その閃きは魔境なので

 大声でロイとリシルが言い争っているのが聞こえる。

 ……この寂しさは身に覚えがある。

 ロイはいつも私の義父、ソアラとこうやって楽しそうにいがみ合っていた。

 私の入り込む隙間は無い。

 いつだってロイの意識の先にはソアラがいたから。

 リシルまで出てきて、どんどん私の位置が下がっていく。


 リアンはロイの服を借りたようで、少し丈が長かったのか、袖口をまくり上げている。

 何をどう着ても高貴さが透けて見えるのは、すごい特性だと思う。

 着替える時に少しはロイの所で温まったようだが、それでも秋の川の水は冷たかっただろう。

 熱いお茶をテーブルに置く。

 川に落ちたのは私のせいではないが、少し気が咎める。


「タリム、ちょっとおいで」

 しょんぼりしているのがバレたのか、ソファに腰掛けたリアンが、隣に座れと呼ぶ。

 毛布を広げて互いの肩を包み、冷えた肩を温めるように抱いて、コツンと頭を寄せる。

「すごかったね、君が水に入ってきた時は、なんだか感動しちゃったよ」

 触れた頭から骨を伝って声が響く。

「リアンが思ったより水に慣れているようだったから、助けやすかったんです」

「何が役に立つかわからないね。

 子どもの頃、水練させられた時には、川に落ちることなんてないと思っていたよ」

 何にしろ、無事で良かった。

死んでたら……ちょっと色々まずそうな立場の人だろうし。


リアンはあの眼鏡橋の、いったい何に気を取られていたのだろう。

「あの眼鏡橋は洪水の時も流されずに残ったものなんですよね?」

 そういう物に心を寄せるのは、分からないではない。

「そう。ほら、私とは違うなって」

 そうそう、リアンは水に流されたし……って、違うか。

 流されて貴族をやってるのかな。

 高貴な身分もたいへんだな。

「ええと、折れたり壊れたりよりは、流されることって悪くないと思いますけど?

 ほら、どこかで引っ張り上げられるかもしれないし」

 気休めを言えば、リアンは目を見開く。

「君は、驚くほどセレスにそっくりなんだね」

 ついに核心に触れる名前が出てきた。

 まあ、避けては通れないのだろう。

 わかっていたけど。

「……ってことは、やっぱり、リアンは私の産みの母の知り合いってことですよね」

 リアンは好好爺が孫を見るような顔で微笑む。

「そうだね。セレスは僕の従姉妹だよ」

 リシル・アディは強い。すごく強い。

 そんなのすぐにわかる。

 本来、警護なんてリシル一人で足る。

 ソアラほどではないけど、赤い騎士なんか、けちょんけちょんにするくらいには強い。

 そんな騎士がついてくる人が貴族じゃないなんてことはない。

 ……やっぱり王族なんだろうな、この人。

「ふふ、娘がいたなんてね。

 君はいったいどこに隠れていたんだい?」

 目を細める。

「私もついこの間知りました」

 知りたくもなかったけど。

「そのようだね。今日は、黙って会いに来てごめんね」

「いえ、ずっと黙っていても良かったんですよ」

「そうしようと思っていたんだけどね。

 私が何をしても、君は君だと確認できたから、もうどっちでもいいかなと思ってさ」

 身分は明かさないはずが、ほとんどバレたようなものだ。

「あ、ダメですよ!

