裏・本編感動の最終話「ありがとう」



「もう、この家ともお別れね」


 金髪の女性が、玄関先からがらんどうとなった室内を眺めて呟いた。

 身体に張り付く黒の長袖に、薄い赤色のロングスカートを穿いている。ベッドの上とは違う、随分と質素な出で立ちだった。


「やっぱり、少し、寂しいね」


 母親の隣で、青年が呟く。母親と同じく質素な出で立ちをしていた。

 

「行きましょう」

「うん」


 金髪の女性は玄関のドアをゆっくりと閉めた。

 その心情を現すかの様に、空は厚い雲に覆われている。


「私がお兄ちゃんの横だってばっ」 

「この前町に行ったときはそっちがお兄ちゃんの横だったじゃん。交代交代って約束したのに」

「今日はお出かけじゃないもん。引っ越しの時は別だよ」

「そんなの、インチキだってば」


 家の前では、妹たちがなにやら言い争っている。曇り空など吹き飛ばしそうな勢いだ。

 二人は仲が良いのか悪いのか、上半身は共に揃いの、透けてはいない水色のキャミソールを着ている。お出かけ用とはいえ、その胸元は随分と危うい。僅かにでも屈めば見えてしまいそうだ。

 下半身には、ショートパンツとミニスカートを別々に穿いていた。


「ほら、もう少しで予約した馬車が来る時間だ。村の入り口に行かなきゃ」


 言い争いを続けている二人の妹を、青年が促した。


「ねぇお兄ちゃん。今日は私が隣だよね?」

 

 潤んだ瞳を向けて、一人の妹が言った。


「ダメだよ、先に言ったのは私なんだからっ」


 口を尖らせて、もう一人の妹が反発する。


「やれやれ」


 青年は呆れたように首を振って、言葉を続けた。


「今日の馬車は遠距離用で、僕たち専用なんだよ。ベッド付きで、小さい部屋みたいになってる。王都までは十日も掛かるし、宿屋に泊まれない日もあるかもしれないからね。だから僕たちの他には誰もいないし、二人とも僕の隣に座ればいい。ほら、分かったら急いで歩きなさい」


 青年はそういって、二人のお尻をパンパンと優しく叩いた。


「あっ」

「ひゃっ」

「もう、子供じゃないんだからお尻叩かないでよ、お兄ちゃん」

「プーっ」


 二人の少女は頬を膨らませる。それでも微かに頬を赤く染め、嬉しそうな顔をしていた。


「母さんも、行こう」


 青年はそういって、母親の手を取った。


「そうね、行きましょう」


 家を見つめていた母親は、名残惜しそうにゆっくりと目線を外して、歩き出した。

 家族四人で、村の入り口へと向かう。ふと、青年と並んで歩く母親が静かに口を開いた。


「ありがとう」


 青年は、首を傾げるだけの返事をした。


「あの二人の事も、家の事も、全部、あなたがいなかったらどうなってたか分からない。本当に、ありがとう」

「家族だろ。あの二人も、母さんも、僕はずっと大切にするよ。だから、これからも一緒にいよう」


 白い歯を見せて笑う青年の手を、母親はギュッと握りしめた。


「ほら、泣かないで、母さん」


 青年は、蒼い瞳から流れる一筋の涙を、そっと拭った。


「ありがとう」

「うん」

「ねぇお兄ちゃん、今日の馬車って私たちの他にお客さんは居ないんだよね?」

 

