もう一羽の猛禽はシロハヤブサ

暗闇の中で目を覚ました。

 鎧戸が閉めたままになっていて、本当に真っ暗だ。

 頭痛がする。

 普段、夢なんか見ないけれど、なんだか悲しい夢を見ていたような気がする。

 やけに寂しくて、一人ぼっちだな、と思った。


 頭がいっぱいになってしまって、どうにか辻馬車を拾い、先に帰った。

 へとへとに疲れていて、自分の部屋に帰ってすぐ寝てしまったので、書類も書いていない。

 あーあ、もうきっと、カウンターの受付時間は終了してしまっただろうし、受付のお姉さんに叱られるな……。


 こうやって突き放されて、ロイが言う通り、ロイのことを考えることが増えた。

 考えた結果、ロイと他人なのだということが身に染みる。

 ロイが花街の仕事をしてきた時も、ロイのせいで道端で女の子に引っ叩かれた時も、こんな気持ちにはならなかった。

 ロイと自分の関係なんて、改めて考えることもなかった頃が懐かしい。

 外部のものが、私たちの関係を何も邪魔しないと思っていたなんて。


 驚いたことがある。

 ロイに家族がいたことだ。

 おかしなことではないはずなのだけど……私にだって家族がいるわけだし。

 お義父さんもお義母さんも、ユウキお兄ちゃんも、リアンだって多分家族だ。

 ロイと私だって、家族みたいなものなのかもと思っていた。

 そうだったらいいのに、って。

 でも違う。

 ロイとの関係は、家族とは違う。

 今はもう、ロイとお兄ちゃんが同じポケットに入るとは思えない。


 ロイの家族が急に湧いて出た。

 初対面の時には気がつかなかったが、おじさんとロイは似た者親子だし、モーウェル騎士はロイの義理の弟だった。

 義理の母に当たる猛禽夫人だっている。

 きっとこの王都のどこかには、ロイを産んだ母親もいるんだろう。

 ハンナさんという人はロイの子どもの頃を知っていて、ロイをルロイ坊ちゃまと呼んだ。

 ロイは当然のようにアディアール家の執事を親しげに呼ぶし……。

 ロイの本当の家族を見て、私の立ち位置が家族のそれだと確信できなかった。


 では、なんだったらいいのか。

 とりあえず色々、致してしてしまうのはどうかという提案はロイに一蹴された。

 いっそ、ロイと結婚でもしてしまったら、文句無しにロイの側にいることができるだろうか?

 愛のない結婚だって珍しくないし、家族になってから気持ちがどうにかなることだってある。

 ……ロイはうんと言わないだろうけど。

 お兄ちゃんも、お義父さんも駄目って言うだろうけど……。


 一つ溜め息をつく。

 今頃、ロイは本当の家族と皆で夕食を囲んでいるのだろうか。

 私は、唯一の話し相手もいないのに?


 ん? 話し相手?

 あった、関係性!

 じゃぁ、ロイは、私にとって話し相手ってこと?

 そうかもしれない!


 いつもうちにはロイがいた。

 ロイの背中に寄りかかって本を読んだり、他愛の無い話をだらだらとしたり。

 私が話すばかりで、ロイは「ああ」とか「馬鹿だな」とかぐらいしか返してくれないけど。

 はたしてそれを話し相手とよんでいいのだろうか?

 話し相手、というのは友人とはちがうのかな?

 友人てどんなの?

 ご飯一緒に食べたり、遊びに行ったり?

