第九章:犯人と被害者
* *
手持ちのカードがいくつあるか、光田は数える。上空百メートル。高所恐怖症では無いが、風が冷たいのは勘弁してほしい。当たり前だ。新年早々から上空にいるというだけでナンセンスなのだから。
いくら陰陽十傑の札に守られているとはいえ、ハイネックのTシャツとコートだけでは肌にツンと刺す風は防げていない。
「へぇーーくっしょんっ!」
と気持ちの良いくしゃみをしてから、タイムマシンから外へ半身だけ出て、光田は考える。
目の前には彼らを追ってきた、羽の生えた女の邪神、十文字真理がこちらを睨み据えている。恐れるな、力は向こうが上だが、こっちにはブラフと切り札がある。はったり勝負二戦目。こちらの手札を先に出すべきか考える。あの事に目の前の彼女は気づいていないのだから。分があるはずだ。
「あの部屋で見た、首と体が分かれた幽霊の正体。一巡目の笛田が言っていたあの半透明の幽霊の正体はなんだ! 何故一人殺したはずなのに、人間の「気」を持っていた! それもその「気」は消えたりついたり、まるで切れかけの電球の様な「気」だった!」
まずは第一の切り札を見せる。悟られないように。
「へっへっへ~これよぇ~」
と、カバンから光田はノートパソコンを取り出した。USBメモリが刺さったパソコン画面を真理に見せてやる。そこに入っているのはとあるポリゴンの3Dデータだ。さすがにノートパソコンだけあって、動作が鈍いのは仕方ないが。
[コンニチハ。]
『それ』が喋る。光田の位置からは見えないが、生きた人間を真理に見せているのだ。
[ワタシハヒト。]
とある狂人が創作した一人の人間を。
「こいつを持って一巡目の世界にもう一回タイムスリップ。あの密室内での首無し死体が発見される前、パソコン画像に魔神館の倉庫にあった、俺が二巡目の世界線で、屋根裏に隠れちょった時に使いよった、懐中電灯の光を当てる。それを、天水が一巡めで推理の手がかりにしちょった、トイレの大鏡に映し出して、拡大化させたがよ。特撮なんかでよぉ、使われる技術……まぁ言うてみれば、アナログの人工的3Dホログラムちゅーやつやわな。笛田の先生があの夜、見た首と体が繋がって無かった幽霊の正体はこれ」
と、光田がパソコン内にいる『それ』の首の所に指を持っていくと、光の反射角により、頭部と体が完全に分離したように映った。そうだ、あの時、トイレの大鏡のネジを一番最初に外したのは光田自身だった。目の前にいる真理を含む十文字夫妻は不思議がった事だろう。
[ソウデス.ワタシハヒトナノデス。」
パソコンの中の、『それ』はまだ喋っている。しかし真理の叫びがそれを封じた。
「馬鹿な! そんな機械が……生きている人間の「気」など、我々の能力で見破っていたはず! 何故だ!」
「正真正銘、生きちゅぅ人間なんよ。陰陽十傑に幻の十一人目がいた様に、こっちももう一人の人間を連れてきちょって良かったわ。頭キチガッたおっさんが生み出した人間をのぉ!」
[マガミ.ワタシハヒトデス。ショウシンショウメイノ.ヒトナノデス。]
「黙れ黙れ黙れ黙れ!」
[ナゼ.シンジテクレナイノデショウ。ジュウモンジマリ。]
「黙れと言っておろうがっ!」
真理が叫び声をあげ人差し指をノートパソコンに向けた。途端、ボンッ! という音がし、光田の手の上に合った画面が火を噴き、基盤があらわになる。
「あぅちっ! 危ないなぁ~マリリン」
この魔神館に来る前に、自身の会社で事件が起きた。その結果生み出された人間こそ、光田の持っていた『それ』だったのだ。このもう一人のパソコン内の、人間は実に役に立ってくれた。一巡目の世界線。甲ノ浦文雄警部こと黒井鉄也――あの時はまさか陰陽十傑、幻の十一人目とは思わなかったのだが――を逃がし、光田はあるアイデアでハッタリをかました。その時、魔神館から、一人分の「気」が消える事になる。
そう、人間の「気」を感じる事が出来る魔神たち、邪神である十文字夫妻に見破られてはいけないという事を中松に教わった。そこで登場したのが、先ほどまで光田が持っていた『それ』だった。