 私、絶対に姫とかにはなりませんからね! 無理ですよ」

 一応主張しておかないと。

「わかってるさ」

 リアンが美しく片眉をあげて口を尖らすので、笑ってしまう。

「また、こうやって会うのは?」

 今日は楽しかったし。

 リアンは嫌いじゃない。

 むしろ好きだ。

「川に落ちないならいいですよ」

「まぁ、ギルドマスターが許可するならね」

「そちらに呼ぶのは無しですからね。

 私、面倒臭い知り合いが出来ちゃって、出来ればもう会いたくないんで」

 おじさんの知り合いっぽかったし、おじさんは鬼門だ。

「モーリスは真面目な奴だよ。お付き合いするなら、いいと思うよ」

 不用意に関係性を公にしないでほしい。

「そういう問題じゃないんです。」

 思い切り嫌そうな顔をして見せたら、リアンはその話をひっこめた。

「まぁ、君たちがまた護衛してくれるなら、またお願いしようかな」

「いいですよ!」

 また会えるのは少し楽しみだ。

「……タリム、会えて良かったよ」

 優しく頭を撫でられる。

「ずっと……ずっと会いたかったんだ」

 それは、セレスタニア姫に会いたかったということだろうか。

 優しく、壊れ物に触れるようにリシルの腕に抱き込まれる。

 これは嫌ではないな、と思う。

 これは、義父さんと、義母さんから感じる慈しみと同じだ。

 ああ、そうか、見覚えがあると思ったら、この人の目、私の目に似てるんだ……まあ、叔父さんだし、似るところもあるか。


「あのね、前はカマをかけてみただけだけれど、今度は君の身内として訊くけどね。

肉親がいなくて寂しかったことは?」

 頭を振って否定する。

「私、特に産みの親がいない事が不便だとか、寂しいとか感じたこと、というか、考えた事もなかったので。

 どういう立場の誰に聞かれても答えは同じです」

 なんと言ったら伝わるだろう。

「なんですかね、うちはちゃんと家族なので。

 リアンの心配するような事はないですよ」

 私は笑って言う。

 義父と義母と義兄に慈しまれて育ってきた。

 帰る所があるから外で一人でも不安にはならない。

 だから、私にとって家族はやっぱりシアン家だけだ。

「そうかい。あの人ならそうなんだろうね」

 ギルドマスター、ソアラ・シアンが許さなければ、今日の仕事は無かったはずだ。

 義父的に、肉親に私が会っても特に問題ないということなのだろう。

 ……ロイに比べて、自信満々だなぁ。


「今、君は幸せだってことでいいのかな?」

「幸せです。好きなことをしてるし、仕事もあるし」

 ちらっとロイの事が浮かんだが、今の質問には入っていないことにしておこう。

 リシルの腕の中は暖かい。

 この人はセレスタニア姫を特別に思っていたのだ。

 セレスタニア姫が死んで、もう会えなくなって、すごく寂しかったんだろうな。

 たぶん、姫の血を引く私が「生きている」ということが大事なことで、姫より丈夫で健康そうだというのを確認するために来たんだろう。

 ただそれだけなのだ。


「恋人はいるの?」

 唐突に訊かれて、ぴくりとする。

 それ、今の私には答えられない質問なんだが。

「こ……恋人ですか? うーん、恋人、ねえ?」

 抱きしめていた腕を緩め、顎をひねる。

「ルロイ君は違うの?」

 この人までルロイと言うのか。

「ロイですよ。ロイ・アデルアです」

「私はどっちでもいいけど……彼とはどうなの?」

「そこは、私はどっちでもよくないんです!」

 そこは重要な葛藤ポイントなのだ。

「あ、そう?」

 私のロイはロイであって、ルロイではないと主張したいのだが……「私の」じゃないしなぁ。

「ご存じないかと思いますが、普通、親戚のおじさんにそういうの聞かれたら姪っ子は引きますよ」

「えー、なんでさ」と、子どものように口を尖らす。

「じゃあ、君のお義父さんが訊いても?」

 ソアラが聞いてきたら?

「……義父がそんなこと言ってきたら、軽蔑します」

 しばらく口もきかないだろう。

「ええっ?! そうかー、それは手厳しいね。

 姪っ子はいないから分からなかったよ」

 モゴモゴと言い訳する。

「そうだ、君のお義父さんに、今回のお礼を送ろうと思うんだけど、何がいいかな?」

「あの人、ああ見えて甘党だから焼き菓子とか喜びますよ」

「贔屓の店とかあるかな?」

「今日取りに行く本があって、その隣の菓子屋がおいしいって聞きましたよ」

「何の本?」

「私、ずっと猫が飼いたいんですけど……」

 キャッキャと世間話を始めた私たちのおしゃべりは、ロイとリシルが帰ってくるまで続いた。



 揉み合ったのか、二人ともよれている。

 知っていたけど、ロイは最高に機嫌が悪い。

 書類にビーツのスープをぶちまけた時くらい機嫌が悪い。

 その機嫌の矛先はリアンに向いた。


「姪っ子に会いに来たにしては、如何わしい距離に見えますが。

 貴方はタリムをどうするつもりですか?」

 ……う、二人で毛布を分け合って、一緒に肩を寄せ合ってお喋りしていただけですが。

……っていうのはロイ的にもうダメなんでしょうね。

 いい加減、私だってわかってきましたよ。

 恋心、めんどい。


「セレスタニア姫の代わりに、城に閉じ込めて、終いには政略結婚の駒にでもするおつもりですか?」

 あれ? ロイがおかしい。

 どうやら私が城に連れて行かれると勘違いしているようだ。

 私の現実と、ロイの現実が食い違っている。

 リアンについては、絶対に私の勘が正しいのに……と思うけど。

「待って、リアンは違いますよ!」

 リアンは肯定も否定もせず、愉しむようにロイの話を聞いている。

「はっ、どうだか。

 タリムを姫として城に迎えたいとか、あのアホ騎士みたいなことを言い出すんじゃないですかね?」

 ロイがおかしい。

 全然いつもの冷静なロイじゃない。

 

