第六話

大内鑑おおうちかがみ】の屋号。


 高級街区の一角にひっそりと佇む一軒の邸宅がある。

 ひときわ目を引くその邸宅は、平安時代の貴人の住居を思わせる上品な外観が特徴。外壁には上質な木材がふんだんに使われ、時の流れに寄り添うように自然の風合いを保ちながら、静かに存在感を放っていた。

 高くそびえる屋根は美しい弧を描き、その曲線が瓦の艶やかさと相まって一層の美しさを引き立てている。


 入口には深紅に塗られた手作りの引き戸があり、その上には繊細に彫り込まれた彫刻。

 彫刻には花や鳥、そして松の木が緻密に描かれ、古の文化を今に伝えるかのような気品を漂わせている。扉の両側には香気を放つ植物が植えられた鉢が控えめに並べられ、訪問者を穏やかに迎える。


 一歩足を踏み入れると、そこはかつての貴人の住居そのものだ。

 温かみのある木材が多用された室内は、静かで落ち着いた色調に統一され、壁には雅やかな屏風が飾られあった。屏風には、四季折々の風景や来客たちの上品な姿が描かれ、訪れる者をその時代の情景へと導く。


 印象深いのは、店内の土間。

 高級感漂う石畳の床は清潔に保たれ、歩くたびに心地よい音が響く。


 広々とした販売スペースには、茶葉や香油が整然と並べられ。

 どの商品も、美しく飾られた棚に配置され、客人たちの好奇心を刺激する。芳香が漂う場所で、来店者たちはゆったりと商品を吟味し、心ゆくまで時間を過ごす。

 店の奥には、訪れた客人を心地よくもてなしつつ、くつろぐことができるカフェ。

 内装には和の雰囲気を醸し出す障子が配されており、障子越しに差し込む柔らかな明かりが室内を優しく包み込み、心に安らぎをもたらす。

 客人たちは、落ち着いた雰囲気の中で、静かに流れる時間を楽しむことができる。


 室内には、趣深いランプ類が用いられ、柔らかな輝きが全体を包み込んでいた。

 特に夕暮れ時、店内はこれらの光によって、より幻想的な雰囲気に変わり、訪れた客人たちに非日常的な体験を提供している。


 この店の主は――陰陽師おんみょうじであった。




 穏やかな陽光が店内に差し込み、落ち着いた空気が漂っていた。

 静けさの中、ぜんはカウンターの後ろでお茶の準備。漆黒の長髪がしなやかに揺れ、彼女は男装の麗人としての美しさを纏い、その姿は美少年。

 彼女の服装は、シンプルながらも洗練された和装の洋風アレンジで、黒を基調としたハイネックのシャツに、和柄の入ったロングジャケットを羽織っている。袖口には僅かに銀糸が織り込まれ、静かな上品さを醸し出していた。

 足元は、履き心地の良い黒のローファーで、店の雰囲気にぴったりの落ち着いた佇まいを見せている。

 深い湖のような瞳で訪れる客人たちを優しく見守り、静かな水面のように安らぎを与えていた。


「お待たせいたしました」


 柔らかな口調で告げると、女性客は期待に満ちた笑顔を浮かべた。


「このお茶は、どのように作られて?」

 と、尋ねる。


 微笑みを浮かべながら、茶葉の製法や選び方について丁寧に説明を始めた。その知識は、女性客の興味を引きつけた。

 もう一つは、善の魅了に。




 一方、店の奥ではみょうが男性客を相手にしていた。

 漆黒のベリーショートヘアは、ランプでキラリと輝き、親しみやすい笑顔が彼女の天真爛漫な性格を物語っていた。

 善とは対照的に、カジュアルな着物スタイルを選んでいた。柔らかなラベンダー色の着物に、現代風にアレンジされた短めの丈を取り入れたデザインで、動きやすさを重視したスタイルだ。帯はシンプルだが、繊細な花柄が施されており、優雅さも感じさせる。

 足元はシックなパンプスを履き、接客にふさわしい快適さと洗練を兼ね備えていた。


「何か、お探しですか?」

 と、瞳をキラキラと輝かせながら、気さくさに男性客へ声をかける。


 大柄で自信に満ちた態度で、

「妻へ誕生日の贈り物を考えている」

 と、口にし、少し難しそうな顔付きを浮かべる。

「逢いされているんですね、奥さまを」

 と、妙は小動物のような気さくさで応じる。

「彼女は花が好きで、特に珍しい品種を集めるのが趣味だ」


 深く頷きながら、

「かしこまりました」

 と、妙は一礼した。


「こちらの香水は、優秀な調香師ちょうこうしが創ったものです」

 と、瓶を手に取り、男性に見せながら。

「心を和ませるだけでなく、気分を高める効果もあります。特に甘い香りが心に安らぎを与えます」

 美しいデザインを男性に示しながら。

「こちらのアロマキャンドルは、心の落ち着く効果が非常に高いです。就寝前にかれると、緊張を和らげ安眠をうながします」

 最後。

「こちらの石鹸は肌に潤いを与え、敏感肌の方にも安心して使えます、よ」


 男性は興味深く聞き入り、少しずつ表情が。


 姉妹は、それぞれの役割を見事に果たし、店の雰囲気を一層引き立てていた。善の落ち着いた接客があるからこそ、妙の可愛らしく気さくな販売スタイルが際立ち、訪れる客人たちは心を満喫させていた。




