最終章 復讐制裁(死霊魁)


 はち、大門マリイ

 ……ルックス完璧。完璧過ぎてなかなか声をかけてくる男がいない。たまにいると、超軽薄な勘違い馬鹿か、脳みそまでマッチョなダンコン野郎みたいなのばっかり。頭の悪い男もオレ様も下品な男も不潔な男も大嫌い。いい所のおぼっちゃまも大抵ムカつく。アメリカン・ハーフでかなりヨーロッパ寄りだけど生まれも育ちも地元。付き合う男に将来的に収入面は求めない。ま、パートナーとしてみっとなくないくらいには稼いでもらいたいけど。わたしは自分で稼ぐからいいの。ホームセンターの企業に就職したいわ。店舗から本社へ、販売と経営を学んで、将来的には自分でインテリアショップをやりたいの。おしゃれなデザインの北欧家具も好きだけど、日本の伝統的な職人仕事も好き。うーん、両方のいい所を掛け合わせたオリジナルブランドを作りたいわね。レストランや温泉施設のコーディネートもやってみたいわ。忙しくなりそうね。毎日が充実してるのは好きよ。子どもはそうね……、そうね、子どもは……… ……… ……… ……… ……… ……… ………




 うわっ、と刑事たちは顔を背けた。二人とも床に尻を着いている。

 紅倉の顔が、コトリと、横に傾いだ。

「だから、子供だましだってば」

 紅倉が右手を突き出すと兵隊の頭がボンッと吹っ飛んだ。だらんと腕がぶら下がり、腰から千切れた上半身が落下し、床に吸い込まれていった。

「死んでろ、雑魚」

 紅倉は先を歩いた。二人はアヒルみたいな無様な歩き方で後を追った。紅倉は歩きながら話す。

「この時点で三人には相手の姿がはっきり見えたわけではありません。ですが、霊体を攻撃されてひどいショックと不安感に襲われました。三人は悲鳴を上げ、それぞれバラバラに逃げ出しました。

 えーと、じゃあまず」

 立ち止まると、廊下の先に若い男の後ろ姿が立っていた。話し声に反応してこちらに顔を向けたが、自分がどこで何をしているのか、自分が誰かも分からないように、ぼうっとしていた。

 麻倉尚樹だった。

 紅倉を眺めて、虚ろな目に光がかぎろい、ぼうっとした顔に獣じみた凶暴さが立ち上った。

「うわあーっ」

 麻倉はわめくと、こちらに突進してきた。

「ひいっ・・」

 麻倉の狂気の迫力に押されて刑事二人はまた頭を抱えて腰を落とした。

 麻倉はおかしな動きを見せた。三人の手前でアクロバチックに宙に跳ねると、グルングルン回転して紅倉を飛び越え、ビシャッと血を飛び散らせると、時間が止まったように空中に停止した。

「ひ…、ひいい…………」

 麻倉は刑事たち向かって頭から突っ込んだ格好で静止し、くわっと目をむいた顔はグサグサに切り刻まれ、ドクドク流れ出る血が刑事たちの前に滴った。

 それは車列に突っ込んで跳ね飛ばされた、自らの死の再現だった。

「痛そうねー。交通安全心がけなくちゃ」

 運転免許を持っていない紅倉が白々しく言った。

 刑事たちは麻倉と面と向かい合い、視線をそらす事も出来ず血走った目を飛び出させそうにしながら凝視していた。

「彼にこれをさせたのが、彼」

 紅倉が麻倉の立っていた場所を指さすと、そこには杖をついた、若い、軍服姿の男が立っていた。刑事たちは麻倉の誡めから逃れるチャンスを得て、嬉々として左右に分かれて見た。

「彼は戦闘機乗りですね。しかし空軍のエリートであった彼は、ごらんのように訓練中の事故で脚を負傷して飛行機に乗れなくなってしまった。戦争末期、ご存じのように飛行機乗りの若者たちはまるで無意味な神風特攻で無惨に命を散らしていった。生き残った彼は、仲間たちの死出の旅を見送りながら自分のふがいなさに悩み、いたたまれず、この病院の屋根の上から、上空を飛ぶ米軍爆撃機に『特攻』を敢行し、地面に激突して果てました」

