【ギルド職員ロイ・アデルアの苦悩】

 ユウキが騎士達を追い返し、俺はタリムと対峙しなければならなくなった。

 避けては通れない。

 放っておけば、面倒くさがって、何もなかった事にされかねない。

 俺にはわかる。

 タリムは俺の決死の告白よりも、現状の便利な生活をとる。

 あんなことがあったとしてもだ!


 ソアラの部屋になんか入りたくないが、タリムにとって一番安全な場所かもしれない。

 俺にとって一番危険な空間だからだ。

 俺は子どもの頃、ここに仕掛けた自分の罠で何をどうやったか自分を宙釣りにした。

 メイフェアは頼めばソアラの部屋でもタリムの部屋でも入れてくれたが、俺がどんな顔で出てきても「あらあら」で済ます。

 敵ではないが完全なる味方でもないのはよくわかっている。


 陰鬱だ。

 どうしたものか考えていると、沈黙に耐えられなかったのかタリムが口を開く。

「寝てないんですか?」

「おかげさまでな」

 お前は元気そうだよな。

 考えるのも億劫になって早々に寝落ちしたんだな。

「朝ごはんは?」

「食べたように見えるか?」

 タリムは平和そうにしっかり食べていたのを確認している。

 俺は何も喉を通らなかった。

 タリムと俺の中で認識に差があるのは分かっていたが、地味に傷つく。

 俺の葛藤より食う寝る優先かよ?


「……それで、なんの相談だ?」

 俺はすこぶる機嫌が悪い。

 姫、姫、と妄想を追いかけていたクソ騎士が、タリム本人に目を向けはじめた事も一因だ。

 あいつは不味い。

 ソアラの好む少女小説に出てきそうな見た目の騎士様だ。

 視野が狭そうだから、タリムを狙ったら、なかなか離れないだろう。

 ユウキだってあの派手派手しいヒーロー顔が嫌いではないはずだ。

 奴らがクソ騎士の後ろにつけば、嬉々として俺を当て馬にするに違いない。


「あー、ええと、昨日のアレは……」

「キスしろと言ったのはお前だからな」

「そ……それではなくて、ですね。

 アレはアレでいいんですけど。

 なんか凄かったし」

 あれはいいのかよ?!

「お前を好きだからどうにかしろ、って話か?」

 タリムは緊張した様子で俺を窺い見る。

「あはは……あれって、やっぱり……冗談ですよね?」

「冗談ならもう少し笑える事を言うよな」

「気の迷いとか? 魔が差したとか?」

「その方がいいのか?」

 魔が差したのは否めない。

 だが気の迷いでは無い。

 暴走しただけだ。

「いえ、その、昨日はびっくりして部屋を出てしまったんですが、よくよく考えたら、ロイ・アデルアが性的に私を好きとか、そんなはずはないなって」

 思わず仰反る言葉選びだ。

 うっかりユウキに聞こえたら、明日から俺は呪いを受けて不能者として生きていかねばならないかもしれない。

「性的になんて言ってねぇ!

 異性として意識しろと言ったんだ!

 精神面の話だ!」

 情欲の対象として、だったか? いや、最終的には勿論、性的にで間違ってねぇが、なんか違う!

「気の迷いで、たかだか四歳のガキが十数年も青春を無駄にすると思うのか?」

 王都に来てからは無駄にした青春の質量が増大した。

 貞操も何もかも別の意味で無駄にした。

「えー!! そんな昔から?! って言うか、ロイ・アデルアが四つならわたし生まれたてじゃないですか。

 どうしちゃったんですか?

 四歳のあなたに何があったんですか?」

「そんなの俺が知りてぇくらいだ。

 クソ、最近はどうにかお前を手放す事も考えていたんだ。

 お前がマシな男を選んで俺から離れて行くならそれで構わないと思っていた」

 それが、よりによって、あの騎士が相手とかない。

 騎士という存在は俺にとって最高に目障りな存在なのだ。


「だって、なんで、今更そんなこと言うんですか。

 私が王都に来た時には、もうロイ・アデルアはずっとモテモテで、彼女みたいな人がしょっちゅういたじゃないですか」

 自業自得に射られて死ぬ。

「そんな女いないっ!」

「いましたっ! いましたよっ!!」

 いや、いない。

 誓って、恋人なんて一人もいない。

 お前がならなきゃ、一生いないんだよ!

「花街の仕事だってしていたし」

「それは仕事だ」

 タリムと離されて自暴自棄になっていた俺は、ギルド職員として余っている仕事を消化した。

 だいたい水揚げなんて後味の悪い仕事、誰がやりたがるんだよ。

 俺は若さだけを武器にして捨て鉢に仕事をこなした。

 暫くしてタリムが王都にやってきた。

 俺は歓喜したが、同時に今の状況を恐怖した。

 花街の仕事を断る理由が無かったのだ。

 親族でも恋人でも未成年でもないギルド組合員であるタリムが、自分の管理する宿舎にいるので断りますって……だれが納得するんだ?

