我慢強い受付のお姉さんの名は、シンシア・リーン
「宅配の仕事ですか⋯⋯」
新しい仕事の依頼が来ていた。
昨日の今日で少し精神的な疲れはある。
今、受付のお姉さんの甘くない焼き芋を食べた時のような顔を見たら、もっと疲れが出てきた。
そうですか、私は甘くない芋ですか。
おかしいなぁ、昨日は猫ちゃん図鑑でだいぶ癒されたはずなのにな。
「とても大事な荷物だそうで。
タリム組合員を是非にと指名されましたので、破損等、くれぐれも無い様に注意して配達してください」
受付のお姉さんは、栗色の髪をきりりと結んだ肉感の強い美人だ。
職員からも組合員からも面倒見がいいと評判がいい。
お姉さんは、私が王都に来た時からずっとギルドの受付のお姉さんをしている。
お姉さんは私に厳しい。
それは、今に始まった事ではない。
あまり女性に好かれたこともないので、単に嫌われているんだな、と思っていたのだが、私は完全に取り違えていた。
そういえば、昨日だって髪を切り過ぎたといって叱られた。
きっと切ったのがロイだったからだ。
ギルド組合員になってすぐ、受付のお姉さんから「私の方がキミよりロイの事をなんでも知ってるのよ」と言われた。
今はその言動の意味が痛いほど分かる。
私はお姉さんにとって憎き恋敵だったのだ。
長年、私はこのお姉さんにとって目の上のタンコブだったはずだ。
それを、私を指導しようとして、いろいろ話しかけてくれる親切な人のだと思っていた。
ごめんなさい、私、何も考えていませんでした。
ああ⋯⋯また普通に話せる人が減ってしまった。
しかも、あの時、お姉さんの牽制に、私はなんて返したんだっけ?
確か「なんでも知っているなら、ロイの出張の日を教えてくれませんか?
しょっちゅう家に来られて、家族を家に呼べなくて迷惑してるんです」
って。
絶対ダメなやつだった。
牽制に牽制で返した感じだ。
悪気が無いでは、許されない。
こうやって知らないうちに私は、女性に道端で頬を張られるまでになっていったのだろう。
ビクビクしながら依頼書に目を通す。
あまり読む気がしない。
だってリシル・アディと依頼者欄に書いてあるし。
「ああ、なんだ、昨日の今日でおじさんか⋯⋯宅配先は、と」
この辺の近くではない住所が書いてある。
「これ、ちょっと遠いですよね。どこですか?」
地図を調べる気力もない。
面倒見のいい受付のお姉さんは、憎き恋敵だろうと分け隔てなく地図を確認してくれる。
「国の騎士、リシル・アディアール様のお宅のようですね」
「ふぁっ?!」
なんで?
おじさん、確かに、遊びにおいでとは言っていたが、こんな直ぐの招待は迷惑だ。
こちらからは国の中枢には近づきたくないって言ったのに。
「一応、確認ですが、一人で行く仕事ですよね?」
お姉さんはにこやかに目の力を増す。
「特に指定はありませんが、多人数で押しかけるのは不躾です。
アディアール騎士の御自宅ですよ!」
リシル・アディアール騎士こと、おじさんは、美しく儚い姫に付き従い、忠誠を誓った騎士道ストーリーが尊ばれて、国中に人気が高い。
身分は隠した感じにはなっていたが、受付のお姉さんがアディアール騎士の事を知らないはずはない。もしかしたらリアンの事だって。
そこはギルドの規則として完璧に情報を漏らさないにしても、昨日の意味ありげな随行については、きっといらぬ誤解をしているはずだ。
いくら偉くても、私にとっておじさんは昨日のあの感じだ。
不躾にならないように⋯⋯か。
「タリム組合員、聞いてるの?」
「ああ、はい!」
慌てて返事をするが、どうにも妙な感じだ。
アディアール騎士のお宅訪問って、私にしてみればロイの実家の家庭訪問だ。