 若者は、麻倉たちと同じ年頃だろうが、現代の若者たちのような白けや軽薄さは皆無で、刑事たちが自分を恥ずかしく思うほど、まっすぐそのものの目をしていた。麻倉のような狂気は感じられなかったのだが。

 若者は、叫んだ。

「大日本帝国う!バンザーーイっ!!!!!!」

 敵国人、紅倉に杖振りかざして突進してくる。紅倉はチッと苛立たしく言い放った。

「そんなに死にたければ、 死ね。」

 紅倉の言葉に爆撃されて若者は全身が粉々に吹っ飛び、赤い塵となって消えた。

 刑事たちは蒼白の顔であんぐり口を開けて、それを行った紅倉を恐る恐る見上げた。紅倉はあっけらかんと解説する。

「体験者の記憶とちょっとつなげてあげただけよ。

 あ、あなたも、ほら、逝きなさい」

 紅倉は、しっしっ、と手を振り、麻倉の魂をあの世に掃き出した。もう面倒になったようだ。


「次、次」

 階段を降り、一階、窓から表を見る。

 道路と、その向こうにビルが並ぶはずが、有刺鉄線に囲まれた空き地になっていて、

「ここで」

 紅倉が指さし、そこでは、軍服の兵士が、上半身裸でボロボロの半ズボンをはいてひざまずくアメリカ人捕虜の首を、軍刀振り下ろし、撥ねた。

「相川一哉はあれを見て、そして」

 遺体のズボンに刀の血を拭って、軍人はこちらを見た。目が合って、そのギラギラした狂気に刑事たちは身がすくんだ。

「そう、相川一哉さんもその目に魅入られた」

 紅倉がすっと後ろに下がると、立っていた窓辺に、軍服姿の男の後ろ姿が現れた。手にはギラつく軍刀を下げている。

 軍服が振り向くと、それは相川一哉だった。しかしその顔は平和な現代日本の若者とは相容れない張りつめた凶相をして、外でアメリカ人の首を撥ねた軍人と同じ目をしていた。紅倉を見ると目を剥いた。

「鬼畜米国人!」

 素早く、修練を積んだ両腕で軍刀を振りかぶった。

 ジャーーン、と激しいエレキギターが鳴り響き、相川はビックリした。まったく聞いたことのない音だった。まったく…………

 目の前の紅倉は、赤みがかったブロンドロングヘアーのキュートな白人の女の子に変身していた。服装もテカテカしたビニールのジャケットに。

「ニッポン ダイスキ。アイシテマース!」

 ポップなノリノリのロックンロールが奏でられ、彼女がちょっとハスキーが混じったロリータボイスで歌いだした。

「お、おのれ………」

 相川は振り上げた軍刀をカタカタ震わせ、遂に、脇に投げ捨てるように下ろした。

 相川がファンのアメリカのアーティストで、ドライブの時は彼女の楽曲を毎度テーマ曲のように掛けていた。そう、あの夜も……

 相川は手にした軍刀を見て、悲鳴を上げて放り投げた。

「なんなんだ? 俺はいったい、何をしてるんだ? 俺は……、何をしたんだ!?」

 アメリカンポップスターは、紅倉美姫に戻っていた。

「思い出さなくていいわよ」

 しかし、

「ジョージ…………、うわっ、うわあああああ! わあああああああっ!!!」

 思い出してしまい、別の狂気に陥った。

「いいから、あなたもお逝きなさい」

 一瞬の白いフラッシュと共に相川は消えた。

「わたし、ロシアとのハーフよ。たぶんね。次」


 紅倉は忙しくまた階段を上り始めた。ついでに話す。


「ああ、そう、阿藤桃子さんと赤西翔太さんに取り憑いていた霊ですけど、戦争未亡人とその愛人だった人ね。戦争未亡人と言ったってまだ十八歳くらいね。ほら、聞いたことあるでしょ、若い独身男性に出征前に一夜限りでも夫婦生活をって、男性の両親に拝み倒されて急ぎ祝言を挙げて初夜だけ済ませて『あなた、行ってらっしゃい』と涙涙で戦場に送り出す。戦争末期じゃ帰ってくる率は低かったでしょうねえ。若い初夜妻はまるで人身御供ね。他の男性に心引かれたって誰も責められないでしょう。

