ロージアは乗り手を選ぶ気難しい馬だよ

 この国には、大人二人で乗れるような種類の馬は少ない。

 御伽噺の挿絵のように、王子と姫、二人で普通の大きさの馬に乗れば、馬が疲弊するだろうにと、心配してしまう。

 私もロイも筋肉質だから、見た目以上に体重があるし、馬に嫌がられながらの二人乗りなどは御免こうむる。

 ただ、ギルドが所有するロージアは、魔物の血が混じっているという逸話のある北方産の馬で、大人が二人で乗ろうが、びくともしない。

 ロージアは脚がちょっとした柱ほどもある、青毛の美しい牝馬だ。

 ロイには懐いているが、私が近づくと耳を倒して足を踏み鳴らす。

 ロージアは私が嫌いなのだ。

 馬に乗るのは苦手だけれど、本当は馬が好きなのに。

 出来る事なら、自分にすり寄ってくる馬を愛でたい!

 今の所、私にすり寄ってくる馬はいないが……。

 ロージアは、ロイと出かけられると喜んでいたが、二人乗り用の鞍を置かれて不満そうだ。

 子どもみたいで見栄えが悪いが、鞍なしで馬の体温に触れるのは遠慮したい。

「ロージア、遠乗りに連れていってやろうな」

 ロイが首を軽く叩きながらロージアの調子を整える。

 ロイは、ロージアを遠乗りに連れ出すという名目で半休を取ったらしい。

 それはそれは、優しい声でロージアに話しかけて、鬣を撫でる。

 ロージアは眉間を擦られると、長く美しい睫毛に彩られた、キラキラとした黒い眼を光らせて、ブフフンと言いながら頭をロイに擦り寄せてくる。

 私はロイにそんな風に優しく声をかけられた事はない。

 ……ロージアめ。

 いや、うらやましくなんかない!!


 昼過ぎに届くようにと渡された荷物は、軽い箱に入れられた何かだ。

 菓子箱のようにしか見えない。

 潰さないように、上下を逆にしないように、そっと抱え、気を付けながら馬にまたがる。

 ロイは軽々とロージアを操る。

 ロイが手綱をとらずとも、ロージアは体幹のしっかりした揺れの少ない良い馬だ。

 他の馬では、私は降り落とされる。

 ロージアがロイの意思をよく汲み取る賢い馬だから、乗れるのだ。

 ただ、一つ難があるとすれば、私のことが大嫌いな点だ。

 乗ろうとした時に、少し髪を食まれたけれど、いつものことだ。

 ハミを受けながら私の髪を毟るなんて器用なことをやってのける。

 こっちだって、生き物に乗るのなんて嫌なのに。

 私は、動物が嫌いなわけではない。

 むしろ好きだ。

 猫は特に好きだ。

 犬には吠えられるが、猫にはあまり嫌われたことがないと思う。

 ぼーっとしていたら、いつの間にか野良猫に膝の上を占領されていることがあるくらいだ。

 猫の高い体温も、ぬるっとした触り心地も悪くない。

 馬だって、見ている分には可愛いし、触れたいとも思う。

 それと、その生き物に跨るのとでは全然違う。


 無礼に鬣につかまったら振り落とされそうだと、鞍の前の方につかまるが、ちっとも安定しない。

 見かねてロイが私の身を引き寄せる。

「お前、馬にまで嫌われるのか?」

 わかっている、受付のお姉さんが私を嫌うのも、ロージアが私を嫌うのも、結局のところ同じ理由だ。

「へぇ~、わたしが色々なものに嫌われているのを知っているんですね?」

 背中にロイの体温を感じて、馬上の不安はかなり薄まる。

 ロージアの動きに合わせようとして手綱をにぎるより、ロイの動きに合わせていた方が馬に叱られない。

「お前が好き嫌いするから、馬にだって伝わるんだろ。

 少しは馬の意向を感じろよ。

 馬と真逆のタイミングでお前が動くから嫌がられるんだぞ」

「そのタイミングが分かれば苦労しないんです。

 わたしが馬を嫌いなわけじゃないですよ。

 いまさらどうにもなりませんけど」

 馬に初めて乗ったのは王都に来てからだ。

 その時には、もう手遅れなくらいに馬に嫌われていた。

「まぁ、半分くらいは俺のせいだな。

 もっと動物と触れ合うような場所に連れ出せばよかったんだがな」

 そんな暇などなかったくせに、よく言う。

「馬と触れ合う場所なんか、そうそうあるものではないですよ。

 それこそ騎士のお宅でもない限り、馬術の訓練なんかありませんし」

 ロイは子どもの頃、馬に乗ることがあったのだろうか?


