さかづき

 その不思議なうたげは、約束したわけでもないのに自然とつどうがために開かれるようになった。

 年若いサモン、壮年のグレイ、高齢のシュウ。共通点は男であることと、それぞれ神秘を扱う者ということくらいである。

「やあ、そろそろ来ると思ってたよ」

「アンタら、ホントなんなの。もうそろ親の顔より見てるわ」

 グレイの出迎えにサモンが皮肉を投げる。けれど薄暗い中でもその表情は明るく、言葉とは裏腹に楽しみにしていたことは明らかだった。

 蛍火ほたるびを頼りに見晴らしのいい場所まで進めば、あぐらをかいたシュウが片手を上げて手招いた。



「ほっほぉ。では今宵も、まずは一献いっこん

 二人が平らな岩場に座るのを待って、シュウは小振りのうつわを手渡した。三人そろって天にかかげる。そこに広がるのは星の海。奇妙な酒盛りが始まって以来、初めての新月であった。

 もの言わず三者三様に飲み干す。虫の鳴き声だけが響く中、最初に声をあげたのはサモンだった。

「じーさんの酒は相変わらずウメェけどよ、月ナシじゃあやっぱさかなが足りねぇな」

「サカナ、ですか。さすがに今から釣りに行くわけにも……」

「グレイ。分かってて言ってんだろ」

「まさか、そんな」

「ふむ、サー坊は月見酒が好きだったんか。星には星の、虫灯りには虫灯りの旨味があるんじゃが、月がお好みなら特別に〝さかづき〟を振る舞ってやろう」



 浮き雲を引き寄せてかき回し始めたシュウを見て、グレイも荷物をガサゴソする。一人手持ち無沙汰なサモンはというと、季節外れの蛍が珍しくて指先にとめて愛でていた。

「あった。シュウさん、お酒もらうよ」

「好きにせぇ。こっちゃまだ取っときが見つからんでなぁ」

 グレイが取り出したのは銀のさかずき。そこへ瓢箪ひょうたんの酒をトクトクとそそぎいれ、サモンに差し出した。

「今日は分かりにくいけど、器に月を写して飲むんだ」

「グレイ流・月見酒の仕方?」

「違うよ。それは月を眺めながら酒を飲むことだろう? 僕が言ってるのは〝月で呑む〟ほうさ」

 余計に意味が分からない。そんなムスッと顔のサモンの頭を、シュウがポンポン叩いた。



「ほお、〈月のうつわ〉か。こりゃあいい」

「ご存知でしたか。さすがはかすみで生きる人」

「つまり何なのよ。解説求む」

「おっと、すまんすまん。この杯の底にはのぉ、月の姿が映るんじゃよ」

 サモンの眉間にシワが増える。そこでやっとグレイが手を打った。

「天候にかかわらず。そして屋根の下でも、です」

 これでどうだとばかりにサモンの鼻先に突きつけた指は、したたかにはじかれる。

「ひとを指差しちゃいけませんって習わなかった? なまぐさ坊主さま」

「〝なまぐさ〟なのは、まぁ認めますけど。坊主は貴方でしょう、サモン」

「正確には法師な。魔法使いだって似たようなもんだろ?」

 乱暴なサモンの言い分に、「違いますね」と「違うじゃろ」がハモった。



「で? じゃあ、今も写ってるってこと?」

「そう、新月がのぉ。さすがにそれは味気ない。そこでワシのこれじゃ」

 探し出した徳利とっくりを見せ、グレイの杯を飲み干すようサモンに指示を出す。

「目で楽しめるんは五秒かそこら。しっかと見とれよ」

 二人が頷くのを確かめて、シュウが徳利の中身をそそぎいれた。すると杯の底に現れる輝く満月。思わず空を確認するサモンとグレイに、シュウは笑みを深める。

「ほれ、早く飲まんと味が落ちる。――〈酒月さかづき〉を〈月の器〉で、か。なんとも洒落しゃれた夜よのぉ」

 急かされるまま一口飲めば、サモンが突然泣き出した。続けて飲もうとするのをシュウが杯を奪って止める。

「なん、こりぇ。いつかりゃ、ここ、極楽らったんら?」

「……ちと刺激が強すぎたか。組み合わせの問題かのぅ」



「私も飲んでみて構いませんか?」

「もちろん。一口目まんげつには劣るが、まだ美味いじゃろう」

 グレイが渡された杯を覗けば、幾分いくぶんか欠けた月が沈んでいた。

 口に含んで少し待ち、コクリと飲み下す。確認するように何度か首肯すると、二口目はすぐに飲み込んだ。す、と鼻を抜ける香りに、グレイは一つ強く頷く。

「月というのは、このように美味だったのですね」

「カッカッカ! そうじゃろう、そうじゃろう。それでこそ苦労して作った甲斐があるというものよ」

「なるほど、お手製……」

 何かを察したらしいグレイが青ざめる。

「まさかまた何か副作用的なものがあったりするのでは?」

「安心せぇ。酒に映した満月を百日分集めて二十にじっヶ月寝かせただけの代物じゃ」



「百日分ということは……十年がかり!? そんな貴重なものを!」

 別の意味でも青ざめるグレイをおもしろがって、シュウは高らかに笑いながらヒラヒラ手を振るばかりだ。

「――おっと、そろそろかのぅ?」

 辺りがきりでかすみ始めたことに気付いて、一足先にシュウが帰り支度を始める。

 グレイは手許てもとの酒月をグイと飲み干してから、未だに夢見心地でほうけているサモンをどうにか現実に引き戻した。

「また美味い酒飲ませてくれよな!」

「次はぜひ釣り対決といきましょう」

「だぁから、そのサカナじゃねぇっての」

「まま。それもいいじゃろうて。じゃあ、またのぅ」

 さあっと霧が濃くなり、すぐ近くにいるはずの互いの姿が見えなくなる。そうして〈夢の迷い〉からはじき出され、またそれぞれの日常に帰っていったのだった。



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さかづき

〔2020.10.19作/2023.09.08改〕

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 月のない夜にどう月愛でる? 老若男子3人による不定期開催の宴。

 企画の締め切りに追われて尻切れトンボ状態だったのを、カクヨム公開にあたり3年越しに加筆しました。サモンが泣いた理由は、ほんとに「あまりにも美味しかったから」なのです。旧版は引き続きpixivにて。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=13926902


★ pixiv個人企画「第13回 1週間小説コンテスト」参加作


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〔短編集〕セカイの欠片を小箱につめて あずま八重 @toumori80

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