 けれど、二人は秘密の逢瀬を見つかって、この非国民どもとののしられ、女性はことあるごとにいじめられて石つぶてを投げられて、その傷から破傷風に感染して苦しみながら死にました。どんなにか、人を、恨んだことでしょうねえ。男性は戦後も生き延びました。けれど梅毒を患って、性器と頭をやられて、こちらもずいぶん苦しみながら死にました。やはり、どんなに人を恨み憎んだことでしょうねえ……。

 ハイ到着」


 再び二階。本館。

 刑事たちは「うっ」と呻いた。

 廊下の中央に、色川祐介が立って待っていた。まるで血の気のない白い顔をして、首にぐるりと赤い線が走っていた。

 色川は紅倉に助けを求めるように視線を向けた。涙がつーっと流れた。

 頭の重みにゆっくり、首の赤い線が開いていって、ポロリ、頭が転げ落ちた。

 シャーーーッと、廊下の両端からロープに首をくくった男女が飛んできた。床に崩れた色川の上で交差して飛んでいき、また端でクルリと回って帰ってきた。清野病院廃業の責任をとって首をくくった院長と婦長だろう。また交差し、飛んでいく。いつの間にかまた色川が立っていて、飛んできた院長と婦長が行き交うと、その風圧で顔が首の上でクルクル回り、スプリンクラーのように血を振りまいた。また院長と婦長が飛んできて、色川の頭はクルクル浮き上がり、着地に失敗して体もろとも崩れ落ちた。しかしまた立ち上がっている。そうしてまた。無限地獄。

「楽しそうね。全然面白くないわよ」

 紅倉が手を振ると、二人を引っ張っているロープが切れ、院長と婦長は床に投げ出されてズルズルーっと頭から滑り、起きあがると、自分たちでロープを持って自分の首を上につり上げようとした。自分の力で自分の首がつり上げられるわけもなく、二人ともよろよろよたよたとその場を歩き回った。

「勝手にやってなさい。あなたは、もう逝っていいわよ」

 色川は疲れ切った顔で笑い、光と共に消えた。

「残るは、」

 天井をゴゴゴゴゴゴという音が走ってきた。

 紅倉はあざ笑う。

「仲間を奪われて怒ってるの? それとも道案内? けっこうよ。どうぞ先に行ってらっしゃい」

 ゴゴゴゴゴ……と、音は去っていった。

「お付き合いご苦労様。次で終わりです。会いに行きましょう、大門マリイさんに」



 刑事二人はもうまったく無言で、げっそりやつれてしまっている。

 異常な物を見、異常な景色の中にいるのが当たり前の事で、疑問を持つ気力も失せていた。

 それでも、怖い。

 無人のはずの病院内に、大勢の人間の気配を感じる。

 ちょっとした気の弛みを突くように、一瞬だが、立ち働く看護師や患者たちの姿が見えて、ギョッとする。そうして見た時にはもう彼らの姿は消えている。まるで本当に幽霊を見た気分だ。

 単なる気のせいだと思う。病院でかつて当たり前にあった光景を無意識に想像しているだけだと。しかしそう思う一方で、そうして見た彼らに、まるで生気を感じなかった事にゾッとした。

 何故だろう、かつてここにいた人たちの意識が、ずうっとどこにも行かずに留まっているような、そんな感じがする。昔も今も、この病院に入ってしまった者は、永遠に魂をここにつなぎ止められてしまっているように感じて、そして、自分も、このまま死者の仲間入りを果たして永遠にさまよい続ける事になるのではないか……、……そんな妄想が、疲れ切った頭を支配して去らなかった。


 この異常な世界で、紅倉美姫だけが、リアルに思えた。




 四階。突き当たりの大きなドアの前に、異様な物が落ちていた。天井が破れて、そこからボタボタと悪臭放つ土留め色の汚物が溢れて、滴り落ちてきていた。その汚物にまみれて、肉のかたまりが転がっていた。刑事たちはそのあまりの醜怪さにすっかり麻痺した神経がビビビと引きつった。

