口裂き魔の足跡


 この三日間のうちに、東側の地区で不審な死体が見つかった事件が三件。

 被害者の身元は既に割れていた。一人は街娼、もう一人は少年工、そして最後は賜暇中の兵士。

 年齢、性別、職もてんでばらばらだが、異様な死に方だけは同じで、それ以外の繋がりは現在も捜査中である。


「なるほど、概要は分かった。そして、あいつが四人目か」


 ブロッサム首都警察ヤードのバーム警部は大柄な体をぐっと伸ばしながら、事件現場となった建物の間の通路を見た。ブロッサムシティらしくない青空の光も、この路地には届かない。

 大人二人がすれ違うだけでも窮屈に感じるような路地で、被害者の男は崩れるようにレンガの壁に背中を預けていた。


「足跡は?」

「被害者のものしか、ありませんでした」

 新人警官が答え、バーム警部は頷いた。

 土が剥き出しの路地で、足跡がない。どの現場も被害者が一人でひっそりと死ぬ点は一緒だった。周辺に住む連中は、東側地区に昔から住み着く幽霊の仕業だと噂していた。バーム警部はそれを聞いて鼻で嗤った。そんな訳がない。どんな事件にも理屈がある。理屈が通らないのは魔術の中だけだ。

 バーム警部は路地にゆっくりと足を進める、新人警官も後ろを付いていく。二人は被害者の顔を見た。

 

「やはり、口裂き魔の仕業で間違いない」


 力の限りに断末魔の叫びを上げたような死体に、新人警官は後退りした。

 口裂き魔。

 連続猟奇殺人事件の犯人を、首都警察ヤードではそう呼んでいる。

 被害者が全員、口角が裂けるほど不自然に大きく口を開かれ、顎が外れた状態で絶命しているのが特徴だった。

 被害者の男は、手紙を握りしめていた。バーム警部は指紋がつかないよう、まっさらな布を取り出して手紙を摘まむ。

 手紙からは魔法香の独特な甘い香りが染み付いていた。

「おい、新人。この書体を見ろ。魔術用の文書で使われていた筆記体だ」

 バーム警部は、新人に教えるように文面を向ける。

 そこには、まず手紙で使わないような特徴的な筆の運び、装飾が施されていた。魔術をかけるためのものだ。あまりに古い書体で、素人にはただの飾り文字にしか見えないだろう。

「ま、魔術用ですか? 被害者は文面だけで魔法を掛けられたって訳ですか」

「ああ、そうだ。他の現場でも同じものがあった。内容そのものは、それぞれ下らないもので特別深い意味があるようには見えなかったが──」

 そこまで聞いて、新人警官が驚く。

「え、全部、読んだんですか? 読んで大丈夫ですか? 口開きっぱなしになったりしません?」

 バーム警部は呆れたように笑う。

「オーダーメイドの呪いだよ。例えばな、お前が中等学校時代に教室で漏らしてしまって、好きな娘に──」

「あ! あ! なんで知ってるんですか?!」

 慌てて大声をあげる新人の様子に、バーム警部は厭らしく片方の口角を上げる。

「このように、俺はそれを言われたって痛くも痒くもないが当事者は恥ずかしさに悶えるエピソードがある。それと同じで、殺害対象だけを衝く魔術があるんだ。万能に効く魔術じゃないのは、ありがたいことだ」