こんなの前もあった。

 ロイが私の手の届く範囲から姿を消した頃だ。

 あの時は、ソアラと大喧嘩して、勝手に私の幸せとやらを決めつけて、一人でいなくなった。

 川の冷たさとは違う意味で、背筋が冷えた。

 これはまずい。

 どうにかしなくては。


「ルロイ、無礼だぞ!」

 リシル・アディがロイを呼ぶ。

 くそぅ、また『ルロイ』だ!

 気が散る。

 なんなんだ?

 おじさんとソアラ、いったい何が……。


 「あっ!!」


 不意に私はこの状況について天啓を受けるが如く閃いた。

 閃いたが、あまりのことに愕然とする。

 これなら色々なことに説明がつく!

 場合によっては私とロイの関係も修復するかもしれないけど……いや、無理か。


 意を決して、私は降ってきた疑問を議題にあげる。

「確認したいんですけど、まず、この依頼は、叔父であるリアンが、姪の私にに会いにきた、という事なんですよね」

「そうともいえるね」

 リアンが頭に血がのぼったロイに見せ付けるように、ぎゅっと私を引き寄せる。

 面白がっているようだが、いらない事をしてロイを挑発しないでほしい。

 ……それももはや、この思い付きが肯定されれば虚しいだけだ。


「それはわかりました。

 じゃぁ、リシル・アディは?

 リシル・アディはいったいロイ・アデルアのなんなんですか?

 私の父親ではないのなら、わざわざあなたがここにいる理由は何ですか?」

 リアンを引き剥がして、ロイとリシルの間に立つ。

「……ルロイってロイ・アデルアのことなんですか?

 何でそんなに親密なんですか?

 おじさんもソアラみたいに、私からロイ・アデルアを遠ざける人なんですか?」

 おじさんは困ったように口の端を下げる。

 さっきは実のお父さんなのか、とか言ってごめんなさい。

 そんなはずなかったのに。

 おじさんに、辛い思いをさせてしまったかもしれない。

「ロイはリシル・アディに対しても、ソアラに対しても、どうしてそうなんですか?

 ずっと疑問だったんです」

 この閃きが正しい事がわかったら、もう、旅にでも出よう。

「ロイは、私のことなんか、いつもほったらかしで、その代わりにずっと見ていたのは、ソアラだったじゃないですか!

 本当は、私なんかより、そのくらいの年齢のおじさんが性的対象なんじゃないですかっ!?

 私の事が好きだとか言って、本当はソアラとの関係を強固にしたいから、ソアラが執着する私を得ようとしているんじゃないですか?!」

 ロイのリシルに対する食ってかかり方は、わたしの義父に対する執着に近いものを感じる。

 ゴクリと、喉が鳴る。

「つまり、も……もしかして、リシル・アディは、ロイの昔の恋人なんですか……?」


 あれ?

 ロイの表情筋が死んだ……。


 リシルがロイの胸ぐらを掴む。

「それ見たことか!

 お前のせいだろうが!

 私の姫に対する冒涜だ!!」

「どうしてそうなる?!

 どう考えても、おかしいのはコイツだろうが!!」

 

これだ!

 私を蚊帳の外に置いて、楽しそうに揉み合いするな!

 これが私を長年苛んできたものだ。

「仕事中に、いちゃいちゃしないでください!」

 泣きそうになって叫べば、またもや二人が同時に私の頭を小突いてくる。

「そんな訳あるか!!」

「何を言ってるんだ君は!!」

 ああ、二人の息の合った否定が私に疎外感を巻き起こす。


 コホンと咳払いが聞こえ、リアンが口を挟む。

「君たち、いい加減、私の娘を小突くのをやめてくれないかな」


「「「むすめ?!」」」


 リアンの一言は、私たち三人の動きを止めた。

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