第四章:推理役と収束役
1
「それが……先ほど電話が繋がっている倉庫に向かったところ、どうも電話線が切れているようでございまして」
外から戻ってきており、折角のスーツが雨に濡れている。辺見の言葉に光田は絶句した。先の首無し死体が密室の中で見つかってから、五時間少しが経過した。現在時刻、午後十四時三十分。
――どうせこの後の展開は……。
「この嵐の雷か何かで線が切れてもろたいうんか!」
汗をダラダラ垂らしている、江戸賀が怒鳴った。しかし辺見は努めて冷静に、「いいえ、何者かの手で切られた様です。電話線のコードが斜めに綺麗に刃物の様なもので、プツンと切られておりましたので」
――嗚呼、やっぱりや……。
雷が外で鳴り響いている。ビュゥビュゥという風が窓にあたり、ガラスがガチャガチャと揺れる。その音と振動がホール全体を覆っているようだ。
「しゃぁないなぁ、十文字さん、ワイの車、館の前の駐車場に止めとるけん、道案内お願いできますか。
「江戸賀さん、この嵐の中を行くのぉ!」
驚いた声を出したのは愛だ。
「愛ちゃん仕方ないやろぉ、十文字さん、道案内頼んますわ。来た道は分かるけど、帰りの道が分からんから」
「仕方がないのぉ、江戸賀さん、麓の道のりを安全に行く方法を知っているのは、この中では儂と妻だけじゃが、妻は危険な目に合わせたくなはない。行くとしよう、それにどうも……この空間にいると圧を感じてしまう。嫌な圧をな」
圧を感じる。妙な言い回しが光田の耳に残る。
「それでは残った皆さんはテレビでも見ておるとよかろう。辺見、何か温かい飲み物を全員に」
「はい」
と、江戸賀と十文字はホールから出ていった。一気に静まり返った皆がいたので、光田は退屈になりテレビをつけた。紅白歌合戦前の日本レコード大賞が、ホールにあるテレビに映ったが、時々雑音が混じる。
『北ぁ~のぉ……ザザッ……ば通りぃ……ザッ……にはぁ~♪』
歌詞が途切れ途切れなのは、嵐のせいで回線が混雑しているためだ。決してJA○R○Cが怖いというわけでは無い。
「駄目ですな。嵐のせいか、テレビの配線もおかしくなっている、アンテナがやられてしまったのかもしれません」
「ちょっと、執事さん、私のスマホも圏外なんだけどぉ~、さっきまで繋がっていたのに……おかしいじゃな――」
愛が辺見に呻いたがその声は途中でかき消された。先ほど出ていったばかりの十文字と江戸賀が、ドアを勢いよく開き戻ってきたのだ。
「大変や! 館の前の崖が崩れとる! 車止めとる駐車場や館の中庭にまで土砂が押し寄せとる!」
ご都合主義的過ぎる。光田は一瞬だけ思ったが、あえて黙っておいた。
「自然に潰れたにしてはおかしい、あの潰れ方……まさか」
「貴方、まさか……」
十文字夫妻が何かヒソヒソと話し合っている。と、その時、隣に座っている天水がボソリと呟いた。
「ふむ、クローズド・サークルというわけか」
やはり、こいつはこう言うか、という予測は、またもやあった。何故、二十一世紀を十年以上も過ぎた、二〇一一年の大晦日をこんな中で迎えないといけないのか。クローズド・サークル、今回の場合は、嵐で閉ざされ電話も通じなくなった場所だが。絶海の孤島、吊り橋が落ちたコテージなどもミステリ用語でこう言う。
今頃実家に戻っていれば、祖母と母が喧嘩しながらも丹精こめて作った、手打ちの年越し蕎麦が待っていたというのに。十割蕎麦、薄い関西風のだし汁、醤油砂糖でぐっつり煮付けた油揚げ、ナルトと青ネギ、真ん中に落とした生卵。情けない事だ。名探偵という属性といると
「俺ら、この館に閉じ込められたいうわけか……」
江戸賀が汗と先ほど濡れた雨の雫を、渡されたタオルで拭いながら呟いた。その体躯のせいか、拭いても拭いてもスーツも何もかもがびしょぬれになっている。
「えーこっちは三が日明けに仕事もあるのにぃ! 来期の主演一回目のアフレコよぉ」
愛が涙目で叫ぶ。光田は愛のソフトバンクのスマートフォンを見せてもらった。 この障害がいまいちよく分からない。先ほどまで通話やメール、ネットも出来ていたものが、圏外になるとはどういう事だろう。個人的な感覚ではLTE《アクセス》側の設備の問題のような気がするが、内部のIPネットワークの可能性もあるのだろうか?
