レプリカは熱狂しない


 サムは高揚していた。

 ブロッサムシティの舗装された大通りを大股で横切った。辻馬車や乗合馬車が行き交う道を、神経質に右と左を交互に確認しながら渡った。

 サムは茶封筒を大事に脇に抱えなおす。この封筒の中にスクープがあると思うと、心がざわざわと浮わつく。


 サムはデルトロとの会話を反芻していた。

『君に目を掛けている上司が居ただろ? 彼にこの封筒を渡しなさい。君が必ず守らなきゃいけないのは、二つ。中身は新聞社につくまで開けないこと。それは情報が万が一にも漏れないためにだ。もう一つは、私の名前は明かさないこと。それは、情報提供者を秘匿するプロの責務だよな』

『え、ええ。分かりました。でも、なんで僕なんですか?』

『なんで? 理由はないよ。君のチャンスには違いないが。人の気まぐれは、積極的に利用するべきだ』

 これを新聞社に持ち帰れば、みんなを見返せるかもしれない。

 たとえば、記者として腕が立つが酷く生意気な先輩オリバーも、威張ってばかりで小間使いしかさせてくれない編集長のジャービスも、このスクープで観る目を変えてくれるかもしれない。きっと良くなる。きっと──。


 そこまで思考を巡らせたところで、サムはふと歩道で足を止めた。すれ違うチビッ子が訝しげに振り返りながらサムを見る。

 きっと、は止めよう。きっと、という言葉を安易に使って、手酷い目にあったのを思い出す。


 サムがまだ南側の地区で、川に面した小さな造船所で手伝いをしていたころ。四つ歳上の友人アルフレッドとよく遊んでいた。医師の子供らしい育ちの良さはサムにとっては憧れだった。

『サム、今月の新刊を手にいれたから家に来いよ』

 二人には共通の趣味があった。

 それはエディ・パジェット社の月刊誌「ソリッド・マガジン」を読むことだった。アルフレッドの家に行くと本棚には文芸誌が並んでいた。回し読みをして、内容について感想を言い合うのが二人の楽しみだった。


 ソリッド・マガジンは、階級や年齢を問わない多くの読者に読まれる一大衆雑誌だ。寄稿者は有名な作家たちばかりな上に、一ページ毎に挿絵が入れられていたのが目玉だった。

 識字率が上がっていたり鉄道網の普及していたりする時代もあって、手軽な読み物を求める声がソリッド・マガジンの追い風になっていた。 

 サムとアルフレッドが目当てにしていたのは、一人の短編作家だった。

 名前はジャック・リーダス。ソリッド・マガジンの一番の人気者で、魔術師の仕事のかたわら執筆をしている兼業作家だった。

 アルフレッドはいつも絶賛していて、こう評していた。

『まっすぐで平易な文章ばかりなのに、なぜか心をたやすくかき回してくるんだ。魔法をかけられているみたいに』

 サムはこう返す。

『やっぱり魔術師だから、文に何か魔法でもかけてるのかな?』

『ばか、小説に魔法を埋め込んだら捕まっちゃうよ』

 出版物に魔法を施すことは、法律で禁止されていた。不特定多数の人間を魔法の影響に晒さないためだった。

『まぁ、でも。言葉はもっとも単純なかたちの魔術みたいなものだよね』

『え?』

『巨大で複雑怪奇な蒸気機関ばかりではなくて、ちっぽけなロウソクの火の中にも純然とした科学の力が働いているように、言葉ひとつひとつにもささやかながら魔力が働いているんだ』

 たしかにそうだった。炭坑から産出される鉱物からも海洋を渡った先の大陸の樹木にも必ず炭素があるように、魔力の濃淡はあれど、万物に魔力が備わっていた。

『なんか、小説家みたいなこと言うね』

『まぁ、リーダスの受け売りだけどね』

 アルフレッドは恥ずかしそうに笑う。このフレーズはアルフレッドの口癖になっていた。でも、ある種、仕方ないことだった。

『俺さ、小説家になりたいんだ。読んで感想くれよ』 

 アルフレッドは机の引き出しを開けて、押し付けるように原稿をサムに渡した。



 アルフレッドの書いた小説は、バディものの推理小説だった。リーダスの影響がそのままインクに乗ったような文だ。

 内容は、ブロッサムシティを舞台に首都警察ヤードの警部とその息子が活躍するものだった。造船所に残された身元不明の死体の謎を解いて、軽快なチームワークとアクションで最後は犯人を捕らえる。