 道満どうまんは店の調合室で香水を調整していた。

 調合室は常に清潔に保たれ、壁にはさまざまな香りの瓶が整然と並んでいる。調合台には精密な計量器やガラス製のビーカーが揃い、色とりどりの液体が柔らかく光を反射していた。

 香りのブレンドに集中しているとき、頼りない雰囲気からは想像できない顔つき。

 香料を組み合わせながら、細かなバランスを見極め、香りの品質を向上させていく。整然と並んだ小瓶を一つ一つから、正確に計量を続け、作業する。


 調合を終え静かに休憩室へ向かいながら、深く息をついた。室内は穏やかなに包まれていた――ノックが三回。


「どうぞ」

 と、道満が応じる。

 ドアが開き、三十代後半の男性が姿を現した。

 スーツをきちんと着こなしているその男は、肩幅が広くがっしりとした体格であったが、その面持ちには強い不安が浮かんでいた。

 手は微かに震え、顔色は蒼白で、疲れ切った様子が年齢以上に彼を老けさせていた。顔には焦りと恐怖が交錯し、まるで大切なものを失いかけているかのようだった。


 言葉を発することなく、道満に歩み寄り、一通の手紙を差し出した。


 道満はそれを受け取り、封筒に【大口おおぐち】と書かれているのを確認すると、

「伺っています」

 と、短く答えた。

 大口先生から事前に事情を聞いていた客人。


 道満が封筒を開くと、一枚の紙が入っていた。


 診断書には、男性の妻が流産後に精神不安になっていることが記されていた。肉体には大きな影響はなかったものの、初めて身ごもった子を失った夫婦にとって、失望は計り知れないものであった。


 読み終えると、男性を見上げて言った。


「では、最終確認を」


 男性は無言で頷いたが、その顔には依然として緊張が浮かんでいた。道満は優しい口調で、続けた。


「僕もひとやすみしたいので、一緒にお茶しませんか?」


 道満は白い作業着のまま、棚から数種類のハーブを選び取り出し、ティーポットに入れた。

 部屋には蒸気とともに香りが広がり、落ち着いた雰囲気が生まれた。


 ティーカップを差し出し、

「どうぞ。少しは、気持ちが落ち着くと思います」

 と差し出した。

 男性は戸惑ったが、やがて一口含んだ。


 しばらくの静寂の後、道満は話し始めた。


「大口先生から、僕の治療についてお聞きになったとのことです。が、どのような結果になろうが責任は負いません。さらに、この治療行為は他言無用でお願いします。約束を破られた場合は、然るべき対応をいたしますが? よろしいですね」


 男性は緊張からか、浅く頭を下げることしかできなかった。


「記憶改ざんは、特定の出来事に関する記憶を操作し、消去または上書きすることで苦しみを緩和する治療法です。特に深く心に傷を抱えている場合などに、使います。しかし、この方法は、危険性が伴います」


 道満は言葉を選びながら続けた。


「まず、消去と言っても、完全に記憶を消し去ることはできません。記憶と言っても様々な記憶があるんです。例えとして、『身体が覚えている』と云う方がいます。が、厳密には身体が覚えているのではく、脳の部位の一つ、小脳が覚えているんです。この記憶を“手続き記憶”と呼びます」


 道満はさらに深く説明を続けた。


「記憶改ざんは、一時的な対策に過ぎません。根本的な解決にはならず、改ざんされた記憶が将来どのような影響を与えるか、不確定です。短期的に見れば、不安要素は少ないです。が、長期的になればなるほど、不安要素が多くなっていきます。記憶の深さ……心の傷が深けれ深いほどに、記憶が戻ったとき強く反応します。最悪、自我崩壊が起こる可能性もあります」


 男性はじっと道満を見つめながら。


「それでも……今の状況から変化があるなら…………」


 彼は記憶改ざんのリスクを理解しつつも、妻の苦しみから助けたい強い思いを抱いていた。


 道満はしばらく黙考した後、答えた。


「分かりました。大口先生と相談し、負担の少ない記憶改ざんを」


 男性は深く頭を下げると、静かに部屋を後にした。


 道満は再び調合室へ向かおうとしたが、休憩室に置いてあるスマホが震え着信音。


【お師匠さま】と、表示されていた。

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