ハンナさんは若いころ鬼でしたが、だいぶ丸くなりました
さっき上がったばかりのおじさんの評価は、地に落ちた。
「タリム君! 誤解だ、私がニコラを呼んだわけではない。
……いや、ええと……」
途中で猛禽夫人をちらっと見て言葉尻を濁す。
そうか、モーウェル騎士に連絡したのは猛禽夫人か。
どういう状況なのかわからない様子のモーウェル騎士だが、分からないなりに、とりあえずその場にいたロイに食ってかかる。
「アデルア殿、姫と一切関係のない貴殿がなぜここに?」
それはね、私とは隣人以下だけど、おじさんとは血縁関係があるからだね……。
「アディアール騎士と、亡き姫との不貞の疑いを晴らすため、タリムが証人として呼ばれた。
もう用は済んだから帰るがな」
ロイが忌々しそうに吐き捨てる。
「なんと?! アディアール騎士が姫の父なのですか?」
誰もそんなこと言ってないし、姫じゃない。
モーウェル騎士は目をキラキラさせて両手の拳を握る。
そこはモーウェル騎士にとって、良い話なのだろうか。
「姫の父がアディアール騎士ならば、私が姫を娶れば正当なアディアール家の血を受け継ぐ後継が生まれますね!」
なんだかくどいが、確かに……。
だが断る。
「よせ、ニコラ。
そんな事はあり得ない。
当時、私は結婚していて、子もいたのだぞ。
私は騎士の剣に誓って不貞などせん」
そうそう、騎士の剣に誓うというのだから信じればいいのに。
「いや、不貞などではありません。
姫と騎士、それこそが真の愛……」
ああ、そうだ、こういう人だった。
「違うと言っている!」
おじさんも、そこまで語気を荒げると逆に怪しくなるから、落ち着いて。
「ニコラ! もうそれぐらいになさい。
そもそも、義理とはいえ兄妹の関係だったら、結婚はできませんよ」
見かねて、猛禽夫人はサクッとモーウェル騎士にとどめを刺す。
「えええええ??!!! できないんですか?」
「できませんよ。
貴族社会は序列や名称には厳しいんですから。
私がアディアール家に入るのだってどれほど大変だったか。
貴方が思うような……義理の妹とどうのこうのとか、艶本のような展開はありませんからね」
モーウェル騎士は肩を落とす。
何をどう考えていたのか、想像するだけできもちわるい。
「なんの為にタリムさんにここまで来て頂いたと思っているの?
リシル様の御子でないと確認できなければ、ニコラの恋は不毛なのだとわからないの?
まぁ、もともとヒメヒメと不毛な事ばかり言っていたから、あなたの結婚なんて諦めていたのだけれど。
でも、よかったわ。
どうにもならなければ、私がもう一人産まなければならなかったもの。
リシル様との血の繋がりがない「証拠」までついてきて……面白いことになったわね」
猛禽夫人は口の端を高く上げて、にっこりとロイに微笑んだ。
「兄妹だったら、ロイさんだってここに顔を出すほど執着しないものねぇ」
こちらもだいぶ混乱してきたが、客間の外もなにやら騒がしい。
慌ただしい足音が聞こえると、また開いた扉をノックしてトマス執事が次の登場人物を連れてくる。
この展開、若干飽きてきたのだが。
「旦那様、どうか、入室をお許しください……」
次に入ってきたのは上品な高齢の女性だった。
「ハンナか……」
おじさんは、ハンナと呼ばれた老婦人を招き入れる。
もともとは何色だったのだろう、美しい白髪をきつく結い上げている。
とても綺麗なおばあちゃんだ。
きりりと背筋を伸ばして立つ姿に老いはない。
丸眼鏡をかけた目許に深く刻まれた皴は、知性を蓄えているとそうなるのだろうか、彼女の雰囲気に深みを持たせている。
「ルロイ坊っちゃま⋯⋯」
女性は、うっすらと涙を浮かべロイに向かって歩み寄る。
「いや、人違いだと思うが⋯⋯」
ロイは、慌ててフードをさらに目深に引き下げる。
「いえ、このハンナが、坊っちゃまを見間違えるはずが御座いません。
やっぱり、生きておいでだったのですね」
ロイは回り込んで顔を覗こうとする女性を避けて、身をよじる。
なかなか往生際が悪い。
「いや、何か勘違いしているのだろう。
本当に人違いだ⋯⋯」
どうにも誤魔化せない感じだが、ロイはまだ否定するようだ。
猛禽夫人……そういえば名前も知らない……がロイに近づき、フードを取り去る。
これ、この動きだ!