 前を歩いていた妹の一人が唐突に振り向き、口を開いた。母親の涙には気づかなかったらしい。


「ああ、そうだよ」


 青年が答える。


「じゃあ、私、王都に着くまでお兄ちゃんにいっぱい気持ちいい事してあげる。いつもお世話になってるから、恩返しっ」


 無邪気な笑みを浮かべて、そんな事を言い放った。


「わ、私もっ、お兄ちゃんにいっぱい気持ち良いことするもん。今日は私っ」


 もう一人の妹も、急にしゃしゃり出てきた。


「ダメっ、私がするの」

「交代交代でやればいいじゃん。最初は私」

「お兄ちゃん疲れちゃうじゃん、バカ。そんな事も分からないの」

「バカじゃ無いもんっ。私がするの、バカ」

「私の方がお兄ちゃんの気持ちいいところいっぱい知ってるもん、バカ」

「バカって言わないでよバカっ」


 二人の少女はポカポカと、そんな言い争いを始めた。


「いい加減にしろっ」


 不意に青年の、少しだけ強めの声が響いた。その瞬間、二人の少女は条件反射の様に身体を硬直させる。その顔には怯えにも似た緊張感が張り付いていた。


「二人で仲良く出来ないなら、もうなにもさせない。いつも言ってるだろ。僕を怒らせるな」


「はいっ」

「はいっ」


 二人の少女は背筋を伸ばして、顔をヒキツらせながらも、しっかりと返事をした。


「よし、はい仲直り」


 青年が両手を開く。二人の少女はその胸に力強く抱きついた。

 ギュッギュと二回抱きしめて、身体を離す。少女たちの顔は、いつも通りの無邪気な顔立ちに戻っていた。


「じゃあ、二人でお兄ちゃんの事気持ちよくさせようっ」

「うんっ」


 二人の少女は、仲直りをしてくれたようだ。なんとも、頼りになるお兄ちゃんである。


「あっ」


 何かを思いついた様に、一人の妹が声を上げた。


「じゃあさ、久しぶりにお母さんも一緒にやろうよ。三人で」

「久しぶりって、この間も三人でやったじゃない」


 少しだけ呆れた様に笑って、母親は答えた。言葉を続ける。


「母さんは見て楽しむから、気にしないで」

「ええ、母さんに見られるの恥ずかしいよ」

「じゃあ今回は、いろいろと教えて上げる。いっぱい時間もあるし、覚えて欲しい事もあったから」

「ほんとにっ」

「やったっ」

「じゃあ早く馬車に乗ろうっ」

「うんっ」


 先ほどまで喧嘩をしていたはずの二人は、手を繋いで走り出した。


「母さんには敵わないや」


 二人の後ろ姿を見つめながら、青年が笑っていった。


「母さんはあなたに敵わないから、バランスが良いんじゃない」

「なんだよそれ」


 青年と母親は、顔を見合わせて笑った。


「じゃあ母さんも、先に行っててよ。僕は挨拶してくる」

「そうね、すぐには帰れなくなるから」

「うん、じゃあちょっと行ってくる。馬車の時間までには間に合うようにするから」

「奥さんは大事にするのよ」

「分かってる」


 青年は笑みを浮かべると同時に、凄まじい速度でその場を離れていった。

 風を追い越すほどの速度でたどり着いた場所は、一件の民家だ。赤い屋根と所々使われている黄色の壁板が、その家の可愛らしさを際だたせている。

 青年は、そのドアをノックする。すぐさまに、一人の女性が姿を現した。

 赤毛のショートヘアーで、随分と小柄な体格をしている。大きな目を潤ませた上目遣いで、青年を見つめていた。

 小柄な体格には不釣り合いなほどに胸は大きい。子供を授かっているのか、お腹が膨れていた。


「会いに来た」


 青年が呟く。その声は家族と話す時よりも、一際艶めかしい声色をしていた。

 コクリと、赤毛の女が頷く。

 見つめ合う二人。青年が顔を近づけていく。赤毛の女は、目を閉じた。

 

 唇が重なる。赤毛の女が口を開いた。青年が押しつける。

 ゴクリ、ゴクリ、ゴクリと、赤毛の女が喉を波打たせる。耳は真っ赤に染まり、その小さな手は、青年の胸元をギュッと握りしめている。

 ゴクリ、ゴクリ、ゴクリ。赤毛の女は、ゆっくりと喉を波打たせる。その口元は、艶めかしく濡れていた。

 この村の、習わしである。愛の誓いを表現するために、自身の体液を与え、相手の体液を受け入れる。

 ゴクリ、ゴクリ、ゴクリ。赤毛の女は一生懸命に口を動かし、青年の愛を体内に流し込む。

 つまり、ただのキスである事は間違いない。最もポピュラーな愛情表現である。


 僅かばかりの時間ではあったが、二人は愛を確かめ合った。青年が口を離す。赤毛の女は、独りぼっちになった小さな舌先を名残惜しそうに口の中にしまった。


「そろそろ、行かなきゃ」

 

 青年が言う。

 赤毛の女はコクリと頷いた。


「愛してる」

 コクリ。

「お金もちゃんと送るから、心配しないで」

 コクリ。

「すぐには無理だけど、たまには帰ってくるから」

 コクリ。

「子供も、楽しみにしてる。俺と、君の子供だ」

 赤毛の女は目を輝かせて、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。

「じゃあ、行ってくる。君の為に、この国、いや、世界で一番の男になってくるよ」

 コクコクと、赤毛の女は何度も首を振った。

「またね」


 青年は赤毛の女に背を向けて、すぐさまに姿を消した。

 残された女は一人、涙を流しながら大きなお腹を撫でていた。


 そんな事など構いも無く、もしくは構うつもりなど更々無いとでも言うように、青年は凄まじい速度で森の中を駆け抜けていた。

 湖を越え、廃れた掘っ建て小屋を後に、大岩の洞窟を通り抜け、迷子になった巨人と呼ばれている大樹に到着する。青年は、その大樹の裏側に回った。      


 僅かばかり開けた空間がある。その中心には随分と錆び付いた一本の剣が、まるで墓標の様に突き刺さっていた。

 