 大人二人を乗せても、大きな体躯をしなやかに動かしてロージアは軽やかに進む。

 馬の体温が少し伝わってくるが、慣れたロイの体温がその違和感を和らげる。

 儘ならないものだ。

 これ以上、この関係に何が必要だというのだろう?

 ロイの腕の中は、ドキドキどころか、居心地が良くて心拍数が落ちるくらいだ。

 ロイが求める恋心だなんて、今の所、私の中に欠片も見つかりそうにない。

 本当に、どこかで買えるなら、買いたい。



 アディアール家は城下からかなり遠方に土地を持つ。

 騎士たちは、家なり部屋なりを城近くに持ち、そこから出向する者が多いそうだ。

 かつてはリシル・アディアール騎士も城近くに別宅を持ち、参城していたのだろう。

 王都から遠く離れてギルドに預けられ、ロイは、どんな気持ちで王都に戻ってきたのだろう。

 ……王都、ひさしぶりだな、とか?

 ……お父さんはどうしてるかな、とか?

 ……あの飯屋おいしかったな、とか?

 ……あそこで揚げ芋売ってたな、とか?

 あ、それは無いか。

 ええと……最近頭を使うことが多すぎて、疲れているみたいで、想像がつかない。


「あの……ルロイ・アディアールはどんな子でしたか?」

 もたれかかったまま、ロイを仰いで訊いてみる。

 私の知らない、違う名前のロイ。

 騎士になる事が約束されていただろう、ルロイ・アディアールは、私と一緒にギルドに貰われるような事になって、満足だったのだろうか。

「気になるのか?」

 意外そうな顔をする。

「まぁ。わたし、ロイ・アデルアが何者かとか、考えたことがなかったので」

 ロージアは何か気に入らないことがあるようで、大きく地面を一つ蹴る。

「だろうな」

 ロイは少し笑って、手を伸ばしてロージアの首筋をパタパタと柔らかく叩く。

 ロイに興味がなかったとかではないと思う。

 そんな必要なかったのだ。


「そうだな……ルロイは、あの頃、死んでいた。

 生き始めたとすれば、ロイ・アデルアになってからだ」

 よくわからない。

 国の騎士の家に生まれて、可哀想な幼少時代を送っている姿があまり想像できなくて、首を傾げる。

「ルロイの母は、リシルよりうんと身分の高い貴族の出で、格下の騎士の家に嫁ぐのを嫌がっていた」

 ロイと似た高貴そうな女性を想像してみる。

 なかなか意地の悪そうな見た目になりそうだな、と思いながら適当に相槌を打つ。

「息子がいる事が実家に帰るのを妨げていると思っていたんだろうな。

 実際、しょっちゅう実家に帰っていて家に居なかった。

 俺がいなければ、母としてアディアール家に居続ける必要がない……そう思っていたようだな」

 ロイの口から、生い立ちを聞くのは初めてだ。

 そういうのは気にならない質だし、必要ないとすら思っていた。

「ルロイ君は疎まれていたんですか?」

「そうだな、事故にでもあってしまえばいいのにと、実の母が子どもの前で口に出して呪うくらいには」

 そうか。

 自分で産んだ子を疎ましく思う母もいるのだろう。

 これは紛れもなくロイの子どもの頃の話なのに、不思議とルロイにはあまり心は動かない。

「おじさん、酔狂で赤子の護衛として息子をギルドに置き去りにしたわけじゃないんですね」

 きっと息子が実の母親に害されるのを避ける為にギルドに預けたのだ。

「どうせ、あそこにいれば無かったかも知れない命だ。有効活用したんだろ」

 そうだろうか?

 母親に殺されそうな息子を、どうにか事を荒立てずに逃がそうとしたおじさんの決断は肯定できる。

「説教の激しい人だと思っていましたけど、おじさんのこと、少し見直しました」

 おじさんは、死にそうなルロイに、殺しても死ななそうなロイという新しい名前を与えたのだ。

 おじさんが少し好きになった。

「あのな、『おじさん』はやめろ。リシルがつけあがる」

 なんだかんだで、ロイはおじさんと仲がいいのかもしれない。

 細々とした所で似ているし。口うるさい所とか。

「ロイ・アデルアは、どうだったんですか?」

「あ?」

「ルロイ・アディアールがロイ・アデルアになってからは、幸せだったですか?」

 ルロイの事情なんて知らなければよかったような気もするが、ロイ・アデルアになった後のほうが……私の知ってるロイの方が幸せだという言葉が欲しい。

「はぁ? 不幸だったに決まってる」

 ロイがフンと鼻を鳴らす。

 ロージアがブフフンと鼻を鳴らし合わせる。

 わたしは耳を疑った。

「ええ?! だって『生き始めたとしたらロイ・アデルアになってからだ』って言ったじゃないですか?!

 それなのに不幸だったんですか?

