鉄路の上
駅舎の落成式典が終わったあとも、モニュメントには見物客が尽きなかった。
レプリカの魅力に惹かれるように人々は集まり、そして去る。所詮は各々に生活があって、彼らは用事を思い出しては小突かれるように日常へと戻る。
レプリカのドラゴンの瞳には、入れ替わり立ち替わる顔が映っていた。ただその中に、一人だけ変わらず同じ女性の顔が映り続けている。
リリー・オーエン。魔術師デルトロの助手だ。
彼女は、デルトロの下で魔法アニマトロニクスの実装に携わっていた。もちろん、今回のレプリカにも彼女の力が発揮されていた。砂糖細工を使うアイデアは彼女のものだった。
緋色のレプリカは、見物されることに飽きて眠るように身を丸めていた。
「綺麗……」
彼女は何度目かになる呟きを、繰り返す。
リリーは、デルトロの生む造形物に、心底惚れていた。ずっと眺めるのも苦ではなかった。
レプリカの身体を構成するのは、飴と魔術と少しの着色料。そして、菓子職人の優れた技術と容易には説明できない魔術の手続きを織りあわせた過程だ。
透けて見える心臓部には、魔力を固着させた硝子片が埋められている。硝子片から漏れ出る光が、体内に幾何学的で奇怪なパターンを描く。パターンは交錯し、ぶつかり、ほどけて、踊る。
まがいものを駆動させている神秘の機構が、脈動している証拠だった。
「よくも、見飽きないね」
リリーの隣に、デルトロがいつの間にか立っていた。呆れているがまんざらでもない、そんな表情だった。
「もちろん、見飽きませんよ。というか、どこに行っていたんですか。式典に教授が居ないと駄目でしょう」
「主役は、あの駅舎と、このレプリカだろう? 私は必要ない。その辺にいる少年をからかって遊んでいたよ。『私がデルトロだ』っと明かしたときの顔は面白いなぁ」
飄々といいのける。デルトロは人を驚かすことが以前から好きだった。大学でデルトロが教える魔術学の講義を受けていた頃から、彼のその性質は知っていた。
「やめてあげてくださいよ」
リリーは苦笑いしながら、胸の奥に隠していた不安を噛み潰すのに苦心する。
ほんとにからかっただけなのですか。
後暗いことに手を染めてないですか。
貴方は今何を考えているんですか。
砂糖細工のようにこの関係が壊れてしまうのでは。その怖さで、浮かんだ疑問を言葉に出来なかった。
リリー・オーエンは信じたくない疑念を抱いている。
口裂き魔の正体が、彼だということ。
彼女が、デルトロと世間を賑わす犯罪者を結び付けるようになったのは、ほんの偶然の出来事だった。
彼の研究室の書斎、その机の下に滑り込んでいた、魔術用筆記体で書かれた手紙の下書きを見つけてしまった。
リリーは、それがどんな類いの魔術かすぐに分かった。だが、それを造る動機が分からない。デルトロに真意を問うことが出来なかったのは、リリー自身が力を注いできたレプリカ製作が止まってしまうことを怖れたからだった。
──人生を変えたい、という凡百の人間が呟いた願いは、鉛を金に変えたいっていう頭の固い錬金術師連中の見ていた幻と同じなのではないか。
助手になる以前のこと。大学在学中のリリー・オーエンは、悔しさを刻むように講義用のノートに書きなぐった。
女子教育が始まって、まだ数十年しか経っていなかった。よき妻、よき母として家庭を切り盛りするのが女性の役割だ。まだそんなイメージが蔓延っていた。門戸は狭く、風当たりは強い。
『錬金術師に、何か恨みでもあるのか?』
講義室前の廊下でデルトロは言った。講義室に忘れてしまったノートを、リリーに手渡しながら。
リリーは何のことか一瞬分からなかったが、ノートを受け取ったところで、走り書きした言葉に思い至った。
『読んだんですか?』
『ああ、誰のか分からなかったからね。中身は、よく出来てる』
リリーは知られてしまえば仕方ないとばかりに、開き直った態度になる。
『祖父が一時、家族の中に酷い不和を起こすほど錬金術に傾倒していた時期がありまして。苦い印象を持っているんです。半端な知識で、見方を歪んで』
『なるほど、だからか』
納得した表情をリリーに向ける。
『何がですか?』
『半端ではないからな、そのノートに書かれていることは。君みたいなタイプは、知れば知るほど知識に愛想を尽かすだろうな』
