【ニコラ・モーウェルの失敗】

 大変なことになってしまった。

 ……娼婦を買ってしまった。


 いや、その表現には語弊がある。

 娼館に通っていたことはあるが、一夜の夢を買っていただけで、人一人をどうこうするようなつもりはさらさらなかった。

 それが、娘一人を買い取るようなことになってしまうとは……。


 久しぶりに馴染みの娼館の前を通りかかった。

 恥ずかしながら、姫という存在が霞のような存在だった時分に、癒しを求めて通い詰めていたのだ。

 当時、入れ上げていた娘はもういない。

 私のやり場の無い憧れを叶えてくれた天使のような女性だった。

 年季が明けて、どこだかの商家の後妻にはいったのだとか。



 ニールヘルトの村で別れて以来、姫とお会いできる機会はなく、またむさ苦しい王子たちの世話が始まった。

 しかも、微妙に忙しいのだ。

 タリム嬢の義理の兄上から、面会を許されているのだし、ギルドまで会いに行きたいのはやまやまだったが、しばらく休んでいる間に仕事が山積みになっていた。

 むさ苦しい王子たちが私を足止めする。

 アディアール騎士が陛下とお忍びで街に出るというので、護衛を買って出たのだが、ギルドの者を雇うからと断られた。

 このタイミングだ、お二人が姫に会いに行くのだとピンときて、しばらく同行を強請ったが、そうしているうちに第二王子が揉め事をおこして、身動きが取れなくなった。

 これだから王子は駄目だ。


 身も心も疲れていたところで、ふと懐かしくなって例の店の前を通ったのが運の尽きだった。

 あれよという間に、私を覚えていた店の女たちに連れ込まれて、まだ店には出ていないが、騎士様の好きそうな子がいますからと面会用の部屋に通された。


 淡い色のドレスを着せられた少女が、おずおずと先輩娼婦に連れられて入って来る。


 衝撃的だった。


 精巧な硝子細工のような睫毛に、娼館のあまり明るくない照明の光を集めている。

 ミルク色の肌は透けそうなほど滑らかで、ごく淡いブロンドが緩く波打っている。

 上背はあるが凹凸のない体から伸びる細い真っ直ぐな手足は作り物じみていて、人形の身体のようだ。

 何もしていないのに、自分がここにいることすら、とんでもなく悪いことをしているような気にさせられる。



 気がつくと、自分の馬車にその子と一緒に乗り込んでいた。

 この子をここに置いておくわけにいかない。

 こんなに愛らしいのに、悪い輩に手込めにされてしまう。

 きっと犯罪にでも巻き込まれて売られてきたのだろう。

 私は、根拠もなく確信をもって、騎士の詰める警邏の所へこの子を連れていき、少女を元の家族に返す算段をつけていた。


 警邏の詰所に行くと、急用があるからすぐにアディアール家へ向かえとの伝達があった。

 そこにいる騎士たちに、時間の無い状態で説明をして、娘を預けるのは難しいように思った。

 娼館から逃れ、怯えているこの娘を他の騎士に任せるのは心許ない。

 仕方がないので、娘を馬車に乗せたままでアディアール家に向かった。




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 馬車の中は通夜のようだった。

 口数も少なく、馬車に揺られて城の近くの私の所有する家に着いた。

 ここには私の他は誰もいない。

 城に詰めている時は食事は出るし、自分で作ることは滅多にない。

 寝て起きる為だけの家だ。


 花街を取り仕切るシャーリー・ガルムは恐ろしく手回しがよい。

 手続きが済むや否や、私の馬車に娘の身の回りの物をどんどん積んでいった。

 娘を買い取らせる事は、彼の中で決定事項だったのだろう。


 私は惨めだった。


 姫には軽蔑され、母にはこってり絞られ、アディアール騎士には渋い顔をされた。

 その上、あのギルドの剣士ロイ・アデルアが、ルロイ様……。

 今、一人だったら、多分泣いていた。



 もう何年も、私でなくとも姫の近くには、ずっと騎士が仕えていたのだ。

 あの粗暴さは嫌いだし、今でも苦々しく思う。

 嫌いだが、ギルドマスターと渡り合うほどの腕前だった。

 長年騎士として剣を磨いてきたが、ロイ・アデルアの剣に勝てる気がしない。

 しかも血統を疑うべくもない、アディアール騎士の御子息。

 長子であり、アディアール家を継ぐはずだったのに、死んだことにされ、身分を捨てる事で、姫の側に侍っていたのか。

 何という、自己犠牲の精神。

 何という、アディアール騎士の覚悟。


 ……狡い。

 私だってそうしたかった。

 私だって、その立場を代われたなら、姫に誠心誠意お仕えした。


 しかし、私が……娼館に姫という存在を求めて足繁く通うような騎士が……ルロイ様のような存在に勝てるわけが無い。

 私は……私は、ロイ・アデルアに借金までしてしまった……。


 残酷な事実が私にのしかかる。

 許される事なら、頭を抱えて叫び転がりたい。

 いや、頭ぐらいは抱えていいかもしれない。

 騎士のメッキが剥がれ落ちたような、絶望的な気持ちだった。