――それともこれも計画の内ながか? どこまでが計画に入るんや?
胸中でそんな事を考えていた光田だが、隣の天水は平然としている。さて、この後はお得意の――。
「さて、皆さん、僕はこの辺りで昨日のアリバイの確認を申し出たいのですが」
――やはりそう来るか。
「あ、アリバイ~~、名探偵さん、こん中に犯人がおる言うんか!」
「わ、私たちの中にか!」
江戸賀と笛田が同時に口にした。当たり前だ。
「あくまで連絡手段が復旧するまでの形式的な質問です。外部犯の可能性も考えたのですが、あの現場を思い出してください。ドアは閉まっている、窓には鉄格子がはめられていた。密室殺人、それも中にあるのは首無し死体だ。完全なる不可能犯罪です。ただの泥棒や強盗なら、あそこまではしない。つまり内側にいる皆さんを潔癖の証人として味方につけておきたいのです」
言葉巧みに良く言うものだ。証人として味方につけて置きたいというのは、即ち、自分以外の全てを疑っているという事に成りうる。それがこの男の属性なのだ。
「まず、光田君。君は昨日、八時過ぎ、僕の話を聞かず出ていったね。その後は何をしていた」
「べぇ~つにぃ~。自分の部屋に籠りっきりで、テレビ見たり、ネット見よったりしただけとちゃうかな。つまり俺にアリバイは無い。あ、あの時はまだ、ネット繋がっちょったから、俺のノートパソコンでツイッターやフェイスブックのSNS書き込んぢょるけん、そっちで証拠残っちょるかものぉ。まぁ、警察に連絡も取れん今は何とも言えんがやけんども」
「ふむ、では次に部屋から出ていったのが黒井さんだったのだ。血の乾き具合からして、相当な時間、暖房に当てられていたらしい」
次に天水は笛田の方を振り返った。この民俗学者はあの死体を見た後から、爪を噛み、小刻みに震えている。
「次に出ていったのが、笛田さんでしたね。午後二十時半ごろだったはずだ」
「そ、そうだが……」
『傘』という漢字の様な形の顔が今では崩れている。
「その後はどうしました?」
「う、うむ、私も眠くなりその時間に退出させてもらったのだが、部屋の道が分からなかったので辺見さんに付いてきてもらった」
「それは私からも証言出来ます。笛田様は確かにご自分の部屋に入り、鍵を掛けておりました」と辺見。
「その後は眠くてすぐ寝てしまいました。明日の皆既日食を楽しみにしておったためだったのですがね、どうもこの調子では……あ、いや、話がそれてすまない。というわけでアリバイは無い。奇しくも私の部屋の右横は黒井さんの部屋だったのだが、まさか、まさか……あんな事が起こっているとは……」
消え入りそうな声で言ったのだが、何かを隠している。天水もそう直感したのか、質問を変える。
「ありがとうございます、笛田さん。ところで、先ほども自身で仰っていましたが隣は黒井さんの部屋ですよね。おかしな何か……辺見さんに案内されている時でも、部屋の中からでも良いですが、何かを目撃、もしくは聞いたなどはありませんか?」
笛田はより一層震えが止まらなくなっている。
――なんか隠しちょるな。もしかして……。
「ろ、廊下に……ゆ、幽霊……」
笛田は震えながら、その言葉を口にした。
「い、いや、私が寝ぼけていたせいかもしれないのですがね、夜中にチラリと廊下を見やったのです。何時ごろかは分かりません、時計を見なかったもので……。笑い話と一笑してくれたら良いのだがね、名探偵さん。あの時、廊下に半透明の何かを観たのです、えぇ、人型の……」
「半透明の何か?」天水が顎を指で
「え、えぇ、まるで幻を見ている様だった。少し残像がブレているように感じたし眩しかった……が人型にの何かだ。手があって足があって……しかし、しかし……」
「しかし何でしょう?」
「首と、体とがくっついていなかったような、そんな気がしてな」
ここまで喋り笛田は気分が悪くなったのか、えづき始めた。天水は子供じみた目を細くして、「ありがとうございます。その半透明の何かについては、後に調べてみます」とだけ言い、笛田の証言を終わらせた。この時、十文字夫妻はまたヒソヒソと何かを喋っていた。
