、五度目、いよいよドアの鍵金部分が外れた。ポッカリと穴が開いた状態でドアノブが無残にもぶら下がっている。

「名探偵さんよぉ、早ぉ開けや! 黒井さん、中で殺されとるかもしれんのやぞ!」

 急き立てる江戸賀を、天水は手で制しこう言う。

「待ってください、まだ黒井さんが、殺されたという確証は無い。それに密室を開く、これ即ちドアを開けるという行為こそが、殺人に繋がる前例を僕は何度も読んできたし、実際の事件でも見てきました。辺見さん、ゆっくりと焦らず静かにドアを開けてください」

 ここまできてドライモンスターぶりを発揮するかと、光田は逆に関心したものだが、執事の辺見は「はい!」と力強く頷き、映画のスローモーションの様にドアを開けた。部屋の中の暖房の送風がこちらまで感じ取られる。と、同時に、血生臭い臭気が鼻を劈いた。

「うっ!」

「黒井……様?」

 その臭気の元はすぐに分かっていた。部屋の真ん中。そこに――死体があった。全員がそれを黒井と認識したらしい。ハイネックの服、ジーパン。そしてその上には、何も無かった。赤黒い血液と赤い絨毯が混じり合い、深紅の水彩絵の具の上に、どす黒い油絵具を散らしたようになっていた。

 そう、死体には首が無かった。生前の黒井の姿をここにいる皆が思い出しているに違いない。禿頭と髭、頭が減った分小さい身長が更に低くなっているのが、どこかしら人間のパロディの様で、光田の目には、何度見ても喜劇にしか映らなかった。天水がそっと本来、首があった場所を観る。十文字、辺見、江戸賀、少々青くなっている笛田が後に続く。光田は血に近寄りたくも無かったので、愛と一緒に部屋の外、壊されたドアの隙間からその様子を伺った。

「ふむ、血の量は凄まじいが、よく見てください。背中にナイフが刺さっている。おそらくこれが本来の死因で、首はその後に切られたようだ。しかし――服が血まみれの様だ」

 冷静な天水と胃液が逆流し、しょっぱい唾が口内に広がっている自分を比較し、やはり自分はこちら側の人間なのだという安心感があった。何度見ても嫌なものである。

「首はどうやって切ったんや?」江戸賀が天水に問う。

「切断面を見る限り、ノコギリの様なもので切られたようです。ほら、切断面がギザギザになっている。本来は生体反応を失った死後、総頸動脈そうけいどうみゃくから流れ出した血が、この絨毯を染めたといっても過言ではないでしょう。あくまで僕の見立てですが」

 ふと死体のこちら側、部屋の隅に設置されているベッドに目が行く。そこには、血まみれの巨大なビニール袋二枚が置いてあった。

「これは?」

「あぁ、これは館の倉庫に置いてあるゴミ袋でございます!」

 さすがの細見である辺見もこの死体と臭気に充てられたのか、汗を拭きながら答えている。

「前世でどんな悪事、働いちょったら、こんな悲惨な最期遂げるねん……」

 光田がドアの影に隠れてぼそりと呟いた。一方、天水はまだ冷静に、死体の見分けんぶんを行っていた。

「体だけがあり、頭部が消失している。そして窓には――」

 鉄格子がハメられていた。子供も通れない立派な鉄格子が。

「光田君、こいつは、犯人が持ち去った可能性が高いようだぜ」

 まぁ、こう言うだろうなという予想を光田は計画として立てていた。天水がさらに続ける。

「犯人はそこのビニールの巨大ゴミ袋を被って黒井氏を殺害したらしい。ここにいる皆さんの服に血がついていないのがその証拠だ。計画的犯罪と言っても良いだろう」

「おぅ、天水。その死体が黒井さんである可能性はないがかもしれんがやぞ。次にお前はこうでも言うんちゃうがか?」

 天水は一瞬ムッとした顔をして、「君の体格と似ているからな」とだけ呟いた。皮肉か。そう返答するか。

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