 家に着いて、彼女を客室に案内した。

 昼間に掃除の者を入れているので、埃っぽくなっているようなことはないはずだ。

 ひとまず、そこを仮の住処にしてもらおうと思う。



「騎士様……」

 荷物を置いて、居間に少女……いや、女性だったのだな……がやってくる。

 女性だと思うと、見れば見るほど、頼りない体つきだ。

 彼女は気遣わしげに私に声をかける。

 経緯はどうあれ、私は、この女性を買い取ってしまった。

 決して褒められる事では無いが、この人の幸せは今や全て私にかかっているのだ。

 私は、騎士として……いや、人としてこの人に報いなければならない。

 私は、背を正して彼女に向き直る。


「ニコラでかまわない。これから君は私の家人となるのだから」

 私が微笑めば、少しは安心させることができるだろうか。

 私の騎士としての矜持は薄汚れてしまったけれど、せめてこの人の幸せくらいは守りたい。


「ニ、ニコラ様……あの」

 彼女が身じろぎする度に、サラサラと細い髪が細い頸に流れる。

 本当に、申し訳ないことをした。

「……すまなかった。

 全て私の早とちりのせいだ」

 彼女にだって色々な人生計画があったかもしれないのに。

「いえ、その……」

「君が成人しているとは思わなくて」

「わたしこそ、紛らわしくてすみません」

 しょんぼりと落とす肩は、服の外からでも骨ばって見える。

「いや、私が君の話を碌々聞かずに、正義を成したと思い込んだのがいけないのだ。

 それに、君は何度も説明しようとしていたのだろう?」

 聞く耳を持たず、何か言いかける度に遮って先走ってしまったのは私だ。

「……はい」

 せめてこれからは、彼女の話をきちんと聞こう。


「先ずは、君を何と呼んだらいい?」

 契約書に名前はあったが、彼女の口から聞きたいと思った。

「ミアと申します。家族はいないので、名前は一つです」

「そうか、愛らしい名前だな」

 ミア・モーウェル、悪くない組み合わせかもしれない。

 名を組み合わせてみれば、養女を取ったような気持ちになり、少し気が安らいだ。

 次の発言を聞くまでは。


「あの、わたし、まだ寝室での本式の手解きを受けていなくて……至らないことが多いと思うのですが。

 ニコラ様のご厚意に報いる為、年季が明けるまで誠心誠意励みますので、宜しくご指導頂ければと思います」

 ミアは深々と頭を下げる。

 猫の子を貰ったような淡い幸せが、一気に吹き飛ぶ。


「……まて、まて、まて、まて」


 目眩がする。

 励むってなんだ、励む……励むのか?

「私はそんなつもりで君を家に置くわけでは無い」

 では、どんなつもりだ?

 そうだ、私は花街から成人している娼婦を、年季ごと丸っと買い取ったのだ。

 ミアはそのつもりでうちに来たに違いない。


 だが、私は違う!!

 何の心の準備も出来ていないし、もちろんこんな儚い少女に手を出すなんて……いや、少女じゃないのか。

 いや、いや、いや、いや。

 まて、まて、まて、まて。


「そうですよね。

 お許しください、思いあがっておりました。

 こんな貧相な体でとてもニコラ様を満足させられるとは……」

 ミアは痩せ細った自分の肩口を抱きしめて、フルフルと震える。

「いや、ちがう、そうではなくて」

 私は愛妾を買ってしまった愚かな男だ。

 それは間違いない。

 そして、そのつもりの覚悟でここにいる女。

 だが、何か違う!!


「わ、私たちは、もう少し、よく知り合った方がいい。

 出会ったばかりだし」

 何を言っているんだ私は?

「君の年季はまだ長いし、そういうのはまだ早い。

 私も忙しくて、なかなかそういったことに向き合う時間がないのだ」

 ちがう、そうじゃないはずだ。

 騎士らしい振る舞いはそうじゃない!


「え? ではわたしは、ここで一体何をすれば良いのですか?

 夜のお世話ができないとなると、他にニコラ様に報いる術がありません。

 見たところ、部屋も掃除が行き届いているし、私そんなに料理もうまくありません!」

 困ったことになった。

 メイドとして雇うにしても、他の者の仕事を取り上げるわけにはいかないし。

 ミアはいったい家で何をして過ごせばいいのだ?

「ご心配には及びません。

 本当にちゃんと成人してます。

 実践には至っておりませんが、色々と寝室での些事については学びました。

 お役に立ちますので、お使いください」

 お役にって、そんな一生懸命な顔をして、そんな震えながら言うな!

「いや、色々まってくれ、私もこの状況を持て余しているのだ」

 そんな事を言われて視線を迷わせていると、ミアの唇に薄く紅が乗せられていることに気がつき、居たたまれない気持ちになる。

「あの、需要はあると……。

 幼女趣味の方なら犯罪性の無いわたしを喜んで買うからと言われて働きにでたのです」

 そうだろう。

 こんな見た目で成人しているなんて、一部の愛好家からすれば女神のような存在だ。

 だが、私は違う!

