【ギルド職員ロイ・アデルアの事情】

 俺は昨日から最悪だ。

 だが、元を正せば俺が悪かった。

 自制出来なかったのも悪いが、長年積み重ねてきたものを全て引きずり出されて丸裸だ。

 やけくそで俺を異性として意識しろなんて言ったが、俺にはわかる。

 なんの抵抗もなく俺にされるがままの癖に、タリムには思っていた以上に脈がねぇ。

 恋愛に対する素養がねぇ。

 色気もなけりゃ、乙女心もねぇ。

 俺に口の中を蹂躙されて、恥いるも嫌がるもねえ。

 なんだったら応える様に俺に身を委ねるとか……肉欲は多少あることは、この場合は最悪だ。

 昨日、全て自分の手の中にあると思っていた物がこぼれ落ちた。

 挙句にトンビに油揚げを持っていかせる計画を身内が練ってやがる。



 俺は子供の頃、父に連れられてここに来た。

 その事に対しては何にも思うところがない、なんの感情も無いガキだった。

 父が仕えていたセレスタニア姫が、命を移し替えるようにして赤子を産み、俺に託した所から俺の全てが始まった。

 父にしてみれば、子守を置いて行くくらいの感覚だったのかもしれないが、タリムの側に俺を置いていってもらった事は感謝している。


 タリムが姫の血を継ぐことは俺と父とギルドマスター、ソアラ・シアンと、その妻のメイフェア・シアンしか知らない秘密だ。

 それは、厳重に隠され、二度と暴かれるはずのない秘密だった。

 秘密に対してタリムは簡単だった。

 生みの母を求めることは無かったし、育ての母が大好きだ。

 そもそもタリムは自分のルーツなんかさらさら興味が無い。

 面倒な事は避けて通るどころか、破壊して目の前から消すタイプだ。

 それをどこから嗅ぎ付けたか、厄介な騎士がからみついてきた。

 暴かなくて良いことを暴き、タリムを表舞台へ引っ張り出すつもりだ。

 タリムの生みの母が願ったのは娘の自由だった。

 娘が肉体的にも精神的にも、王家と関係の無い者になることを願っていた。

 姫の願いを叶えてやりたいとか高尚な気持ちはないが、タリムの在り方が姫の願いに沿っているうちはその意向を守りたい。

 というか、どう考えても今更お姫様になんか戻れるはずがない。

 それは俺が今更国の騎士に戻る事ができない事と同じくらい確かな事だ。



 誰がなんと言おうとも、タリムは生まれた時から俺のものだ。

 反論は認めない。

 タリムには欠点が多かろうがなんだろうが、そうだと言ったらそうなのだ。

 いや、欠点なんて生易しいものじゃねぇ、タリムは性格が破綻している。

 極度の面倒くさがりであるのに、固執する所には頑固にかじりつき、意見を曲げることはない。

 つまらない事でよく泣くし、身内以外との触れ合いでは潔癖気味なところもある。

 家族の中ではごく普通の甘ったれた妹であるくせに、仕事となると眼球に食いかけの肉の串を刺すことも躊躇しない。

 ギルドで働くと一人で王都まで来た時には目を疑ったし、初陣で俺より先に族の耳をそぎ落とした時には頭を抱えた。

 そんな調子で大抵話は聞いてないが、本質は見逃さない。

 だから俺たちは過酷な仕事でも生き残ってきた。

 そこには誰にもケチをつけられない繋がりがあると自負している。

 そのタリムの恋愛感情以外の信頼は今、全て俺のところにある。

 もう、これで満たされてるから放って置いて欲しいのだ。

 俺は子どもの頃引き剥がされたのを埋めるみたいに、このまま邪魔されずにタリムを囲っていられればそれでいい。


 それを阻むのがギルドマスター、ソアラ・シアンだ。

 名前が可愛いのを気にしていて、ソアラと呼ぶと叩かれる。

 こいつのせいで俺はありもしないタリムの恋心とやらを探す旅に出なくてはならないのだ。

 俺は最初からギルドマスターとは折り合いが悪い。

 出会った時から天敵だ。

 俺は奴をタリムを掠めとる極悪人だと思っているし、向こうは俺を娘に集る蝿だと思っている。

 騎士である父とソアラの約束では、俺もソアラの家でタリムと一緒に暮らせるはずだったのに、わざわざ俺だけギルドに預けて家まで通わせたのは今でも恨んでいる。

 俺は色々理由をつけて、ソアラに師事して剣技を習った。

 打ち倒すべき敵に剣を習うなんて、どうかしている。

 しかし、ソアラはどこの誰よりも強かった。


 奴は顔を合わせる度に憎々しげに言った。