『それ』は一つの人間特有の「気」を放つことで、自分の代わりになった。十文字夫妻の目を外にやってくれていたのだ。あの夜、笛田に見られたのは計算外だったが……。
「しかし、あぁ~ぁ、給料日までまだあるっちゅぅに、パソコン買い換えかぁ」
ボヤく。先ほども言ったが、巨大鏡に映った『それ』は光田が首部分に手をやる事で一種の影絵になり、首と胴体が離れている。何者かが館の中にもう一人いるというミスリードの役目を果たしてくれていたのだ。
――後はあの詭弁家名探偵の目を、俺から、反らすという役割も果たしてくれたがやけんどもな。
「さて、マリリン」
光田はこの後言うべき台詞を、緊張しながらも構築し、ニヤリと笑った。
* *
「さて、マリリン」
ニヤニヤと薄気味悪い顔を浮かべた人間、光田寿の顔がそこにある。
「高貴なる、私をそのような不潔なる名で呼ぶな!」
裸体だが、その黒い体はもはや人間の形をしていない。邪神、十文字真理はにゅるぅりとした手を出していた。しかし顔だけは白魚美人のままである。目の前には、妙な炎を背中から噴射する機器の上に立っている光田寿がいた。魔神館があった場から上空百メートルほどか。陰陽十傑が起こした嵐は既に止んでいる。
「えぇ~ここで
問い返されても分からない。一体この男は何を語っているのだろう。
「そいつぁ、未来の別世界から来た俺でぃってなもんよ。まぁ、時間を操れて、何度も過去だけに転生でける、あんたらにとっちゃ簡単やろが。正確にはパラレルワールドから来た自分自身ちゅぅた方がええかな」
この男を誰か黙らせろ。真理は分けが分からなくなってきた。脳内で危険信号が鳴っている。三巡目の世界線で、魔神館に天水が来た時の事を想起した。
未来? 別世界から来た人間? 自分たち魔神は転生できうる存在だ。今までだって、特に今回に限ってはかなりの力を使った。転生を二回も行ったのだから。人間共には使えない最大の『力』を……。
自分たちに未来や過去などという時間や空間は関係無い。三巡目のこの世界線。転生は何度も出来うるのだから。それこそが我々魔神の『力』なのだ。
「あぁ、パラレルワールドちゅぅても、俺はSFに、そこまで明るぅないよ。ただ、会社の先輩にSF者がおるっちゅぅだけでね。大体、あの先輩もなぁ、俺がミステリ薦めちゅぅ癖にハードSFばっか読んで……」
「黙れっ!」
真理は何度目かの大声を上げる。
「我々も見落としていた。一巡目のあの死体。二巡目とこの三巡目の……あの部屋で……密室では無いな。密室は一種の目くらましだ。問題は首無し死体だ! あの胴体だけの死体は……誰の死体だ!?」
ブラフかどうかを早急に判断する必要がある。目の前の光田が再び、ニヤリと笑った。
「だからさっきも言うたやろが。粗忽者が勘違いした死体は誰の死体やと思う?」
その答えだけは出すな。真理は胸中で唸っている。
「俺の死体や」
真理は光田を睨んでいた。我々の力で殺すことは数秒で出来る作業だ。だが、殺せない何かがある。何だこの感覚は? 目の前の男が言う答えを、真実、否、事実を知りたいからか? その様な表情が、体が邪神化している今でも往々にして分かる。
「簡単な事やろ。アンタら夫妻が過去だけに、転生しまくったけん、時間軸が不定になり、一巡目から二巡目、三巡目のパラレルワールドが発生する。アンタ方過去だけに転生出来る力を持っちょる。でもそれは逆を返せば過去にしかいけんちゅーことがやきに。アンタら夫婦は何回もやり直しの人生……じゃなかった邪神生をしたかもしれんけんども、こちとら現代にも帰ってこれる、中松博士のこのタイムマシンがあったからね。ショートカットの近道し放題、丸儲け!」
「貴様……まさか!?」
