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狭間の電車

 うらさびれた駅に箱を止め、セピア色の窓向こうに今は遠い記憶をたぐり寄せる。そこに感情が乗ることはもうなくて、ただ記録として眺めているにすぎないことがほんの少し悲しい。

 そんな俺の感傷が引き寄せるのか、ふいに電車がゆれる。今夜もまた、生き迷う者がやってきたらしい。


「お客さん、どちらまで?」

「……どこか楽しいところ」


 かしこまりましたと答えて運転席に戻り、箱を発進させる。こういった客に具体的な目的地を問うのは御法度ごはっとだ。見つかるよう手伝うのも仕事のうち。たとえ見つからなくても、話し相手がいるだけマシってもんだろう。大抵は少しスッキリした顔を見送ってきた。

 方向指示器を点灯させて市内をグルリと回る路線レールに入る。目的地探しは、繁華街から住宅街や郊外まで網羅もうらしたこの道がピッタリだ。


 ミラー越しに客席をうかがう。10人が座れる広い車内でポツンとたたずむのはどの客も同じだが、やはりまとう空気はそれぞれで。今夜ここに迷いこんだ女性はえらく沈み込んでいる様子だった。

 これはきっと、フられたとか浮気されたとか、そういう悩みだなとピンとくる。色恋沙汰は苦手だというのに、どうして俺のところへはこういった客しか来ないのか。


『ベッピンさん泣かすなよ』


 突然の無線連絡に、並走する電車をジトリと見る。その男は、二本指で帽子のツバをサッと撫でたかと思うと、ガサツに笑って別の路線レールへ流れて行った。

 ワンマンの1両編成。空に引かれた道を小型の車が飛び交う時代の中ではすっかり前時代的になったミナモ電車だが、同業が居ないわけではない。今からかって行った彼もそうだし、他にもちょくちょく何台かとすれ違う。今となっては顔馴染みしかいないから、始めたころは右手を上げるだけだった挨拶も「ウハウハ」「ボチボチ」と今夜の身入りを報告する機会に変わっていたりする。


 波の尾をひきながら水上を走る車両は、華やかな街を抜けて住宅街に入った。ポツリと女性客が何か言うのをヘッドセット越しに聞く。想い人の名前だろうか。茜色が広がる窓の外を眺めながら、ときおり涙を拭いている。かける言葉も持っていないし、今はまだそっとしておこう。


 一つめの駅に止める。

 誰も降りず、誰も乗らず、乗客が車窓にかじりつく静かな60秒。停車している間、そこには見る者の記憶が映る。彼女が何を見ているかまでは知りようがないものの、目を輝かせている様子にひとまず安堵した。

 発車し、次の駅で止める。それを何度か繰り返して郊外を回り住宅街に戻ったころ、物言いたげな視線に気付いて俺は声をかけた。


「楽しいところ、ありましたか?」

「ええ、少し。ウワサに聞いていたとおり本当に不思議な電車ですね」

「みなさん、そうおっしゃいます」


 初めの暗い印象は幾分か晴れたようで、多少ぎこちなくも笑顔が浮かんでいる。


「駅でもないのにずいぶん止まりますけど、いつもそうなんですか?」

「私がお迎えするお客様は目的地みたいものが定まっていない方が多いので……そうですね、いつもそうかもしれません」


 ですが、と前置いて俺は続ける。


「止まっているのは確かに駅ですよ。駅はね、記憶なんです。人生は各駅停車の鈍行みたいなもので、トラブルも含めてそりゃあたくさんありますよ。走り続けるには休息だって必要だから、補給のための、他愛ない日常のものもそこにはあるでしょう」


 ふふっと笑う声が耳をくすぐる。俺も、つられて穏やかな気持ちになった。

 そのあとは黙々と残りの駅を回り、今度は段々と悲しげになっていく様子に胸がチクチクし始める。毎度仕方ないことながら、こちらもこれで稼いでいるのだからと柔らかな表情を保った。


「次が終着駅です」


 彼女は何も答えないが、耳はこちらを向いているのが分かった。

 最後に見えるものだけは俺も知っている。一番幸せだったときの記憶だ。これが一番辛い。中には納得して別れを告げる者もいたが、多くは――


「イヤだ」と彼女が大声で泣き出した。それはそうだろう。認めるのと受け入れるのとは別なのだから。俺は、見ることも話し掛けることもせず、ただ耳でだけその慟哭どうこくに寄り添う。

 ここまで辿ってきた駅は、楽しいものばかりではなかったはずだ。それでもあゆみ続けたから今がある。ここで膝をついて楽になるのか、苦しくても乗り越えるのかどうかは彼女次第だ。


 長い長い停車時間。かすかな揺れを拾って、箱の周りに幾重いくえにも広がる波紋を眺めて待つ。いったいどのくらい泣いていただろうか。かぼそい声で呼ばれ、俺は振り向いた。膝を抱えて震える彼女は、もうずいぶんと透けている。

 ――決心のときは来た。


「お客さん、次はどちらまで?」

「……未来あしたへ」

「かしこまりました。それでは、よい旅を」


 さようなら。辛い記憶に別れの言葉を残したのを最後に、彼女は自身のあるべき場所へ還っていった。

 俺は無人になった客席に戻り、彼女からがれ落ちた想いのカケラを刷毛ハケで集める。これが運賃、大事な収入源だ。キラキラ華やいでいても、溶けているものはドロドロした感情が多い。だから多少なりとスッキリした顔で乗客たちは降りていくのだろう。

 大きめのカケラを1つ見つけて、ため息がもれた。刺々しい形のそれは、純粋な恋心が結晶化したものだ。薄桃色に色付いて見えるが、光にかざすと深い青が目に届く。


「失恋じゃなくて、生き別れのほうだったか」


 過去に固執すれば彼岸ひがんへ進み、未来を望めば此岸しがんへ戻る。どちらも選べなかったような奴は夢の中をさまよい続け、どこへも行けなくなってそのうち俺のようになる。ここへ来るほど苦しんでいたのに未来あしたを選べた彼女は、きっと強く生きていくのだろう。




 ミナモ電車は夢幻ゆめまぼろし。現実ではとっくに朽ちていて、現存するのは博物館でだけ。彼方あちら此方こちら狭間はざまをどちらへ行くともなくフラフラし続けて、車掌たちは選択を迫る。

 選ぶのは貴方。それを手伝うのは記憶。

 どうぞ、その時々の〝今〟を忘れないでいて。どちらを選んでも後悔しないために。選ばなかったとしても、どうか俺のように後悔しないために。



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狭間の電車

〔2020.07.08作、2020.07.14修正〕

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★ DISCORD文芸部 第12回企画参加作(2020年初夏のテーマ『駅 Station』)


 今どきの三途の川も舟で渡るとは限らないのでは? そんな発想から生まれた作品。読みたいものを書けたから作者的には好みなのだけれど、対外的には微妙な反応をされてしまう悲しみ…。


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