笛田の証言を聞いた後、残りのアリバイを天水は丁寧に聞きだした。江戸賀、愛、辺見、十文字豪太、真理夫妻は午後十一時まで、途中途中でトイレに立ちながらも、天水の事件譚を聞きながら酒を飲んでいたらしい事が分かった。ちなみにトイレに立った順番は、天水が覚えていた。十文字豪太が黒井が部屋に戻ってすぐ八時十五分頃、江戸賀がその後八時三十分、真理が次で二十一時過ぎ、愛は嵐の音で一人で行くのが怖いというので、辺見にトイレの前まで付いてきてもらったらしい。それが二十二時頃。光田も一応だが覚えておいた。
2
「これは、カラオケでチャゲアスの歌を唄う言うちょって『ふたりの愛ランド』を選曲する様なもんながやぞ」
「光田君、意味が分からないよ」
「要するにや、野球やる言うちょってからに、この世には存在せん、消える魔球投げる様なもんや」
光田は反復してみた。昨日起こった出来事を。しかし、脳髄でも処理が追い付かなくなり、とりあえず天水の部屋に来てみたところである。目の前の男は相変わらず携帯用灰皿を左手に持ち右手にはハイライトが一本だ。
何故、こんな閉ざされたクローズド・サークルに置いて殺人が為されなければならなかったのか。反芻する。いつか警察が来るのは分かっているのに閉ざされた場所での犯罪。あまりにも出来過ぎている、と目の前の男は思っている事だろう。
「ふむ消える魔球ね。しかしね、光田君。僕から言わせてもらえればその魔球――一種の異分子だが、それは君という事になるのだがね」
「ほーぉほーぉ、言わせちょけば言うてくれるやんけ。でもなぁ、昨日も言うちょったやろが。お前が立っちゅぅ舞台はミステリの論理で動いてないかもしれんの。つまり俺から見っちょったら、お前ら全員の方がおかしいの。出来過ぎちゅうがよ」
そういうとポケットに手を突っ込んだ。昨日の名刺用、愛のサイン用に使ったコピー用紙が手に触った。紙が少し濡れている。
――ふむ、あるわな。これで良し。
「ところで、天水よ、笛田さんが夜中に見た言うちょった、半透明の首と胴体が分かれた幽霊。アレについてはどう思うちょるがな」
「まず犯人が黒井氏を殺害し、首を切断するために被っていたと思われる、あの巨大ゴミ袋の可能性が第一。次に笛田氏の嘘の証言が第二。最後に本物の幽霊であった可能性が第三」
「第一の可能性が一番合理的やな。まぁ、本格ミステリの世界では」
「まだそんな空想的な事を言っているのかね。実にくだらない。それより事件を整理してみよう。今回の不可能犯罪には三つのポイントがある。一つがクローズド・サークル、もう一つが手段、動機含めた密室殺人、最後が首無し死体だ」
「ほいたら前提条件から固めちょかんとあかんやろ。んで、アレがほんまに黒井さんの死体言うちょる証拠は? また首はどこに消えた?」
「その質問、前者だが君は、バールストン先攻法――入れ替わりトリックを疑っているのだろうがそれは無い。何故なら十文字夫妻を含め、他の容疑者は全員生きているからだ。逆に言うと死体がもう一つ必要になるが、どこにもそれらしきモノは見つかっていない。そして後者の場合はもっと簡単だ。首は窓から外に出されただけなのだから」
「おい、窓は鉄格子がかかっちょったやがないか。いくら首だけ言うてもあの間を通れんで」
「首を切ったのが一度で無いとしたら?」
「はぁ?」
「切断した首を更に細切れにすれば、あの鉄格子の間からでも出るのでは無いかね?」
普通のワトソン役ならここで、切断した首を更に切断するという狂人の行動、脳髄や頭蓋骨をノコギリでギリギリと切る行為を想像し、吐き気を催すところだろうが、光田は関係無いという表情で天水を見た。逆に天水はつまらなそうに、一瞬だけムッとした顔でこちらを見ている。
「ふむふむ、なるほろのぉー。それで首を細切れにして外に出す事が、犯人にとってどんなメリットがあんねん」