 俺にはタリムをどうこうする肩書が何もなかった。

 保護者ですらない。

 保護者を気取るにはいい距離感ではあったのは認めよう。

 だがそれが今の状況を複雑にした。


「さては……下半身と心は別だとかいう話ですか?

 なんとなく納得しそうなので、そうじゃないといいな、とは思うんですけど」

 保護者面して距離をおいたのに、本心を言えば不誠実を疑われる。

 本末転倒だ。

 自分の素行を振り返り、頭を抱える。

 だめだ、この方向に進んでも自滅する。


「待て待て、落ち着け。

 俺は単に仕事をしていただけだ。

 それは俺が王都の職員になった頃からの仕事で、俺が身内も恋人もいない身分だったから押し付けられただけだ。

 嫉妬するならちゃんとしろ」

 タリムが嫌がればどんな方法を使っても色ごとの絡んだ仕事はやめたと思う。

 しかし、こいつは何の反応もしなかった。

 眉を顰めることすらしなかった。

 へー、お金払わないんでいいんですね、お得! とか言いやがったじゃないか。

「うーん、嫉妬……ですか?

 義父に嫉妬することはあったかもしれないですけど、花街のお姉さん達にはないかも。

 花街のお姉さん達に叩かれても、なんか申し訳ないな、と思っていただけだし」

「なんでそこでソアラが出てくるんだよ」

「あなた方、楽しそうにしていたじゃないですか。

 あの頃、ロイはちっともわたしと遊んでくれなかったし」

そうだ、それが敗因だ。 

あの頃の俺がせっせと騎士のように接して、こいつの恋心を世話してやるべきだったんだ。

「あれはな……ソアラが……

いや、その話は今はいい」

 こればかりはソアラを打ち負かすまでは言える気がしない。

 ただタリムを口説けばいい話なのに、どれだけ明後日の方向に話が進んでいるんだ?

 なんだ、俺、寝てなくて馬鹿になってるのか?

 終着点の見えないやり取りに焦りを感じる。


「……それより、お前は俺が異性だということはわかってるか?」

 タリムはやめた話に固執しないので軌道修正を試みるのは簡単だ。

 しかしそれで良い答えが出るとは限らない。

「異性……?

 そりゃ筋肉量と質が違うから戦略的には心理戦入れたり、スピード重視で攻撃手順組んだり。

 花街の女の子達をメロメロによがらせたりしてるのも聞いてますから……ハイ、ちゃんと異性だと認識していますよ」

 そういうことではない。

 全然そうじゃない。

「悪意があるが、まぁいい。

 じゃぁ、タリム、俺はお前のなんなんだ?

 兄か? 同僚か?」

「なんですか、おかしいですよ、その質問。

 こっちが聞きたいくらいです。

 兄は一人いるので間に合ってますし、ロイ・アデルアは雇用者側で私は被雇用者です。

 それ以外のことに名前が付いたことはありませんけど、不便だったことはないです」

 きっと睨まれる。

「ぐちゃぐちゃと……そもそも、ロイ・アデルアは私にとって、何かじゃないとダメなんですか?」


 俺はタリムのこういう所に絆される。


 タリムが正しい。

 何かじゃなくても側にいる関係で間違いないし、そこに名前がつかなくて困る事はない。

 しかし、今の敵は脳内花畑ギルドマスター・ソアラと風紀委員兼倫理調査委員長ユウキだ。

 強大な敵はあっという間にこの関係を吹き飛ばすだろう。

 俺たちがそれでいいと主張しようが関係なくだ!

「私だって、にわかには信じられないでいるんです。

 よく考えてくださいよ。

 ロイ・アデルアが言っていることは、今まで二人で普通にやってきたのに、これからいきなり違う関係になれってことですよ」

 タリムはガシガシと頭をかきむしる。

「そういえば、そういう薬を盛られて大変な目に合ったこともあったじゃないですか……薬のせいとか、そういうのの可能性はないんですか?」

「無い。素面だ」

 いや、ずっと前から狂ってる。



「はぁ? 本気で言ってるんですか?

 ああ、もう、どうしよう……それじゃ、それじゃですよ?

 わたしに触れられたりしたらドキドキとかするわけですかぁ?

 今まで、そんなことなかったじゃないですか。

 冗談きついですよ」

 タリムは少しキレ気味に捲し立てる。

 クソ小生意気なことに片眉をあげてドン引きしてやがる。

「はぁ?」

 同じくらい顔を歪めて応戦するが、どこかで押してはいけないスイッチが押された音がしていた。

「だって、いままでそんな様子、全然無かったですよね!

