本編最終話「父さん」
「とと、と……父、さん?」
見開いた目が、訝しげに変わる。あいつは大げさに首を傾げた。
ああそうか、と納得した。きっと今の俺の顔は、姿は、初めて見せるモノだろう。いったいどんな表情をしているのか、自分でも気になった。
それが変に可笑しくて、笑ってしまった。きっと顔も、笑っているはずだ。
「答えろ。お前はいったい、誰なんだ」
剣の切っ先を向けて、俺は問う。答えはもう、知っていた。
「ど、どうしたの、父さん」
すでに、いつもの表情に戻っていた。六年間ずっと見続けてきた、気色の悪い作り物の顔。
「その声で、身体で、お前が、俺の事を父さんと呼ぶな」
「な、なにを……父さん?」
我が子の事を、本当の我が子の事を、考えてしまった。
「どうして、泣いてるの?」
俺と妻の、本当の我が子。生まれることすら叶わなかった、本当の我が子。
どんな子供だったのだろう。奪われてしまった。苦労はしただろうか。奪われてしまった。俺に似て、バカで不器用な子供だったろうか。奪われてしまった。妻に似て、気さくで可愛らしい子供になっただろうか。奪われてしまった。その方が絶対に良い。こいつが奪った。俺は精一杯の愛情を注ぐだけだ。全部、失った。
本当に、申し訳ない。可愛い我が子。
「どう……して」
声が、詰まった。胸が締め付けられる。拭いでも拭いでも、視界が濡れていく。吐き出される嗚咽を押さえつけて、大きく息を吸い込んだ。
「っ、お前はいったい、誰なんだっ、答えろっ」
あいつの表情が、本当に一瞬だけ、歪みを見せた。それだけで、十分だった。もういい、もういい。もう、十分だ。
「父さん……僕は、父さんの」
「もういい、黙れ」
「いったいどうしたん」
「黙れっ」
「どうしたんだよっ、とうさっ」
「黙れっ黙れっ黙、れ……ああ、ああ、本当に……すまない」
「父さんっ、ちゃんと話してよっ、僕はっ……僕は、父さんがなにを考えているのか分からないんだ……父さん」
「悔しかっただろうなぁ」
「いったい、なんの事を」
「ずっとずっと、泣いてたんだろうなぁ」
「……父さん」
「すぐに気づいてやれなく……本当にすまかった」
「いったい」
「きちんと愛してやれなくて、本当にすまなかった」
「そんな事、」
「抱いてやれなくて……手を握ってやれなくて……頬を、撫でて、やれなくて」
「父さん」
膝から、崩れ落ちてしまいそうだった。
いくら涙を流しても、目の前に立つ悪魔は消えない。
いくら叫んでも、我が子との思い出は一切頭の中に浮かばなかった。
それが酷く悲しくて、酷く申し訳なくて、俺は泣き叫んでいた。
悔やんでも悔やんでも、もう戻ってこない、戻ることの出来ない、あの日。
泣く妻の手を取り、濡れた赤子に頬を付けて、幸せになろうと誓ったあの日。守り続けていこうと決意したあの日。
もうすでに、我が子は奪われていた。
酷い、酷すぎる。
俺は深く息を吸い込んだ。
ここで、今ここで、決着を付ける。
「どうすれば、子供を返してくれる」
「だ、だから、僕は」
「やめろ、反吐がでる。二度と、俺の子供だと名乗るな」
「でも」
「頼むよ、頭が割れそうなほどに痛いんだ。お前の嘘などもう聞きたくない。聞く余裕もない。お前が誰で、俺の子供はどうなったのか知りたいだけだ」
目の前の何かは、口を閉じた。ジッと目を合わせる。妻に似た蒼い瞳が、微かに歪む。俺と同じ灰色の髪の毛を、カシカシと掻いた。
殺してやる。
奥歯を噛みしめた。ギリリと鳴る。今にも倒れそうな身体を、震える両足で必死に支えた。
「最後だ。頼む。答えてくれ。俺の子供は、返ってくるのか?」
我が子の身体を奪った何かは、長く息を吐き出す。見合った目は、沈んでいた。
「それを聞いて、どうするの?」
未だ俺の子供を演じている事に、酷く苛ついた。
「答えろ」
それ以外を、しゃべるな。反吐がでる。
あいつは面倒臭そうに鼻息を吹き出した。
それでいい。これ以上、我が子の仮面を被ることは許さない。
沈黙が続いた。あいつは目を合わさなくなっていた。頭を小刻みに揺らし、目線を左右に泳がせている。
ああ、もう十分だ。事実は聞かずとも、俺の中にある。きっと我が子は、こいつに殺されてしまったのだろう。
全身の力が抜けていく。倒れてしまいたい。
もういい。ここで、終わらせよう。
本当に、すまなかった。
俺は目の前の誰かに近づきながら、ゆっくりと剣を振り上げた。
「ちょ、ちょっと待ってよ父さ――」
避けられてしまった。もう一度剣を振るった。
「マジキチだろっ」
当たらない。当たらない。当たらない。俺の剣は、全て避けられてしまう。
「なぁ、もういいだろう。死んでくれ。頼むよ」
剣を振るった。あいつは避けて距離を取った。視界が霞むほど、疲れている。それでも足を引きずって、歩いた。
「分かった分かった、全部話すからっ、ちょっと待て……ったく、なんだよもう。こんな転生あんのかよクソっ」
声を出すのも、面倒だ。俺は足を止め、目と顎で話を促した。