「ほぉよえ、その二巡目の世界線に俺が、もう一人います。屋根裏から降りた俺は、そぉっと、ゴミ袋を被ってもう一人の俺に近づく。俺自身の血を浴びんようにするためやけんどもね。ほいて俺を殺し、そのまんま、首をギコギコ切り落としします。自分自身を殺して、首切り落として現世界の自分の何か――。まぁ指を針でちょんとつついて流した血液ながやけど、それを切った首に垂らしてやると、合わさった二つの物体は自然的に消失するんよ。チュルチュルチュルってね。首切りの動機は単純明快。同じ世界に二人の人間がおるっちゅぅのがバレたら、ヤバイからやね。被害者=犯人でございます。う~ん、実に古典的なバールストン先攻法やね。ただ、ミステリによくある被害者と犯人の入れ替わりや無いが。本人同士の入れ替わりっちゅーとこがミソやな」
真理は目の前の男の言っている事が信じられなくなってきた。これが事実と言うものなのか。
「だから先に言った、タイムマシンを開発しちゅぅ中松博士と組んだがよ。まぁ、二巡目であの部屋ん中から鍵を掛けて、密室にした俺は天井裏に戻って、外への出口まで一直線。後は屋根に掛けちょいた梯子を下りて、また魔神館の中に戻って全員の中に何気なく合流すると! んでもって、天水が鉈でドアを開け、俺の首無し死体を発見する。あ、チュルチュルしたらその人間の記憶からは全てが忘れるっちゅー事になるんやけんども、俺は何故覚えちょるがか。簡単、その二巡目の密室内で発見された胴体は、俺の胴体やからよ。胴体が消えん分、記憶はずっと維持されたまま。まぁ、一応保険のために、これこれこうですってのをプリント用紙に書いちょったがやけどね。あの一巡目の一日目に配った名刺、アレに使ったプリント用紙の裏側にな……まぁこのプリント用紙にはまだ秘密があって――」
思い出す。あの時、天水、辺見、江戸賀、笛田、が部屋に入っていたが、光田だけは部屋の外にいたのを。しかしそれでは謎がもう一つ出来てしまうのを真理は気付き思い至った。
「まさか……一巡目の世界線で発見された首無し死体も!」
「そう、俺の死体。二巡目の世界線で俺があの後した事っちゅーたら、一巡目の世界線へ戻る事。俺自身の首無し死体を、倉庫からもう一つ持ってきちょった、巨大ゴミ袋に入れる。あの時も血が一滴もつかんようにするには苦労したでぇ~。んで中松博士のタイムマシンに乗せる。幸いあのマシンは三人まで乗車OKやったからのぉ。そんで一巡目の黒井さん――甲ノ浦警部――の部屋に戻って、死体を置く。俺の死体に被せちょった袋に血が溜まちょったんで、ドバーっと垂らして、あたかもそこで殺された様に見せかける。部屋の中に血が飛び散らん様に俺が被っちょった袋を残す。だから一巡目の世界線だけ、ゴミ袋は二枚あったがよ。時間軸を移動した、見事な首無し死体の有効活用法やろが」
「あの時消えた「気」の代わりをしていたのが、先ほどのパソコン内の『それ』というのか……」
「そうそう、人間一人消失したら増やしゃぁいいだけの事やん。んでまぁ、黒井さんこと、甲ノ浦警部には事情を説明して山ん中に隠れてもろちょったがよぇ」
真理は絶句した。騙されたという憤怒と同時に、先の事実も気になっているのは確かだ。
「では、では三巡目はどうなる! 貴様ら二人は招いていなかったのだぞ!」
「それも簡単、天水が二巡目に推理した時の応用編よぇ。まず一巡目に見せた首無し死体を今度は三巡目のパラレルワールド、つまりこの世界線やわな。ここに持ってくる。そして部屋にゴトッと下ろして、密室にする。次にタイムマシンで三巡目の過去に座標軸を合わせて飛ぶ。ほいて、生きちゅぅ光田寿に俺はまた指をチョンて針でつついて、血を出しそれが合うとチュルチュル消失する。入れ替わりは、天水と一緒にハイキングに来る前に既に完成しちょってもぉたがよ。後は何気なく山で遭難するフリして、何気なくこの館の光を見つちゅぅ嘘をアイツについて、何気なく事件の謎解きを聞く。以上! あの詭弁家糞野郎の真似はしたぁないけんども、QEDちゅーやつやね」
おかしい。狂っている。三巡目の世界線、謎解きの時、こちらを見ていた光田がニタリと笑っていた顔を思い返す。