なぜ気が付かなかったのだろう、モーウェル騎士のグイグイ感と同じだ!
ロイは、戸惑ったような、難しい顔をしていた。
猛禽夫人はフフフと笑う。
「隠しても無駄ですよ。
ロイさんは、ルロイ様なのでしょう?
前の奥様にそっくりだわ。
リシル様にもよく似ているから、うちの者にはすぐ分かってしまうのよ」
おじさんは猛禽夫人に尻には敷かれているが、好かれているようだ。
猛禽夫人はロイを通しておじさんを見て楽し気に笑っている。
「いや、そんなことは……」
慌ててロイが否定するが、猛禽夫人は食い気味に主張する。
……もう、いいかげんに猛禽夫人の名前を誰か呼んで、私に教えてほしい。
「いいえ、似ているわ。
ほら、つむじなんかそっくりよ」
そうなのだ。
おじさんとロイのつむじは瓜二つ。
これはなかなか言い逃れが出来ない。
ロイはバツが悪そうにつむじを押さえる。
「ルロイ坊ちゃまがが生きておられると、ハンナはずっと信じておりました」
ハンナはなおもロイに詰め寄る。
「ハンナ、ルロイは死んだんだ。
俺はロイ・アデルアだ」
ロイは困ったように近づいてくるハンナを制する。
「名前なんて何でもいいのです。
坊っちゃまが生きていらしたのなら、それだけで⋯⋯」
ひしとロイを抱きしめるハンナ。
流れから見ると、ハンナは昔、ルロイの世話をしていたのだろう。
良いシーンのはずだが、モーウェル騎士が変な顔で固まっている。
「な、ルロイ? それは、アディアール騎士の亡くなったご子息の……」
モーウェル騎士は、『衝撃の事実を知った』ポーズでカッコよく決めている。
何だろうこの茶番。
私は一人、現実から乖離していく。
そうだ、私は今朝から頭が痛いのだった。
「そうだ、クソ騎士の言う通り、ルロイ・アディアールは死んだ。
墓もあるだろ?
ルロイは生き返ったりはしない」
たぶんロイがなにかカッコイイことを言っているが、早く帰りたい。
ああ、乖離ついでに今、すごく嫌な式が出来上がった。
ロイってば、モーウェル騎士と義兄弟になるんじゃ……。
衝動的にロイと縁を切りたくなった……。
あ、縁も何も、他人だった。
「では、アデルア殿がいままで姫の側に侍っていたのは……」
モーウェル騎士が眉を寄せると、不必要な憂い顔になる。
深刻な事など何もないのに、この人はどうしてこんな調子なのだろうか。
「はっ、俺が騎士道なんぞでこいつのお守りをしていたと思ってるなら、大間違いだからな。
俺は俺の思うように生きてきただけだ。
リシルにもソアラにも、何の強制力はない」
おじさんはともかく、ソアラにはギルドのトップとしての強制力ありそうだけれど。
いや、野暮なことは言うまい。
ん、待てよ。
冷や水を浴びたように、ロイのツンデレ発言が脳内で翻訳されて、一気に覚醒する。
つまり、わ、私のことが好きだから、自分で選んで、私の側にいたってこと、なんだろうかね、うん。
それって、命じられたから側にいたってことよりも、ルロイ少年にとって、よほど大変なことではないだろうか。
……これは、重く受け止めよう。
「クソ騎士が引っ掻き回さなければ、俺たちは一生のほほんと過ごせたんだ。
貴様が余計な事をしなければ、こうやって、ややこしい関係の俺と顔を合わせる事もなかったんだがな」
睨み合う二人。
「アデルア殿は、私がアディアール騎士の後継だと知っていたのか?