教授は馬鹿にしているのだろうか、と真意を測りかねているとデルトロは言った。
『向いている。君は魔術師に向いているよ』
その言葉を信じた訳ではない。しかしそれが本当なのか知るべきだと思った。
リリーは魔術の講義は、とりわけ聞くようになった。
自然科学の発展は、錬金術師たちの造った土台の上に立っている。デルトロは講義でこう言った。
『錬金術師たちの誤謬。それは物事には上下がある、貴賤がある、と考えていたことだ。卑金属より貴金属。寿命を持つより不老不死。凝り固まった価値観を持った者たちには、当然扱えないものが出てくる。そこをカバーするのが魔術だ。魔術は、得体の知れないものを得体の知れないまま扱うための技術だ。万物を理解しようとする自然科学みたいなものじゃない。解明することを目的としていない。神秘の箱を開けるのは、野暮なことだよ。死んだ猫や災いが入ってるかもしれないからね』
だからなのか、リリーは今までデルトロが『何故』と問う場面を見たことがなかった。『どうやって』と問い続けて、ここまでドラゴンの動きを再現してきた。
リリーは講義を受ける中で、再現されようとしているドラゴンが三十年前に新大陸で絶滅した種であることを知った。
デルトロはもともと新大陸の竜類学者だった。
新大陸の内陸部に棲むドラゴンの鱗には、魔力を濃く込もっていた。航海者たちに大陸を発見される前は先住民が儀式に利用するばかりで、世に知られず、ひっそりと使われていた。
しかし、新大陸に鉄道網が敷かれると様子が変わった。緋色に輝くドラゴンの鱗は、産業革命を支える魔力の供給源として注目され、狩猟者たちが殺到した。
一攫千金を狙った狩猟者たちは武器をとり深い森へ踏み入る。それに商機を見出だした武器商人は小さな村に猟銃と銃弾を運び込む。人が増えれば営みが始まり、大きな街が整備される。
ドラゴンを捕獲するための巨大なシステムが、何もなかった大地に築かれた。
経済の原理だ。鯨油のためにクジラがやられたように、象牙のためにゾウがやられたように、魔力を纏う竜鱗のために固有種のドラゴンは乱獲された。
デルトロが力なく言ったことをリリーは覚えている。
『絶滅するタイミングにたまたま居合わせたよ。最後の一頭を見送ったさ』
その土地からはドラゴンの鳴き声、翼をはばたかせる音は消え、機械がけたたましく働く喧騒が覆うようになった。
『代替品の魔法硝子の普及が間に合わなかったんだ。今や、どこの蒸気機関や織機にも組み込まれてる魔法硝子も、当時は精製技術がなかったんだよ』
リリーは、再現するドラゴンを徹底的に調査している間に、ある写真家の一枚に行き着いていた。それは手元に置いている。
自室の机の引き出しに、一枚を忍ばせていた。
真新しく敷かれた鉄路の上、急行列車に轢かれた死骸を抱えて俯く竜類学者。
紛れもなく若きデルトロだった。
生涯のあいだに地上から消し去られたドラゴン。デルトロはその輝きに憧憬を抱き、輝きをまた再生する夢に、生涯を捧げていた。
その彼が口裂き魔であるかもしれない。リリーにとっては、その二つはどうにも繋がり難いことだった。
鉄の鳥籠の前に佇む、二人の魔術師。
リリーは、青空の光を浴びて輝きを変えるレプリカを見ながら、デルトロに質問した。
「次は、どんなものを作るんですか?」
「今はまだ考えられないな。ほとんど、いま出来ることはこれに全て込めた。全て込めたからな」
リリーにとっては、これが最後、とも取れる言葉だった。リリーは間を埋めるように言葉を選ぶ。
「ええ。レプリカと呼ぶにはもったいないほど、美しい出来です」
ふっとデルトロは笑う。
「そもそも本物が美しいからな、当たり前だ。例えるなら、小説に求めてることと一緒だ。人が死んで悲しい、恋が叶って嬉しい。それだけの小説が面白いか? 私はそれ以上を求めてる」
デルトロの横顔は、哀しみに満ちていた。デルトロは鉄の鳥籠に手を伸ばし指を噛ませる。
「だが何故だろう。今のままじゃもう、届かないかもしれない。そう悟り始めてもいるんだ」
──何故。
リリーがデルトロの変調を確信したときだった。
緋竜の習作 緯糸ひつじ @wool-5kw
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