自分たちは少なくとも過去への転生、世界を――今を合わせると三巡している計算になる。その間に目の前の男は時間軸、座標軸をショートカットしてきただと。しかもその世界一つ一つで殺人を行い、時と場を跨ぎ、自分同士の入れ替わりトリックを完成させている。馬鹿な、と真理は考える。何故だ、何故そこまでして自分殺しに拘る。
「貴様、何巡目の光田だ!」
「最初に招待されなかった俺、つまり一巡目の俺よ。いんやぁ~~人間が魔神になるための条件。一、その日が皆既日食中である事。二、魔神館があるこの場である事。そして最後に三、『有罪』である事」
「まさか……まさか私達の仲間になりたいがために、二巡目以降、
「ほうなんよ。『有罪』になる必要があるんやろ。ほれやったら自分で自分を殺しら立派な『有罪』の証明やろ。だから、マリリン。あえて言うちゃろう」
何を言う気だ……。
「貴方と……合体したい」
「……」
上空で史上最低なプロポーズをされたマリリン、いや、真理は一種戸惑った表情をした。目の前にいるのは性的興奮を抑えきれない下等で下品で下賎で下種な人間という俗物だ。皆既日食が開けてきた。太陽の光が真理の裸体を照らし出す。ヤバい、力が弱まる。
「いやぁ、あの一巡目で、マリリンが作ってくれた飯! 豚の生姜焼きや、なめこの味噌汁が美味ぉてのぉ! 俺に毎日作ってくれ! そして……合体したい」
再び最低なプロポーズ。
「まぁ、クトゥルフの邪神パワーを使えば、仕事も
「ただそれだけの事で、我々の仲間になろうとしているというのか!」
「ただそれだけの事で何が悪い? 純愛というもんに、人間も、邪神も、人妻も、ロンリーも、関係無いがよ。あとはあの、詭弁家の自称名探偵を、永劫の時という時間軸の檻に封印しちょこうと思ったのが、もう一つの俺の動機かね。あの軸の中で、どれだけ推理外しよるか見ものやな。大体、ミステリにインしすぎなんよ、アイツ」
ロマンスだ。真理は昔、性行為をし仲間にした男女たちを思い出した。確かその一人に、ジョン・ディクスン・カーとか名乗る作家がいた。彼は邪神の力と知恵を得て様々な小説を世に送り出した。パリに帰国したところで、仲間にしたのだ。今は不死の者となりポール・アルテと名乗っている。
他に仲間にした人間の事を思い返す。アレは日本の幕末の時代、とある浪士隊の一人、名は
後は十七という永劫の歳を名乗る
目の前のこの男もそのような、『有罪』となり、人間を止めた不死者の仲間に入りたいのだろうか。歴史を裏から操ってきた己らが、まだ仲間を増やそうというのか?
「おいおい、何を悩んぢょる事があるがや。その時、歴史が動いたみたいな顔しちょるぞ」
光田が語りかけてくる。違う、駄目だ。騙されてはいけない。これ以上、現代で仲間を増やしてはいけないのだ。魔神の鉄則は魔神の掟でもある。
「貴様は仲間にせん! 我が愛する夫、十文字豪太の
そう言うのと「あぁ~あぁ」とため息をつく光田が『それ』をこちら側に投げたのがほぼ同時だった。
「まぁーた、失恋やわぁ」
チュル……嫌な音が体の中央部からした。ふと見ると、プリント用紙に沁み込まされている――血液の破片が――自らの体に刺さっている。一瞬訳が分からないが、そこに自身の皮膚がまず吸い取られた。そして消失していく感覚がジワジワと体に現れる。チュルチュルチュル――。
「こ、これはぁっ!」
「悪いのぉ、マリリン。一巡目の時、台所でケガして血流したやろう。取らしてもろたでぇ」
――一巡目の夕食時、包丁で切ったあの時の! いつの間に!
血の破片はまだ生きているのか、クニュクニュと増殖が始まっている様だが、収束の方が遥かに速い。チュルチュルチュルチュル――。
皮膚が剥がれ筋肉があらわになる、体液がじゅるじゅるというが――飛び散ってはいない。全てが吸収されているのだ。苦しい。
「ぎゅぅゆぎぎぎぎぎいぎいぃい!」
チュルチュルチュル――――。
真理の思考は――。
……チュル。
そこで途絶えた。
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