もしや、あの道中でも?」
それは私も少し気になっていた。
ロイはどこまで知っていたのだろう。
「いや、知らなかった。
そもそも俺は、意図的にアディアール家の内情を知るのを避けてきたからな。
ついこの間、後妻がいると聞いて驚いたが、よりにもよってクソ騎士の母君だとはな」
私の勘は正しかった。
なんとなくおじさんに関わると、ろくなことにならないような気がしていたのだ。
当のおじさんは、渋い顔をして二人の様子を窺っている。
もしもーし、息子さん達、仲が悪そうですよ。
「ふん。生まれより育ちとはよく言ったものだ。
どうやったらアディアール家の高貴な血がこんなに粗野に染まるやら」
兄弟喧嘩だと思うと、この小競り合いもだいぶ馬鹿馬鹿しくなる。
「ニコラ、口が過ぎますよ。
数ヶ月ですがルロイ様の方が早く生まれているのです。
本来ならお兄様と呼ばなければいけない立場ですのに」
わぁ、想像しただけで絵面が禍々しい。
「なっ、母上、冗談が過ぎます!」
ロイもモーウェル騎士も砂利でも噛んだような顔をした。
「ニコラ様、ルロイ坊ちゃまは、本当に賢く可愛らしいお子様でしたのよ。
本当に大きくなられて……」
そう言ってハンナが感極まったように泣き出す。
「ケイト、ハンナも落ち着いて聞いてくれ」
おじさんは、場を鎮めるように厳かな声を出す。
元凶のくせに、と思わないでもない。
「まず、ルロイ・アディアールは正式に鬼籍にはいっておる。
生き返ることは無いし、生き返らせようとも思わん。
ニコラ、アディアール家の後継者はお前だけだ。
ここにいるこれは、ロイ・アデルア。
正真正銘ギルドの者だし、そこにいるのも私の娘ではないから、皆、誤解のないように」
あー、おじさんのまとめが右から左に抜けていく。
なんだか、情報過多でぼーっとしてきた。
ロイだけ置いて帰ろうか……。
ロージア……ロージアに会いたい。
コンコンコン
トマスは本日何回目かのノックをする。
これで最後にしてほしい。
「本当に申し訳ありません。あの、ニコラ様のお連れの方が……」
今度はなんだ?
疲労感を感じながら入口に目をやる。
トマスの後ろに女の子がいる。
息を吞むほどの美少女だ。
妖精? 精霊? そんな儚い佇まいだ。
長い淡い色の金髪が儚さを倍増させている。
華奢な手足をもじもじとさせ、顔を赤くして内股で震えている。
「あの、あの⋯⋯その⋯⋯騎士様、ごめんなさい。
私、あの……お、お手洗いに行きたいのですが⋯⋯」
可哀そうに、泣き出しそうな顔をしている。
「ニコラ? こちらはどなた?」
猛禽のポーズでモーウェル騎士に問い質す、夫人。
猛禽母は今度は笑っていない。
あ、さっき名前が出てきたとなと思ったんだ。
しまった、聞き逃した。
ケイナ? ケーン? ケリー? なんだった?
「ふへっ? あ、ええと、こっ、こつらは、ほ、どなたかと、おっしゃられると……」
モーウェル騎士は呂律を怪しくして、わかりやすく動揺している。
酒場でよく見る、男性が不貞を責められた時に見せる挙動不審だ。
「騎士様、ごめんなさい、ごめんなさい……馬車の中で待つようにと言われたのに……。
でも、騎士様……私、どうしても、お、お手洗いに⋯⋯」
少女は我慢が限界なのか、泣き出してしまう。
「いえ、それを責めているのではないのですよ」
顔色をおかしくしながらも、優しく少女に語り掛ける。
さすが騎士、女性に対する礼の尽くし方はこんな時でも心得ているようだ。
しかし、少女の涙は止まらない。
あーらら、こららー。
なーかしたーなーかしたー。
私の非難に満ちた視線に気が付いたのか、モーウェル騎士が忙しなく否定の為に手を振る。
「はっ、ちが、違うのです。
姫! これは、私は何もやましい事など!!」
私は女性には嫌われるが、ふわふわした感じの可愛い女性は好きなのだ。
この子を泣かせたモーウェル騎士は、須く罰せられるべきだと思う。
「いえ、私が非難したいのは、この寒い中、少女を馬車に置き去りにして、長らく待たせたその精神であって、モーウェル騎士がどんな趣味でも全然興味ありません」
たとえ少女趣味でも。
「違うんです! 私が……」
少女はあわててモーウェル騎士をかばう。
「私、娼館でこれから働きに出る所だったのです。
でも、騎士様が⋯⋯」
ああ、なんだか不穏な単語が出てきた。
この騎士、犯罪に関与していないだろうか?
「娼館ですって?! この子と? ニコラ、ちゃんと説明なさい!!」
猛禽母は、鷲が小動物を狩る勢いで息子を叱責する。
「あの、とりあえずですね、その人をお手洗いへ行かせてあげてはどうでしょうかね……」
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