「それはあの密室を作った動機にも繋がってくるところだ。密室はいわば
「ほぉ~~、じゃぁそれに釣られる魚は?」
「この僕自身だよ、光田君」
「ふぅん、つまりトリックを名探偵が解くわけやのぉて、名探偵に解かすためにトリックを作成しよった
逆説的で転倒した、中々面白い動機だ。名探偵への挑戦状。さて、そんな姿を見たい人間と言えば、光田はある人物たちに思い至り、ニヤリと笑った。もちろん、口元は手で隠したが。目の前の男に今それを知られるわけにはいかない。と、天水が何かを閃いたらしい。直感的に分かった。
「ふむ、このトリックは……」
呟きながらハイライトを灰皿に入れ消すと、部屋中を歩き回り始める。
「良いかね、光田君。今回の謎はハウダニットだ。密室を構成した手段もある程度想像が出来た。ところで君に、一つ調べてきてほしい場所があるのだが、どうかね?」
「おい、助手役は運転手だけで十分務め上げたやろが。これ以上、俺に何を望んぢょるねん」
「トイレだ。この館の一階のトイレで、ある物を調べてきてほしい」
大体想像は着いた。天水が調べてきてほしいと言っている物は、光田も前日に使ったからだ。
「見てきてくれるだけで良い。その後、それが
3
「さて、皆さん」
午後十八時ジャスト。ゆっくり振り返ると、天水は食堂ホールにいる全員に向かって述べた。まるで自らが、宣託を下す神にでもなったつもりでいるのだろうか。光田は思う。この謎解きで合いの手を入れたらどうなるだろう。面白そうだ、やってみよう。
「はい、始まりました! 名探偵様の大推理! いよっ! 大統領! 名探偵、皆を集めて、さてと言いっ!」
天水は光田を無視し先を続ける。
「この事件の謎は実に複雑でした。しかしゴットロープ・フレーゲ曰く、深刻なものは
「ぃよっ! まさにクローズド・サークル!
ここで天水が顎を触る指が忙しなくなったのが見えた。
「つづいて、犯人は犯行現場を何故、密室にしたのか、その手段と動機は何か?」
「えー、密室宣言がただいま、天水選手の口より飛び出しました。飛びます飛びます! 飛ぶのはこっちの理性やっちゅーねん、おぅ、大将! 早よ薦めろっちゅーねん!」
この辺りで天水のこめかみにイライラとした、血管が浮かんだのが見えた。
「そして最後、何故犯人は被害者の首を切り、それを持ち出したのかっ!」
「おぉーぅ、クビキリサイクルぅ! チリンチリン! ってそれはクビキリサイクリングやっちゅーねん! ゥワォッ! ハッピーボーーイッ♪」
「光田君! 静かにしたまえっ!」
この館に到着し二度目、仁王像の顔になった天水に注意をされてしまった。折角良い謎解きの雰囲気を作ってあげようと思ったのに。何故注意をされるのか分からない。これからの名探偵は推理シーンも、普通のクラシカルでは駄目だ。ユーモアが無いといけないと光田は想像するが、否定されたので
「ハァハァ……。コホンッ。も、申し訳ない。話が逸れました。まずは密室の手段、即ちハウダニット、トリックの問題から行きましょう。犯人はどの様にして密室を作り上げたのか。それはこの魔神館の特異性を利用したトリック、心理の密室と言い換えても良いでしょう」
ここで天水は言葉を切り、その場の全員をもう一度見まわした。光田も一応見直しておく。辺見はいつもと変わらず紳士然としている。江戸賀は早く結論にたどり着きたいのか、天水の方を見ながらイライラしている。笛田は目を反らしながら、やはり爪を噛んでいる。愛はワクワクした目つきで天水を見ている。十文字豪太、真理夫妻は何を考えているのか分からない。
ここで現時点でアリバイが確認されていないのは、天水の話を聞かなかった、光田、笛田だけだ。後は、それぞれがトイレに立つ時間はあったものの、アリバイは成立している。
「名探偵さんよぉ、ええかげん俺らに教えてくれへんか。分かっとるんやろ、黒井さんを殺した犯人が」
「えぇ、分かっていますが細かい手順が必要です。しかしトリックのキモだけは言える。単純なトリック、そう、鏡ですよ。犯人はこの館のトイレにある、あの大鏡を使ったのです」