困ったことになった。
ロイに相談するべきだろうか。
いや、ロイが来るとなると、面倒ごとが増える気がする。
カウンターの奥でロイが書類仕事をしているのをチラリと見て、ため息をついた。
私は相変わらず、夕食を独りで食べている。
ロイはあれ以来、頑なに食堂で私とは別の角に座っている。
ロイの牽制が効きすぎて、(単にロイの訓練に参加したくないだけだろうが)誰も私に話しかけてこない。
特に話したい人もいないので快適だ。
快適だけれど、そこまでやることかな、とは思う。
食欲がなくても食べられる時に胃に収めるのが剣士の心得だが、今日は殊更、食欲がない。
煮崩された芋を、もさもさと口に運ぶ。
揚げた芋は好きだが、煮たのは苦手だ。
ロイがいれば豆のスープと交換したのに⋯⋯。
下を向いて芋に立ち向かっていると、食卓に影が落ちる。
見上げるとロイが汁碗を私の目の前に置いて、眉をひそめ見下ろしている。
そっと芋の皿を差し出せば、それを持って立ち去った。
そこまでするなら、一緒に食べてくれたっていいのに⋯⋯。
「お前、俺に相談することがないか?」
食堂を出ると、ロイが待ち伏せていた。
入り口から離れた暗がりで説教か⋯⋯。
⋯⋯さっき話せばよかったのに。
「あんなことをするなら、一緒に夕飯を食べてくれてもいいじゃないですか」
まわりくどいのは苦手なのだ。
ロイがこれ以上面倒なことを始めたら、面倒で一緒にいるのが面倒になるかも。
もっともっと面倒になったら、もうロイの事を考えないで済むのかも知れない。
面倒ごとが飽和していて、はじけ飛びそうだ。
「違うだろ、仕事の事だ」
「しごと?」
「リシル・アディアールに届け物を頼まれただろうが!!」
なんだ、その話か。
「ああ、そうなんですよ」
「なんで俺に相談しない?!」
「⋯⋯わたし宛ての仕事ですし。
荷物を届けるだけですよ」
受付のお姉さん⋯⋯名前なんだっけ⋯⋯にロイを連れて行くな(意訳)と釘を刺されている。
ロイが出てくると色々と面倒だ。
「アディアール家に行って、荷物を渡してすぐ帰れると思っているのか?」
「帰れないんですか?」
それは困るが、だからといってロイを連れていくのはもっと嫌だ。
ロイが一緒に来るとして、名目はなんだろう。
愛しい女が一人で仕事するのが見てられない、とか?
その愛しい女っていう部分に私の名前が入るわけ?⋯⋯あ、頭がおかしい。
そうだ、ひるんでは駄目だ、ロイは頭がおかしくなってしまったんだから⋯⋯。
「リシルはなんと言っていた?
『遊びにおいで』だぞ」
「大丈夫ですよ、断って帰りますから。
長居する気もありません」
変なことは言っていないはずだが、ロイはやけに食いついてくる。
ロイと不必要な二人仕事なんかして、受付のお姉さんに嫌味を言われたくない。
いや、もうこれ以上、女性を敵にまわしたくない。
「リシルの屋敷はここから少し遠い。
ギルドから馬を出してやる」
「遠慮します」
即答する。
私は馬に乗れない。
馬車には乗れる。
馬と息が合わないので乗馬をすると馬に嫌がられるのだ。
「付いてくるつもりですか?
一人仕事に保護者つきなんて嫌です!
辻馬車で行きますから大丈夫ですし」
断っても、ロイは尚も食い下がる。
「リシルの大切な品物らしいが、前みたいに厄介な物が入っていたら、お前どうするんだ?」
「依頼書の内容を確認済みだなんて、いやらしいですよ。
付いてくる気、満々じゃないですか」
しかし、王女の遺品の指輪の次はなんだ?
国王の金印だろうか⋯⋯。
流石にそれを破壊するのは骨が折れそうだ。
その面倒さを思うと、何だか寒気がする。
「でも、事務のお姉さんが、一人仕事だって強調してましたし!