 わたしのせいですか?! 

 わたしが悪かったんですか?!」

 どうしよう。

 だとしたら、私と一緒にいた間も不幸だったということだ。

「お前、そうとう自惚れているな。

 お前のせいならもう少し諦めがついてる」

 ロイが不幸だったと言うのは、なんだかすごく嫌だ。

「そんなぁ。

 わたしは、ロイ・アデルアがいる時で不幸だった事なんか無かったですけど?」

「楽だった、の間違いだろ?」

 真顔で返されて、自分の行いを反芻する。

「……そんなことないですし」

 少し間が空いたが、他意はない。


「だいたい、なんで一人で王都に行っちゃったんですか?

 あの頃のロイは、意味のわからないことばかりでしたよ」

 それに対しても言及したこともなかった。

 ロイが王都に行ってしまった頃の事は、私も記憶がぼんやりしている。

「あれは、思春期というか、なんというか……違う、そうじゃない」

 ロイは深く深くため息をつく。

「俺が不幸だったのは、お前が目の前にいて、情緒を育てておくチャンスがあったのにもかかわらず、何もしなかったことだ。

 ソアラに対するクソみたいな反抗心でお前を放っておいた」

 それもよくわからない。

 ソアラとなにかあるのかな。

 ……またソアラ。

「それじゃ、今、放っておくのはなんですか?」

 もう、一人でご飯を食べるのにも飽きてきたのだ。

「あのままだったら、お前が俺の子ども時代を気にすることなんか、一生なかっただろうが」

「気にしたからってなんですか? それで、何か変わるんですか?

 わたしがロイの子どもの頃が気になったのは、おじさんが現れたからで、別に放っておかれたから気になったわけじゃないですよ」

 頭の上にロイの重みが乗る。

「しばらく俺の事ばかり考えるといいんだよ、お前は」

「考えていると思うんですけどね。

 でも、本当に難しくて。

 ……はぁ。恋心って、わたしの中にあるんですかねー」

 あるなら、とっとと出てきて欲しい。

 無いなら、誰か譲ってほしい。

「無いと困るんだよ」

「何でですか?」

「それは……」

 ロイはいつもその話題になると口が重くなる。

 勿体ぶられるのは好きではないが、言いたくないなら仕方がない。

「……つまり、あれだ、お前を愛している人間がそれなりにいるからだよ」

「そんなのは分かってますけど、わかりません」

「もう色々と面倒だと思っているだろ?」

「思ってます」



 

 小さな家が密集している区画を抜けると、一軒一軒が広い庭をもち、豪奢な建物に続く小道があるような造りの家が増えてきた。

 国の貴族や、豪商たちが好んで家を建てる地区に入ったようだ。

 それぞれに趣向を凝らした庭を覗きながら、大きな馬車が通れそうな道を行く。


「そういえば、昨日、おじさんにロイ・アデルアとの関係を聞かれたんですけどね。

 友人ではないし、隣人とも違うし、仕事でも組んでいるわけではないし、宿舎の管理と住人だし……」

「それで?」

 それで落胆したんだった。

「友達以下だなって気がついて。

 ……ロイ・アデルア、わたしたちって他人だったんですね」

 ドスっと頭の重みが増す。

「……おまえな」

 疲れた声でロイが唸る。

「ああ、なんか、すみませんね」

 自分で『私にとって、何かじゃないとダメなんですか』なんて大見得を切ったのに、他人だと言われたら、それはそれで駄目なような気がしてきている。

「すみません、じゃねェ! 

 関係が後退してるじゃねぇか?!

 どうしてそうなった?!」

 どうもこうも、私たちの関係には何も肩書が無かったのだ。

「他人の割には色々しちゃってますよね、わたしたち」

「だああああああああああ」

 重くならないように明るく言えば、ロイが馬上で絶叫する。

「ほら、体から始まる恋っていうのもあるらしいじゃないですか。試しに……」

 キスの時だってふわふわした感じになったし、それ以上であればもっと心が動くのかもしれない。

 それでもいいかな、と少し思い始めている所はあるのだ。

「言うに事欠いて、それか?!」

「恋心はちょっと保証できないですけど、上手くいけば親友くらいにはなれるかもしれないじゃないですか」

「尚悪い!」

「いだっ!」

 後ろからかなり強めに頭突きされる。

 それだけでは足りなかったのか、手綱で手がふさがっていたからか、頭を噛まれる。

「痛い!痛い、 痛いです!!」

 肉もない頭皮にガジガジと歯をたてられて、すごく痛い!

 うるさかったのか、ロージアが振り返り、地面を蹴りながら大きく頭を振る。


「馬鹿! お前は馬鹿だ! 大馬鹿だ!!」


 駄目だったようだ。

 良い思い付きだと思ったんだけど……。

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