「大鏡ぃ~~」
江戸賀が口を挟んだ。
「そうです、鏡をこの様に……」
チラリとこちらを見てくる。ここで光田の出番である。ホールから見える通路の一番奥まで行き、
「こうすると食堂ホールから見通せる、黒井さんの部屋を笛田さんの部屋と錯覚させる事が出来る。大鏡をあらかじめ外しておけば、短時間でセット出来る単純なトリックです。犯人は、黒井さんが部屋に帰ってからこの大鏡のセットを用意したのですよ。そして何食わぬ顔で、鏡の裏側に隠れてしまっている、彼の部屋を訪れ、音もたてずに、油断していた黒井さんを刺殺し首を切断した」
笛田が再び気分の悪そうな顔をした。
「じゃ、じゃぁ、犯人は誰なんや!」
江戸賀が笛田の背中を摩りながら、汗をかき天水に問いただす。
「さて、ここでこの大鏡を使えるのは誰か、この館の構造を知っている人物しかいません、ここで除外出来るのは大勢います。僕や光田君、今日のゲスト三名は除外出来ます。残るは十文字さん、真理さん、そして執事の辺見さんの三人ですが、ここでトイレに立った時間が問題となってくるわけです。黒井さんの死体から出た血は暖房の温風でほとんど乾いていました。つまり、黒井さんが部屋に戻ってすぐトイレに行く事が出来た人物。ここで登場しうるのは、十文字豪太さん、江戸賀さんの二人ですが、江戸賀さんは先に既に消去されている。そして、最後の条件、この館の構造に詳しい人物となると……」
一人の女性を除いてその場にいる全員が、彼の方を見た。
「犯人は貴方です。十文字豪太さん」
「何を……天水さん、口が過ぎますぞ。これ以上、儂の事を愚弄するならば、法廷で会う事も辞しませんぞ。こちらにはそれだけの力がある!」
十文字が怒りを露わにした。こういう時に落ちつけてやるのが名探偵の助手の務めである。光田が割って入る。
「まぁまぁ落ち着いて、話をちゃんと聞きましょうや、ごータン」
「誰がごータンやねん!」
十文字は素でツッコミを入れたため、方言が出てしまったらしい。
「あっ、コホン……失敬。し、しかしな天水さん、証拠が無い。そこまで自信のある推理ならば、儂が犯人だという、きちんとした物的証拠も用意してあるのでしょうな」
この時、真理が夫の言葉を聞きニヤリと笑ったのを、光田は見逃さなかった。
「ありますよ」
あっさりとした天水の言葉に十文字と真理が目をむいた。
「何?」
「先ほども言ったでしょう。使われたトイレの大鏡。壁に止めてあったネジが数か所、緩んでいる箇所がありました。即ち誰かが、ごく最近に使った証拠です。そのネジがこちらにあります」
指紋がつかないよう、ハンカチでネジを覆い持ちながら天水がニコリと笑う。
「ば、馬鹿なぁ!」
「このクローズド・サークルが解け警察に連絡が取れるようになれば、僕の知人の刑事に指紋鑑定をしてもらいます。誰の指紋が出てくるでしょうね、十文字さん」
「嘘じゃぁっ!」
十文字豪太はそう叫ぶと、その場に崩れ落ちた。十文字に天水が問う。
「貴方の動機、即ちトリックを使ったホワイダニットになるのですが、ここまでの不可能犯罪を何故犯したのか? 名探偵を試したかった……一種の挑戦状――だからでは無いですか?」
天水の冷たい目はじぃっと十文字を捉えている。十文字は未だに信じられないという様な形相で天水の声を聞き、か細い声で、
「そ、そうじゃ……」とだけ呟いた。何故か真理も十文字同様、驚愕の表情を貼り憑かせていた。
震える十文字を、天水は冷笑的に見降ろした。そして次に腕時計を見ると、「QED! フム、ベストタイムだ」とだけ言った。
光田と十文字夫妻以外、ホールにいた容疑者たちは、ほぉっとため息をついた。
名探偵が謎解きをし、物語は終わった。犯人が分かり、事件は解決したのだ。
――その時、十文字豪太の目が怪しく光った……。
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