ロイ・アデルアが来るとなると何か手続きが必要じゃないですか?
ただ私が心配だからってだけでついてきたら、職権濫用で怒られますよ」
「それで済まなくなるかもしれないだろうが。
そもそも、リシルが何を企んでいるかわからねェ」
おじさんが、大切に仕えたセレスタニア王女の意向に逆らうような事をするはずがない。
何をそんなに心配することがあるというのだ。
「そんな、ハチャメチャなことする人ではないですよ、おじさんは」
私がそう言うと、ロイは眉を顰めてため息をつく。
「お前に何が分かるんだ?
いいか、問題はそこじゃねェ。
俺は、実家で葬式をやる予定だと言って、休みをとるからな」
「物騒な。
親子喧嘩でおじさんを殺さないでください」
受付のお姉さんは、きっとロイに実家があった新事実に沸き立つだろう。
ロイは頭を抱えて唸り始める。
ロイは言わずに済まそうとしていた何かを、もごもごと、こぼし始めた。
ほーら、やっぱり。
おじさんちに行っちゃいけない本当の理由があるのなら、勿体ぶらずに言えばいいのに。
「とにかく、アディアール家はまずい。
ソアラが黙認しているのも⋯⋯。
シリルは一線を退いても騎士だ。
意味がわかるな。
お前はアレだな、どういう繋がりかわからないが、赤毛の騎士が現れたとしても、一人で対処できるというんだな?」
ロイの言い方の歯切れが悪いと思ったら、あの騎士の事だったのか。
私がセレスタニア姫の娘だと断定して、「私の姫」とか、「仕えたい」とか、「城にお迎えしたい」とか、「愛している」とか、詰め寄られた挙句、口の中を舐められた記憶はまだ生々しい。
そうだった、考えが甘かった。
騎士の知り合いも騎士だ。
虫は一匹見たら三十匹はいると思えというし。
おじさんに関わったら、どこであの暑苦しい赤毛の騎士に出会すかわからない。
ロイがいなくてもあの騎士を振り切ることくらい⋯⋯。
あの騎士を追い返すことくらい⋯⋯。
まぁ、キスから逃げることくらい⋯⋯。
ううううう⋯⋯。
イ、イメージの中の騎士が、めちゃくちゃしつこい。
「ええと、そ、それは、つまり、ロイ・アデルアは私の事が好きだから、おじさん経由で変な騎士にまた会って、わたしがどうこうされてしまうと嫌だ、ということですか?」
私が恐る恐るそう言うと、ロイは地獄のような顔をして黙り込んだ。
「⋯⋯」
⋯⋯ロイが葛藤している。
何か物凄い葛藤がうかがえるけれど、私はうかつに声をかけられない。
ドンと音を立てて、ロイは両手で私の背後の壁に手をつく。
ロイの色素の薄い前髪が私の額をくすぐる。
至近距離すぎてロイの喉仏が動くのがぼやけてみえる。
あ、トマトソースの匂い。
ロイは今日は鶏肉の定食だったようだ。
私も鶏肉のにすればよかったな、とぼんやりと考える。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯そうだ」
物凄く嫌そうに顔を引きつらせて、声を絞り出した。
答えるまでに結構かかった。
それほどのものなんだろうか?
「⋯⋯そ、そうですか」
重い。
この重さが恋愛の重さなのだろうか?
あああああああ!
やだもう!
ロイがめんどくさい!!!
内臓が雑巾絞りされるみたいな感じで、いたたまれない。
「わ⋯⋯わかりました。
ついてくるのはいいですが、荷物を配達するのはわたしです。
ロイは外で待っていてくださいよ。
すぐ帰りますから」
「わかった。」
一旦考えるのはやめた。
単純に、おじさんに対する抑止力としてロイを採用することにした。
「それと、受付のお姉さんに言わないでください。
私が半人前だと叱られます」
私用でロイを独占したなどと思われてはたまらない。
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