 写実的な描写、痛快な構成と、楽しい会話劇。

『面白いよ、これ』

 サムの率直な感想だった。

『だろ? だろ? きっと上手くいくぞ』

 アルフレッドはどんどんのめり込んだ。そして小説に取り入れたいと、サムの経験を聴きたがった。サムは造船所の手伝いのなかで出会った人々のことを話す。

 ガス製造工場で作業時間の記録係をしている娘の恋の話、ドックの荷役人夫が酔った末に乗合馬車で起こした喧嘩の話、ボクサーを夢見る日雇い労働の青年の話。

 それらのエピソードが、アルフレッドの小説に反映される度に、サムは認められたような気分になった。サムにとって新聞社で働いている原点になった出来事だ。世の中に転がっているありふれた事実も、知りたい人がいる。


『また、駄目だったよ』

 しかし結果から言ってしまえば、アルフレッドの小説は陽の目を見なかった。何作も出版社に送っては、突き返されていた。どこの編集長も、面白いけれど似ているだけの作品は二つも要らない、と言った。

 ジャック・リーダスの文に似た作風がずっとネックになっていた。彼の文章は不可侵の領域だった。

『今回のはいけると思ったんだけどな』

 疲れた笑顔を向けるアルフレッドに、サムは言葉が出なかった。

『憧れから来て、ずっと真似してきたんだよ。それが裏目に出たらしい』

『でも面白いよ』

『──でも、きっと俺は偽物だよ。散々っぱらやって見極めた結論だ』

『きっと良くなる』

『いや、きっと偽物だ。必要なのは個性だった、誰にも届かないくらいの才能も』

 その先の言葉はついに出てこなかった。

 その日の内にも、次の日も、──そして永遠に。


 独特の甘ったるい魔法香の匂いが、アルフレッドの部屋を満たしていた。アルフレッドの父と、サムはどかどかと部屋に入り、服の袖で口と鼻を押さえた。

『窓を開けろ、換気だ』

 アルフレッドの父から、聞いたことのない焦りを含んだ声にサムはただならぬ事態を感じた。

 机の上には、書きかけの原稿と、植物片の燃え殻があった。椅子から崩れ落ちるようにアルフレッドが倒れていた。

『この香りは感覚を奪うんだよ。脳を変質させるんだ』

 アルフレッドの父は、怒りと哀しみをかき混ぜたような表情をしていた。

 その植物片は、魔力が濃く宿るもので医療用の麻酔薬だった。傍らに転がっていた硝子壜は空っぽになっていた。適切な使用量をはるかに越えていた。

『中毒を起こしてる、もう駄目だ』

 アルフレッドの父は、医者の顔を被って感情を押し殺した。

 アルフレッドは熱意を燃やして身を滅ぼした。

 開け放った窓の外は、相変わらずブロッサムシティらしい酷い曇天だった。


 あの頃、アルフレッドは本物になろうと、特別になろうとしていたのだろう。サムはそう結論づけていた。

 普通の感覚じゃない状態で原稿を書けば、特別な文章になるのでは。短絡的で思慮を欠いている。後から見てしまえば余裕のなさが伺えるが、近くにいてもあの頃は分からなかった。

 あの出来事のあと、ジャック・リーダスが雑誌にエッセイを寄稿していた。作家になりたい若者へのアドバイスだ。

『皮肉にも言葉の魔力にいちばん晒されて、毒されているのは作家自身だ。取り憑かれたようなやつはよく見るよ。君たちは、自分が魔術師になれるのか、それとも中毒者になってしまうのか、丁寧に見極めないといけない』

 この言葉を、アルフレッドが受け売りの知識として頭に入れていたらどうなっていだろう。サムは度々そんな夢想をすることがあった。


 どんと通行人と肩がぶつかって、サムは上の空だったのに気づいた。青空を仰いで一つため息を吐く。脇に抱える茶封筒をもう一度、抱えなおす。

「早く新聞社に行こう、話はそれからだ」

 歩きながらサムは、アルフレッドとレプリカのドラゴンと重ねてみた。

 アルフレッドを才能のない人物だと、サムは思わない。

 だが、レプリカのドラゴンが精巧な美しさを持っていても妥協の産物だと言われてしまうように、価値を見抜ける人々は、本物と偽物の間に大きな溝を見逃さないのだろう。

 もし自身が模造品と最初から分かっていれば、与えられた枠を炎で壊そうともしないし、それに身を溶かして破滅することもなかった。

 きっと──。可能性があるかもしれないし、ないかもしれない。期待を乗せたくもなれば、諦念を滲ませてしまうこともある。状況の不確かさだけがはっきり見えてくる。

 そんな宙吊りの状態を認識してしまうのは、体に毒だ。だから、安易には使えない。


 レプリカのドラゴンは熱狂しない。

 サムは高揚していた気分を押しやって、バーンズ新聞社へ足を速める。

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