 ううん……よくわからないけど、話し相手も友達も、ずっと一緒にいるには不自然なのだろう。

 それなら、どうして私たちは一緒にいたのだろう。


 そこで、ロイのキスを思い出した。


 ああ、そうだった、ロイは私のことが好きなんだった……。

 ロイはそう言うが、今になっても、そこがすっと入ってこないのだ。

 ロイが私を好きなのだということをうまく呑み込めない。

 いくらロイがそうでも、私がそうでなければロイは幸せとはいえないわけで。

 ロイが幸せじゃないのは嫌だ。

 ロイのことは好きだが、ロイが私に望む「好き」じゃない。

 ロイの求めるものが私の中にあるのかどうかもわからない。

 おじさんが言うまでもなく、このままでは私たちは本当に他人になってしまう。

 ロイは……。

 私は……。

 ……。


 考えるのに疲れて、涙が出てくる。

 悲しくて嗚咽が止まらない。

 えぐえぐと泣いて、涙をぼたぼたとこぼす。


 そういえば夕食の時間だ。

 時間内に行かないと食堂が閉まってしまう。

 食欲はないが、習慣として何か胃に入れておかなければならないと思った。






 だるい足を引き摺って食堂に入っていくと、ロイがいた。

 なんだ、おじさん家には残らなかったのか。

 少しだけほっとして、見れば、ロイの横に誰か座っている。

 見たことのない若い女性だ。

 程よく筋肉がつき、ギルドから支給される革の胸当ては、まだ明るい色をしている。

 あの感じは、登録したばかりの組合員だろう。

 元気そうに夕食を食べているから、今日はロイの訓練は受けていない。


 私は極力そちらを見ないようにして、ロイの席から遠くに座った。

 消化が良さそうな汁っ気の多いメニューを選び、食卓の上に置いてはみたものの、どうにも手をつける気にならない。

 遠いはずなのに、キャッキャっと声が聞こえる。

 ギルドに属する組合員の割合は、圧倒的に男性が多いので、食堂の中の比率も男性が多い。

 女性もいるが、ここは食事をする場所と割り切っていて、黙々と食事をするのみだ。

 彼女の高い声はここまで届き、私の頭痛を煽った。


 きっとあの子には、私よりロイと一緒に食事をとる理由があるのだ。

 ひどい。

 私は、食事中に話す相手もいないのに。

 ロイばかりずるい。

 心臓が脈打つと、同じ速さで頭が痛む。


 見たくないのに、目に入るのは、二人の距離だ。

 知っている。

 ギルドに入る気概のある女の子たちは、ロイみたいのが好きなのだ。

 ギルド職員という肩書は、この国ではかなりの高給取りを差すし、ロイは目つきは悪いが黙っていれば多分美男だ。

 まぁ、普通の新人は、ロイの訓練を受けた時点で、暗闇でナメクジだらけにされたような目になるのだけれど。

 この子は登録が終わったところなのだろう、地獄の訓練はまだのようだ。

 彼女は首を傾げながら、ロイとの間に置かれた書類を覗き込んでいる。

 書類は見ているが、黒目がちな丸い目が、ロイを狙っているのがわかる。

 猛禽だ。

 あそこにおじさんの奥さんとは別の種類の猛禽がいる。

 猛禽は、さりげなくロイの二の腕に触れる。

 ロイが何か説明しているタイミングで、わざと頭をあげて、至近距離で見つめ合う。


 すごいな、ああいうの、計算でやるのかな?

 それとも本能?

 だとしたら、私には備わっていなかった本能なのだろう。

 二人の会話が途切れて、猛禽は懐から手巾を取り出し、ロイの口元に何かついていたようで……いや、何もついてなかったと思うけど……ロイの口の端を拭う。

 その瞬間、猛禽とロイがあられもない恰好で、いかがわしいことをしている姿がやけに明確に頭に浮かぶ。


「っうぁっ!!」


 何かがざわりと背中を撫でて、矢も盾も堪らず、立ち上がる。

 なに?

 なにがおきてるの?

 立ち上がった勢いでロイが座っている席までフラフラと歩み寄る。



 頭がおかしくなったのだろうか。

 私は仲睦まじく食事をする二人の間に割って入った。

 制御の効かない私が、招かれざる食卓にダンッと手をつきロイを睨みつける。

「……ロイ、ちょっと来てください。

 困った事が起きまして」


 困ったことは起きている。

 私だ。


「ああ、どうした?」

 ロイは驚いたようにこちらを見る。

 驚いているのはこっちだ。

 だいたいなんでこんなことを……?

 纏まらない思考で、更に頭が痛む。


「すみません。急用なのでっ!」

 頭の痛むところに手をやり、唇を噛み締めてそれだけ絞り出す。

「アデルア職員、ロイさんというお名前なんですね!

 あの、もしよければ、私もロイさんと呼んでも?」

 猛禽女はロイの方を見ると、目を輝かせてロイの名前を呼ぶ。

 しまった、うっかり家名も職名もつけずに呼んでしまった。

 猛禽は、一瞬で私を敵認定したようで、手を組み合わせる。

 猛禽が狩りをしているのだ。


 う、なんか胃のあたりが重苦しい。

 喉に固いものを飲んだような違和感がある。


「いや、アデルア職員と呼んでくれ。

 すまないが、失礼する。

 続きは明日、カウンターで聞くといい」

 立ち上がろうとするロイの肘のあたりを愛らしく引っ張り、拗ねたように見上げる。

「あたし、少しの用なら待ってます!

 規則の事だけでなくて、ギルドの人たちのことも色々聞きたいですし!」

 バラ色の頬、長い睫毛、少し日に焼けた傷一つない肌、艶やかな長い髪、対して私は、よほど凶悪な顔をしているだろう。


「いえ、しばらくかかりますのでっ!」

 声まで掠れて何もかもが空間を歪ませているみたいだ。

「だとよ。悪いな」

 ロイは夕食の残りを包んでもらって、私の腕を掴むと引き摺るようにして私の部屋まで連れて行った。





「どうした?」

 食堂を出たあたりから、また涙が止まらない。

 鼻をすすって、ぐちゃぐちゃの顔で泣いてるのを他の組合員に見られながら、宿舎まで引き摺られてきた。

「なんだ?

