第31話

人生をやり直すことができるなら、多くの人はどこからやり直すのだろうか。

挫折したところか、生まれたときか、それとも。


私がもしやり直すことができるとしたら、小学校の頃をやり直したいと切に思う。ああも意地っ張りな性格では嫌われるだけだともっと早く知っていたらよかったと何度も思っていたし、周りと打ち解けて楽しむ授業が面白いものだと高校卒業前に知るなんてといつも後悔ばかりしていた。


…だけど、やり直した先に君がいないのなら、やっぱり私は校庭裏に行くのだろう。そして、もう一度会えたなら、聞きたいことが山ほどある。何から聞こうか、なんて。


彼の家へ行く方法を忘れていたわけじゃなかった。だけど、どうしても勇気が出ない。夕方に帰ってくるというのなら、それからでもいいくせに足は校門から離れなかった。


「小学校の先生、してたんだね」


水色の封筒に呼びかける。彼が答えてくれるわけじゃない。


「あーあ、本当に、本当に、嫌になっちゃう」


記憶の中にいる君の笑顔が輝くたびに汚れていった己の汚さが浮き彫りになるようで、ため息が溢れた。私はずっと彼のことを忘れようとしていた。いや、ハッキリいうと忘れていた時期もあった。

それくらい一瞬の出来事だったのだ。子供の私にとって速かった。それなら、大人いまの私には目蓋を閉じるよりも…きっと…。


彼はある日、突然いなくなった・・・・・・

理由は知らない。ある日から突然として学校から消えたのだ。


先生は「家の都合」だと言い切り、接点がないと思われ多くを伏せられた。何度も何度も彼の家の前に走り、彼が出てくるのではないかと期待していた。


だけど、一度だって彼が家から出てくることはなかった。


それなのに、まだ親は引っ越してない

小学校の先生をしていた?

私の同級生に会っていたなんて!!


酷い。酷いよ、ルーノ。私はこんなにも待っていたのに。


春の季節が過ぎた頃、私は不登校気味になった。

逃げるたびに教室から出るのは変わらなかったが、裏校門を見るたびに、涙が溢れてしまいそうだったからだ。

泣くのは今でも嫌いだ。女の武器だと母はいうけれど、そんなものを盾にして戦うようなセコい生き方は嫌いだった。泣くもんかと下唇を噛むたびに血の味が染み、母が口煩くリップクリームを塗りなさいと喚いた。暑い風が頬を掠めるたびに春はもう帰ってこないと知った。


過ぎ去っていった夏とともにその痛みも薄れ、私は忘れることを決意した。


それでもやはり、たった一枚の封筒でここまで来てしまうのは忘れられなかったのだ。十年、いやそれ以上の時の流れを受けても絶対に揺らぐことのない穏やかな時間きせつ。春の人。


「はは、ピッタリの、名前だね…」


酷すぎるよ、ルーノ。私だけ、あの日に置いてかれたまま。



……。


「ルーノ、あのね」

「ん?」

「ルーノの来た世界には月が二つあるんでしょう?」

「そう。ルーノとルーナって星なんだ」

「知ってた?この世界にも月が二つあるんだよ」

「え?」


私は屋上から校庭を見下ろすと、端にある池を指さした。


「夜になったら、もう一つの月が見えるよ」

「…確かに、ほんとだ」

「ルーノの世界の月は、片方が満ちたら、片方が欠けるけど、この世界では一緒に満ちて、一緒に欠けるの。それならずっと一緒でしょう?」

「そうだね…ずっと一緒だ」


その星の名前もルーノとルーナなら、ここにいる私たちは鏡合わせだ。夜になると見つめあって、互いを映す。彼の瞳に私が映るように。


「それならどの世界にいても俺たち一緒だね」

「…うん!!」


彼の手は私より大きかった。包み込むような温かさが春の風よりも心地よく、不安定に揺れるこの世界が鎮まるほど安心できた。遠くでリコーダーの不快な合奏が聞こえる。だけど、それすらもタダの音だと彼が教えてくれた。


「…この宇宙から見たらきっと月なんてさ、ちっちゃいちっちゃい星なんだ」

「うん」

「だけど、地球にいるから、何よりも綺麗に見える」

「うん」

「ルーナが教えてくれた。地球にいるのはいいことだって」

「私も、ルーノが教えてくれた」


言葉にして伝えることだけが、全てじゃない。

変な話、その人の存在があるだけで世界がガラリと変わってしまうことが多くある。消えてしまうような朝靄の光さえ美しいと感じれるのは、幸せだからだ。

ライオンに追いかけられてたら、酷く追い詰められていたら、きっと違う光景に見えていたことだろう。私にとって月やこの場所しょうがっこうがそうであったように。


「月から見たら、地球って本当に青いのかな」

「いつか一緒に観に行こうよ!大人になる頃には、月に行くロケットにみんな乗れるよ」

「そしたら、チケット買って一緒に月に行こう。一緒に見るんだ。青い星を」

「それで、月でジャンプするの!」

「いいなそれ」


目を閉じて空を見上げた。私の目蓋の奥には光る月が煌々と輝いている。


「大人になったら、どんな世界になるだろう」

「目的地まで勝手に運転してくれる車があるといいな」

「朝ごはんはサプリメントみたいなのでいいなぁ」

「あと、誰でもペットが飼えるといいな!」

「明日の準備を勝手にしてくれる機械もあればいいのに」

「それからね」


暖かい日差しの中で屋上の中央に座り込んだままずっと話していた。私たちのやっていることは、この世界ではルール違反だ。だけど、一晩中でも百年経っても君がそこにいるなら私もそこにいる。そう決めていた。


君が月に行くのなら、私も月に行くし、君がここに留まるなら、私もここにいる。だからね、あのね、どこにも行かないでね。なんて。届かない声を出して。


「ルーナといると、ずっと晴れだね」

「2人一緒だから晴れなんだよ」


天気予報は明日も晴れだと言っていた。

だけど、大きな雨雲は近づいていた。ゆっくり、ゆっくりと。

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世界は色を秘めている しー @Sea_Line_Kreuz

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