 大門マリイ……なのだろう……きっと。裸の肉体は、降り落ちる汚物と見分けがつかない。しかしずいぶん傷ついて、傷口だけがきれいに赤い色をしている。俯せに寝ている体の形も、変だった。体中の骨が折れて、体の線が間延びしている。

「生きています。助かるはずですから、早く救急車を呼んで搬送してください」

「分かった」

 伊藤が携帯で署の本部に連絡して救急車を大至急要請した。

 近づくと、なるほど、体がほんのかすかだが上下している。紅倉はかがみ込んで言う。

「かわいそうに、こんな目に遭わされて。あなたは生きなさい。このまま死んでは駄目よ。さすがのわたしも、あなたは成仏させてあげられないわ。あなたの魂はすぐにわたしが取り戻してあげますからね」

 紅倉は立ち上がり、緑色の大きな両開きのドアに進む。

 そこが、最後の決戦場。


 そしてそこに、最も醜悪な地獄があった。









 ここまで醜怪残酷残虐の数々を見てきた二人の刑事も、最後のこの部屋の惨状にはもはや耐えきれず、ウゲエと苦い胃液を吐いてそろって失禁した。

 手術室だった。手術台の上に全裸の女が足を開いて固定されている。それよりもまず床に目がいった。部屋中の床で奇怪醜悪なる裸の餓鬼どもが、赤ん坊を食らっていた。転がる食い残しの数から、これまで数百の赤ん坊が食われてきたことが予想される。餓鬼は、赤ん坊を適当に食い散らかすと投げ捨て、手術台に足を開く女の間に立ち、その腰を捕まえて己の腰を振りたくった。女の腹は男がそそぎ込む物で見る見る膨れていき、餓鬼は行為に満足すると、女の股に手を突っ込み、ズルズル、赤ん坊を引っぱり出した。赤ん坊を引きずり出されるとき女の股から赤黒いレバーが一緒に吐き出され、床に降り積もった。まだ形の定まっていない赤ん坊は、最初から死んでいた。それがせめてもの救いに思えた。餓鬼は床に陣取ると、頭から赤ん坊に食らいついた。中身が弾け、それを旨そうにすすり上げた。待ちわびた別の餓鬼が女の股に挑み、別の餓鬼が待ちきれず途中から行為を代わり、二人でつながった双子を引きずり出し、食らいだした。さらに別の餓鬼は待っている間、小さなイソギンチャクがびっしり生えたような舌で女の肌を舐め回し、上にまたがって乳房や口にいたずらしていた。女は、無反応だったが、たまに動いて、ヒイと鳴いた。



 これが、あの夜、高慢なほど美しかった大門マリイをあのような姿に変えてしまった地獄の責め苦だった。



 刑事二人は廊下に這い出してゲエゲエ転げ回った。頭が酩酊状態で平衡感覚が狂っている。まともな神経では耐えられない。だから彼らは、まともではなくなってしまったのだろう。