「父さん、久しぶり」


 青年の顔には、飛び切りの笑みが浮かんでいる。地に突き刺さる錆び付いた剣に近づき、腰を曲げた。

 不意に青年はケラケラと笑い始める。随分と下品な、笑い声だった。


「ダメだな、ここに来るとやっぱり素が出ちゃうみたいだ。色々思い出しちゃった。まぁしょうがないか。昔はここしか本音を呟ける場所が無かったからな。もうずっと格好良い男を演じてたから大丈夫と思ってたけど、結局人は変わらないのかな?」


 青年は錆び付いた剣に話しかけた。剣はただ、そこに突き刺さっている。


「これから王都に行くんだ。母さんと、二人の妹と。だから父さんに会えるのは、もしかしたらこれで最後かもしれない」


 プッ、と青年は吹き出した。


「いや、すげぇ楽しい生活だったよ、父さん。母さんは何でも言うこと聞いてくれるし、二人の妹はちょっと生意気だけど、小さい頃に調教しといたから言いなりだし、それに三人とも飛び切りの美人だ。さすがは父さんだよ。俺も含めてね」


 ケラケラと、青年は下品に笑う。

 空はどんよりと暗くなっていく。

 ポツリポツリと、雨が降り始めた。


「いつも考えてたんだ。あの時、もし父さんが俺の存在に気づかなかったらどうなってたんだろうって」


 青年は細かく頭を頷かせながら、独り言を続ける。


「きっと俺は、普通の生活をしていたと思う。そりゃ勇者だしめっちゃ強いから、それなりに良い生活は送れてただろうけど、きっと今みたいな生活は」


 少しばかり難しい顔をして、首を捻った。


「たぶんだよ。たぶん、父さんが居たら、無理だったと思うんだよ。父さんはきっと、俺を真面目に育てようとしてただろうし、俺だって、そもそも父さんと母さんを裏切るつもりなんてなかったんだ。好かれたくて必死だったんだぜ。これでも」


 雨足が、徐々に強くなっていく。


「ああ、ついに降ってきたか。そろそろ行くかな」


 青年は立ち上がった。


「なんとなくだけどさ、父さん。俺、あの時の父さんの気持ちが分かった気がするよ。自分の子供が、しかも俺みたいなおっさんに乗っ取られたら、許せないよな。うん、絶対許さない。まぁ、俺の事なんだけど」


 ハッハッと、青年は大声で笑った。


「そうだ、俺も子供が生まれるんだ。まぁ、育てないけど。凄いだろ、それでも良いって言うんだ。そんなこと、父さんが居たら許したかな」


 青年は一頻り笑ったあと、不意に真面目な顔をした。精悍な顔が、さらに引き締まる。


「そろそろ行かなきゃ。母さんも、二人の妹も、俺がきっと幸せにするよ。だから、安心して大丈夫だよ、父さん」


 青年は剣に触れた。


「最後に、これだけは言っておきたかったんだ」

 

 青年は吐息を一つ吐き出して、再び口を開いた。


「生んでくれて、本当に感謝している。俺、父さんの子供で良かったよ。本当に……ありがっっ」


 ブプーッと、青年は音を立てて吹き出してしまった。


「アーハッハッ、ここだとダメだな。素が出ちゃうわ。もう出さないって決めてたのに。最後ぐらいちゃんとしたかったのになぁ」


 まぁいいか、と呟いて、続ける。


「親子だ。最後ぐらい、本音で話さなくちゃな」


 青年はグイッと背筋を伸ばして、顔を引き締めた。


「父さん、あの時死んでくれて、本当にありがとう」


 青年はブッと吹き出し、笑い続けて、ヒィーヒィーと泣いて、雨足が強くなり、その場から姿を消した。


 すぐさまに本降りとなった雨が、地を濡らしていく。

 陽を遮る厚い雲が、薄暗い森の中からさらに光を奪っていった。

 錆び付いた剣が濡れていく。その表面に流れる水滴は、まるで血の涙の様に、赤く赤く、染まっていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界転生、された側の苦悩(異世界短編ちょいホラー) さじみやモテツ(昼月)(鮫恋海豚) @San-Latino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