第十話

「――では、道満どうまんさま。こちらに今回の主が目的にしている情報を記載した書類を置いて帰ります、ね。必ず、一読、しておくよう、お願いします。目を通していなかったら、」

「わーあーぁーてる、わーあーぁーてるって。お師匠からお説教される、やろ」

「関西弁に」

「ぶぶ漬け、出すぞ! じぶん」

「こわい、コワイ」


 倶利伽羅くりからは仕事依頼書を渡してくると、ひとつお辞儀して、立ち去ろうとした。


「お師匠さまにも、胡麻団子とブレンドした茶葉を渡してくれ」

「承知しました」

「あまり食い過ぎるなよ、倶利伽羅。じぶんの分も入れといた、さかい、に」

「お心遣い、感謝いたします」

 と、礼儀正しく応じ、丁寧にその包みを受け取った。


 倶利伽羅はもう一度軽く会釈し、今度こそ、静かにその場を去っていく。足音は相変わらず静かで、休憩室の扉を開くと消えていった。




 薄曇りの空の下、二頭立ての馬車は静かに小道を進んでいた。

 車輪が砂利道を踏みしめる音がかすかに響き、頬を撫でるそよ風が森の木々の香りと、馬が蹴り上げる土の匂いを運んでくる。

 その心地よい風は、旅路の穏やかな雰囲気をさらに際立たせていた。


 馬車は木製の頑丈な造りで、車体の側面には冒険者組合の紋章が刻まれていた。

 歩調は穏やかで車内の揺れも少なく、乗り心地はそれなりであった。

 蘆屋道満は運転席で手綱をしっかり握りながら、前方に広がる森の奥を見据えていた。隣には島田しまだ勘兵衛かんべえがちゃっかりと座っており、彼女は時折、道満の肩にもたれかかりながら馬車の揺れを楽しんでいたのであった。


「ねえ、道満。今回の依頼って、どんな内容なの?」


 みょうは荷台から体を精一杯伸ばし、御者席の道満に声をかけた。

 彼女の大きな瞳は好奇心で輝き、森の景色や馬車の音、すべてが新鮮で楽しくて仕方がないというようだった。

 短く整えられた漆黒のベリーショートの髪が、風にふわりと揺れ、その無邪気な魅力を引き立てている。

 鼻筋は通っているものの、タレ気味の目元のおかげで優しげで可愛らしい印象を与える。

 快活なエネルギーが常に溢れ出しており、些細なことでも心を弾ませることができる。

 前向きな探求心が、周囲の者たちの空気を明るくさせていた。


「冒険者組合からの依頼で。村の周りに正体不明の怪物が出没しているらしく、その調査と討伐が目的だよ」


 手綱を握りながらもどこか頼りなげに答えた。

 声は落ち着いているが、微妙に力が入っていない感じであり。言葉の最後には、少し自信がないような調子が混じり、聞いている者に“大丈夫かな”と? 思わせるオーラを漂わせていた。


「表向きの話は、だろ?」

 

 道満と妙の会話に入ってきたのは、荷台で静かに本を読んでいた。ぜんであった。

 腰まで伸びた漆黒の髪が風にそよぎ、端正な顔立ち。

 切れ長の目は、ページを追いながらも常に周囲を鋭く観察し。全てを見通しているかのような余裕を感じさせ、低く抑えられた声はすでに答えてを知っているようであった。


「その通り。お師匠さまから仕事内容は、冒険者組合の依頼に関しての調査」


 軽く手綱を引きながら答えた。


 道満の方から身を起こし、口を開いた。


「内部調査」


 彼女は普段、冷静で理知的な戦略家としての面持ちを崩さない。

 分厚い黒縁眼鏡と三つ編みという一見古風なスタイルは、厳格で賢明な人物像を思わせるが、紅く染まった髪が内に秘められた情熱を物語っていた。

 眼鏡を外し三つ編みをほどけば、見る者はその美しさに驚くほどの容姿を持つ美少女なのだが、自身はそんなことには全く無頓着で、ある。


「勘兵衛の云うとおり。冒険者組合の依頼斡旋が、キナ臭いらしい」


 しかし、

 道満に名前を呼んだ途端、一気に崩れ去った。

 瞳に動揺が混じり、耳まで赤く染まるのを感じながら、どうにもならない自分に、焦った。

 勘兵衛は目を見開き、まるで時間が止まったかのように動きが止まった。

 名前で呼ばれた。

 『かんべえ』という声色が心にじわりと染み渡り、頬から耳まで真っ赤に染まってしまった。

 ――気づいた。

 すぐに、視線を逸らし、手をぎこちなく動かし落ち着こうとする。

 必死の努力がかえって不自然さを強調してしまった。

 口を開くと、

「ど、どう、道満。しょ、所属している冒険者組合を自分たちで調査する……ほ、ほん、本来ならば、第三者機関が調査するのが、す、すじ、筋ではないのか?」


(いつもの落ち着いた勘兵衛とは、たたずまいが?)

「……、……勘兵衛」

 と、独自の抑揚を帯びた声。

 電流が走ったかのように体を震わせ、心臓がさらに跳ねた。“また名前を呼ばれた! ”と心の中で叫んでいた。


「にゃ、にゃに!?」

 勘兵衛は必死に冷静さを保とうとするが、明らかにおかしくなっていた。

 声は微かに震えるどころか、ナニを話しているのか自分でもよく分かっていない様子で、視線は定まらず、ふら、ふら、とさまよっていたのであった。


「だ、大丈夫?」


 道満は気がかり、から、彼女に近づく。

 声と温かな気配が、勘兵衛をますます追い詰めていく。道満が少しずつ近づいてくるたびに、彼女は、ドキ、ドキ、と激しく打ち続けた。


「だ、だいじょうぶじゃーあーぁー、ないです!」


 勘兵衛は顔をそむけ、なんとか声を絞り出したが、その声は震えていて、もはや限界が近かった。心臓の高鳴りが収まらない。道満の眼差しが、心が乱れを煽ってくる。


「うん。大丈夫じゃない、ね。顔、少し赤くなってるから。風邪かも?」


 道満がさらに。

 優しげな声がより耳元で聞こえ、心配する眼差し、そして彼の気配までも。が、乙女モード勘兵衛には、耐え難いほどのプレッシャーになっていた。


「ほ、ほんとうに、だ、だいじょうぶ、だから!」


 ついに感情が制御不能に陥った。

 恥ずかしさと焦りにまかせて、無意識に。


「ぇっ!?」


 突然、道満へ。

 ギリ、ギリ、で上半身を後ろに反らし、躱すことができた! 勘兵衛の掌底。


(……死ぬかと…………思った………………)


 一方の勘兵衛は頬が紅潮し、

「ご、ごめんなさい! そ、そんなつもりじゃ……」

 言葉が詰まり、道満の顔を直視することもできず、焦りは増していく。


 道満は首筋を軽く撫でながら、

「わかってる、分かっているから。勘兵衛が本気だったら、僕の首、空高く打ち上げられてる、もん」

 と、

 軽く笑いながら柔らかな声をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 00:00 予定は変更される可能性があります

神神の微笑。異世界でも勇者たち 八五三(はちごさん) @futatsume358

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