第二話

「…………。魚釣りの仕掛けの生き餌の気持ちが理解できたなぁー」

 

 遠い目をしながら道満の思わず、昨日の出来事を口にする。

 椅子に座りながら、子どものように足をブランコに乗っているときのように、ゆらゆらと揺らし、暇つぶしをする。

 周囲から聞こえる会話に耳を傾けると、無意識にため息をついた。

 ――冒険者組合ギルド

 冒険者と呼ばれる自分の身を危険に晒して、お金を稼ぐ職業をする人に仕事を斡旋する会社である。

 道満どうまん自身、浮き世離れした職業を生業にしているので、対して問題はなかった。どちらかと言えば、こちらの異世界のほうが仕事はしやすいので助かっていた。


「…………、…………」


 深夜の森で魔獣に追われるという非常に危機的状況で精神と体力を同時に披露している道満は、ギルドで他の冒険者たちの会話をBGM代わりに聞きながら、目を閉じた。


「起きるのだぁー」


 バチンッといい音がする。


「ぃ、いたー」


 デコピンの威力に叫び、道満の大きく目を見開く。

 目の前の席に、にこにことした表情の姉である。みょうがデコピンをしたあとを指先でいじくりながら。


「お姉さまに仕事をさせて、うたた寝をしているとは。弟としてどうだと思うのだな」

「……えっ、……ッと」


 目を点にして、この状況を打破する言い訳を思案していると。右側前方からじぃーっと無言の圧力が道満にかかってきた。

 圧力を感じる方向にチラっと見ると。

 ……、……。

 なんとも逆らいがたい迫力のある、もう一人の姉であるぜんが、気配なく椅子に座ってこちらを見据えていたのだ。


「ごめんなさぃ」


 その言葉しか出なかった。

 うっかり口答えしたら、魔獣の二の舞になりかねない。

 おでこを突いている姉は、淀みのない、にこりとした表情をしてみせた。

 いつのまにか、椅子に座って無言の圧を放つ姉は、うなずいていた。


「次の依頼だ」

「……、……」

「そのために、二人で買い出しに行ってくるので、ここで待機してるのだぁー」

「…………、…………」


 二回、沈黙した。

 あと。

 こくん、と小さく頷く道満だった。


「う~ん。変な緊張感のおかげで、眠気が覚めたよ」


 大きく背筋を伸ばし、緊張から凝縮した筋肉をほぐす。そして一気にがっくりと木のテーブルにうなだれ、へにょった。

 へにょった。道満は遠い目をしながら、頭痛のタネをこれからどうするか考えるのだった。

 

 前途多難ぜんとたなん

 一体全体、何をどう間違ったら、あの最強クラスの面々めんめんをこれからどう扱っていくか。

 そして――誰が?