 今度はいったいどうなってるんだ?」

 ぐちゃぐちゃの顔を、当然のように私のクローゼットから出してきたタオルでロイが拭う。

 鼻をかめと、鼻のところにタオルを当てて待ち構えている。

 別に、ロイに世話をしてもらいたいわけでないのに。

 そうじゃないのに!

 手拭いだけを奪い取り、ロイを押し退ける。

 ロイに触れられるのがつらい。


「酷い気分です。

 この辺がドロドロして吐きそうです。」

 喉の奥辺りがくるしい。

 それ以外わからない。

「食い過ぎ……ではねぇな? なんだ? 悪いものでも食べたか?」

 私も混乱しているが、ロイも混乱している。

「これ、まだ続くんですか?!」

 知らなかったけれど、私は、これしきの事も耐えられなかったのだ。

 いや、確か前も……。

 ……前も何だっけ?

「ロイがいなくて、夜は寒いし、不便だし、部屋に帰っても話し相手がいないんですよ!」

 説明できなくて、この不快感をロイにぶつけるしかない。

 短い間だったかもしれないけれど、私の中にロイとの新しい関係を受け入れられる気配はまるでなかった。

「私が悪いんですか?

 ロイに無体を働いていたから、バチが当たっているんですか?」


 ロイの周りには人が増える。

 いや、ちがう。今までだってロイの周りには人がいたのだ。

 私が特に考えもしなかっただけで。


 椅子取りゲームを思い出す。

 ユウキと一緒に通った幼稚舎でやった遊びだ。

 素早く座らないと、椅子はなくなって、あぶれた私はずっと立ったままだ。

 ロイの周りの椅子にはいつも誰かが座っている。

 今、私の座る椅子は無い。


「私がこのままロイに恋しなければ、ずっとこのままなんですか?

 あの子とは一緒にご飯を食べて、ロイにぺたぺた触って、いちゃいちゃして眠るのに、私とは絶交ですか?!」

 ロイは、馬だと言ってロバを見せられたような顔をして、腕を組み、顎をひねっている。

「落ち着け。何かおかしな事言ってねぇか?

 それに、なんだ、一緒に眠るって?」

 ああ、そうだった、それは私の妄想の中の話だった。

 でも、そんなのかんけいない!

「わからないです!

 どきときとかキラキラなんて湧いてこないです。

 無いんじゃ無いですか?

 本当にそんなの存在するんですか?

 そんなの、全っ然、無いっ!!」

 悲しくなって、どんどん涙が出てくる。

 駄々をこねているのはわかるのに、ちっとも止められない。

「もしや⋯⋯万が一? ⋯⋯いや、そんなはずはないか⋯⋯」

「なんなんですか?!」

 こっちは深刻だというのに、ロイはなんとなく軽薄な態度で視線を彷徨わせている。

「ああー⋯⋯もしかして、嫉妬とか?」

 半笑いで訊いてくる態度が気に入らない。

「わからないって言っているんですよっ!」

 ぐちゃぐちゃの手拭いを投げ返す。

「だよな……そうだよな。

 わかった……タリム、ちょっとこっちに来い」

 のそのそと近寄ると、躊躇いがちに抱き寄せられる。

 上背があるからあまり分からないが、あまり脂肪もついていなのでロイの身体はごつごつしている。

 お母さんのあたたかい抱擁とも違うな、と思う。

 さっきの子の匂いだろうか、少し香水のにおいがする。

 もしかしたらおじさん家の匂いかもしれない。

 それも面白くないが、されるがまま大人しくしていると、何かぶつぶつ言いながら頰に口付けされる。

 子どもにするような、触れるだけのキスに胸の奥がツンとする。


「どうだ? これでいくらか落ち着くか?」

 落ち着く所か、頭をぐるぐると揺らされたみたいだ。

 目眩がしてロイにしがみつく。

 髪を撫でていたロイの手が頬を撫で、頸をなぞる。

 喉が詰まったような息苦しさが和らいで、ロイの少し速い心音が心地良い。

 そうだ。ロイの体は心地良い。

「タリム、お前⋯⋯」

 少し体を離されて見あげると、ロイは困ったように眉を寄せている。

 両頬を手で挟まれて、ロイの顔が近づいてくる。


 キスかな。

 キスだといいな。

 頬が緩むのを止められない。

 しかし、唇に来るはずの感触は無く、額に額を押し付けられる。


 まさかの空振り?!


 ひどい!

 今のはキスでいいのでは?!


「ロイ、ドキドキします。

 こ、これが恋ですか?」

 もどかしくて、首を振る。

 額を解放して欲しい。

 再び首に手をやられて、薄い快感で身じろぎする。

 フワフワもする。


「いや、違うな⋯⋯発熱だ」


 ため息交じりにロイの声がぼわんと耳鳴りの様に響く。

 違うのか。

 そうじゃないかと思ったのに、残念だ。


 なんだ、ちがうのかぁ……。


 そして意識が暗転した。


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