『騎士気取りでいるようだが、お前がうちの子の騎士様だなんて片腹痛い。

 たまたまここにいる時間が重なっただけで、タリムを運命だなんて思うなよ。

 お前は初めて餌をもらった主人に付き従うただの番犬だ。

 いーや、当て馬だ。』


 まだガキだった俺にあのおっさんはそう言い放った。


『保護者の真似事をするつもりならタリムに指一本触れるなよ。

 このまま、お前がタリムの特別にならなきゃ髪の一筋だってやらんからな。

 あの子はちょろいし、身内に甘いからから、お前みたいな狡猾なやつが手を出しても拒まないだろうけどな。

 あの子から求められないのにお前を押し付けてみろ、駄犬は処分だ。』


 と、ここまでが毎回セットで、とにかくその後はボコボコになるまで甚振られる。

 稽古という名の憂さ晴らしなんじゃないかと疑う。

 繰り返されたこのやりとりは、俺の心に深く根を張ってしまっている。


 子供の俺は、純粋にタリムが大切で、取り戻す為に必死にギルドマスターに挑んでいた。

 もちろん大男とガキじゃ勝負にならず、簡単に退けられては吊るされたり埋められたりする日々を送っていた。

 昼間は奴を打ち負かす事に体力を使い果たし、寝静まった頃にタリムの顔を見に行く。

 そんな毎日が続き、タリムに段々と忘れられそうになったりもした。

 俺をタリムの番犬にする為のしごきは、俺がギルドに入って、王都に飛ばされる前まで続いた。


 王都に飛ばされるきっかけになった事は今でもよく覚えている。


『……まぁ、そうだよなぁ、好かれもしないのに手を出すなんて、立派な騎士様はしないよなぁ』

 売り言葉に買い言葉、いつものソアラの挑発に思春期の俺はそれはそれは小生意気に口答えした。

 背伸びしても圧倒的な力にねじ伏せられる日々を送ってきた俺は、タリム大事さは変わらないのだが、性格が多少ヨレてきていたのだ。

『だいたい俺は騎士じゃねえし、ガキに手ェつけるなんて、そんな事は死んでもするか。

 それに、あいつに好いた相手が出来たら、俺は番犬のお役御免だろ。

 俺は相手を見極めるだけだ』

 スカした返事が逆鱗に触れたようで、その日ばかりは手加減無しでボコられた。

『冗談ばかり言ってんじゃねぇぞ小僧。

 そんな事言ってるからお前にはやらねぇって言ってるんだ。

 後でお前は絶対頭抱えて吠え面かくからな。

 これは予言だ!

 しっぽ巻いてキャンキャン鳴きやがれ!』

 そして今、手放す気もないのに大人ぶってタリムを懐に入れていた俺は、見事に吠え面かいているわけだ。


 俺が持ち合わせていたのは愛や恋みたいなふわふしたものではない、もっとどす黒い執着だ。

 タリムにあるのが明確な恋とか愛とかではなくても、俺はタリムを奪い尽くすだろう。

 本当なら、俺は一生このままの関係だって構わないのだ。

 タリムは今際の際に俺がいる事を望んでいるし、俺はタリムに命を取られるんだったら明日死んでも構わない。


 それなのに、現実問題、タリムが俺に恋愛感情を持っていることをタリムの義父に証明しないと、明るい未来が無いとか……頭が痛い。

 ソアラは少女小説愛好家だ。

 娘がキラキラの恋愛を成就させて巣立って行くのが昔からの夢だった。

 ソアラの思い描く理想の相手は、タリムだけを愛しタリムに愛されるヒーローだ。

 断じて俺ではない。

 当て馬、当て馬と呼ばれて育てば、それはひねた人間になるに決まってる。

 俺はすっかり奴らの中では汚れた脇役にされている。

 俺がタリムを愛していると言ったところで、タリムの心が俺にあるとはっきり証明できないなら、ギルドマスターからタリムを掻っ攫うことは不可能だ。

 義兄のユウキも、俺の前に立ち塞がる気でいる。

 二人してギルドの全権を完璧に濫用して、俺をタリムから引き剥がし、手の届かないところに隠してしまうだろう。

 何を大袈裟な、と思うかもしれないが、ソアラとユウキはやると言ったらやるのだ。

 その結果が壊滅的なことになろうとも。 

 何としてでも事態を動かさなければ。


 子供の頃の俺よ、お前があの時立ち向かうべきだったのはギルドマスター・ソアラ・シアンではなく、放って置いた間に芽を出すことも面倒だと腐り落ちたタリムの情緒だったはずだ!

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