 ピクリとも反応したところを見たことありません」

 何の反応だ。ナニの話じゃねぇよな?

「そんなだったら仕事にならねぇだろが!」

 もちろん近い距離を甘受はしていたが、自分の反応なんかは意識の外に追い出して、見ないようにしていただけだ。

「う、うそぅ……」

「確かめてみればいいだろ」

 両の腕を差し出して、挑発する。

 

 おい、待て!

 俺、待て。

 これはダメな流れだ。

 俺は同じ間違いを犯している。


「……それじゃ、ちょっと失礼しますね」

 躊躇なく俺の腕の中に潜り込み心臓に耳をつける。

 しなやかな腕を俺の背に巻きつけて……って、そんな事までする必要ねぇだろうが。

 思わず迎え入れて、頭を抱え込み髪を撫でる。

 首筋に鼻を埋め、当たり前のように慣れた体臭を深く吸い込む。


 そうだ、どう考えてもこれは俺のものだ。


「うわー、これ本当ですか?

 本当に心臓ドキドキしてるじゃないですか。

 恋ですか? これがドキドキかー」

 うぉー! とかすごいすごい! とかゴリゴリと俺の正気を削る。

 どっと疲れる。

「……お前はこうはならないんだな」

 頬を撫でれば、手にすり寄ってきやがる。

「こうって、どうですか?」


 俺を弄ぶのも大概にしろ、とは思う。

 俺が切り揃えたばかりの髪は柔らかな手触りだが、鋏を当てた毛先がまだサクサクと心地いい。

 全てを蹂躙したいのに、全てから守りたい。

 この甘い苦しさがタリムの中に存在しうるのか?

 いや、無理だろ、タリムにそんな情緒は存在しない。

 だが俺がタリムの中に踏み込もうとする時、タリムはなんの抵抗もなく俺を受け入れる。

 なんでこんな普通に俺にされるがままになってんだこいつは?

 抗ったり恥じらったりはないのか?


「……今後、お前の世話はしない。

 グズグズの関係を放っておいた俺が悪いんだがな。

 お前、今のままじゃ簡単に俺に体を開きかねないだろ。

 それは不本意だ。

 俺が欲しいのは別にお前の体じゃねぇ」

 情けないが、このままなら本当に先に手を出しかねない。

「いいか、よく聞け、今までのような関係は家族か恋人のものだ。

 俺たちは兄妹でもないし、お前は俺をなんとも思ってない。

 お前が俺を男として認識するまで、その気がないなら近づくな」

 これは俺にとっても意味のわからない最後通告だ。

 何が悲しゅうて、タリムを放牧しなきゃならんのだ。


「ええ?! なんで?! なんで、この流れで?」

 今、めちゃくちゃ不便だって顔したな。

「ちょっと待ってくださいよ、そこはわたしとの関係を修復するところじゃないんですか?」

 もう元の関係のままではだめなのだと、タリムは夢にも思っていない。

「いつも通りギルドの増員では俺が付く。

 だが、馴れ合いは無しだ。

 部屋も食事も別だからな。

 よく考えろよ。

 運良く恋心が湧いたら知らせろ。

 無理ならクソ騎士の嫁にでもしてもらえ」

 その時は俺は旅にでもでる。


「恋心? 恋心があればいいんですか?

 ……ありますよ!どきどきフワフワなやつでしょ?

 えと、えと、ロイ・アデルア、カッコイイ!」

 至極真面目な顔をしてそんな事を宣う頭を掴むと引き寄せる。

 何事かと見上げる眼差しはいつもと何も変わらない。

 べろりとタリムの唇を舐めあげる。

 唇を舐められているにもかかわらず、きょとんと至近距離で俺の瞳を覗き込んだままだ。


 顔を遠ざければ、俺の唾液で濡れたままの唇が気になったのか、俺の舌が這ったところをなぞるようにペロリと舐る。


 わかってねぇっ!!!


 頭を抱えたくなった。

 思わず握った拳をタリムの頭に叩き込む。

「いたっ! 痛いです! 何なんですか?」

「話はおしまいだ。恋心とやらが屋台で売ってるといいけどな」

 踵を返して部屋から出ようとすると、腰にまとわりついてくる。

「待って!ロイ、何が、何がダメだったんですか?」

「全部だ、全部!」

 剥がそうとしても離れないので、足を入れて距離を取る。

「犬に舐められたくらいの顔しといて何が恋だ?!」

「ひいっ!」

 蹴り飛ばされたのに、すぐさま体勢を整えて反撃してくる。

「安易な嘘をつくんじゃねぇ!」

 再度突っ込んできたタリムの頭を掴むと、ソアラのベッドに投げつけ、俺はドスドスと部屋を出た。


「そんなぁー」


 後ろから情けない声が聞こえて、益々絶望的な気持ちになった。

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