「勘違いしないでくれ。

 私に幼女趣味は無い!

 とりあえず、君は少し太りたまえ。

 しばらくの仕事は健康そうな見た目になる事だ」

 私は、居間に残っていた着替えの入った包みをミアに押し付けて、部屋に追い返した。

「そんなぁ」

 背中を押されながら、ミアが情けない声を出す。

 その背中は、ひどく骨ばって薄かった。





「腹が減っただろう。母が色々持たせてくれたから、食べよう」

 着替えを済ませてミアが居間に戻ってくる。

 地味な色のワンピースを着て、髪をひとくくりにしてある。

 ひとまずあの妖精のような姿ではなくなったことに安堵する。

 少し時間はあったが、これといってよい考えは浮かばなかった。


「私にも頂けるのですか?」

 包みを開け始めた私に、おずおずと尋ねる。

「何を言っている、当たり前だろう。

 君はもう私の身の内だ」

「……はい」

 ミアは食事の用意をあっという間にやり遂げた。

 料理は下手だと言っていたが、台所を任せても心配ないだろう。

 ミアの皿に食事を取り分けた量が、私より少なかったので、身になりそうなものをもう少し皿に乗せてやる。


 おかしなことがあるものだ。

 縁もゆかりもない二人が、半日程度で同じ物を取り分けて食べている。

 覚えたばかりのようなマナーで少しずつ、少しずつ小さな唇に食事を運んでいる。

 時々伺うように私を見つめる。


「……ニコラ様、私、こんなに美味しい料理を食べたことがありません」

 表情なくそう言うので、お世辞なのか、感謝なのか、よくわからない。

「そうか……」

 ミアが続けて何か言うのかと思ったが、またフォークとナイフを持て余しながら食事に戻る。

「どうしてそんなに痩せている?

 飢えるほど貧しかったのか?」

 それにしてもやせ過ぎだ。

「まぁ、貧しいといえば貧しいにはちがいないのですけれど。

 孤児で身を寄せ合って生きていると、人攫いに合うことが多くて。

 男装をしてみたり、醜く見えるように顔を汚したりもしたのですが、それよりも病気の子どもが特に嫌がられますので。

 病気に見えるように、たくさん食べないようにしていたのです」


 ……過酷だ。

 私の思っていた十倍過酷だった。


「難儀なことだな」

 ミアにどこまで聞いていいのだろうか。

 私は完全にミアを持て余していた。

「どうせ攫われて、どこかの国の違法な娼館へ売られるくらいなら、ちゃんとした花街で働こうと王都にきたのです」

 それを私はめちゃくちゃにしてしまったわけだ。

「ニコラ様は事故で私を囲ってしまったのでしょうけれど、私は娼婦になって正解でした。

 人攫いに怯えることもなくなったし、こうやってお腹いっぱい食事ができます」

 ミアは大人びた表情で笑う。

 そうか、私はミアを子ども扱いしてその意思を見ようともしなかった。

 ミアはミアなりに自分で決めて、覚悟を持って働きに出たのだ。

「そんなの人として当たり前のことだ」

 せめて、ここにいる間は心穏やかに過ごしてほしい。

「娼婦になって最初で最後のお客様がニコラ様だなんて、私、幸せです」

 ミアは顔に似合わず、妖艶な笑みを浮かべた。


「ブッ」


 私は、うっかり口に含んでいたワインを吹き出した。


「わ、私は君を抱くつもりはないからな」

 愛妾だなんてとんでもない。

 私には私の騎士としての矜持がある。

 愛妾を手に入れたからといって、淫らな生活をおくるつもりはない。

「……ニコラ様、お姿以上に初心でいらっしゃいますのね?

 それなら、どうして娼館になんかいらっしゃったのですか?」

 どうしてだっただろう。

 姫を求めて始めた爛れた遊びを思い出す。

「出来心だ」

 あの時も出来心だった。

 多分今回もその類だ。 

 ミアは、首を傾げて、不思議そうに私を見上げる。

「ニコラ様は、あまり意志も強くありませんのね。

 働きがいがあります」

 ミアが立ち上がって、私が粗相したワインを拭き始める。

「わたし、どうにかニコラ様の、下のお世話が許されるように努力いたしますわ」

 懐から手巾を出して、私の顔に飛んだワインを拭おうとするのを私は止めなかった。

 止められなかった。

「天使のような顔で、なんて事を言っているんだ」

 苦々しく言うと、ミアは目を見開き、驚いたような顔をする。

「ニコラ様、私の顔はお好きなんですね」

 あどけない顔をしているが、ミアの声は落ち着いた低い滑らかな声だ。

「君のような可憐な顔を、好まない者はいないだろう」

 半開きの口を凝視しないように、慌てて目をそらす。

 ……いや、やっぱり見てしまう。

 開いた唇は何を言おうとしているのかパクパクと開いたり閉じたりして、結局、閉じて笑みの形に弧を描いた。


「ニコラ様、私、頑張って太ります」

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