 バーム警部の情報網が垣間見えて、新人はやや怯えながら口を開く。

「一度読んでしまえば、死んでしまう手紙……。理屈も何もあったもんじゃないですね。どうやって捕まえるんですか? こんな犯人を」

「理屈がないのは魔術の中だけだ。口裂き魔には、こいつらを殺す理屈がある、それは丁寧に拾えばいい。もう今朝から、ある程度見当はついてるしな」

 ──警部。他の部下の声が路地に飛んでくる。屈強な体を揺らして小走りで近づいてくる。

「ほら、やってきた」

 バーム警部は、新人に笑いかける。部下の一人が小さなノートを片手に、バーム警部に要件を伝える。

「被害者の彼、身元割れました。そこの酒場でウェイターをやっていたそうです」

「で、あいつとの関係はあったか?」

「ビンゴです。一ヶ月前から頻繁に酒場に出入りしていたそうです」

 新人は、あいつ? と首を傾げる。

「バーンズ新聞社のオリバーっていう記者だ。被害者の人間関係を洗っていたら出てきた。四人の被害者と繋がっていた、ただ一人の男だ。行くぞ」



 バーンズ新聞社では編集長ジャービスの部屋に、記者オリバーが駆け込むようにして入ってきた。

「編集長、俺はもう降りますよ。情報提供者が次々に死んでる。今日の朝には四人目だ」

 のそりと視線を送るジャービスは丸々と太った体を背もたれから起こして、煙草に火をつける。

「ノックぐらいしろ。オリバー」

「そんな余裕があるか。もうやめだやめ、命がいくつあっても足りない」

「お前がフリーの記者で食えないときに拾ってやったんだ。恩を忘れたか」

「恩? 恩だと? これまでの『調査』で十分返しただろうが」

「そうか。だが、この『調査』が、ここまで深く進めたのは俺の人脈があってこそだ」

 一触即発のにらみ合い、沈黙がのし掛かる部屋にノック音が鳴る。

「入れ」

 ドアを開けたのは、サムだった。

「至急、伝えたいことがあります」

「なんだ」

「編集長とオリバーに、この封筒を渡すように言われました。ここにスクープが入っていると」

 オリバーは眉間に皺を寄せる。

「誰にだ?」

「言えません。情報提供者を守らないと……」

 ジャービスは、煙まじりの大きな溜め息を吐きだした。

「ふん、このタイミングで、こんな茶封筒を寄越されたら、送り主は一人しかいないだろうな」

「どういうことですか?」

 困惑するサムに投げやりにオリバーも返す。

「ああ、確かにその封筒はスクープだな、スクープ。なんだって今話題の口裂き魔の手紙が来たんだから」

「……え?」

 サムは、デルトロの顔を思いうかべながら言葉を絞る。当然サムも、この事件を知っていた。

「な、なんで急にこの封筒と口裂き魔が繋がるんですか。そ、そんなはずはありませんよ。だって──」

「あるかどうかを決めるのは、こっちだ」

 ジャービスは有無を言わさない。そして、オリバーと目配せをして口を開いた。

「誰に渡せと言っていた?」

「上司に、と」

「オリバーも私も、上司だ。オリバー、どちら宛だと思う? 賭け事は好きだったよな」

 悪趣味な笑みだった。

 開封さえすれば、その封筒がサムの言うスクープか、呪い殺すための手紙なのか分かる。雑務しかできない少年に事情を説明するよりも話は早いと、ジャービスは踏んでいた。

 オーダーメイドの魔術が殺せるのは、たった一人。五分五分の賭け。デスクに置かれた茶封筒は静かに選択を待っている。

 沈黙に耐えかねたオリバーは言う。

「サ、サムだ。サムが開封しろ。そして読め」

「僕が、ですか?」

 急に出番が回ってきてサムは狼狽えた。淀んだ雰囲気が部屋を満たして体に張り付くようで、誰もがこの場が離れたくも離れられなかった。

「狙いは俺とジャービスのどちらかは分からない。だが確実に言える、サムは違う。俺らが手掛けてる調査を知らない。読め、サム」

 サムがジャービスの顔を窺うと、冷ややかな表情で顎で指し、開封を促す。不服な感情は残っていたが、この二人に小突かれたならサムは手を出すしかなかった。

 オリバーは念を押す。

「本人にだけ成立する暗殺魔術だ。お前が読んでも大丈夫だ。俺たちは少しでも、この口裂き魔のヒントか欲しいだけだ」

「……分かりましたよ」

 躊躇った末にサムは苦い顔をしながら手に取り、封筒を開ける。装飾がかった文章をゆっくり読み上げた。

「親愛なるオリバー氏。すぐそこまで我々の手が掛かってることは、既に分かっているだろう。だがしかし──」

 サムは息継ぎをする。

 鼻に通る部屋の匂い。記憶を突く、甘ったるい匂い。曇天。原稿。インク。転がった硝子壜。植物片の燃え殻。アルフレッド。

 アルフレッド。

 アルフレッド。

 アルフレッド。

「……おい、サム。サム!」

 ジャービスが声をあげる。

 サムは突然、喉が締まったような声を漏らす。

 口が大きく開きはじめている。

「おい、気絶させろ!」

 ジャービスが吠える。

 狼狽えていたオリバーは、はっと弾けるようにサムに飛びついて倒す。ポケットから硬貨が弾け出て、硬木の床で回転する。

 オリバーは覆い被さるようにマウントをとる。襟を掴んでぎりぎりと頸動脈を締め上げる。サムの目はオリバーを捉えずに宙を舞い、悪魔を見たかのように畏れの色に染まっている。


 部屋から不愉快なリズムの床を蹴る音、引っ掻く音が小さくなっていく。消えてなくなる頃には、サムは糸の切られたマリオネットのように硬木の床に伸びていた。小さく聞こえる寝息が、この事態の唯一の安らぎだった。

「なぜだ、オーダーメイドじゃないのか?」

 壁を背にして床に座ったオリバーは、あぶら汗を拭く。ジャービスは煙草を消しつつ、口裂き魔からの手紙を摘まんだ。

「俺らが魔術を警戒してサムに読ませるところまで、奴らは想定してたって訳だな」

 オリバーは重い空気のなかで生唾を飲む。ジャービスの氷のように冷えきった声が部屋に落ちた。

「全ては、奴らのお見通し。──もう降りれないかもな、オリバー」

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