「ああ、と、ええっと、あの、異世界転生って知ってる?」
俺が口を噤むと、あいつは頭を掻いて、ベラベラと要領の得ない意味不明な説明を始めた。
別の世界で死んだ。この世界で生まれ変わった。記憶を残して。
もう、怒鳴る気にもならなかった。怒鳴る気力も失っていた。
「だから――」
そいつが最後に言い放った言葉が、ただただ許せなかった。
「俺は、僕は本当に、父さんの子供なんだよ」
違う。ふざけるな。
「お前は、我が子の身体を奪った、別の何かだ。死んでくれ」
「結局かよっ」
身体が重い。目が霞む。それでも俺は、こいつを殺す。
許せるモノか。我が子の命を奪ったこいつを。俺と妻を欺き続け、のうのうと生きているこいつを。なにも知らずに、我が子の命を奪ったこいつを、大切に育ててしまった自分自身を。
「ウゲェエッ」
「汚ねぇっ、なんだよその色っ」
ああ、本当にすまない。すまない。すまない。
俺は足を引きずる。あいつは距離を取りながら後ずさる。頼むよ。殺されてくれ。
「もう分かった、分かったよ」
あいつは大げさに首を横に振って言った。
「あんた等の前から消える。それでいいだろう。もう最悪だよ。まぁ、なんとかなるとは思うけどさ。はぁ」
「ダメだ、ここで死んでくれ」
「嫌ですけどっ。っていうか俺、別に悪い事なんかしてないだろ。嫌われるような事したっけ? ちゃんと良い子してたつもりだぞ」
「我が子を、返してくれ」
「だから俺が」
「ゲゲエェ」
「それやめろよっ、びっくりするだろ。もういいよ、マジ最悪な別れだな、これ。勝手にするから。じゃあな…………ああ、もう、とりあえず、育ててくれて、俺は感謝してる。あんたがそんな事考えてるなんて気づかなかったけどな。もう、父さんとは呼ばないよ……じゃあな」
「ま、待てっ」
ダメだ、待ってくれ。なにを勝手に。頼むよ。お前はここで、俺に殺されるべきなんだ。
「剣を、取れ」
「はぁ?」
「剣をとって、俺と、戦え」
「あんたが俺に勝てるわけないだろう。マジで言ってんのか?」
「お前が、俺の剣を、受け止める事が出来たら、諦める」
「チッ、なんだよそれ……ああもう面倒くせぇ。最後の頼みぐらいきくよ。一回だけだぞ。ちゃんと約束は守れよ」
ああ、良かった。剣を、構えてくれた。これで、これで、俺は。
なぁ、我が子よ。
父さんはなぁ、お前の為ならなんだって出来るんだ。
そういう父親に、憧れていたんだ。
我が子を愛せない、最低な父親になんかなりたくなかった。
なぁ、父さん、頑張ったんだぞ。
でも、間違ってたみたいだ。
ごめんな。
気づいてあげられなくて。
でも、見といてくれ。
今、お前の仇をとってやるから。
父さんはなぁ、自分の子供の為なら、何だって、出来るんだ。
剣を振り上げ、ぎゅっと柄を握りしめた。
あいつは呆れた様な表情を浮かべて剣を構えている。
お前は知らないのだろう。
父親は、子供の為なら。
超人にだって。
なれるんだ。
俺は剣を、振り下ろした。
ガキンと鳴って、剣が手から放れた。
目の前でクルクルと、刃先が回っている。
あっ、と目の前の誰かが言った。
少しだけ、首に痛みが走った。
あれ、オカシいな。
俺がヤツを、斬り殺したはずなのに。
力が抜けて、膝が折れる。
あいつは立ったまま、酷く驚いた顔をしていた。
視界が揺れて、気づけば空を見上げていた。
「父さんっ」
背中が、やけに暖かい。
「父さんっ、父さんっ」
誰だ、お前は?
「ああ、父さん、ダメだ、ダメだ、なにしてんだよ、もう」
ああ、そうか。
「今回復魔法掛けるから――
ああ、そんなに心配そうな顔をさせて、すまない。
「どうしよう、ヤバいよ、
泣かないでおくれ。
「父さんっ、死んじゃダメだ。死んじゃダメだ父さんっ。ああ、どうしよう、ヤバいヤバい」
俺はこんなにも、愛されていたんだな。
「
すまなかった。
「ど、どっかに、探してくるから、父さん、魔力の果実が、もしかしたら、探してくるから、父さんっ、し、死んじゃダメだ」
「ま……で、ぐれ」
「なに、どうしたの、父さん、早く探してこなきゃ」
もう、いいんだ。
ただ、抱きしめさせておくれ。
ああ、可愛い我が子よ。
俺の、自慢の、可愛い我が子よ。
「父さんっ、ダメだ、諦めないでくれ。今から家に運ぶから。父さんっ、ダメだってば。ああ、父さんっ。ちゃんと話すよ。それでも嫌なら消えるから。父さんっ」
こんなにも、嬉しいのか。
愛する我が子に、父と呼ばれる事が。
ああ、すまなかった。
ずっとずっと、本当にすまなかった。
もう、頭を撫でる事も出来ない。
頬に触れる事も出来ない。
涙を拭いてあげる事も。
ただ、もっと父と呼んでくれ。
こうして、抱きしめさせてくれ。
ああ、愛しい我が子よ。
生まれてきてくれ、本当にありがとう。
愛しい、我が子よ。
「父さんっ」
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