 この異世界に連れてきたのか? の謎。

 考えれば、考えるほどに、頭痛が酷くなっていく。


「猛犬注意ってステッカー、売ってないかな……この世界」


 道満がうっかりと口を滑らしたときだった。

 皮膚に嫌な感覚が走る。

 背中の背骨にかけて、細いモノでなぞられた。


「――――ちぃ!」


 背中の背骨に触れられた感覚を幻覚と思いたかった。

 が。

 もちろん、それは幻覚ではなく、現実だった。

 確実に、絶対に、嫌な予感をさせる独特の感触。姉、二人に匹敵する気配。

 道満は両腕を枕代わりにして、顔をそこに埋め込んだ。

 無視。

 何があっても、無視。

 反応して振り返れば、アイツが居る。


「道満、君の数少ない友達を無視するなんて酷いなぁ」


 背後からかけられた声は、学生がクラスメイトに朝の挨拶をする気さくさだった。

 この気さくさは、ほかの誰でもなくアイツでしかないと道満は理解していた。そのまま見過ごすという手段ありだったが、止めることにした。

 両腕を枕代わりにして埋め込んでいる顔を掘り起こし、ゆっくりと首を痛めないように背後に向けると。

 少年がたたずんでいた。

 振り返った道満の表情を見るなり、ニヤニヤとふざけた人を食った笑い顔をした。


蜘蛛くも用の殺虫スプレーって、この世界に売ってるって知ってる」


 と、道満は口を開いた。


「その程度で、僕を殺せるとでも思っているのかい」


 少年はさっきよりも、明確に人を喰った笑い顔をしながら、道満の言葉に返事した。

 道満の口角が引き上がると。

 少年の口元がほころぶ。


「あいも変わらずに仲の良い姉弟だねぇー。一人っ子としては、羨ましいかぎりだよ」


 少年の話を右から左に聞き流した道満の瞳が鈍い輝きを放ちながら。


「で、そっちはどんな感じなんだ? 宿直とのい


 道満の問に、宿直と呼ばれた少年は微笑をすると。

 まるで、さっきまで座っていましたよと、しれっと道満の前に座っていた。

 細身な体躯ながらも、か弱さを感じさせない肉体。身長も道満の姉、二人よりも高く、モデル顔負けの美少年。

 二人の身長差から宿直とのいは、道満を見下ろすかたちで視線を向けると。

 

「道満、いつものように下の名前で呼んでほしいな、武士たけしって」


 その台詞セリフを聞いた瞬間、道満の表情は崩壊した。


「うわぁー、そんな顔しても怖くないよ」


 宿直が道満を挑発するようなふざけた発言をすると。

 一気に空気が変化した。目には視えないが濁った重圧が宿直に降り注い。

 宿直の顔が一瞬だが、痛みを発露はつろさせた。


「珍しく、好戦的だねぇー」

「――――!」


 机に乗せていた道満の両手の全ての指先の爪の間に細い糸が入り込んでいた。


「油断大敵ってね」


 恋人に優しく囁くように声をかける。

 

 道満の表情が凍りついたように停止する。

 両手の全ての爪の間にある神経に糸が触れる痛み。うかつに動かせない、少しでも動かせば激痛が襲ってくるのを知っている。

 痛みに耐えてまで、この勝負に勝つ必要はない。

 遊んでいるだけなのだから。

 ただ、やはり自分は戦闘には向いていないな、と、確信した。


「まいった」

「では、いただきます」


 トク、トク、と一定のリズムで鳴る自分の鼓動を意識しながら、美味いモノなのだろうか? 自分の力とは。


「、…………」

「え、なに? 急に、じっと見てきて」


 道満と宿直との間に生じていた恐ろしく重い殺気立っていた空気が一変し、ふわっとした緩やかな雰囲気なる。


「俺の力って美味いの?」


 突拍子ない質問に宿直は、きょとんと首を傾げたあと。


「う~ん、美味いというよりも、濃い」


 微妙な答えが返された。

 その回答に呆れた表情をした道満に。


「例えるなら、某、水で薄める飲み物があるじゃない。それの原液を飲んでる感じ」


 宿直が追加した説明は、道満を納得させた。


「なるほど。で、吸い過ぎ」

「やっぱり、バレた」


 チョロっと蛇のように舌を出した美少年は、子どものような表情をしていた。

 小さく吐息をこぼした道満は、ゆっくりと口を動かす。


武士たけしの方はどんな感じだった?」

「デカイ鬼を退治したかな、確か……オーガだったかな。道満どうまんは?」

「はぁー、俺の方は三メートルの犬を誘き出す餌になった……」


 明らかに道満がどんな目に合ったのか、宿直とのい武士たけしには容易に想像できた。大声で、姉、二人の名を叫びながら、全力疾走をしている道満の可哀相な姿を。


「あの二人らしい」


 実に華やかな笑みを見せた、武士に。


「これでも、弟だからねぇー」


 曖昧に笑い返した、道満だった。


「アイツの方は、どうなんだ?」

「活き活きと、狩りをしてるよ。あの

「う、わぁー」

 

 道満は不安的中と言わんばかりに、顔をひきつらせて、叫んだ。


「呼んだか」


 澄んだ第三者の声が、二人の間に割って入る。

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