 紅倉は左手を突き出し、開いた。手術台の上に寝ていた女の裸体が白く眩しく輝き、乗っていた餓鬼どもは目を押さえて逃げ出し、女は消えた。

 部屋中の餓鬼どもが顔を上げて自分の女の姿を探し、見つからないと、凶悪醜悪な顔で紅倉を睨んだ。


「ギャアアアアアアアッ」

「ギャアアアアアアッ」

「ギャアアアーッ!!」


 つばを飛ばして猿のように吠え、いっせいに襲いかかってきた。股に男の物を猛らせて。

 紅倉は右手を開き、目をギラッと光らせると、手を閉じた。

 一瞬で部屋は静かになった。




 救急隊が駆けつけ、タンクで水を運んできてまず大門の全身を洗い流した。消毒云々の段階ではない。そして担架に乗せて運んでいった。サイレンの音が遠ざかっていく。

 波多野と伊藤は静かになった手術室をゴクリとつばを飲み込みながらそうっと覗いた。






「あいつらには別の地獄を与えてやったわ。今度は自分たちが引き裂かれ食われ続ける地獄にね。さあ、出てきなさい、おまえが隊長でしょう!」

 手術台の上に、ぼう、っと、軍服に身を固めた初老の男が現れた。初老とはいえ肩幅たくましく、いかにも屈強だ。


『…………………!!!』


 ゴオと、風が吠えて刑事二人は耳を押さえた。紅倉の耳にはこう聞こえた。


『軟弱なる非国民めがっ!!!』


 紅倉はあざ笑った。

「あなた、それが言えた立場?」

 男は頑丈そうな顔に憤怒をたぎらせて紅倉を睨み据えている。

 紅倉は底意地悪く笑って、ゆっくり、男の顔に指を突きつけた。


「自分は安全な本土に引っ込んで、昔の武勲をいつまでもひけらかして威張り散らし、鬼畜米兵を皆殺しにしろと叱咤し、軟弱者めと青年を殴る蹴るしてリンチに掛け、爆撃の仕返しに無抵抗の捕虜を処刑させ、さんざん戦争犯罪を犯していながら終戦後はコネで戦犯裁判を逃れ、すっかり好々爺に変身して平和で裕福な余生を過ごし寿命を全うし、ところがあの世に逝くのが怖くてまたここに舞い戻って昔の悪逆を繰り返す。そんなに!、自分を正当化したいかっ!? そんなにっ、自分を見るのが怖いかっ!?」


 男は鬼の形相となり、腰の刀を引き抜くと、紅倉の肩に振り下ろした。

 紅倉の巫女の白い衣に、真っ赤に血が噴き出した。

 刑事たちはあっと声を上げた。これまで紅倉には一度も悪霊たちの攻撃が利かなかった。

 しかし、

 紅倉は、負けたのではなかった。

 刀を振り下ろした男が、己の肩から袈裟切りに、ドバアっと、血を噴き出させた。男の顔が驚愕し、激痛に白目を剥いてわめいた。

 紅倉は、物凄い顔で笑った。

「あんたはもう捕まえている。わたしからは逃げられないわよ」

 男は憤怒を爆発させ、紅倉の喉を突き刺した。男の喉から血がほとばしり、口から血の泡を吹いた。

 男の紅倉への行為がそのまま男に返って男を傷つけている。

 では紅倉はどうなのかと言うと、

 彼女も同じように傷を受け、血を噴き出させていた。

 男は血塗れになりながらまだ刀を振り上げた。紅倉は笑う。

「相打ち覚悟? うっふふふふ。わたしの体が先に死ぬと期待しているの? おあいにく様、わたし、これでもずいぶん丈夫なのよ」

 男は歯を剥き出し、紅倉の両目をなぎ払おうとしたが、刀は途中で止まり、震え、引っ込んだ。紅倉は冷たく挑発するように言った。

「どうした? 神のご加護が信じられないか?」

 刑事たちは刑事の勘を働かせて紅倉の言葉に聞き耳を立てた。

「おまえは熱心に羽英神宮を参拝していたな?ずいぶん玉串料をはずんでな。模範的な日本人として日本古来の神道を奉るのは当然だ。神宮の神はおまえを覚えていたぞ?、おまえの名代たる大門マリイを通してな。その大門マリイも神への貢ぎ物だったのだろう? 神は美味しく戴いたようだぞ? ほら、神風を吹かせてみろ、このわたしに!」

 男はブルブル震えながら、えい!、と刀を振るおうとして……、振るえなかった。

 紅倉は男の意気地なさをあざ笑い自分の喉を拭うと、傷は、無かった。

「ふん、幽霊の刀で生者の肉が切れるものか。でも、この苦痛は、生よ」

 袴の緋色が滲んだかと思うとチロチロメラメラと炎が這い上り、紅倉の体が、ボオっと、燃え上がった。

「ああああああああああああっ」

 紅倉は悲鳴を上げた。悲鳴を上げながら目を爛々と輝かせて笑った。

「たっぷり味わいなさい、わたしが、死んだ時の痛みよ」

 紅倉はボオボオと全身を炎に包まれて、焼けこげながら、

「それでも、わたしは死ななかった」

 焼けた後から肉が、肌が、再生し、そしてまた燃え上がった。

「あああああああああっ」

 新たに新鮮な激痛に紅倉は悲鳴を上げた。

「あはははははははは」

 笑う。炎に包まれて苦しみあえぎ暴れ回る男を見ながら。

「おまえは、まだ死ぬな」

 刑事たちは異様な気配に振り返り、ひい……、と息をのんだ。

 燃えていた、廊下が、病院が。そしてそこかしこで炎の固まりが動き、悲鳴を上げて暴れ回った。炎は、人の形をしていた。

「もう一度味わうがいい、死の苦痛を! おまえたちは本当の死の瞬間の苦痛を知らないだろう? 肉体が死ねば霊体は肉体を離れる。そのとき肉体の感覚は切れる。だからおまえたち霊は、本当の死の苦痛を覚えてはいないのだ。頭の中の想像を、そうだと思い込んでいるに過ぎない。さあ、これだ! これが、死だ!!」

 病院中から何百何千という悲鳴が上がっている。恐ろしい。刑事たちはたまらずまた耳をふさいだ。

 紅倉が叫んだ。

「もう一度死に直せっ!」

 悲鳴は、少しずつやんでいった。なんとなく空っぽになっていく感じがした。静けさに、これまでのような重苦しさが消えていっている。

 浄化、されているのか?…………

 それでも、悲鳴と苦痛の全てが消えたわけではない。それたちが、恨みと憎しみの念を立ち上らせて、この廊下に現れ、ドアに迫ってくる。刑事たちは思わず紅倉の後ろ姿に頼った。紅倉は燃え上がりながら、言う。

「あんたらもいいかげん目を覚ましなさい!!!日本の侵略行為が正当化される事なんて、金輪際、無い!!!!!!


 教えてあげるわ、この男の本当の正体を、何故大門マリイをあれほどかようにいたぶり苦しめたかを!


 この男の息子は戦前、アメリカ人の女を嫁にしていたのだ。

 男尊女卑の当時、人種的に劣った日本人の女が人種的に優れた欧米人の男の嫁になることはままあったが、人種的に劣った日本人の男が人種的に優れた欧米人の、白人の女を嫁にすることは珍しかった。だからこの男はそれが自慢の種だった。ところが、

 戦争が始まり、アメリカとも開戦すると、男は手のひら返して息子にアメリカ人の妻と縁を切らせた。間に生まれた娘もろとも。

 この男は、アメリカ人を憎んだ。いや、そういうポーズを取った。すべて己自身の保身のためだ! この卑怯者の弱虫め! 大門マリイは自分の孫の見立てだ!外道おっ!! この男が隠し、決して見ようとせず、誤魔化すために他人を苦しめ続けるのは、その己の、卑怯な、汚い、弱い心だ!!


 おまえがっ、悪なのだっ!!!!」


 ドアを破って火だるまの悪鬼たちが乱入した。皆憎悪と怒りに、文字通り燃え上がっている。

「さあ!」

 男を指さして、紅倉を燃やす炎が一段と激しくなった。髪の毛は逆立ち踊り、チリチリに焼け切れ、その美しい顔までも炎になぶられ、黒く、燃え、熔けた。

 鬼たちが紅倉を追い越し、男に組み付いた。男は刀を振り回して鬼たちを斬りまくった。それは己を傷つけ、紅倉を傷つけた。

「うわあああああああああああ!!!!!!!」

 紅倉は叫び声をあげて形が無くなるほど激しく燃え上がった。天井で、クルクル炎が渦を巻いた。

 男は組み付いた鬼どもと一緒くたになって炎の中で踊り狂った。やがてその腕がへし折られ、脚が蹴りつぶされ、うずくまりながら激しいリンチを受け続けた。もうやめてくれと男の手が言ったが、リンチは、積年の恨みを込めてますます激しくなった。紅倉は、まだまだ男を死なせてやる気はない。



 刑事たちは思った。この女、紅倉美姫こそ、鬼だ、と。



 炎の中で二つの目玉が真っ赤に爛々と輝いている。

「あはははははは、あーっははははははははは」

 紅倉は激しく燃え狂い、その笑いと、悲鳴は、いつ果てるともなく続いた。



 「死霊塊」 完




  二〇〇八年十月作品

  二〇二〇年六月改稿

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霊能力者紅倉美姫27 死霊塊 岳石祭人 @take-stone

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